苔(コケ)にあいたい~鎌倉観察会編②鎌倉ぐるりコケだらけ!

生き物の生存戦略??
北鎌倉駅からまだ歩いて数メートルの段階で、早くも3種類のコケを教えていただいちゃいました。今回、N先生はあらかじめ下見までしてコースを選んでくださったそうで、動きに全くむだがありません。確実にコケを見せてくださいます。

東慶寺からまたちょっと行ったところにある『去来庵』(ビーフシチューで有名なお店です)の門前にある大きな石の前でストップ。 ヒメジョウゴゴケ

ちょっと写真が見づらいかもしれませんが、このグレーの粒粒して見えるもの、これが「ヒメジョウゴコケ」という地衣類の一種だそうです。「子器」と呼ばれる部分がじょうごの形をしてるので、こういう名前になったとのこと。
さらに、N先生のお話では、この地衣類は銅に汚染された場所に生えるものらしいです。汚染というと何だかコワイですが、例えば屋根が銅版で葺かれてたり、樋が銅でできてたりしますよね。そうすると、そこをつたった水が、下に落ちた時に銅成分を含んでいるんですって。それによってそこのあたりの土には多くの銅成分がしみ込んでるんだそう。なので、銅は生き物にとって毒なので、そのあたりには、銅に強い(もしくは銅を好む)生き物しか生えてこないんだそうです。
これも、生物の「生存戦略」ってやつでしょうか。ほんとに自然界というのは、よくできてますよね。

さて、この観察会では実にたくさんのコケをN先生にご紹介いただいたんですが、私の脳味噌の性能が悪く^^;、さらに自分が書いたメモが汚すぎて判読できない、という情けない状況なので、ここからは印象に残ったものをピックアップしてご紹介してまいりましょう。

東慶寺からほど近い浄智寺の門前に、池と石橋がありました。その池にはふわふわと緑のものが浮いてまして…
koke15

ちょっとだけ掬って観察。終わったらすぐに池に戻しました。自然のコケはとっちゃダメ!なんです。

ちょっとだけ掬って観察。終わったらすぐに池に戻しました。自然のコケはとっちゃダメ!なんです。

水面に浮遊したりするコケの一種で「ウキゴケ」というんだそうです。先のほうがY字になっていて、そのまた先がY字になってどんどんわかれて増えていくとのこと。
水の上にもコケがあるなんて初めて知りました!

続々と現れるコケの皆さん!」
浄智寺からちょっとだけハイキング気分で源氏山公園を抜け、銭洗い弁天へ。
この道すがらもたくさんのコケを観察することができました。

印象深かったのは、浄智寺裏手で教えていただいたこちら!
モジゴケ「モジゴケ」という地衣類の仲間。ちょっと遠目かもしれませんがよく見ていただくと、黒い筋のようなものがたくさん見えてきます。これ、組合せによっては文字みたいに見えるんです。なので「モジ」ゴケなんですって。この黒いのはは『子器』なんだそうですが、なんだか不思議な生き物ですよね。
ウメノキゴケ

こちらは源氏山公園で観察した「ウメノキゴケ」という地衣類。
排気ガスなどに弱くて、空気のきれいなところにいる地衣類なので、大気汚染の指標によくつかわれるんですって。
地衣類は成長がゆっくりなので、ここまで大きくなるにはかなりの年数が必要だそうですよ。

一度見つけると、だんだん見えてきます
さて、こんな風に観察していきますと、いつも見ているはずの風景の中に、コケはたくさん生きていることがわかります。まさに私の目は「節穴」。自分がどれだけ選択的に風景を見ているのかを自覚しますね。
でも、こんな風に教えていただきますと、単なる木のシミだと思っていたものが、何年も生きてきている地衣類だったりすることがわかります。
これって、すごい「気づき」ですよね。

先生と歩いていてつくづく思いましたが、鎌倉ってそこらじゅうにコケや地衣類がたくさんあるんです。特に先生が観察会のために、と選んでくださった場所を歩いたということはもちろん最大の要因と思いますが、それにしても、コケだらけでした!
寺好きゆえに、鎌倉には結構きていますが、こんなに生き物にあふれている場所だとは知りませんでした。改めて感動してしまいました。

