青山翁の仏教への造詣の深さと、本筋を捉えたコレクションの凄みに改めて感動する時間/「優しいほとけ・怖いほとけ」展@根津美術館

明治・大正を生きた大実業家たちの文化力がすごすぎる

皆さん、もう行かれました?
根津美術館さんで開催中の特別展「優しいほとけ・怖いほとけ」展。
いや~。ほんと会期短いので、早めに行ったほうがいいですよ!見逃さないように!!

それにしても今夏は、偶然なのか何なのか、横浜美術館では「原三渓展」開催中ですし、ほんともう贅沢の極みですね。

青山(せいざん)翁こと根津嘉一郎(初代)は、山梨の豪商出身の実業家で、「鉄道王」と呼ばれます。原三渓は、横浜の大生糸商。二人の共通点は、高名なお茶人であり、文化に造詣が(ものすごく)深かった、という点でしょう。

私はこれまでも、横浜の「三渓園」には何度もお邪魔してますし、根津美術館も何度も拝見してますが、そのたびに溜息をついています。

今回も改めて庭の方も見てきましたけど、いやもう本当に、こんなすごすぎるコレクション、当時のカオスな状況がなかったら、到底無理ですよ。

何の説明もなく、シレッと置いちゃってますけども、この石塔マジやばい。この百済っぽい佇まい。ほれぼれします。

それにしても、こういうすごいものを、個人で買えるってどういうこと?と、溜息と共に思います。混乱の時代ならではだと思いますが、今ではできませんね。

この石柱も、ものすごくハイレベルな珍品と言っていいと思います。単に私が不勉強だからかもしれませんが、他では見たことないですもの。四角柱の一面には五輪塔、その隣の一面には大日如来(金剛界)が彫られてるんです。
五輪塔のかたちからして、中央文化に造詣の深い(と言うかど真ん中な)、ハイクラスな石大工さんの手によるもので、鎌倉中期くらいかなあ、と無責任に憶測してますが、どういうふうに安置されていたのか、まったくわかりません。標柱として辻に置かれたんだとすれば、極めて特殊な場所に置かれていたはずです。大日如来像を彫りだしてあるのに、五輪塔もだなんて、どんだけ強力なのかと思うんですね(大日如来も五輪塔も意味合いは同じです。どちらかで十分にその役割は果たすものなのに、なんで重ねた?と思うんです)。

……閑話休題。

一つ一つが、いわば「本筋的にすごいものばかり」なのですね。ほんとに、よくもまあ手に入れたものだと、改めて感心してしまうわけです。あの頃の実業家の皆さんには、文化の担い手であるという自負と教養、美意識や思想があったんだなあと思います。今の時代、こういう思想や美意識を持った実業家と言うのは、なかなかいないでしょう。

改めて青山翁の選別眼と美意識・思想の凄さを思う

石造美術的な鑑賞をしても、根津美術館はきりがないので、今回はこの辺にしまして、本題に入りましょう。

まず非常に個人的な感想で恐縮ですが、今回の展示を見て、私は自分自身の成長を感じました。密教の本を書かせていただいたことが、私にもう一つの目を開いてくれたかも、と思ったんです。

これまでは、仏像偏愛主義者なために、仏画をちゃんと見ていなかったんですね。しかし、今回は、仏画の方にも十分に注意を向けて参観できました。

先に結論を言ってしまえば、庭の石造美術と同じように、「こんな本筋のものを個人で買っちゃうなんて、いったいどうしたこと!?」という仏画が目白押し。特に密教系の仏画の豊富なことと言ったら…。

コマゴマと「おおおお」と呟きながら、ひたすらガラスにへばりつくように拝見しましたが、なかでも次の二点は、本当に本当にすごかった!

まずはこちらの「愛染明王像」〔鎌倉時代、重要文化財。写真は図録『根津美術館蔵品選~仏教美術編』より引用〕。

この図録の写真では、残念ながら、実物の凄さを全く認識できません!!実物の「愛染明王像」は、この写真の百倍すごいです。これまで見た愛染明王の中でも、けた外れに美しいのです!!ほんと、桁外れです!

