6月23日は「慰霊の日」――沖縄に思いを馳せる日


沖縄県民、そして沖縄を愛する人はよくご存じだと思いますが、今日は「慰霊の日」です。

太平洋戦争でアメリカ軍が沖縄に上陸、「沖縄戦」を開始したのが1945年4月1日。
6月23日に、日本帝国陸軍第32軍司令部が自決したことをもって、組織戦の終結とし、「慰霊の日」として、アメリカ施政下にあった琉球政府が定めた記念日です。

1972年に本土復帰となり、一度法的根拠を失いましたが、1974年に沖縄県が条例で、改めて「慰霊の日」と定めたとのこと。沖縄県では、この日には、死者を弔い平和を願う式典が開催され、各局各新聞で特集・特番が組まれます。

しかし、私は沖縄に通うようになるまで、この記念日を知りませんでした。

それも偶々、この時期に沖縄を旅したことがあり、町中が祈りに包まれている様子を見て、それで知ったんです。そんな大切な日を私は知らなかったのか…と、心の底から自分にがっかりしたことをよく覚えています。

「終戦の日」は、8月15日。これは皆さんよくご存じかと思います。

しかし、あの悲惨過ぎる沖縄戦が終わったとされる日、「6月23日」のことは、沖縄以外にいますと、知らないままでいることも多いと思います。

でも、私は、知ることができました。
以来、この日は私にとって「沖縄を思う日」になっています。

何ができるというわけではありません。
しかし、「知る」ということ、「忘れない」ということ、「思う」ということが自分にできる唯一のことではないかと思います。

あの美しい島の大地には、今も、真っ白な悲しい骨がたくさん埋もれているのです。そのことを思いたいと思います。

どうか、どうか、魂の安からんことを。

【2016沖縄旅】②「ヤマト」と「ヤマトンチュ」


「ヤマト」から来た人
沖縄に行くと、
「どこから来た? ヤマトからね~?」
なんて話しかけられることがよくあります。

「ヤマト」とは、本州など、沖縄以外の日本のことをさします。そして、ヤマトの人のことを「ヤマトンチュ」、また「ナイチ(内地)」、「ナイチャー」というのもあります。
以前ですと、「ナイチャー」と言うと少々マイナスの意味合いがあったようですが、今はだいたいニュートラルな意味で使われるように思います。

私が初めて沖縄を旅した時、「ヤマトから来た?」と聞かれて、「ほへ?!」と一瞬考えて、「そ、そうです」と答えたことを印象深く覚えています。

なぜ一瞬考えたかとと言うと、私は自分がヤマト(大和)の人間であると思ったことが一度もなかったからです。あえて言うなら私は「ムサシ(武蔵)」の人間というか……。

敬愛する歴史家・網野善彦先生も、沖縄を訪ねたときに「ヤマトの人」と言われて、その都度「自分はヤマトの人という意識は持ち合わせていない、あえて言うなら甲州人です、と答えた」とも書かれてます。
私はそれを読んで「網野先生もそう思いますか?私もです!」と膝を叩いたものでした。

だって、ヤマトといったら「大和」ですよね。大和と言えば、今でいうと奈良県のあたりですもん。奈良は大好きな場所ですけど、それとこれとは別問題。
もし、ヤマト朝廷という意味で広義にとるにしても、関西発の政権であって、関東の人間にとっては外から来たもの。自分がヤマトの人間とは思ってないんじゃないかな、なんて思うわけです。

先日沖縄の友人にこの話をしましたら、え!そうなの?そう思うんだ!とびっくりしてましたが、そうかそういえばこういう話はしたことがなかったかも…
あ、でも、そう思うのは、私が歴史に興味があるから感じる感覚・こだわりなのかもしれない、一般的な感覚とはちょっと違うかも…。
もちろん、いやだとかってことじゃないよ~!…なんて話したのでした。

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〔写真・本文と関係ないですけど、大好きなナカグスクの写真、アゲイン)

