file.61  鶴屋吉信の「あんみつ」

 

いちにちいちあんこ

東京国立博物館の別館「平成館」の一階には、鶴屋吉信さんが出店しています。

こないだ、石田石造(女)センパイと一緒に見に来たときにも、やはりこちらであんこものを購入して一休みしましたが、今回もやはり素通りできませんでした。

こちらは何と言っても、いわゆる売店でその場でも食べられるようにしてます、お茶は自販機でお好きにどうぞ…、みたいなスタイル。

なので、あまりゆっくりいかにも京都な老舗の和菓子を味わう…という感じでもないのですが、いかにもイートインらしいメニュー「あんみつ」があります。

しかし、パックに入っている状態で630円もするので、私はこれまで二の足を踏んでました。それならみはしさんで、あったかいお茶をいただきながらあんみつ食べてもいいもんね、なんて思っちゃって。

しかし、ここはさすがの石造センパイ。

「すみません、あんみつ二つ!」

と颯爽と注文してくださいました。もちろんセンパイのおごりです。わああ、すみません!ありがとうございます!!…と恐縮しながらも、喜びを隠しきれないワタクシ…。
あんみつ

そしてこちらがそのあんみつ!!
テイクアウト用のあんみつを、ちょっとだけ気づかいプラスして提供してます~って感じです。

あんみつ

あけてみますと、二段構成。あんことえんどう豆、サクランボは二段目のお皿に。
これを全部寒天の上にのっけて、と…

あんみつ

黒みつかけたら、あら、本格的ですよ!!
シンプルにど直球なあんみつです。
あんみつおお!あんこ、美味しい!
さすがさすがの鶴屋吉信さん!寒天も、臭みがなくていいわあ。
えんどう豆もいいなあ。ふっくらしていて美味しい!品があるなあ…

「むとうさんは、あんみつにミカンって許せる派?」

えんどう豆の端正なおいしさを味わう私に、おもむろに問いかける石造センパイ。

「私は、ミカンとかそういう余計なものはいらない派だから、このすっきりした構成はすごくいいと思ったのよ」

確かに。このストレートな構成は、何もごまかしがきかないですし、潔いなあ。

そうですね、そうそう!!
と私もきりっと賛同の意を表しましたよ。

たぶん、トーハクにいったらまた寄ってしまう、と思いますw。

石造センパイ、ごちそうさまでした~!!

鶴屋吉信
http://www.turuya.co.jp/index.html

file.60 うさぎやの「どらやき」

いちにちいちあんこ

仕事先で場所を借りて作業をしていると、Yさんがにこにこしながら…「むとうさん、どらやき食べますか?」とおっしゃる。

Yさんは、いかにも京都出身といった洗練されたオトナな男性なのですが、甘いものも大好きで、しかもカフェなんかにも詳しくて、さらに美味しいパン屋さんにも詳しい…という稀有の人。
そんなYさんが下さる甘いものは、間違いのないものばかりです。
#それか、チャレンジャーな組み合わせのものかどちらかw

はいはい、もちろん喜んでいただきまーす!といそいそ寄っていくと、

「うさぎやですよ♪」とさらににっこり。

うっほ~!まじっすか~!
心象風景としましては、万歳三唱、花畑をスキップで走り回る…、みたいなかんじ。
ワタシ的には最高レベルの喜びの状態…。

「著者がお土産でもってきてくださったので、おすそ分け」

「おおお!その先生、間違いなくいい人ですね!!」

そう叫ぶ私に、Yさん苦笑。……いや、だってだって。

上野うさぎやさんのどらやきは、御徒町と湯島の間あたりの、あそこまで行って手に入れないと買えませんから。近所でもない限りは、お土産に持っていこうと、とわざわざ足を運んで、買ってきてくださってるわけです!

