「野村萬斎さん、オリンピック開閉会式統括責任者に」というニュースを見て、がぜん盛り上がる期待



(上の写真は、日刊スポーツさんのニュース記事です)

野村萬斎さんがオリンピックの演出統括??と聞いて、
え~、萬斎さん、なんでまたそんな畑違いのめんどくさそうなことを…と、正直思ってました。
でも、今朝、たまたま記者会見を見て、おおおお!そうか!と、納得して、何だかワクワクしてきちゃいました。
 
「能・狂言師である自分からすると、そもそも「鎮魂再生」こそ芸能の主題である。今度のオリンピックでは、その日本の芸能の根源を、土台にしてあくまでも本質的に表現したい。見てすぐわかる和ではなく、おおもとの精神に、「和」を持って挑みたい」

要約すると、そんな意味のことをおっしゃってたんですが、
なんで野村萬斎さんほどの本筋の芸能の人が、なぜこの仕事を受けたのかわかった気がしました。

そうか、今度のオリンピックは、規模が大きいけど、「鎮魂祭」なんだ。

だからこそ取って付けたような「和テイスト」ではなく、本質的に正しいことをやらなくてはいけない、と。

萬斎さんはそれをやるには、いろんな作法や手法を知っている自分がやらなくてはと思われたんじゃないか。
 
確かに日本の芸能の根幹とは、「鎮魂」なのです。
神や怨霊を鎮める。神仏に感謝をささげる。凶事を祓い、喜事を招来する。
室町時代に誕生したお能や狂言は、それ以前の時代の芸能のエッセンスを集大成したものですから、テーマのほとんどが鎮魂です。萬斎さんは、そんな伝統のど真ん中に入る人です。
これ以上ないってくらい、本筋のことをよくご存じでしょう。
 
他のメンバーも、今を時めく才能あふれる方ばかりですが、その核になる「魂」を呼ぶ人が必要だった。
それを萬斎さんがやってくれるということなのでは!?
 
いやもう、これは、俄然楽しみになってきました!!

戦国武将と密教の話


はっと気が付いたらこちらの更新滞りまくり。
あいかわらず、元気に細々とお仕事しております!←近況報告です^^;

ここのところ戦国武将と密教の関わりについて一生懸命調べたり、考えたりしています。
これまでにも、戦国時代をテーマにした歴史小説のお手伝いをさせていただいたりはさせていただいたので、少なからず触れてきた世界ではありますが、今回の主役は合戦、情勢がメインテーマではなく、密教を軸とした戦国の風景ってかんじなので、まるで違います。

それほど分量もとれないので、コンパクトにまとめることになりますが、いやあ、本当にこの角度面白いですよ!

私は、師と仰いでいる、仏教史学者のN先生のスタンス「歴史は人を見るもの」に心から共感しています。先生が口癖のように言う「すべてにわけがある」という言葉にも…。100年前の人だろうが、1000年前の人だろうが、「人」です。思いや考えがあって、行動を起こすわけです。それは一見不条理な行為であったとしても、何かしら「わけ」があったのだろうと考えて想像するほうがいいと思います。
##もちろん理由なく殺人を繰り返すような性質の人もいますから、すべてがそうというわけではありませんけれども…
つまり、「こころ」の問題ですよね。
その時、その人は何を思ったのかを想像したい。このポイントが、私自身の探求心の行く先といってもいいかもしれません。

さて。
今回の原稿では、あまりにも有名な話で恐縮ですが、謙信さんと信玄さんにフォーカスすることにしようと思います。
この二人ほど、中世らしい密教、修験、陰陽道などを駆使していたことが、現代にもわかりやすく残っている武将はいないんじゃないかなと思うんですね。
彼らの信仰心が突出しているというよりも、彼らが偉大だったので、文献や何かがよく残っていてるということじゃないかと思います。当時の日本人、武人というのはおしなべてこういう精神世界にいたんじゃないでしょうか。

とはいえ、この二人は、専門家に依頼する側だけでなく、主体的に執り行うこともできたという点でやはり突出してます。
謙信が東密の阿闍梨位を得ている行者だったということは有名ですが、信玄は台密で大僧正位(権僧正とも)を「贈られて」いるとされ、一般的には名誉職的な意味合いを強調されることが多いのですが、実際にはかなりちゃんと本格だったようです。

実は今回は、学侶としても大変有名ながら、同時に祈祷僧としても高名でらっしゃる大変すごいお方に取材させていただくことができまして、同じ行者として、彼らがどんなかんじだったかをお聞きすることができました。

そして、軍記物や願文に出てくる呪法についても、なぜこの組み合わせか、なぜこの呪法(修法)をチョイスしたのかもお聞きしちゃいましたが、これがもう、目から鱗が落ちまくり!