いつから「ヤマト」?
さて、そういえばちゃんと考えたことがありませんでしたが、ウチナンチュが「ヤマト」と呼ぶようになったのはいつからなんでしょうか。

ちょこちょこっと調べてみましたが、やっぱり辞書などはすぐには発見できません。
そこで、困った時の沖縄学の父・伊波普猷先生の『古琉球』へ…

随分久しぶりに手に取りましたが、昔読んだときは意味わかってなかったんですね、改めて読むとすごく面白い!だいぶ理解できる気がします。私も大人になったなあ…

それはともかく、ぐいぐい読み進めていきますと……
あ、ありました!論考「琉球人の祖先に就いて」の中に、次のように書かれています。

「…それから7世紀の頃に南島人が初めて、大和の朝廷に来たことは国史の語るところであって、当時朝廷では訳語(おさ)を設けて相互の意志を通じたという事があるから、分離後六、七〇〇年にして大和言葉と沖縄言葉との間によほどの差異が生じていたと見える。しかし九州地方と南島との交通はそれ以前からあったのであろう。これから十二世紀に至るまで沖縄半島の住民が大和または筑紫に在来していたことはオモロを見てもわかる。何よりもよい証拠は今日に至るまで琉球人は内地のことを大和と言っていることである。後世大和は鹿児島を指すことになって、明治十二年頃の沖縄人は東京を鹿児島と区別するに大大和という語を用いた。……」(P64より引用)

伊波先生は、『おもろそうし』の研究で、日本上古で使われていた古い言葉がたくさん『おもろ』に発見できることなどと、ほかのいくつかの論拠をもって言語学的な立場から、大和民族と沖縄民族のルーツは同じものである、とする立場です。
なので、「分離後六、七〇〇年にして大和言葉と沖縄言葉との間によほどの差異が生じていたと見える」という表現があるんですが、それはさておき……

これを拝見しますと、少なくとも『おもろそうし』の中では、「ヤマト」と呼ばれていることが分かりました。

『おもろそうし』は、琉球古語による沖縄最古の古謡集で、「沖縄の万葉集」と呼ばれたりします。国王により三回にわたって収集され、第一次は1531年、第二次は1613年、第三次は1623年、全1554首・全22巻という大作です。

12世紀ごろからの古謡が収集されている『おもろそうし』ですので、この中にあるということは少なくとも12世紀ごろには「ヤマト」と呼ばれていると思っていいのかなと思います。

「ヤマトンチュ」と呼ばれていたかどうかはちょっとわかりませんが、少なくとも800年あまり、ウチナンチュは、本州人を「ヤマトの人」と呼んできたということですね。

伊波先生の著書を読みますと、日本の古い言葉が沖縄言葉の中にたくさん残されていることを知ることができますが、この「ヤマト」という言葉もそうかもしれません。

たとえば、7・8世紀ぐらいの武蔵国(現在の東京・埼玉付近)でも、「西の方にある大きな政権」のことを「ヤマト」と呼んでたんじゃないかな、なんて想像するのです。
しかし、その後「ヤマト」がトップだった時期は終わり、政権主体も場所も変化していくなかで、呼び方も変化していきましたが、沖縄の中ではその言葉は保存された……。

そう考えますと、「ヤマト」、「ヤマトンチュ」という言葉は、なんとも歴史と趣きのある、奥ゆかしい言葉だと感じます。

「ヤマト」=「大和」という意味ではない。沖縄で、「ヤマト」=「日本列島の住人」という意味で長く使われてきた沖縄言葉ということなんですね。

これまでは、「はい、ヤマトンチュです」と答える時に、

「でも本当は埼玉生まれなんです、ヤマトではないんだけどな~」

という、ちょっと照れくささというか戸惑いがあったのですが、そう考えたらもう戸惑わなくていいのかも、と思うようになりましたw。

(むとう)

【2016沖縄旅】①「琉球」と「沖縄」、二つの呼び方、どちらが古い?


告白。沖縄への思い
久しぶりに大好きな沖縄に行ってきました!
今回の旅は、15年余り通い続けた中でも、ちょっと特別な旅だったように思います。

大好きな沖縄を、あくまでも「プライベートな面での心のオアシス」として保存しておきたかった私は、仕事で沖縄の本をつくったことはほとんどありません。例外的に一冊だけ、沖縄味噌のレシピ本を作ったことがあるだけです。
「仕事」はシビアな世界ですから、大事な沖縄をそこに絡ませたくない、とそんな気持ちがあったんですね。

しかし、そもそものことを考えてみると、私が沖縄に通うきっかけになったのは、間違いなく本来私が追い求めてやまないもの、『歴史と文化』ど真ん中への興味からだったのです。

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〔写真:ナカグスク)

まず、最初に度肝を抜かれたのは、「中城(ナカグスク)」の美しい石積みでした。全く予備知識がないまま、訪れた中城にすっかりはまってしまい、書店に直行。沖縄には「グスク」という城郭と聖地を足して二で割ったような、本州にはない素晴らしい遺跡があることを知りました。
そして御嶽(うたき)、ユタに代表されるような、濃厚な宗教世界に圧倒されました。

そして音楽。私はもともとソウルミュージックやロックが大好きでしたので、沖縄の音楽シーンは堪らなく魅力的でしたし、また、民謡も大好きになり、結局登川流で民謡を習うまでになりました。
さらに、もちろんもっとも魅了されたのは、沖縄に住む人たちでした。
大らかで茶目っけたっぷり。うちなーぐち(琉球語)がまたたまらなくいいかんじ。
通ううちに、尊敬するミュージシャンのねえねえ方に知り合うことができ、それでかわいがってもらうようになったもんだから、もう居心地良いったらないわけです。

いや~、ほんとどっぷりですよ!

