即身仏という、究極の祈りの姿を巡る旅!!『新編 日本のミイラ仏をたずねて』/土方正志著(天夢人発行、山と溪谷社発売)


今年に入ってから、ワクワクしながら密教の本をつくっています。

大兄と慕う大先輩Hさんの深い懐をお借りする形で、今回は主に書き手として参画させていただいてます。まだはっきりとしたことはご報告できませんが、10月半ば発売になりそうです。

実はこの密教の本は、シリーズ企画の第一巻になります。

「日本の叡智を、もう一度知ろう」

そんな思いを込めたシリーズなんですが、企画者のKさんは、古巣ヤマケイの大先輩。
『山と溪谷』本誌の元編集長なので、山岳のことはもちろんめっちゃ詳しくてすごいお方なんですが、民俗学的アプローチでもって、Kさんでないとできない世界をずっと表現されてきた方です。

例えば、ヤマケイの近年のベストセラー『山怪』シリーズは、まさにKさんワールド。
これぞKさんの真骨頂。本当に面白いですよ!これ!!

現在、二巻まで出てますが、来月頭に三巻も発売されるそうです!今からめっちゃ楽しみ。

そんなKさんが、「天夢人(テムジン)」の社長に就任されて、以来、まさにKさん節全開の企画をバシバシと刊行されてるんですが、私が参画させていただくシリーズも、まさにそんな企画の一つなんですね。

そのシリーズを担当してくださっている編集者Tさんが編集された『新編 日本のミイラ仏を訪ねて』を頂戴しました。

やった~!!
Kさん、Tさん、ありがとうございます!!

1996年に発売されていた『日本のミイラ仏を訪ねて』の新編です!
22年前の単行本に、加筆修正し、再編集した形での、再発売。

実は私、高校時代の友人はよく覚えていると思うのですが、ミイラにはちょっと詳しい女子高生でした。
エジプト考古学を中心に、神話学にはまっていた小学生のころから、世界のミイラについては、かなり本を読んで勉強してましたので、どこにはどんな形でのミイラがあるか、その葬送方法(ミイラの造り方含め)というのは一通り摑んでおりました。
そのなかで、もちろん日本のミイラである「即身仏」にも、強い関心を寄せていたのです。さらにいうと、実家(埼玉)の近くの寺院でも、明治期に即身仏になろうとした方がいたという話を母から聞いたりしていたことも、大きかったかもしれません。

そういう見方をしていくと、じつは、高僧の遺体が祀られている例というのは、それほど特異なことではありません。
中国唐代には、「肉身像」つまりミイラ、そして遺体に麻布をまき、乾漆の胎(たい、芯のこと)にする「加漆肉身像」(『奈良美術の系譜』小杉一雄)、遺灰を漆の中に混ぜるという手法「遺灰(ゆいかい)像」がよく行われていましたし、
これは、「高僧は自ずとミイラになる」という思想が元(中国の屍解仙ベース?)になっているそうなのですが、日本も例外ではなかったということではないか、と個人的には思っています。
##生き人形のような形で高僧を保存し、礼拝するというのも、上座部仏教国であるタイでは、今でもよく見かけますね。これは中国ベースの発想じゃなさそうですけども

そうそう。そういえば。
以前、仏教美術写真の大家・O先生の担当をさせていただいているときに、仏教美術の研究者であるS先生と雑談をしていて、S先生がふと、

「鑑真和上像、あれは遺灰像ではないかと思うのですが、O先生、いかが思われますか」とおっしゃいました。

ちょっと記憶があいまいなのですが、確か、和上像修復の記録写真を、O先生のお父様が撮影していたというお話から、断面をご覧になってるんじゃないかと、S先生が想像されての発言だったように思うんですが…

「ええ、さように思います。少し遺灰らしきものが混ざっていたように見えたようです」

と、さらっと応えておられて、私は一人、「おおおおおお!!??」と叫び声をあげました。

やっぱ遺灰像なんだ~~!!?