本当に面白い取材でした。やっぱり、ど真ん中におられる方にお話を伺うと、全然違います。実は原稿だいぶ書き上げていたんですが、最初から書きなおすことにしました。それくらい面白いお話がたくさん伺えたんです。

それにしても、緊張しました~!
基本的にビビりなので、いつも緊張してますが、今回の緊張感はなんだか一味違うと言いますか。全部見透かされてしまうんじゃないかという恐ろしさと言いますか。

お会いするなり、

「…あんまり社会派的なことはやらないほうがいいと思いますよ。いろいろ気にしすぎて疲れてしまうだろうから」

と先生に言われて、アワアワしました。
そ、そ、その通りなんです。だから時事的なネタは避けて、できるだけ文化系のお仕事をしてます~とオロオロしながら申し上げました。
やっぱなんか見えてらっしゃったのかな、そうだよな…^^;

下の写真は、たまたま駅ビルで見つけたラーメン屋さんの名前が「空海」だったので、験担ぎですw。

 

 

「校閲」と「校正」、そして編集者の仕事について


編集者にとって、最大の苦しみ

実は、〆切を守っていただけないという状況に苦しめられている日々です。

不安が夢の中までやってきて、追いかけられて崖から落ちる……みたいな夢を見て、目が覚める。そんなことを繰り返しています。

そんな時には、必ず読む本がこちら。

〆切を守れない作家の言い訳、締切や、締切を守らない作家への思いや考えを綴った編集者出身の作家さんの文章などが、これでもかとのっています。

私的には、ものすごく身につまされ、「ああ、こんなに有名な編集者でも、同じような苦労をされてるんだな」と癒されます。苦しんでるのは私だけじゃない、と。

それはともかく、この本は一般の皆さんにとっても、すごく面白い一冊だと思います。締め切りは誰にもありますものね。
また、「編集」というお仕事がどんなものかは、これを読んでいただくと、かなりわかるんじゃないかと思います。

私は編集者なんですけども……(汗)

そうそう。編集者と言えば、なんですけども。

出版業界で、ごく当たり前に使われている「校閲」「校正」という言葉、同業者でも、かなりあいまいに使っているんだな、とここ数年痛感しています。
「フリーの編集者」というのも、いまいちよくわからない、という同業者も結構いらっしゃるような気もしたりするのです。
というのも、どうも私のご説明がうまくないのか、最近、校閲のお仕事のご依頼があったりするんですよね。ちょっと前にもそんなご依頼があり…

「私は編集者なので、校閲はできませんよ??編集者としてお仕事を受ける、その際に校閲的なところまで踏み込んで丁寧にやります、ということでやってますけど…。それよりシンプルに校閲までできる校正者の方にお願いしたほうがいいのでは?」

そんな方を、ご紹介しましょうかと申し上げても、なんだかどうしても私に御用命な様子。ありがたいですが、私も困ってしまうというか……

「ううう。そしたら校閲者として仕事は受けられないです。しかし、校閲的な読み方を編集者がするという範囲で良ければ、一度読みましょうか」

と言ってお預かりしました。

校閲者、校正者のお仕事というのは、編集者とは職域が違うのです。
プロとして請け負うからには、責任が生じます。私は、編集者なので、校閲者としては仕事を受けるなんてことは、ちょっと差し出がましいというか…
「校閲的な読み方をする編集者」として仕事をお受けする、ならギリギリセーフ、と言いますか…

そんなわけでして。
正直、相当戸惑ってしまうので、一度整理させていただいたほうがいいかなと思いました。

校閲・校正者の職域と、編集者の職域

私自身は「フリーの編集者でライター」だと名乗らせていただいてます。キャリア的には単行本の編集者が一番多いので、やはり編集者という名乗りがメインです。

7年前、フリーになった時に、「自分が版元編集だったときに、フリー編集がしてくれたら本当に嬉しいとおもうこと」を考えてみました。

そこで、最近ではなかなか校正者がやってくれない、「校閲的な検証もしながら」丁寧な編集をします、という方針にしました。結果、歴史小説や時代小説のお仕事をコンスタントにいただけるようになったので、その方針は、結構喜んでいただけたのかな、と思います。