ところが、今回の旅で、一つ自分の中で明らかに変化したことがありました。

「大事だからこそ、仕事でも、沖縄のことを書いたりしてもいいのではないかしら」

ここのところです。
今の仕事も、好きでやっていることです。いつも余裕なしでキュウキュウ言ってますけど、しかし、やはり好きでやっている仕事です。そのど真ん中で、もっと好きな沖縄に関して発言してもいいのではないかしら、と急に思うようになったのでした。

「琉球」と「沖縄」という呼び方

そんなわけで、仕事とはいいがたいですが、本HPでもちょっとまじめにトピックスを書き出していきたいと思います。
まずは、「琉球」と「沖縄」という呼び方について。意外となんとなーくで使っていますが、この呼称、いったいどういう違いがあるんでしょうか。

なんとなく、「琉球」のほうが本来の呼び方であって、「沖縄」は、いわゆる明治政府による「琉球処分」により、「沖縄県」になって以降の名称、と言った印象が強い気がします。それはそれで、間違いではないのですが、「沖縄」という名前も古くて、とても大切な呼称である、ということは意外と認識されていないような気がします。

まず、「琉球」ですが文献に出てくるのはかなり古いのですね。

636年『隋書』の「東夷伝」に「流求」とあるのが、最初です。その後、14世紀後半に明国によって「琉球」と表記すると決められ、それに周辺諸国が倣った、ということのようですね。

一方、「沖縄(おきなわ)」が文献に登場するのは779年、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』に、「阿児奈波嶋」とあるのが最初のようです。

鑑真さんは、あの唐招提寺を創設した偉大なるお坊様で、皆さんよくご存じと思いますが、何と沖縄に漂着していたんですね!

『日本歴史地名大系』によりますと……

「同書によると天宝一二歳(七五三)一一月一六日に四船で蘇州の黄泗浦を出発し、同月二一日に第一船と第二船が同時に「阿児奈波嶋」に到着したとある」

とあります。

その読み方は、「アコナワ」「アジナワ」「アルナワ」と、諸説あるそうなのですが、歴史学者・東恩納寛惇さんは「島民の語音ウチナワを表記したものであろう」と『南島風土記』でのべておられるとのことで、つまり、もともとの住人は「ウチナワ」と言っていたということだと思われるのですね。

国際語としての名称が「琉球」

こういう現象は、現在でもたくさんありますよね。

たとえば、私たちは日本人で、自分の国のことを「二ホン」「ニッポン」と呼びますが、海外では自ら「ジャパン」と言いますね。それと同じ。

それと、数年前に、ミャンマーの友人に、軍事政権によって国名を変更されてしまったのは、いやじゃない?と聞いたことがあるんですけど、
「ちがうんだよ、ブーマと同じくミャンマーという国名も古い名前で、国内ではそう呼ばれてたから、政府が変更したわけじゃない。国際的な呼び方もミャンマーにするって宣言しただけだから、別に違和感ないんだよ」

へえ、そうなんだ!と驚いたことがありますが、あ、そういや日本だって二つの名前があるもんな~、いや、二つの名前どころか、中国語だとリーベンだし、タイ語だとイーブンか…いろいろありますね。

沖縄もそういうことと言えそうですね。

地元の人たちは、自分たちのことを「ウチナワ」と呼び、対外的には「琉球」と呼んだ。「琉球」という名前は外側から与えられた名前ですが、それはそれでいろんな国の人が分かってくれるなら便利でいいかな、という感じだったかもしれません。

そして、「沖縄」という漢字、これも当て字となるわけですが、これは、『国史大辞典』によると、

『「オキナワ」の宛字のうち、『おもろさうし』の「おにきや」は古い呼称とみられるが、ほかに悪鬼納・倭急拿・屋其惹などがある。「おきなは」と最初に表記したのは長門本『平家物語』で、初めて「沖縄」の文字を使用したのは新井白石の『南島志』である。』