帰宅してから、散歩していると自宅の周りの木も地衣類がたくさんくっついてます。みてなかったんですね。っていうか、これが生き物だ、ということと直結しなかったので、注目してなかったんですよね。

いまいち記憶力も悪いし、あれな私ですが、N先生の観察会に参加させていただいて、「コケ」という存在に「気づく目」を与えていただいたと思います。
そんな新しい目で見てみると、若干気持ち悪くなるくらいこの世の中はいきものだらけですよ!(笑)
嬉しくなっちゃいますね!

最後になりますが、お忙しい中ご用意いただき、ご案内いただいたN先生、本当にありがとうございました!そして、お誘いくださいましたYさんも本当にありがとうございます。また遊びに行きましょうね~~!

(終わり)

苔(コケ)にあいたい~鎌倉観察会編①東慶寺入口からスタート!

「苔」という身近だけど謎な存在
「苔」って一体なんなんでしょう?
日陰の湿ったところや、石にへばりついたりしている植物の一種??…それくらいの回答ができるのが精いっぱいなわたくし。
身近にありながらも、意外と「苔」について考えたりすることはないもんですね。生き物が好きです、と言いながら、こんな体たらく^^;。
正直言ってこれまでの私にとっての苔は、石造物に生えているコケ(地衣類)やお寺の庭にある苔…ってくらいの存在でした。でも、この観察会に参加して、がぜん目が開かれてしまいましたよ!

苔の研究者に案内していただく贅沢な時間
今回の観察会は、尊敬する先輩編集者Yさんお誘いいただきました。
Yさんは、動植物の図鑑や書籍のライティングや編集などをされて大活躍のお方。とくにキノコ・鳥といえば、Yさん、(と私は勝手に思っているんですけど)ってなかんじで、素晴らしい編集者です。専門的知識もすごいのですが、とにかく何でも面白がってくださるので、私はそんなY さんに甘えて、よく一緒に遊んでいただいてます。

今回は、そんなYさんのご人脈で知り合ったというコケの研究者N先生主催の観察会に、ラッキーなことに私もお誘いいただいたということなのです。苔のことは全くわからない素人ですけど、こんな贅沢な機会逃すわけにはまいりません。喜び勇んで鎌倉に出かけました。

「では、さっそく行きましょうか」
参加者は私を含めて4人。集合するや否やN先生はそう言ってさっそうと歩きだします。向かうは【東慶寺入口】。……あくまでも「入口」ですよ。今回はお寺や神社をめぐりますが中には入りません!あくまでも「苔」が主役だから(笑)。
お寺好きな私は、あるい意味門前まで来て中に入れないというのは苦行みたいな感じですけど、今回は仕方なし!
今日は、私は「苔の人」…と念じながら苔に集中しようと心に決めましたw。

東慶寺入口の苔

コバノチョウチンゴケまず最初はこちら!コバノチョウチンゴケ、という苔の新芽。美しい黄緑色。
長く伸びているのは「胞子体」という部分。苔は雌株と雄株に分かれているそうなんですが、こちらがあるということは、これは雌株ということになるそうですよ。

東慶寺にいながら、入口にとどまりひたすらメモをとり写真を撮り続ける集団…。あやしいですよね。実際。

東慶寺にいながら、入口にとどまりひたすらメモをとり写真を撮り続ける集団…w

 