私だけ、やたらと興奮しているのを見て、先生方は優しく微笑んでおられたことを思い出します。

……と、ちょっと話がずれてしまいましたが、

そんな私にとって、この本は、まさにど真ん中、大好物なテーマなのです。

実はまだ、まえがきしか読んでません。
これから、楽しみに、じっくり拝読しようと思います。わくわく。

(むとう)

「野村萬斎さん、オリンピック開閉会式統括責任者に」というニュースを見て、がぜん盛り上がる期待



(上の写真は、日刊スポーツさんのニュース記事です)

野村萬斎さんがオリンピックの演出統括??と聞いて、
え~、萬斎さん、なんでまたそんな畑違いのめんどくさそうなことを…と、正直思ってました。
でも、今朝、たまたま記者会見を見て、おおおお!そうか!と、納得して、何だかワクワクしてきちゃいました。
 
「能・狂言師である自分からすると、そもそも「鎮魂再生」こそ芸能の主題である。今度のオリンピックでは、その日本の芸能の根源を、土台にしてあくまでも本質的に表現したい。見てすぐわかる和ではなく、おおもとの精神に、「和」を持って挑みたい」

要約すると、そんな意味のことをおっしゃってたんですが、
なんで野村萬斎さんほどの本筋の芸能の人が、なぜこの仕事を受けたのかわかった気がしました。

そうか、今度のオリンピックは、規模が大きいけど、「鎮魂祭」なんだ。

だからこそ取って付けたような「和テイスト」ではなく、本質的に正しいことをやらなくてはいけない、と。

萬斎さんはそれをやるには、いろんな作法や手法を知っている自分がやらなくてはと思われたんじゃないか。
 
確かに日本の芸能の根幹とは、「鎮魂」なのです。
神や怨霊を鎮める。神仏に感謝をささげる。凶事を祓い、喜事を招来する。
室町時代に誕生したお能や狂言は、それ以前の時代の芸能のエッセンスを集大成したものですから、テーマのほとんどが鎮魂です。萬斎さんは、そんな伝統のど真ん中に入る人です。
これ以上ないってくらい、本筋のことをよくご存じでしょう。
 
他のメンバーも、今を時めく才能あふれる方ばかりですが、その核になる「魂」を呼ぶ人が必要だった。
それを萬斎さんがやってくれるということなのでは!?
 
いやもう、これは、俄然楽しみになってきました!!

戦国武将と密教の話


はっと気が付いたらこちらの更新滞りまくり。
あいかわらず、元気に細々とお仕事しております!←近況報告です^^;

ここのところ戦国武将と密教の関わりについて一生懸命調べたり、考えたりしています。
これまでにも、戦国時代をテーマにした歴史小説のお手伝いをさせていただいたりはさせていただいたので、少なからず触れてきた世界ではありますが、今回の主役は合戦、情勢がメインテーマではなく、密教を軸とした戦国の風景ってかんじなので、まるで違います。

それほど分量もとれないので、コンパクトにまとめることになりますが、いやあ、本当にこの角度面白いですよ!

私は、師と仰いでいる、仏教史学者のN先生のスタンス「歴史は人を見るもの」に心から共感しています。先生が口癖のように言う「すべてにわけがある」という言葉にも…。100年前の人だろうが、1000年前の人だろうが、「人」です。思いや考えがあって、行動を起こすわけです。それは一見不条理な行為であったとしても、何かしら「わけ」があったのだろうと考えて想像するほうがいいと思います。
##もちろん理由なく殺人を繰り返すような性質の人もいますから、すべてがそうというわけではありませんけれども…
つまり、「こころ」の問題ですよね。
その時、その人は何を思ったのかを想像したい。このポイントが、私自身の探求心の行く先といってもいいかもしれません。

さて。
今回の原稿では、あまりにも有名な話で恐縮ですが、謙信さんと信玄さんにフォーカスすることにしようと思います。
この二人ほど、中世らしい密教、修験、陰陽道などを駆使していたことが、現代にもわかりやすく残っている武将はいないんじゃないかなと思うんですね。
彼らの信仰心が突出しているというよりも、彼らが偉大だったので、文献や何かがよく残っていてるということじゃないかと思います。当時の日本人、武人というのはおしなべてこういう精神世界にいたんじゃないでしょうか。