ところで、ここで皆さん「校閲と校正って何?何か違うの?」と思われる人は多いでしょう。

実は、これ、似て非なるものなのです。

ざっくり言いますと、

校正とは……一語一字、文字や文章を比べ合わせて、誤りを正すこと。

校閲とは……原稿の意味や内容を読み、事実確認を行うこと。

私が今お世話になっているプロの校正者さんは、校閲的な読み方までしてくださいます。しっかりとした技能を持っておられる、才能あふれたまさに「プロフェッショナル」。ちゃんと勉強されて、その職域についての「責」プラスαを果たしてくださるわけですね。

今の業界では、大きく言うと「校正者」がいて、その中に、「校正作業しかやらない」という人と、「校閲的なところまで踏み込んで読み、校正作業もする」という人がいる、というのが現状です。
後者のような方法をされる方は、今はとても少ない。ですから、敬意も込めて「校閲者」とお呼びすることもあるように思います。校正だけでなく、原典に当たり、事実確認までできる人。それはやはり、相当特別で貴重なスキルです。

編集者も原稿については校正的、校閲的な読み方をします。私は特に校閲的な読み方を重点的に行いますが、もう一人、専門職の皆さんに読んでもらうことで、さらに精度を上げたい、間違いを減らしたい、と考えているのです。編集者は、その貴重な指摘を見て、さらに確認し、必要なければその指摘を外し、あるいは追加の資料を付けたりしながら、著者にその旨をお伝えし、修正していただいたりします。

とはいえ、誤字脱字の類い、つまり校正的な指摘の精査は、編集者マターだと思うので、著者にわざわざ確認するまでもない、と考え、こちらで的確に修正するよう指示を書きこみます。

職域が違うので、ギャラの計算方法も違う

少々下世話な話ですが、ギャラについても少しふれちゃいますけども。

一字ずつ見ていくという職域の校正の場合、料金の発生が文字数で決まります。そういう意味では、ギャラの発生はクリアです。
文字の多い本ほど、たくさんギャラが発生しますし、読んだ回数だけギャラが発生します。労働の対価としてはとても明快。

一方、編集者のギャラは、もっとも不明瞭です。

どんなに手間がかかろうとも、著者都合、出版社都合でやり直しが生じて、当初予定していた日数の倍、行数がかかろうとも、編集費は同じ額です。「校正紙(ゲラ)」を、3回読んで終了することもあれば、10回読んでようやく終了することもありますが、それでも同じ。

「時給計算だけは、しちゃいけないよね」

フリー編集同士で、よく言い合う言葉です。
さらに、著作権も生じないので、売れてもたいして儲かりません。
#ただ、私の場合、重版以降は編集印税を少しでもつけてもらうようにお願いしてます。

こんなに割に合わない仕事はない、フリーでやるもんじゃない……そんな言葉もよく言い合っていますが、それでもやっぱり好きなんでしょうね^^;。やめられません。
ただ、最近はライティング(執筆)業の比率を上げています。ライティングのほうが、権利も明確なので、フリーの仕事としては、すっきりしていてストレスが少ないように思います。

ちょっと、恨み節になってしまいましたが^^;。

さてさて。

もう少し頑張ります。
それにしても、胃が痛い……。

(むとう)

文字の強さが押し寄せてくる!――視覚的にも・音的にも。そして意味的にも/『人生は単なる空騒ぎ』鈴木敏夫著(角川書店)


とにかく本が大好きなので、
友人が精魂込めて編集している本が出来上がったと聞くとものすごくテンション上がります。二重に三重に、本当に嬉しい。

でも、ついつい忙しさにかまけて本HPで紹介することを怠ってきてしまいましたが、今年はマメにご紹介したいと思ってます。

本年第一弾は、こちら!!
スタジオジブリの名プロデューサーとしてあまりにも有名な鈴木敏夫さんの『人生は単なる空騒ぎ』(角川書店)です!!

