『大日本魚類画集』の魚たち〔大野麥風展〕②魚への尊敬、そして「愛」

さて、ここで図録を参考に、大野麥風(おおのばくふう)さんについて少しふれておきましょう。

麥風さんは、1888年東京本郷生まれの江戸っ子。本名は要蔵さんと言います。最初、油彩画を学びますが、30歳頃から日本画を発表するようになり、このころから『麥風』という号を用いるようになりました。そして関東大震災をきっかけに、淡路島に引っ越します。この辺りから「魚の画家」麥風さんらしい、動きになっていきます。

「絵画に親しんでからは、山紫水明とはいえない平凡な田園、漁村、寒村を狙って描いていたが、魚類の色彩や姿態、性格に興味を持つようになって魚を多く描くようになり「魚の画家」と言われるようになったと記す。そうして魚族の二千種を片っ端から写生しようと志し、それがいつの間にか山積みにするほどとなったので、魚を芸術的にかつ鑑賞的、学術的に扱ったものを畢生の事業として残したいと考えた。それを日本伝統の優美な木版手摺りによる版画の粋に頼むことを決意し、和田三造や谷崎潤一郎、田中茂穂など各界の泰斗に援助を受けるようにした」(図録P13から引用)

「畢生の事業」として、「魚」を描く。
この決意がまさに核になって、この魚類画集は奇跡のように作り上げられていったのですね。

麥風さんは、近隣の水族館に足しげく通うだけでなく、潜水艇に乗って泳ぐ魚を写生したようです。そこで麥風さんが見たのは、魚の美しさ、「生きる真剣さ」でした。いいですね、「真剣さ」かあ。

そして、この画集が完成するのに何より忘れてはならないですが、彫師と摺師の存在でしょう。
なんと言っても、「原色木版二百度手摺」です。もう信じられないような多重摺版画ですもの。名人でなければ到底成し遂げられないでしょう。一点あたり、なんと版木は五十枚余りがつかわれたそうですよ。

彫師は大阪右衛門町在の名人・藤川象斎(ふじもとぞうさい)さん。摺師は、禰宜田万年(ねぎたまんねん)さんと光本丞甫(みつもとじょうほ)さん。
浮世絵の衰退で職を失っていた名人たちに、もう一度ふさわしいお仕事を用意できたことは、版元の社長である品川清臣さんも「胸が高鳴った」と言います。いい話ですね。

さて、そんな麥風さんたちの作品をもう少し見ていきましょう。例のごとく私が好きだと思ったものをご紹介しますと…
たこ

(大野麥風展図録119Pより引用)

タコです。
リアルな雰囲気のタコさんと、後方にリアルじゃないタコさんが同じ画面に収まっている、この妙!
たこめちゃくちゃかわいい!このタコ!
シューってなってますよ。
たまりません。これからタコ描くときにはこんな風に描こうっと。

それから、彼の描く魚を見てますと、なんか顔が優しい気がするんですよね。
よく見たら笑い顔っていうか、微笑んでるみたいな魚も結構多くて…
ナマズ

こちらのナマズさんも、なんか楽しそう。ウキウキしてるような感じがします。
太刀魚

こちらは太刀魚です。歯がとがっていて怖そうですが、なんかご機嫌さんな感じしませんか?

なんかもう、麥風さんの、魚に対する愛情があふれ出ちゃってるんですよね。魚の美しさに対する感動と…。

このほかの版画も素晴らしいものばかりでした。魚に対する愛、版画に対する愛。そんなものが結集したのがこの画集なんだなあと、強く感じました。

ぜひ、東京駅ステーションギャラリーに行って、生の版画をご覧ください。図録は現代のもので四色摺りですから、二〇〇色摺りは再現不可能です。本物は一味もふた味も違いますよ!!

大野麥風展(~9/27) 東京ステーションギャラリー

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html