とはいえ、この二人は、専門家に依頼する側だけでなく、主体的に執り行うこともできたという点でやはり突出してます。
謙信が東密の阿闍梨位を得ている行者だったということは有名ですが、信玄は台密で大僧正位(権僧正とも)を「贈られて」いるとされ、一般的には名誉職的な意味合いを強調されることが多いのですが、実際にはかなりちゃんと本格だったようです。

実は今回は、学侶としても大変有名ながら、同時に祈祷僧としても高名でらっしゃる大変すごいお方に取材させていただくことができまして、同じ行者として、彼らがどんなかんじだったかをお聞きすることができました。

そして、軍記物や願文に出てくる呪法についても、なぜこの組み合わせか、なぜこの呪法(修法)をチョイスしたのかもお聞きしちゃいましたが、これがもう、目から鱗が落ちまくり!

本当に面白い取材でした。やっぱり、ど真ん中におられる方にお話を伺うと、全然違います。実は原稿だいぶ書き上げていたんですが、最初から書きなおすことにしました。それくらい面白いお話がたくさん伺えたんです。

それにしても、緊張しました~!
基本的にビビりなので、いつも緊張してますが、今回の緊張感はなんだか一味違うと言いますか。全部見透かされてしまうんじゃないかという恐ろしさと言いますか。

お会いするなり、

「…あんまり社会派的なことはやらないほうがいいと思いますよ。いろいろ気にしすぎて疲れてしまうだろうから」

と先生に言われて、アワアワしました。
そ、そ、その通りなんです。だから時事的なネタは避けて、できるだけ文化系のお仕事をしてます~とオロオロしながら申し上げました。
やっぱなんか見えてらっしゃったのかな、そうだよな…^^;

下の写真は、たまたま駅ビルで見つけたラーメン屋さんの名前が「空海」だったので、験担ぎですw。

 

 

京都、奈良、高野山へ――空海さんと密教を巡る旅!①神護寺


空海さんの足跡をたどる旅へ

先週、約一週間かけて関西地方を行脚してきました。
今回のテーマは「特に空海さん(弘法大師)の『密教』を巡る」。

少々回りくどい話になりますが、人生を振り返りますと、
「日本文化の根っこに触りたい」というのが、どうやら私自身の変わらぬテーマなのですが、その日本文化の大きな根っこのひとつに「密教」があります。
私は、その大きな根源である『密教』を、仏像を通していつも遠くから(物陰に隠れるように)見てきました。

仏像を拝観するのに必要な、ごく初歩的な情報だけは一応知っていますが、あまりそれ以上突っ込まないようにしていた、というのが本当のところです。
そのあまりに深遠な世界ゆえに、腰が引けまくってました。及び腰になっていたのです。

しかし、仕事で密教に関わることをするかもしれなくなって、そうも言っていられなくなりました。

そこで思い立ったのは、まずは初歩の初歩。
密教を日本に持ってこられた弘法大師・空海上人の足跡をたどることでした。
時間の都合上、唐から帰国して京都に入ってから以降の代表的な関係深いお寺さんだけしかいけませんけど、まず現場に立ってみるというのが、やっぱり大事。そう考えました。

京都・神護寺からスタート

そんなわけで、スタートは京都の北西部にある神護寺さん。
神護寺さんは、和気氏の氏寺として成立しましたが、空海さんが唐から帰ってきたもののしばらく洛中に入らず、住まいしたお寺です。

こちらには、仏像ファンにとっても垂涎のお像がたくさんいらっしゃいますから、これまでも何度ともなく訪れています。

でも、今回は心の設定を「仏像拝観」から「空海さんの密教」に変更して、改めての拝観。面白いもので、そうなってくると見えてくる風景も何だか新鮮。目が行く場所もだいぶ違ってくるものです。

正直言って、この神護寺さんを拝観するだけでも、自分なりの小さな発見や気づきがたくさんありました。これこそまさに、現場にいってこそ感じる気づき。

実は、先週は本当にお天気が悪くて、神護寺に行く途中も曇天・時々雨。気温も低くて残念な感じだったんですが…

なんと、金堂(本堂)の前に進んだら、いきなり晴れました!!