以前、すずめやさんのどらやきを持って頼みごとに来た知人に感動して、ついつい骨を折ってしまったお話をしましたが、こちらの上野のうさぎやさんもまさにそう。

職人さんがていねいに材料を吟味し、美しく仕上げたどらやきは、繊細で日持ちもしませんから、その日買ってその日届ける、そういう昔ながらの心づくしのお土産なわけですよ~。

わーいわーい!
どらやき

こちらが、お馴染み、上野うさぎやさんのどらやきです!
いよっ!待ってました~~!
どらやき

見てください、この美しい生地の色!
きめ細やかな肌!

どらやき

柔らかくてしっとりふんわりな生地だということが、見てとれますよね! ううう、よだれ垂れそう。

どらやき

そして、あんこ!!

見てください、この美しいアズキの色を!アズキ本来の赤い色がよく残ってるでしょう??

このあんこが、ま~~~美味しいわけですよ!アズキの深いコクもありますが、とても上品でサラッとスルッとしてます。アズキの皮はあくまでも柔らかく、アズキの形を保つという役割に徹し、口の中ではするりとほどけます。舌に皮が当たるような感じはまるでありません。

今回、久しぶりに食べて改めて思いましたが、やはりこちらのどらやきはすごい!
生地の素晴らしさ、あんこの素晴らしさ、そしてそのバランスの妙。まさにパーフェクトです!

何度食べても、この感動ですよ。ほんとすごいです!

Yさん、本当にありがとうございました!

うさぎや
http://www.ueno-usagiya.jp/index.htm

講演「運慶のまなざし」山本勉先生を聴く②


平安末期最先端の技術、「玉眼(ぎょくがん)」

先生のお話で、まさに目からうろこなお話はそれこそ山のようにあったのですが、その中で「玉眼」についてのお話がまたすごかったです。

「玉眼」とは何か、と申しますと、仏像の目のところに用いられる技法のひとつですね。

人間の眼球と同じように見えるよう、水晶などを埋め込んで作った目。キラキラ輝いたりして、ほんとリアルなんです。

仏像ファンは、もし、その仏像に玉眼が入っていたらそれは多分平安最末期以降の仏像だな、と思うと思います。つまり、12世紀に出現した、新表現というか最先端技法なんです。
銘がある仏像で、玉眼が用いられている最古のものは、長岳寺の阿弥陀さんだそうで1151年の名だそうなので、だいたいこれくらいから以降に使われるようになっていく技法なわけですね。
20140216-1(『興福寺仏頭展図録』より。表紙転載)

前後してしまいますが、あまりにも有名な旧山田寺仏頭。こちらは、鋳造されたお像なので、「彫」眼というのとは違うかな、でも玉眼でない表現の参考として見ていただければと思います。 玉眼という技法が現れる前までの仏像は、木彫にしてもこのような表現だったわけですね。
#またまた「興福寺仏頭展」図録の表紙の転載、ということでお許しください。

運慶は表現として「彫眼」と「玉眼」を使い分けていた!
先生のお話は、この玉眼、という視点から運慶の表現に迫る、というものでした。

山本先生のお話ですと、どうも運慶は、玉眼と彫眼(彫っただけの目)という技法を、ものによって使い分けてるのではないか、とおっしゃるのです。

おおお!

な、なるほど!!!

いや、実際、使われてるものとそうでないものがあるのはなぜ?と思ってはいたんです。でも、少ない制作費で本を作ってきた人間のサガでしょうか「ひょっとして予算がなかったのかな…」なんて、せこいこと考えてたんです。

……そんなことはないっすよねw。

施主さん、大物ばかりですもんね^^;;。

先生のお話では、運慶は玉眼という技法を十分に使いこなし、表現の選択として用いていたのではないかというのです。

玉眼というのは、非常に生々しく、写実的な表現を可能にします。

ですから、人ではなくなった超越した存在である「如来」、またそれに届こうかとする存在「菩薩」には、あえて玉眼は使わず、怒りの表現でもって人々を導く「明王」、神様が仏法に帰依した姿である「天部」 、またお坊さんの姿である「羅漢」「祖師」像などには玉眼を用いる…と。

なるほど!
そういうことなんですかあ。納得!

しかし、見ていくとどうもこの単純なルールだけでもない、ようなんです、と言い出す山本先生。

え!
じゃあどんなルールが!?

(続く)