とあります。こちらも、歴史がありますね。「おきなは」の表記は、13世紀初頭の平家物語にはもう出てくるんですものね。新井白石の『南国志』は1719年に書かれてますから、これも古いです。
(とはいえ、いっぽうでこの「沖縄」という呼称が日本サイドからの呼称として、広く一般的だったかと言えば、ちょっと疑問ですね。「琉球使節団」のように、「琉球」と呼ぶのが一般的だったように思われます…)

そう考えますと、琉球処分の後【沖縄県】としたのは、あながちおかしなことではない気がします。「ウチナワ」転じての「沖縄」であれば、です。
【琉球県】としなかったのはなぜか、琉球人のアイデンティティを奪うためか?!と鼻息を荒くする必要はなかったのかもしれません(私はちょっと鼻息荒くしてましたが;;)。
どちらも、うちなーの人々にとって、親しんできたであろう国名なのではないかと思うからです。

とはいえ。様々な呼び方の中で、やはり私は「うちなー」が最も好きです。

沖縄の友人や、師匠が語る言葉の中に出てくる「うちなー」という言葉が好きで、私もこの呼び方を好んでいましたが、この優しい音が沖縄の本質に近いような気がしていたからかもしれません。ちょっと後付けですけども^^;。

(むとう)

file.120 千日の「ぜんざい」


いちにちいちあんこ久しぶりの長期休暇をいただき、大好きな沖縄にいってきました!

数年前までは年に2、3回通っていたのですが、フリーになってからはあまり休みが取れず、今回はなんと2年半のブランク。なんと…

久しぶりの那覇は、すごく変化していました。

そう。「すごく」です。

再開発の波はとどまるところを知らず…

そんな気がして、なんとなくいつも以上に沖縄感覚にチューニングしづらいような…

私はいつも来沖したら一番初めに波の上宮にお詣りし、ご挨拶することにしているのですが、なんと言いましょうか、そこでもまだチューニングしきれない…

ということで。

千日へ、ゴー!

image千日は「ぜんざい」と言えば、まず最初に名前が上がるような、観光客にも有名な甘味と軽食のお店です。休日は行列ができたりするそうですよ。

「ぜんざい」と言うと、小豆のあったかいあんこの中にお餅が入っているものを想像するかもしれませんが、沖縄の「ぜんざい」はまたひと味もふた味も違います。

20160513-2こちらが、沖縄の「ぜんざい」です~!

かき氷じゃないですよ、ぜんざいですよ!

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下の方を見てください、
この下の部分が主役です

20160513-4最初は大変ですが、よいしょよいしょと掘り起こしますと、出てきました~!あんこ部分!
あんこ、というのもちょっと違かな。いや、しかしあんこと言いたい。

この明るい茶色ですが、そうなんです。小豆のあんこではありません!

20160513-5

金時豆のあんこなのですね~!
アズキと違って、金時豆のほうが軽やかな味わいかもしれません。少しねっとりとしたテクスチャ-と、上品な甘さがなんとも言えず美味しい。

千日では、この美味しいぜんざいを300円でいただけます。

変わりゆく沖縄の中でも、この味は変わらない…。
私は、この一杯をいただいて、ホッと一息つけました。ようやくいつものようにチューニング出来た気がしたのです。
素朴で必要なものだけがあるような店内、ふんわりと優しいおかみさんの笑顔と、丁寧に炊かれた金時豆のかおり、そして味。

この、素朴で優しい風景が「古き良き沖縄」となってしまうのも、残念ながらそう遠くないかもしれません。それほど、沖縄の変化は加速度的に進行していると感じました。

いつまでもこの優しい美味しい味が残ってほしいです。

千日
http://tabelog.com/okinawa/A4701/A470101/47001481/

 

沖縄の歴史を感じるのに最適!グスク巡りの前に必ず読むべし!『世界遺産 グスク紀行』/岡田輝雄著(琉球新報社)


私は、沖縄が大好きです。初めて行ったときから、なんともいえぬ親近感を覚え、休みが取れては沖縄へ通い、しまいには沖縄民謡を習ったりしておりました。

私が沖縄に惹かれてしまうのは、どうしようもなく肌に合う、ということもありますが、もう一つ、沖縄の文化がとても魅力的だからだと思います。

特に私が沖縄の歴史にはまるきっかけとなったのが「グスク」です。

グスク、というのは「城」の字があてられますが、城塞(城塞でないものも含むのでちょっと複雑)のことで、北は奄美地方から、南は八重山地方の琉球弧の島々に、200以上あると言われています。

沖縄の中世、グスク時代とも呼ばれる群雄割拠の時代がありましたが(12世紀~)、この時代に多く作られました。

今も、その美しい城壁が残されてまして、さらにいまも聖所として尊崇の対象となっていて、そういう意味では御嶽(ウタキ)と同質、みたいな感じですね。

そうそう、忘れもしません。
初めて行ったのは中城(なかぐすく)でした。

残念ながら写真がありませんが、そのあまりにも美しい城壁にびっくりしてしまい、すっかり興奮して、座喜味グスク、今帰仁グスクと続けて観に行ってしまいました。

ほんとうにもう、そりゃ美しいのですよ!