能天気で楽天家の私は、「これはきっと歓迎してもらえてるってことだ!」といきなり気分アップ↑。

何しろ、この金堂の中には(そもそも)大好きな薬師如来像がいらっしゃるし、ね。好きな相手に受け入れたもらえたような、そんな気持ちになってたちまち幸せになり、「この旅は来てよかったってことなんだ!」とほくほく。

これは、企画成功もお祈りして、カワラケ投げるべし!ということで、お馴染みカワラケ投げ。目いっぱい厄除けします!

境内のいちばん奥の地蔵院まえから、錦雲峡と呼ばれる峡谷にこのカワラケを投げますよ。私は、なかなか上手に遠くまで飛ばせたので、茶屋の女将さんに褒めてもらえました。ほくほく。

そのあと、やっぱりせっかく来たからには…と、西明寺、高山寺と巡って、ホテルに戻りましたが、 やっぱり行ってみてよかった。

というのも、この風景。

金堂の後方の山上に、神護寺中興の祖でもある文覚上人のお墓があり、そこから見えるのは、京の街全体です。

なるほど。
この立地、大事ですよね。

山深いところになぜ?と思ってしまうのは、現代人の感覚かもしれません。

この場所からは、京都がよく見えますし、山をいくつか越えれば若狭の国、良港に恵まれた国際都市・小浜に出られます。
それに、素人目ではありますが、池の水の色を見ても土壌に石灰が多く含まれているように見受けられましたし、多くは赤土で鉄分も多そうな感じでした。
鉱物資源にも恵まれてる山系なのかもしれません。

こうしたことを、肌で感じられるのが、現場に立つことの意味でしょう。理屈じゃなくて染み入ってくるものがあります。

それにしても幸先のいいスタートでした。

(むとう)

「校閲」と「校正」、そして編集者の仕事について


編集者にとって、最大の苦しみ

実は、〆切を守っていただけないという状況に苦しめられている日々です。

不安が夢の中までやってきて、追いかけられて崖から落ちる……みたいな夢を見て、目が覚める。そんなことを繰り返しています。

そんな時には、必ず読む本がこちら。

〆切を守れない作家の言い訳、締切や、締切を守らない作家への思いや考えを綴った編集者出身の作家さんの文章などが、これでもかとのっています。

私的には、ものすごく身につまされ、「ああ、こんなに有名な編集者でも、同じような苦労をされてるんだな」と癒されます。苦しんでるのは私だけじゃない、と。

それはともかく、この本は一般の皆さんにとっても、すごく面白い一冊だと思います。締め切りは誰にもありますものね。
また、「編集」というお仕事がどんなものかは、これを読んでいただくと、かなりわかるんじゃないかと思います。

私は編集者なんですけども……(汗)

そうそう。編集者と言えば、なんですけども。

出版業界で、ごく当たり前に使われている「校閲」「校正」という言葉、同業者でも、かなりあいまいに使っているんだな、とここ数年痛感しています。
「フリーの編集者」というのも、いまいちよくわからない、という同業者も結構いらっしゃるような気もしたりするのです。
というのも、どうも私のご説明がうまくないのか、最近、校閲のお仕事のご依頼があったりするんですよね。ちょっと前にもそんなご依頼があり…

「私は編集者なので、校閲はできませんよ??編集者としてお仕事を受ける、その際に校閲的なところまで踏み込んで丁寧にやります、ということでやってますけど…。それよりシンプルに校閲までできる校正者の方にお願いしたほうがいいのでは?」