うううむ。Yさん。
こんなすごい本作ってたのか…

実は、まだしっかりと拝読する前なのです。
しかし、全体をざっくり拝見し、その構成にさすが…と思わず頭が下がりました。

鈴木さんの来し方を、「文字」という角度から新鮮に、ど直球に、丹念に、サービス精神マックス注入で、構成している……。

……愛だなあ。本質をしっかりとつかむ、ということはもちろんのことですが、それをより読者にお伝えするために、編集者は格闘します。そんな編集者の凄み・機微は細部に宿る、と私は思うので、こういう「諦めない」構成は、まさに編集者の愛なのだと、思っているのです。だって本当に大変なんですもの~!Yさん、本当にすごいよ~!

*****

鈴木さんはもともと編集者としてもものすごいお方で、私は雑誌はあまり通っていないと思っていたのだけれど、よく考えたら鈴木さんが編集長を務めておられた『アニメージュ』だけは買っていたんでした。
毎月夢中になって隅から隅まで読みこんでいた。

ーーーそう、そうだった!!!

と、いきなり10代の時のことを強烈に思い出しました。

この本は、アニメや漫画ファン、映画ファンはもちろんですが、編集者必読じゃないかと思います。編集者時代に書いたという、映画の企画書や、制作作業行程表がカラーで掲載されていたり(手書き!!)、新聞広告のラフや、ポスターラフなどなど(これまた手書き!)なんかもカラーで掲載されてます。
このような貴重なものを見られるなんて、なかなかないですよね。

仕事のできる人のラフ、
あるいは校正ゲラの赤字を拝見するのが、一番勉強になる。

と、私は痛感しているので、このような貴重なものを拝見できるなんて、とものすごく得した気分です。

もちろん、鈴木さんの文章もたくさん載っていますよ!
そしてもちろん「書」。これまたとにかく強くて味があって、ステキです。

そんなわけでして、皆様。
ぜひお手に取ってくださいね~!

私は今の山場を越えたら、じっくりと拝読したいと思っています。
仕事がんばります!

(むとう)

2018年、新年のご挨拶。


新年あけましておめでとうございます!!
旧年中は、本サイト及び代表・武藤をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました!

一年経つのがあっという間過ぎて、毎年驚いている気がします。

2017年も、本当にあっという間でした。

しかしこの「あっという間」は自分にとっては、とてもいい意味の「あっという間」だったように思います。

例年ですと、自分の力不足に苦しみ、人間関係に悩み、くよくよし……

そんな負荷を感じながらの「あっという間」なんですが、昨年はそんなことも感じつつも、それ以上に、何だか充実した楽しい一年だったような気がするのです。

微力なことにはかわりありませんが、自分なりに満足できるお仕事をさせていただくことができました。

畠山健二先生の『本所おけら長屋』シリーズが、累計50万部突破されたことも、
五木寛之先生のご本を続けて2冊刊行することができ、重版を重ねられたことも、
本当に嬉しいご褒美でした。
私の力なんてなきに等しいのですが、そう言った素晴らしい作品に関わらせていただけたことが、とにかく誇らしく、ジンワリとありがたく……
さらに、荒山徹先生の歴史小説『白村江』が、歴史時代作家クラブ作品賞を受賞されたことも、とにかくものすごくうれしかったです。

そして、自分のために時間をつくれたのも良かった。

2017年は、少しでも時間ができたらとにかく旅をする、と決めたんですが、十分に実行できました。特に印象的だったのは…

大阪・奈良、
対馬・壱岐・博多・宗像、
長野・戸隠、
津島・名古屋・伊勢・鳥羽・伊良湖、

への旅です。
上の地名は、実は自分の中ではすべて関連し、繋がっているんです。
仕事にダイレクトにかかわらないかもしれませんが、自分にとってのライフワークにコネクトしていく大切な旅になりました。

そして今年です。

2018年も、2017年にスタートできた、「自分なりの大きくて小さな旅」を続けていきたいと思っております。

仕事ももっともっと、面白がっていきたいですし、
先生方にもっともっと、楽しく本を書いていただけるよう全力を尽くしたいと思います。
そして、自分自身のライフワークも、しっかりと歩を進めていきたいと思っております。

本サイトでもささやかながら、そんなことをご報告していきたいと思っております。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!