そして、同様に桁外れがもう一つ。

こちらの「大威徳明王像」〔鎌倉時代、重要文化財〕!

これもこの写真の百倍蓮素晴らしい!信じられないくらい美しかったです。大威徳明王像の中でも、まさに傑作だと思います!!

他に、非常に印象に残ったのは、不動明王像数点です。あれだけハイクオリティのものが、台密系・東密系合わせて様々なパターンでずらっと並んでいる様は、じつに圧巻でした。すごかった~~。

ううううむ。思い返してみても、本当にすごかった。やはり、もう一度見に行ったほうがいいかもしれません…。

それくらい、今回の展示は壮観でした。仏教美術に少しでも興味があったら、絶対に見たほうがいいですよ!そして、青山翁のすさまじいまでの美意識と思想を堪能してください!

ぜひ、皆さんも足を運んでくださいね!!

(むとう)

日韓仏教交流の歴史を知る②「和諍(わじょう)」と「一心」の思想/『アンニョンハセヨ!元暁法師』展@金沢文庫

6世紀にはじまる仏教交流史
第一回の講座の講師は、岡本一平先生です。仏教学の研究者であり、今回の展覧会開催の立役者でらっしゃるとのこと。初めて講義を拝聴しましたが、サービス精神たっぷりな語り口で、とても分かりやすい!

「日本の仏教学は、多宗派だったりするために、研究しにくい面があり(仏教徒でない研究者は特に)、歴史学者がけん引してきたという側面がある。そのために世界の仏教学からすると…」

こんなお話も、もっとくだけた感じで、はっきりきっぱりお話ししてくださったりして、なるほどなるほど、といった感じ。とにかく歯に衣着せぬお話はとても面白かったです。

さて、ご存じのように、韓(朝鮮)半島と、日本の繋がりと関わりは、とても深いものです。仏教という側面で見れば、6世紀半ばごろ、百済から公伝したとされています。

当時の東アジアは、動乱の時代と言っていいでしょう。韓(朝鮮)半島は三国時代です。北部には、高句麗。東部には新羅、西部には百済が林立していました。
中国は、「唐」。そして、我が日本は、時代で言えば飛鳥時代。聖徳太子のお祖父さん・欽明天皇(前後数代)の頃の話になります。

そんな中、当時の最先端文化である「仏教」は、外交儀礼のための教養としても必要だったでしょうし、実際的な話として、戦争が続く情勢下、救いを求める人々がたくさんいたのではないかと思います。

新羅が生んだ大思想家・元暁(がんぎょう)、その思想「和諍(わじょう)」
そんな時代、当時の新羅で誕生したのが、元暁(617-686)という人です。私は不勉強で存じ上げませんでしたが、韓国では、日本人にとっての聖徳太子のような存在で、彼が具体的にどういう人だったかよくわからないけれども、偉い人だ、ということはみなさんがご存じなんだそうです。

(チラシから抜粋。この髭顔のワイルドなお方が元暁さん)

岡田先生のお話を聞いてますと、元暁さんという人は、仏僧という枠をも大きく超えていってしまうような、とても大きな人だったということがよくわかります。

「元暁の思想は『和諍(わじょう)』にあると言われる」んだそうですが、この『和諍』という思想が、その突端だけ伺っただけでも、とても深くて面白い!

「彼の学問方法を表わす代表的キーワードが『和諍(争いや異なった考えを調和させる方法)』である。和諍に似ている概念に『会通(えづう)』もあり、『会釈』もある。しかし少し分けて考える必要がある。会通あるいは会釈というものは矛盾とも見える異なる意見を統一的に解釈することを意味する。それにたいして和諍は、会通や会釈に至るまでの論法まで含む総称である。具体的に言えば、和諍は部分肯定・部分否定、完全否定・完全肯定といった形式を通して異なる意見を評価し、それらの意見を会通(会釈)するのである。」(図録p20より引用)