そんな方を、ご紹介しましょうかと申し上げても、なんだかどうしても私に御用命な様子。ありがたいですが、私も困ってしまうというか……

「ううう。そしたら校閲者として仕事は受けられないです。しかし、校閲的な読み方を編集者がするという範囲で良ければ、一度読みましょうか」

と言ってお預かりしました。

校閲者、校正者のお仕事というのは、編集者とは職域が違うのです。
プロとして請け負うからには、責任が生じます。私は、編集者なので、校閲者としては仕事を受けるなんてことは、ちょっと差し出がましいというか…
「校閲的な読み方をする編集者」として仕事をお受けする、ならギリギリセーフ、と言いますか…

そんなわけでして。
正直、相当戸惑ってしまうので、一度整理させていただいたほうがいいかなと思いました。

校閲・校正者の職域と、編集者の職域

私自身は「フリーの編集者でライター」だと名乗らせていただいてます。キャリア的には単行本の編集者が一番多いので、やはり編集者という名乗りがメインです。

7年前、フリーになった時に、「自分が版元編集だったときに、フリー編集がしてくれたら本当に嬉しいとおもうこと」を考えてみました。

そこで、最近ではなかなか校正者がやってくれない、「校閲的な検証もしながら」丁寧な編集をします、という方針にしました。結果、歴史小説や時代小説のお仕事をコンスタントにいただけるようになったので、その方針は、結構喜んでいただけたのかな、と思います。

ところで、ここで皆さん「校閲と校正って何?何か違うの?」と思われる人は多いでしょう。

実は、これ、似て非なるものなのです。

ざっくり言いますと、

校正とは……一語一字、文字や文章を比べ合わせて、誤りを正すこと。

校閲とは……原稿の意味や内容を読み、事実確認を行うこと。

私が今お世話になっているプロの校正者さんは、校閲的な読み方までしてくださいます。しっかりとした技能を持っておられる、才能あふれたまさに「プロフェッショナル」。ちゃんと勉強されて、その職域についての「責」プラスαを果たしてくださるわけですね。

今の業界では、大きく言うと「校正者」がいて、その中に、「校正作業しかやらない」という人と、「校閲的なところまで踏み込んで読み、校正作業もする」という人がいる、というのが現状です。
後者のような方法をされる方は、今はとても少ない。ですから、敬意も込めて「校閲者」とお呼びすることもあるように思います。校正だけでなく、原典に当たり、事実確認までできる人。それはやはり、相当特別で貴重なスキルです。

編集者も原稿については校正的、校閲的な読み方をします。私は特に校閲的な読み方を重点的に行いますが、もう一人、専門職の皆さんに読んでもらうことで、さらに精度を上げたい、間違いを減らしたい、と考えているのです。編集者は、その貴重な指摘を見て、さらに確認し、必要なければその指摘を外し、あるいは追加の資料を付けたりしながら、著者にその旨をお伝えし、修正していただいたりします。

とはいえ、誤字脱字の類い、つまり校正的な指摘の精査は、編集者マターだと思うので、著者にわざわざ確認するまでもない、と考え、こちらで的確に修正するよう指示を書きこみます。

職域が違うので、ギャラの計算方法も違う

少々下世話な話ですが、ギャラについても少しふれちゃいますけども。

一字ずつ見ていくという職域の校正の場合、料金の発生が文字数で決まります。そういう意味では、ギャラの発生はクリアです。
文字の多い本ほど、たくさんギャラが発生しますし、読んだ回数だけギャラが発生します。労働の対価としてはとても明快。

一方、編集者のギャラは、もっとも不明瞭です。

どんなに手間がかかろうとも、著者都合、出版社都合でやり直しが生じて、当初予定していた日数の倍、行数がかかろうとも、編集費は同じ額です。「校正紙(ゲラ)」を、3回読んで終了することもあれば、10回読んでようやく終了することもありますが、それでも同じ。

「時給計算だけは、しちゃいけないよね」

フリー編集同士で、よく言い合う言葉です。
さらに、著作権も生じないので、売れてもたいして儲かりません。
#ただ、私の場合、重版以降は編集印税を少しでもつけてもらうようにお願いしてます。