ありをりある.com 編集長
武藤郁子 拝

「鳳凰の声を聴け」


仕事柄、ただひとり、ひたすらに机に向かうことが多いのですが、
何日間も閉じこもって仕事をしていると、世界がどんどん狭まってくるように思い、だんだん悲しい気持ちになってきます。

今日みたいないいお天気の休日にこもっていると特に…^^;

そんな時には、A老師の揮毫を拝見すると、気持ちが落ち着いてきます。
ちょっとカジュアルで恐縮ですが、一番目に入る机の正面にぺたりと貼らせていただいてるんですね。

以前大変お世話になっている先生にお供して、A老師をおたずねした際に、ご案内くださったNさんが、師の揮毫を印刷されたとのことで、わけてくださったものなんです。

A老師の柔らかで優しい物腰は、私のような門外漢でも一瞬にしてその大きさを感じ取れてしまうような方でした。全く詳しくないですが、禅僧の理想のお姿を見たような気がしたものです。

「聴鳳」

恥ずかしながら、正しい意味を分かっているわけではありません。
でも、この何とも言えない美しい文字を見ていると、世界が広がっていくような心地がするのです。

「鳳」とは、鳳凰の「鳳」ですが、「聴」とあるからには、「聴く」ということでしょう。「聴く」としたら〈鳳凰の声〉か、あるいは鳳凰の鳴き声から律を定めて造られたという竹の笛《鳳笛》のことでしょうか。

姿が見えなくても、声〔音〕は聴こえます。
たとえ、孤独でもその声は聴こえてくるはず。聴こえないのは、自分が聞きたくないからなのではないか、と。

「鳳凰の声を聴きなさい」
――見えているもの、自分でわかることだけがすべてではない。
もっともっと大きなものが世界にはある。
その豊かさを、大きさを感じなさい。

……と。

私にとっては、そんな意味に思えてくるんですね。

そうすると、なんだかちょっと安心するんです。

そんなわけでして、本日ももう少し仕事がんばります。
そして夕方は剣道のお稽古に行くぞ~!おーー!!!

 

6月23日は「慰霊の日」――沖縄に思いを馳せる日


沖縄県民、そして沖縄を愛する人はよくご存じだと思いますが、今日は「慰霊の日」です。

太平洋戦争でアメリカ軍が沖縄に上陸、「沖縄戦」を開始したのが1945年4月1日。
6月23日に、日本帝国陸軍第32軍司令部が自決したことをもって、組織戦の終結とし、「慰霊の日」として、アメリカ施政下にあった琉球政府が定めた記念日です。

1972年に本土復帰となり、一度法的根拠を失いましたが、1974年に沖縄県が条例で、改めて「慰霊の日」と定めたとのこと。沖縄県では、この日には、死者を弔い平和を願う式典が開催され、各局各新聞で特集・特番が組まれます。

しかし、私は沖縄に通うようになるまで、この記念日を知りませんでした。

それも偶々、この時期に沖縄を旅したことがあり、町中が祈りに包まれている様子を見て、それで知ったんです。そんな大切な日を私は知らなかったのか…と、心の底から自分にがっかりしたことをよく覚えています。

「終戦の日」は、8月15日。これは皆さんよくご存じかと思います。

しかし、あの悲惨過ぎる沖縄戦が終わったとされる日、「6月23日」のことは、沖縄以外にいますと、知らないままでいることも多いと思います。

でも、私は、知ることができました。
以来、この日は私にとって「沖縄を思う日」になっています。

何ができるというわけではありません。
しかし、「知る」ということ、「忘れない」ということ、「思う」ということが自分にできる唯一のことではないかと思います。

あの美しい島の大地には、今も、真っ白な悲しい骨がたくさん埋もれているのです。そのことを思いたいと思います。

どうか、どうか、魂の安からんことを。

2017年、新年のご挨拶。


2017onenga明けましておめでとうございます!
今年の元日はいいお天気でしたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、さっそく私事で恐縮ですが、振り返りますと2016年は、とても実りの多い年だったように思います。おこったこと全てが大切なことばかりだったのですが、中でも特に印象深かった事を挙げさせていただきますと…

畠山健二先生の『本所おけら長屋』(PHP文芸文庫)シリーズ、ついに30万部突破したこと
2巻からお手伝いさせていただいております大人気シリーズが、第7巻にしてついに30万部を突破しました!年末にかけても重版に次ぐ重版で、畠山健二先生のご苦労がいよいよ実を結んでいくのだわ、と身が震える思いでおりました。

