即身仏という、究極の祈りの姿を巡る旅!!『新編 日本のミイラ仏をたずねて』/土方正志著(天夢人発行、山と溪谷社発売)

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今年に入ってから、ワクワクしながら密教の本をつくっています。

大兄と慕う大先輩Hさんの深い懐をお借りする形で、今回は主に書き手として参画させていただいてます。まだはっきりとしたことはご報告できませんが、10月半ば発売になりそうです。

実はこの密教の本は、シリーズ企画の第一巻になります。

「日本の叡智を、もう一度知ろう」

そんな思いを込めたシリーズなんですが、企画者のKさんは、古巣ヤマケイの大先輩。
『山と溪谷』本誌の元編集長なので、山岳のことはもちろんめっちゃ詳しくてすごいお方なんですが、民俗学的アプローチでもって、Kさんでないとできない世界をずっと表現されてきた方です。

例えば、ヤマケイの近年のベストセラー『山怪』シリーズは、まさにKさんワールド。
これぞKさんの真骨頂。現在、二巻まで出てますが、来月頭に三巻も発売されるそうです!今からめっちゃ楽しみ。

そんなKさんが、「天夢人(テムジン)」の社長に就任されて、以来、まさにKさん節全開の企画をバシバシと刊行されてるんですが、私が参画させていただくシリーズも、まさにそんな企画の一つなんですね。

そのシリーズを担当してくださっている編集者Tさんが編集された『新編 日本のミイラ仏を訪ねて』を頂戴しました。

やった~!!
Kさん、Tさん、ありがとうございます!!

1996年に発売されていた『日本のミイラ仏を訪ねて』の新編です!
22年前の単行本に、加筆修正し、再編集した形での、再発売。

実は私、高校時代の友人はよく覚えていると思うのですが、ミイラにはちょっと詳しい女子高生でした。
エジプト考古学を中心に、神話学にはまっていた小学生のころから、世界のミイラについては、かなり本を読んで勉強してましたので、どこにはどんな形でのミイラがあるか、その葬送方法(ミイラの造り方含め)というのは一通り摑んでおりました。
そのなかで、もちろん日本のミイラである「即身仏」にも、強い関心を寄せていたのです。さらにいうと、実家(埼玉)の近くの寺院でも、明治期に即身仏になろうとした方がいたという話を母から聞いたりしていたことも、大きかったかもしれません。

そういう見方をしていくと、じつは、高僧の遺体が祀られている例というのは、それほど特異なことではありません。
中国唐代には、「肉身像」つまりミイラ、そして遺体に麻布をまき、乾漆の胎(たい、芯のこと)にする「加漆肉身像」(『奈良美術の系譜』小杉一雄)、遺灰を漆の中に混ぜるという手法「遺灰(ゆいかい)像」がよく行われていましたし、
これは、「高僧は自ずとミイラになる」という思想が元(中国の屍解仙ベース?)になっているそうなのですが、日本も例外ではなかったということではないか、と個人的には思っています。
##生き人形のような形で高僧を保存し、礼拝するというのも、上座部仏教国であるタイでは、今でもよく見かけますね。これは中国ベースの発想じゃなさそうですけども

そうそう。そういえば。
以前、仏教美術写真の大家・O先生の担当をさせていただいているときに、仏教美術の研究者であるS先生と雑談をしていて、S先生がふと、

「鑑真和上像、あれは遺灰像ではないかと思うのですが、O先生、いかが思われますか」とおっしゃいました。

ちょっと記憶があいまいなのですが、確か、和上像修復の記録写真を、O先生のお父様が撮影していたというお話から、断面をご覧になってるんじゃないかと、S先生が想像されての発言だったように思うんですが…

「ええ、さように思います。少し遺灰らしきものが混ざっていたように見えたようです」

と、さらっと応えておられて、私は一人、「おおおおおお!!??」と叫び声をあげました。

やっぱ遺灰像なんだ~~!!?

私だけ、やたらと興奮しているのを見て、先生方は優しく微笑んでおられたことを思い出します。

……と、ちょっと話がずれてしまいましたが、

そんな私にとって、この本は、まさにど真ん中、大好物なテーマなのです。

実はまだ、まえがきしか読んでません。
これから、楽しみに、じっくり拝読しようと思います。わくわく。

(むとう)

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