こんなに割に合わない仕事はない、フリーでやるもんじゃない……そんな言葉もよく言い合っていますが、それでもやっぱり好きなんでしょうね^^;。やめられません。
ただ、最近はライティング(執筆)業の比率を上げています。ライティングのほうが、権利も明確なので、フリーの仕事としては、すっきりしていてストレスが少ないように思います。

ちょっと、恨み節になってしまいましたが^^;。

さてさて。

もう少し頑張ります。
それにしても、胃が痛い……。

(むとう)

文字の強さが押し寄せてくる!――視覚的にも・音的にも。そして意味的にも/『人生は単なる空騒ぎ』鈴木敏夫著(角川書店)


とにかく本が大好きなので、
友人が精魂込めて編集している本が出来上がったと聞くとものすごくテンション上がります。二重に三重に、本当に嬉しい。

でも、ついつい忙しさにかまけて本HPで紹介することを怠ってきてしまいましたが、今年はマメにご紹介したいと思ってます。

本年第一弾は、こちら!!
スタジオジブリの名プロデューサーとしてあまりにも有名な鈴木敏夫さんの『人生は単なる空騒ぎ』(角川書店)です!!

うううむ。Yさん。
こんなすごい本作ってたのか…

実は、まだしっかりと拝読する前なのです。
しかし、全体をざっくり拝見し、その構成にさすが…と思わず頭が下がりました。

鈴木さんの来し方を、「文字」という角度から新鮮に、ど直球に、丹念に、サービス精神マックス注入で、構成している……。

……愛だなあ。本質をしっかりとつかむ、ということはもちろんのことですが、それをより読者にお伝えするために、編集者は格闘します。そんな編集者の凄み・機微は細部に宿る、と私は思うので、こういう「諦めない」構成は、まさに編集者の愛なのだと、思っているのです。だって本当に大変なんですもの~!Yさん、本当にすごいよ~!

*****

鈴木さんはもともと編集者としてもものすごいお方で、私は雑誌はあまり通っていないと思っていたのだけれど、よく考えたら鈴木さんが編集長を務めておられた『アニメージュ』だけは買っていたんでした。
毎月夢中になって隅から隅まで読みこんでいた。

ーーーそう、そうだった!!!

と、いきなり10代の時のことを強烈に思い出しました。

この本は、アニメや漫画ファン、映画ファンはもちろんですが、編集者必読じゃないかと思います。編集者時代に書いたという、映画の企画書や、制作作業行程表がカラーで掲載されていたり(手書き!!)、新聞広告のラフや、ポスターラフなどなど(これまた手書き!)なんかもカラーで掲載されてます。
このような貴重なものを見られるなんて、なかなかないですよね。

仕事のできる人のラフ、
あるいは校正ゲラの赤字を拝見するのが、一番勉強になる。

と、私は痛感しているので、このような貴重なものを拝見できるなんて、とものすごく得した気分です。

もちろん、鈴木さんの文章もたくさん載っていますよ!
そしてもちろん「書」。これまたとにかく強くて味があって、ステキです。

そんなわけでして、皆様。
ぜひお手に取ってくださいね~!

私は今の山場を越えたら、じっくりと拝読したいと思っています。
仕事がんばります!

(むとう)

2018年、新年のご挨拶。


新年あけましておめでとうございます!!
旧年中は、本サイト及び代表・武藤をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました!

一年経つのがあっという間過ぎて、毎年驚いている気がします。

2017年も、本当にあっという間でした。

しかしこの「あっという間」は自分にとっては、とてもいい意味の「あっという間」だったように思います。

例年ですと、自分の力不足に苦しみ、人間関係に悩み、くよくよし……

そんな負荷を感じながらの「あっという間」なんですが、昨年はそんなことも感じつつも、それ以上に、何だか充実した楽しい一年だったような気がするのです。

微力なことにはかわりありませんが、自分なりに満足できるお仕事をさせていただくことができました。

畠山健二先生の『本所おけら長屋』シリーズが、累計50万部突破されたことも、
五木寛之先生のご本を続けて2冊刊行することができ、重版を重ねられたことも、
本当に嬉しいご褒美でした。
私の力なんてなきに等しいのですが、そう言った素晴らしい作品に関わらせていただけたことが、とにかく誇らしく、ジンワリとありがたく……
さらに、荒山徹先生の歴史小説『白村江』が、歴史時代作家クラブ作品賞を受賞されたことも、とにかくものすごくうれしかったです。