五木寛之先生のご本を無事刊行。重版できたこと
またまた、お手伝いするようになって約四年、3冊目にあたる五木寛之先生の『ただ生きていく、それだけで素晴らしい』(PHP研究所)も無事刊行していただき感無量。刊行して2カ月で3刷がかかって、胸をなでおろしました。

BE-PAL(小学館)さんで『日本の秘境』特集を執筆させていただけたこと
書き仕事のほうでもまた楽しいお仕事をさせていただけました。「日本の秘境」とは、まさに大好物なテーマ!!大好きな場所の数々に取材させていただけて、大変ではありましたが、とても楽しいお仕事でした。

2016年年始に旅したいと思っていた場所のほとんどに行けたこと
年始に「旅したい」とリストアップしていた場所が5カ所(沖縄、白山、会津、奈良、鳥取)あったのですが、そのうちの4カ所に旅できました~!さらにリストにはなかったものの、大好きな場所4つに行けたので、かなりなプラス収支。旅は私にとってエネルギーの源、今年も6カ所行きたい場所をリストアップしました。ぜひ100%の達成率を目指したいです。

昨年年末に、旅をするという目標以外にも、いくつか具体的な目標を立ててみました。さて、2017年、どこまで実現できるでしょうか。
ちょっと苦手なことにもチャレンジしようと思っております。我ながらなかなか大変そうだなと思うのですが、ドキドキワクワクする気持ちも同時に湧いております。昨年の失敗、反省を生かして、変化を恐れず、前を向いて一歩一歩歩いて行きたい、そう思っております。
どうぞ皆様、本年もご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

本サイトも地味ではありますが、私の根幹を支える大切な場所です。
今年もできるだけ記事をアップしていくよう頑張りたいと思っております。ぜひ覗きに来てくださいまし!

それでは、本年も引き続きのご愛顧、なにとぞよろしく お願い申し上げます!

ありをりある.com 編集長
武藤郁子 拝

訪れた国はなんと35カ国以上!世界の絶景、秘境を訪ねて56回。”秘境ミステリーハンター”宮地さん、初の著作登場!『地球のふしぎを歩こう』/宮地眞理子著(PHP文庫)


長寿番組「世界ふしぎ発見」で、ミステリーハンターとしても活躍されている宮地眞理子さんが、初めてのご本を出版されました~!

実は、宮地さん。私が編集のお手伝いをさせていただいております、時代小説『本所おけら長屋』シリーズの著者、畠山先生のお弟子さんでもいらっしゃるんですが、個人的に大好きなので、大応援させていただいております。

画面で見たとおりの、美人でからっと明るくて、まるで「青い空」みたいな爽やかな女性です!

そう、まさにこの本の表紙のようなお方!

ちなみにこのご本の表紙は、ウユニ塩湖@ボリビア。今やCMに使われたりして有名ですが、宮地さんがこちらを訪れたときには、ほとんど知られていなかったんだそうです。メディア初登場ってかんじ!

宮地さんは、ミステリーハンターと呼ばれる方の中でも特に「秘境ミステリハンター」と呼ばれるほど、普通では行けないような場所にたくさん行かれています。
北極、南極はもちろん、訪れた国は何と世界35カ国以上だそうですよ~!
すごいですよね、ほんとに!

ご本拝読しますと、珍味過ぎるもの食べたりすごい目に遭ったりが多すぎて、読んでいるうちにだんだん慣れてきちゃう…という、この不思議。
宮地さんも「だんだん慣れちゃうんですよね~」と淡々と爽やかに言っておられましたが、ほんと、「衝撃体験のインフレ」起こっちゃってます(笑)。レベルが高すぎる!

ちょっとご紹介が遅れてしまいましたが、昨晩は下北沢の本屋さん、B&Bさんにて、宮地眞理子さんと畠山健二先生による師弟対決?トークショーが開催されました。
20160131-1(写真は、開催直前の様子)

文筆界で最も笑いをとる作家、畠山先生との丁々発止なトークに会場は大盛り上がりでした!畠山先生の名アシストで、いつもの宮地さんの雰囲気がぐっと出ていて、ファンの皆さんも堪らないトークショーだったんじゃないかな、なんて。

印象深いお話はたくさんありましたが、私が最も感動してしまったのは…
いろんな場所に行くと、いろんな人に出会うと思うんだけど、正直言ってちょっとこれは、という人にも会ったりすることもあるのでは?という質問に対して、「うーん」と数秒考えて、