元暁さんが、どうしてそういう方法を考案するに至ったかと言うと、ブッダが亡くなって以降論争が絶えないことを解決させたかったのかもしれません。元暁さんは、「鏡がすべての形状を受け入れることと同じように、すべてが融通する」ことを、彼の全著作によって試みた、というのです。

悟りとは、自分の内に在る「一心」に立ち返ること
そしてその「和諍」の基底にあるものとして「一心」の思想というのがある、と。

岡田先生のレジュメに、

「元暁は、『万境(すべての外界)』を幻と捉え、自分の内に在る『一心』に立ち返ることを『悟り』と考えていた。この『一心』は分割することができない存在である。」

とあります。

例えば元暁さんの著作『両巻無量寿経宗要』に、「穢土と浄土とは、本来「一心」〔の現れ〕である。輪廻と涅槃も最終的には二つではない」とあるんだそうですが、これを岡田先生が訳すと…
「穢土と浄土は本来『一心の現れ』にすぎず、その『一心』を知らないから、二つと考えてしまう」と。

おおお!
何だか、この考え方、今の時代でもとても理解しやすいような気がしませんか??

例えば、「あることを改善する」ことについて話し合っていたとします。
AさんはとBさんは全く逆の意見で対立しています。
しかし、どんなに考え方や方法論が真逆で、喧嘩になろうとも、「あることを改善したい」という大元のこころ(これを一心と考えてもいいのかなと)に変わりはありません。

元暁さんが試みたというその方法論、ぜひ知りたい!
今の時代にこそ、それはまさに必要な智慧なんじゃないでしょうか。
違う考えだろうと、違う宗教だろうと、「鏡がすべての形状を受け入れることと同じように、すべてが融通する」ことができたら……!

いや、ほんと、すごい魅力的な思想です。元暁さん、すごい!

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岡田先生が、講座の中で何度も言っておられたのは、東アジアの文化交流の厚さ・そして大切さでした。この、元暁さんの研究も、金沢文庫に大切に保管されていた著作物類がなければ、なしえなかったとのことなのです。

元暁さんはたくさん本を書いた人なのですが、本国では王朝交代などの政変や戦乱でその多くが失われてしまった。元暁さんが大変に偉いお坊さまだったこと、そのすごい思想を書いた本があったことは歴史として伝わっていても、その本自体が無くなってしまうと、より深い研究や継承はむずかしい。
しかし、日本に伝わった偉大な元暁さんの著作物は、大切に伝承されたのです。

今回の特別展の韓国側の責任者・東国大学の金鐘旭さんが、図録の冒頭で次のような言葉を記しておられます。少し長めにですが、引用させていただきます。

「(前略)元暁以外にも新羅・高麗の僧侶の多くの著述が中国と日本に伝来しますが、残念ながら現在韓国に残っている文献は非常に少ないです。伝承の過程のいずれかの時点で、失われてしまいました。幸いなことに現在知られている新羅仏教文献の約90%が日本に残っています。日本が私たちの著述を伝承してくれなかったならば、私たちは新羅仏教思想を執筆することすらできなかったでしょう。また今回のような素晴らしい特別展も開催されなかったでしょう。相手の優れたものを受け入れる思いやりがなかったらあえて筆写までしなかがら伝承し続けたことはなかったと思います。その点から私は新羅・高麗の偉大なる先人に変わり、我々の文献をよく保存して下さった日本のすべての仏教者に深く感謝申し上げます。」

隣国というのは、利害関係も生じやすく、なかなかスムーズにはいかないというのは世界中どこでもいえることです。

しかし、そうした面以上に、お互い共有している良い面もたくさんある。そして思いやりを持ち、尊敬を持ちあうこともできるのです。

元暁さんの思想は、今こそ必要とされる、大きな思想だと感じました。

そしてその思想研究を、日韓で手を携えて続けておられるという事実が、また何とも喜ばしい。元暁さんという大いなる源から、善なる芽が時を越えて伸び続けているような気がします。
(むとう)