そして、自分のために時間をつくれたのも良かった。

2017年は、少しでも時間ができたらとにかく旅をする、と決めたんですが、十分に実行できました。特に印象的だったのは…

大阪・奈良、
対馬・壱岐・博多・宗像、
長野・戸隠、
津島・名古屋・伊勢・鳥羽・伊良湖、

への旅です。
上の地名は、実は自分の中ではすべて関連し、繋がっているんです。
仕事にダイレクトにかかわらないかもしれませんが、自分にとってのライフワークにコネクトしていく大切な旅になりました。

そして今年です。

2018年も、2017年にスタートできた、「自分なりの大きくて小さな旅」を続けていきたいと思っております。

仕事ももっともっと、面白がっていきたいですし、
先生方にもっともっと、楽しく本を書いていただけるよう全力を尽くしたいと思います。
そして、自分自身のライフワークも、しっかりと歩を進めていきたいと思っております。

本サイトでもささやかながら、そんなことをご報告していきたいと思っております。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!

ありをりある.com 編集長
武藤郁子 拝

「鳳凰の声を聴け」


仕事柄、ただひとり、ひたすらに机に向かうことが多いのですが、
何日間も閉じこもって仕事をしていると、世界がどんどん狭まってくるように思い、だんだん悲しい気持ちになってきます。

今日みたいないいお天気の休日にこもっていると特に…^^;

そんな時には、A老師の揮毫を拝見すると、気持ちが落ち着いてきます。
ちょっとカジュアルで恐縮ですが、一番目に入る机の正面にぺたりと貼らせていただいてるんですね。

以前大変お世話になっている先生にお供して、A老師をおたずねした際に、ご案内くださったNさんが、師の揮毫を印刷されたとのことで、わけてくださったものなんです。

A老師の柔らかで優しい物腰は、私のような門外漢でも一瞬にしてその大きさを感じ取れてしまうような方でした。全く詳しくないですが、禅僧の理想のお姿を見たような気がしたものです。

「聴鳳」

恥ずかしながら、正しい意味を分かっているわけではありません。
でも、この何とも言えない美しい文字を見ていると、世界が広がっていくような心地がするのです。

「鳳」とは、鳳凰の「鳳」ですが、「聴」とあるからには、「聴く」ということでしょう。「聴く」としたら〈鳳凰の声〉か、あるいは鳳凰の鳴き声から律を定めて造られたという竹の笛《鳳笛》のことでしょうか。

姿が見えなくても、声〔音〕は聴こえます。
たとえ、孤独でもその声は聴こえてくるはず。聴こえないのは、自分が聞きたくないからなのではないか、と。

「鳳凰の声を聴きなさい」
――見えているもの、自分でわかることだけがすべてではない。
もっともっと大きなものが世界にはある。
その豊かさを、大きさを感じなさい。

……と。

私にとっては、そんな意味に思えてくるんですね。

そうすると、なんだかちょっと安心するんです。

そんなわけでして、本日ももう少し仕事がんばります。
そして夕方は剣道のお稽古に行くぞ~!おーー!!!

 

信州の聖地・戸隠神社の「宣澄踊り」にちょっとだけ参加させていただきました!


オーストリアから帰省中の友人と旅に行こう!という話になった時、「いかにも日本な場所がいいな」、そんなふうに考えて、ふと思い浮かんだのは、信州は戸隠。

そんなわけで、戸隠(と長野善光寺)に行ってきました~!