「いやあ、それが、いなかったですね。…なんか本当にみんなよくしてくれるんですよ、だっていきなり日本のわけわからないやつが来て目の前にいるわけですよ?でも、みんな本当に優しくしてくれるんです」
(むとう抄訳)

このことばでした。

すっかり、身内感覚になっている私は、なんかお母ちゃんのような気持ちになってしまいまして、思わず目頭が熱くなりました。

人間って、旅先って、めっちゃ切羽詰りますよ。切羽詰ると余裕なくなって自分のことばっかり言いたくなっちゃったりします。相手の都合もお構いなしで、どうにかしてよ!と言いたくなってしまう、それもまた人間です。

でも、宮地さんは違うんだなあ。
まず、相手の気持ちを考えられる人なんだなあ。なんて素晴らしいんだ〔ぐすっ〕。

言葉は通じなくても、いえ、だからこそ、相手がどういう気持ちで今ここに来てるのかって伝わります。「この人、本当はこんなとこ来たくないのに、とかって思ってるな」とか、そういうにビンビン伝わると思うんです。

でも、宮地さんだったら、みんな「お??この子、違うぞ?」って思うんじゃないかな。だから地元の皆さんも宮地さんに優しいにちがいない!だからいい取材ができるんだろうなあ、そういう風に思いました。
人のこころは「鏡」だ、と池波正太郎先生もおっしゃいましたが、まさにしかり。宮地さんが心をこめる人だから、思いやり深い人だから、相手もそうなるんじゃないかなあ、と思うのです。

最後に、宮地さんからの参加者全員へのプレゼント、ということで…
20160131-2これ、いただいちゃいました!
本の表紙が印刷されてるキットカットですよ~!

こういう気配りもさすがですね!
参加者みんな本当に嬉しそうだったなあ。

私も、ますます惚れ直しました♪

ご本も、彼女らしい、心あたたかく、同時にはっちゃけたお話が満載の一冊です!
ぜひお手に取ってみてくださいね~!

それから、2月7日(日)には、神保町の書泉グランデさんでイベントを開催するそうです!
昨日行けなかった方、ぜひリアル宮地さんに会いに行ってくださいね!絶対もっと好きになっちゃうと思いますよ!

(イベント情報)書泉グランデさん(2/7)

(むとう)

棚を「耕す」、人を「耕す」――本読みの希望の火を灯し続けるカリスマ書店員田口さん初の著作。希望と現実、涙と強さに溢れた名著登場です!!!『まちの本屋』/田口幹人(ポプラ社)


私にとって本屋さんは「自由の天地」だった
子供のころ、田舎町でしたが本屋さんは何軒もありました。私がいつも通っていた本屋さんは4軒。自転車で10分くらいのところにある2軒、20分行ったところに2軒。この4軒を必ず毎週一回は見に行っていました。

たいしておこづかいもないですから、毎回何かを買えるわけではないんです。でも書店にいって本を眺める、手に取る。そして新刊のインクのにおいを目いっぱい吸い込む……。

この空間には、いろんな考え方がある。
この空間には、いろんな人がいる。
この空間には、限界がない。

いつも「ムトウは変わってる」と言われて、笑ってやり過ごしながらも、傷ついていたのかもしれません。「変わってる」とまた言われるのが嫌だから、本音は言わなかったですし、自分が何を考えているかも言わないようにしていました。そんな私にとって、本屋さんは、「多様であること」を許してくれる唯一の場所だったように思います。

「自由の天地」。

大げさかもしれませんが、それが「本屋さん」でした。
小説にしろ漫画にしろ、作者は独創的で物知りで、そして普通じゃない大人です。そんな大人がこんなにたくさんいるんだと感じ、そのオトナが紡ぎ出す多彩な世界へ自分もワープできてしまう喜び。その入り口が「本屋さん」だったんです。
そのワープしていく感覚を強烈に、まるでフラッシュバックのように思い出してしまいました。

それは、『まちの本屋』、この本を読みはじめて間もなくのこと。
あの新しいインクと紙のにおい、面白い本がたくさん並んだ棚が、ドドンと私の前に立ち現れる……。
「あ、いい本屋さんに入ったぞ!って思う、あの感覚だ、間違いない」
行間から、もうその匂いが立ち上がってきてしまっている、そんな本なのです。