日韓仏教交流の歴史を知る①「金沢文庫」を知っていますか?/『アンニョンハセヨ!元暁法師』展@金沢文庫

「金沢文庫」とは??
二年に一度くらいでしょうか。埼玉から遠路はるばる、京急「金沢文庫」駅に降り立ちます。私のすんでいるエリアの駅からは、2時間10分ほどかかります。こうなるとちょっとした旅ですよね。

ところで、みなさん。「金沢文庫」ってどう読みます?
「かざわぶんこ」が一般的ですよね。

でも、もともとは「かざわぶんこ」と読むのが正しいようです。というのも、この金沢文庫は、鎌倉時代に金沢(かねざわ)流北条氏(金沢氏)二代目、北条実時が建てたものだからなんですね。
そう。形は変われども「金沢文庫」とは、鎌倉時代からずーっと存在しているものなのです!この事実をご存じない方も結構多いかもしれないと思います。

さて、この、創設者の実時という人ですが。
鎌倉幕府三代目執権・泰時の甥であり、幕府の要職を務めた名流です。同時にたいへん好学の人で、和漢の書物を収集し、のみならず自ら書写点校にもつとめました。そのために、鎌倉の自宅には貴重な書物が収蔵されていたらしいのですが、何度か火事で類焼してしまった。それに懲りた実時さんは、金沢の地に別荘を建て、そこに書物を移したそうなんです。

――そのことを称して、いつの間にか世に「金沢の北条の殿の御文庫」と言われるようになったのであろう。(『国史大辞典』より)

学問好きの殿さまが、立派な書庫をお持ちだ、と評判だったんでしょうね。この界隈の人はこのあたりを「文庫ヶ谷(ぶんこがやつ)」なんて読んだりしてたんだそうです。
実時さんは、のちに別荘を中心に寺院を建立しました。「称名寺(しょうみょうじ)」という真言律のお寺で、代々高僧が住職を務め、日本中から学僧たちが仏教を学ぶために集まるような、大寺院だったそうです。しかし、鎌倉幕府が滅び、北条氏が滅んでからは衰微の一途をたどり、江戸時代には創建当時の堂塔のほとんどが無くなってしまいました。

上の写真は、現在の様子です。浄土式庭園が美しいステキな境内ですが、1778年に『称名寺絵図』をもとに復元されたものなんだそうです。

金沢文庫の収蔵典籍約二万点あまりが一括して「国宝」に
そして、現在の「金沢文庫」は、この称名寺の西側に新しく建てられた中世史専門の歴史博物館です。称名寺や称名寺が管理していた金沢文庫の貴重な資料が主な収蔵品になるわけなんですが、それがとうとう昨年、その2万点余りにおよぶ称名寺聖教(しょうぎょう。経典のこと)および金沢文庫文書が一括して国宝に指定されました。

(こちらが金沢文庫。称名寺境内から抜けていくとこんな感じです)

いや~、すごいことですよね~!
一括で国宝指定だなんて、素人の私でもこれらの典籍がいかに貴重なものであるかがわかります。
しかし、その貴重さの本当のところを、私はよくわかっていなかった。
この典籍類とは、日本どころか東アジア全体の、ひいてはアジア文化史にとって貴重な、本当に奇蹟のような宝物なんです。今回、講座を聴講したことでちょっとだけ身に迫って理解できたような気がします。

現在こちらで公開中の特別展『アンニョンハセヨ!元暁法師』展では、連動して「韓国仏教入門」(全三回)という講座を開講しておられます。

実は、ここのところの日韓の関係に、ひとり静かに心を痛めていました。歴史的に難しい事柄はたくさんあれど、そうはいってもやはり韓国も北朝鮮も、本来とても近しい存在ですし、兄弟のように共有している文化背景もたくさんある。なのに、ネガティブな側面ばかりが目についてしまい、ポジティブな側面が見えにくくなっているような気がしてならないのです。

最近、そんなことを思い、改めて朝鮮(韓)半島の文化、境界地域の文化、日本の文化について自分なりに、学び直そうと思っていたので、この特別講座にはまさにドンピシャ!です。

(つづく)