ここのところお天気が良くないので、ちょっと心配していましたが、奇跡のように行く先々で回復。思いがけない出会いも重なり、素晴らしい旅になりました。

いやあ、ほんと。
私ったら、旅に出ると本当にツイてるんですよ。
われながらもってるなあ、と言わざるをえません。今回もそんな幸運の連続でした!

(写真:戸隠神社中社)

修験者でTVディレクターという異色のご経歴を持つMさんのお声掛けにより、宿泊先のご主人のご手配をいただき、戸隠神社中社の「宣澄(せんちょう)踊り」に参加させていただいちゃいました。

今回の旅では、思いがけない幸運がたくさんありましたが、中でもこの「宣澄踊り」に参加させていただいたことが最も大きな幸運でした。


宣澄踊り」とは、室町時代に実在し、不遇の死を遂げた「宣澄」阿闍梨(あじゃり)という天台系の大先達(だいせんだつ)を偲ぶお祀りです。
お酒好きだったという宣澄さんを偲び、みんなで踊ってお酒を飲む……。戸隠修験にとってとても大切なお祭りなんだそうです。
長野市無形文化財だそうですよ。

いつもは中社の横にある「宣澄社」の前の建物で行うそうですが、建物が修復中とのことで、近くにある集会所(?)で開催。

この踊りの特徴は、修験にとって大切な数字「七」を意識しているとのことで、「七拍子」を多用すること。そして、「足を払う」動作があること。北信濃一体の様々な踊りのおおもとになっているんだそうです。

私と友人も、お酒をいただいて、さらに踊りも教えていただき、踊りの輪の中に入れていただいちゃいました!いやあ、ほんと楽しかった~!

保存会の皆さんのアドバイスをもとに、翌日には、火之御子社、宝光社、中社、奥社、九頭竜社すべて拝観できました。お天気も良くなって、鏡池にも行けましたし、何から何までカンペキ。
〔写真:奥社・随神門)

しかし、今回はとにかくアウトラインをなぞっただけな気がします。とにかく時間が足りない!もっと時間をゆっくり滞在しなくては…と強く思いました。ぜひまた近いうちに参拝したいと思います。

最後になりますが、保存会の皆様、突然の参加に快く応じてくださってありがとうございました!ぜひまたお詣りに行きます~!

そして、一緒に連れて行ってくださった、宿のご主人、そしてお声かけてくださったMさん、改めて御礼申し上げます!

(むとう)

6月23日は「慰霊の日」――沖縄に思いを馳せる日


沖縄県民、そして沖縄を愛する人はよくご存じだと思いますが、今日は「慰霊の日」です。

太平洋戦争でアメリカ軍が沖縄に上陸、「沖縄戦」を開始したのが1945年4月1日。
6月23日に、日本帝国陸軍第32軍司令部が自決したことをもって、組織戦の終結とし、「慰霊の日」として、アメリカ施政下にあった琉球政府が定めた記念日です。

1972年に本土復帰となり、一度法的根拠を失いましたが、1974年に沖縄県が条例で、改めて「慰霊の日」と定めたとのこと。沖縄県では、この日には、死者を弔い平和を願う式典が開催され、各局各新聞で特集・特番が組まれます。

しかし、私は沖縄に通うようになるまで、この記念日を知りませんでした。

それも偶々、この時期に沖縄を旅したことがあり、町中が祈りに包まれている様子を見て、それで知ったんです。そんな大切な日を私は知らなかったのか…と、心の底から自分にがっかりしたことをよく覚えています。

「終戦の日」は、8月15日。これは皆さんよくご存じかと思います。

しかし、あの悲惨過ぎる沖縄戦が終わったとされる日、「6月23日」のことは、沖縄以外にいますと、知らないままでいることも多いと思います。

でも、私は、知ることができました。
以来、この日は私にとって「沖縄を思う日」になっています。

何ができるというわけではありません。
しかし、「知る」ということ、「忘れない」ということ、「思う」ということが自分にできる唯一のことではないかと思います。

あの美しい島の大地には、今も、真っ白な悲しい骨がたくさん埋もれているのです。そのことを思いたいと思います。

どうか、どうか、魂の安からんことを。