もっともっと「耕そう」。面白い世界を、自由な世界を。
前置き?が長くなってしまいました。

実は、本書の著者である田口幹人さんは、私が編集のお手伝いをさせていただいております畠山健二先生の『本所おけら長屋シリーズ』を、最初から「これは面白い!」と評価してくださり、ずっと売りまくってくださっているんです。そのご縁で、以前からお名前とお噂はお聞きしていたのですが、今回初の著作を発表される、ということで、私も首を長くしてお待ちしていたのです。

20150123

ワクワクしながら、読み始めて1ページ目で、早くも鼻がツゥン。
告白してしまいますが、11ページで、目次を抜きますと、始まってわずかに3ページ目、「はじめに」でまさかの落涙。

田口さんがお勤めのさわや書店さんは盛岡の本屋さん。あの東日本大震災の時、被災した釜石店に救援に通われた時のお話が語られるんですが、もう、ダメ。私は半端なく落涙…。

「本屋に生まれ、子どもの頃から本に囲まれて、好きな本を好きなだけ読むことのできる環境で育った僕は、心のどこかで本は嗜好品なんだと思っていた。本は、本を好きな人が読むもの。気持ちにあるいは時間的・経済的に余裕のある人が読むもの。しかし、それは間違っていた」(「はじめに」より引用)

「本屋は、単なる嗜好品を扱う場所ではなかった。そこになければならないものだった。震災はそれを教えてくれた。東北の人たちにとって、そして日本人にとって、本は必需品だったのだ。本というものの力を改めて認識した瞬間だった」(「はじめに」より引用)

なんて、なんて、現実と悲しみと、夢に溢れた言葉なんでしょう。

「田口さん、そう、そうなんですよ!!私にとっても必需品でした!本がなかったら私は今ここにいなかった。あの場所がなかったら、私は森の中に入って、出てこなかったかもしれないんです!」

そんな叫びを胸に秘めながら、真昼間の電車の中で読み始めて、しゃくりあげる私。
やばい、明らかに不審。

はじめにからしてこの調子です。最初から最後まで、何度も何度も泣いてしまいました。
田口さんが語られる、ご自身のこと。お仕事のこと。本書で語られるすべてが、わたしの涙スイッチを押しまくるんです。

それは、私が本に助けられた人間だからかもしれません。
本屋さんが大好きで、本屋さんが居場所になってくれていたからかもしれません。

そして、大人になってから本をつくる仕事がしたくて、出版社に入った。以来ずっと本をつくり続けてきました。そうしていく中、見失っていたかもしれない大切なことを、田口さんが語る熱い言葉に触発されて、一つ一つ思い出したからかもしれません。

本当に、本書は素晴らしい本です。

出版関係に勤める人全員に読んでいただきたい。出版社、書店、図書館、取次、フリー編集、フリーライターすべての人に。

私たち、本が好きで今の仕事はじめましたよね。本が好きなんですよね。

そこから、改めて始めましょうよ。
シンプルに考えたらいいじゃないですか。
面白い本作りましょうよ。
つくったら一生懸命、面白い本があるよって、みんなに知ってもらいましょうよ。それから粘って粘って粘りまくって買ってもらいましょうよ。

田口さんは、本書の中で「耕す」という表現をよく使われます。田口さんの師匠がよく言っていた言葉なんだそうです。
「僕が意識したのは、本屋を「耕す」ことでした。農業の「耕す」と一緒です。」
お客さんとのコミュニケーションも「耕す」。、積極的に会話をする、そうしたことを重ねること・「耕す」ことで生まれる信頼関係が新しい何かを生む。
本が詰め込まれた棚を、常に手を加え変えていく――棚を「耕す」。動きのある棚、あえて動かさない棚。そこには書店員さんの思考が集積され、私たちのこころを耕す栄養がここにあるよと教えてくれます。

私も、一生懸命耕そう。
フリー編集の私ができることは限られています。でも、私ができる「耕す」ことをもっとしなくっちゃ。たくさん本を読んで、勉強して、多くの人と出会って話をする。
つたなくても、もっと文章を書こう。自分が感動したこと、面白いことを畑を耕すように、続けていこう。

田口さん、素晴らしい本をありがとうございました。
明日から、また頑張ります。

(むとう)