そして、この狭いエリアにまだまだいろんな種類の苔があるんだそうで!
サヤゴケこちらは「サヤゴケ」。樹皮に生育する種類だそうですよ。丸い黄緑のつぼみみたいなのも「胞子体」。なんだかかわいいです。
このサヤゴケは、低地に生えてる木の皮に着床して生育するとのことですが、日当りのいいところにも生えるものなんですって。コケ、と言えば湿気のある場所、日蔭、と思い込んでいた私としては目からうろこな感じ。
そしてそして、このサヤゴケがくっついていた樹には、また別の種類のコケ(みたいなもの)がついてまして…
コナイボゴケ
この、白いシミみたいな部分。このシミみたいなのもコケの一種で、もっとちゃんというと「地衣類」の一種だそうですよ。こういうの樹によく見かけますよね。
コナイボゴケ
カビみたいにも見えますが、これは地衣類という種類の生物。菌類と藻類の共生生物なんだそうで、植物ではなく、どちらかといえば菌類なんですって(なんだそりゃ!ってかんじですけどもw)。

こちらの地衣類は、コナイボゴケという種類らしいんですけど、名前に「コケ」ってついちゃってますよね。この辺が日本語の難しいところなんですけど、古来から日本文化では、地衣類とコケ植物を区別しなかったんですって。なので、地衣類にも「コケ」という名前がついてることがままあるそうで^^;。だからコケじゃないのにコケ、ってついてる生物なんですね。しかも、そういうことなんで、日本語的には「コケ」とただ言った場合には、この地衣類も含めて表現する、という習慣を許しているみたいです。でも、厳密には「コケ」ではない…うううう…
わあ、シロウト的にはめちゃくちゃこんがらがります!
前途多難!!

(続く)

歴史上の人物勝手にベストテン!「人としてすごいですよねベスト10」

今日はいいお天気ですね~~。
いかがお過ごしでしょうか。
私は確定申告(大の苦手)が終わったので、身も心も晴れ晴れとした気持ちでいっぱいです。

そんなわけで、今回は晴れ晴れと、さらに個人的な思いを込めたベスト10をお送りしますよ~~。

人としてすごいですよねベスト10
その人格、業績から言って、人としてすごいなあ、尊敬しちゃうなあ、という人たちを10人考えてみました。このお方たちです!

■行基(ぎょうき)
■鑑真(がんじん)
■空海(くうかい)
■藤原清衡(ふじわらのきよひら)
■法然(ほうねん)
■叡尊(えいそん)
■重源(ちょうげん)
■保科正之(ほしなまさゆき)
■公慶(こうけい)
■上杉鷹山(うえすぎようざん)
■西郷隆盛(さいごうたかもり)

私は、「自分のためでなく、誰かのためや信念のために一生をかけて生き抜いた人」というのが大好きです。このベスト10に上がっている人たちは、全部それに当てはまります。 #お坊さんが多くなっちゃうのはご愛嬌、ということで^^;。

古代から平安時代のすごいお方たち
さて、ちょっとだけ、この方たちの補足説明を、ば。

行基さんは、ご存じない方もいるのかな?
奈良時代、8世紀ごろのお坊さんです。渡来系の血筋に生まれた人で、貧しい生まれのひとでしたが、とても優秀な人だったみたい。民間で活動した人で、土木技術などを駆使して、貧しい人たちが生活できるように、お寺はもちろんのこと、ため池などの灌漑施設や橋などをたくさん建立しました。実は、聖武天皇が東大寺を建立できたのも、行基さんの協力あってのことなんです。

鑑真さんは、皆さんもよくご存知ですね。8世紀ごろ日本側に請われて、日本へやってきたお坊さんです。なんと5回も失敗したのに、それでもあきらめず6回目に日本へ到着し、多くの日本人に戒を与え、日本仏教の興隆に貢献しました。

空海さんも、これまた皆さんよくご存知ですね。空海さんは元は讃岐のあたりの有力豪族の息子さんでしたが、様々な修行ののち出家し、中国へ留学。そこで、仏教の一派である「真言密教」の正当な法統の継承者となって日本に帰国、密教を伝えました。

藤原清衡さんは、奥州藤原氏の祖。平泉の中尊寺などを建立したあの奥州藤原氏です。
この人は、まあ、苦労人なんですよね~~。
幼いころに実父を殺され、その殺した人がお母さんと結婚したため義父となり、育てられました。そんな状態ですから、どう考えても快適な生活ではなかったことは想像に難くありません。さらに、その義父が死んだあと家督争いに巻き込まれ、異母弟に、妻子を殺されてしまいます。そんな地獄のような状態から、這い上がり、ついには平泉に都のように立派な街を作り上げ、その後100年余り続く、奥州の繁栄を作り出しました。

法然さんも、皆さんご存知ですよね。法然さんは平安末期から鎌倉期のお坊さん。地方豪族の息子として生まれますが、子供のころ父親を殺され、お寺に預けられます。そこで、素晴らしく優秀だったので、比叡山に入山し、当時最高のお坊さんたちに次々と教えを受け得度。つまり当時の仏教界では超エリートです。
当時、実は「学問を修める場所は、お寺」だったので、比叡山延暦寺は今でいうと東大みたいな場所です。なので、東大をスキップしてさらに首席で卒業、って感じでしょうか。「智慧第一の法然房」と呼ばれたそうです。しかし、そのあと様々な矛盾を感じて、山を下り、43歳にして「専修念仏」を掲げ、浄土宗を開きました。

叡尊さん。この方は、皆さんご存知ないかなあ。ついこないだ石部のほうでもご紹介しましたが、叡尊さんは、鎌倉時代中期のお坊さん。もともと重源さんと同様に京都醍醐寺、高野山で密教を学んだ人。でもそれだけでは飽き足らず、西大寺で律宗を研究しました。差別される人、らい病患者、娼婦など、弱い立場の人たちのためにその人生を捧げたひとです。

重源さん。こちらも、石部でもご紹介したばかりですけど、一言でいうと、東大寺を復興させたスーパーお坊さん。

江戸時代から幕末のすごい人たち
保科正之さんは、ぐっと時代は下がりますが、江戸時代初期の政治家。二代将軍秀忠の隠し子なんですが、大変な人格者で経営者としての才も抜群な人でした。ここまでくると思想家だと思います。保科正之の思想が、その後の会津人を作り上げていったわけですね。

公慶さん。この方は皆さんたぶんご存じないだろうなあ。実は私もつい最近まで存じ上げませんでした。江戸時代初期のお坊さんです。
実は、かの東大寺は、戦国時代にも焼かれてしまいました。徳川の世になってもしばらくそのままだったんですが、この公慶さんによって、無事復興されました。私たちがみられる現在の東大寺はこの公慶さんが作ったものなんです。
35歳に復興を発願。その時、願いが成就するまで、横になって寝ないと誓い、57歳で亡くなるまで一度も横になって寝なかったんだそうですよ。まさに信念の人です。

上杉鷹山さん。この方は、江戸中期ごろの米沢藩藩主です。もともと他家から養子に来た人なのですが、経営破たんしていた米沢藩を見事立て直した人。義理人情に厚い人格者です。

そして、何の説明もいらないですよね。西郷隆盛さん。
こんなに無欲な人っていないんじゃないかなあ。ほとんど宗教家と言ってもいい。いや宗教家以上に自欲なし。明治維新後、反政府士族たちに担ぎ上げられ、西南戦争で新政府軍と戦い、自害して果てます。この時も、闘っても負けるだろうとわかっていだでしょうし、そもそも大義がないことはわかってたでしょうけど、反発する青年士族たちの気持ちを受け止め、その気持ちに殉じた、という感じですね。

「大欲は無欲に似たり」
この人たちすべてに共通しているのは、自欲はないんですが「大欲」はあるということです。
自分にとって利益があるか、ということはかなりどうでもよくて、もっと大きな願望(大望)を持って行動しています。国の平和であったり、人々の幸せだったり。
私は、ビビりなうえせこい人間なので、なかなかそのような大きな視野を持って行動できていません。なので、こういう人がいる(た)んだ!と知ると、ものすごく感動してしまうんですよね。
もちろん今回ご紹介できなかったけど、すごい人というのは本当にたくさんいます。
そういうすごい人がいたんだ、と知りたいがために私は歴史を知りたいんですね。そんな「宝物」と出会えた時、本当に幸せな気持ちになります。

ぜひ、皆さんの「人としてすごいよね!」という人物、教えてくださいね!