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こういう時に限って、いい写真を発見できなかったのですが、上の写真は数年後に訪れた、今帰仁グスクの城壁(一部)です。

グスクの魅力は、その石積みの美しさもさることながら、御嶽(うたき)が必ず場内にあるということかもしれません。もう、建物は残っていませんが、ここは「遺跡」ではない。過去のものではなく、いまも、魂がちゃんとあるような気配があるのです。

よく、有名な遺跡を観に行くと、その壮麗な石造建築にウットリしながらも、「ここにはなにもない。過去のものなんだなあ」と感じて、ちょっと物悲しい気持ちになるのですが、グスクにはそれがありません。現役バリバリです。

よく、仏像を動かしたり、修理するときに「御霊抜き」という儀式を行います。これは仏像に宿る仏さんに一度ほかに遷っていただく、という儀式です。修理が終わったり、元の場所に戻ってきたら「御霊入れ」をする、ということをします。
その時の「御霊」にあたるようなモノが、グスクにはいまも変わらず宿っているように感じるんですね。

それは、コワいような、でもあたたかいような不思議な感覚です。

以来、私は沖縄に行くたびに、グスクを巡るようになりました。世界遺産にも指定されましたから、年々整備が進んで、ずいぶん足下も歩きやすくなりましたが、まだまだ昔ながらのグスクも多くあります。

沖縄に入ったことあるけど、グスクっていったことないなあ、という方がおられましたら、ぜひ巡ってみてください!

歴史好きでなくても、なんとも言えない不思議でパワフルな空間で、とても魅力的です。

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そんな方や、もしくはグスクは行ったことあるけれど、詳しいことは知らない、という方に、心からお勧めしますのがこの一冊!

『世界遺産 グスク紀行』(岡田輝雄著)です!!

「紀行」なんて書かれてますと、ライトな感じがしますけれども、ものすごくちゃんとした内容の、学術的な本です。写真も豊富で、説明も丁寧。

グスクを通じて、沖縄の歴史の相当克明なことを知ることもできますよ!

私も、実は久しぶりに、沖縄に行きたいなあ、と思い、書棚を見ていてふとこの本を手に取って、改めて唸りました。すごい本です!

数年前、この本を読んで、もう一度有名どころのグスクを巡りましたが、何度も見てきたはずなのに、気づくことがたくさんありました。本当に深い見方ができたと思います。

ぜひお手に取ってみてくださいね~!

【朗報】清水寺奥ノ院の観音さまと新潟で、ご本尊と沖縄で会えちゃいますよ!!


仏像好きの皆さんはもうとっくにチェックされてましたか?
私、すっかり後ノリになっております。情けなや…

なんと、京都清水寺奥ノ院の秘仏・「三面千手観世音菩薩像」が新潟万代島美術館にて。
また、秘仏は展示されませんが、そのほかの貴重な仏像や曼荼羅図などが沖縄県立博物館・美術館にて公開されるというではありませんか!!!

なぜ、新潟と沖縄…。何かご縁がおありなんでしょうか?

沖縄は私にとっても第二の故郷のような場所ですので、こちらにもいきたい気持ちでいっぱいですが、なんと言いましても、奥の院の秘仏「三面千手観世音菩薩像」は、2000年も2009年も見逃してしまっているが故に、思わず指が震えるほどに衝撃を受けました。

いや、だって33年に一度のご開帳が本来ですから、ね。もう、生きてるうちに一度でも拝観できたらいいか…とほほ……。と落ち込んでいたところ、まさかのこの特別開帳ですもの。いやもう、なんかご褒美もらったような嬉しさですよ!

これはいかねばなりますまい!

新潟は10月14日まで。
沖縄は11月2日~12月8日!!

(詳しくは清水寺のHPにて ↓)
http://www.kiyomizudera.or.jp/news/2013/08/post-3.html
20130909

セマルハコガメに会いたい



突然ですが、亀も好き

爬虫類の中で断然好きなのは、「亀」です。
トカゲも好きですが、…いや、でもやっぱ断然「亀」ですね。うん。

突然な思い付きのようですが、ついこないだ、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター研究員の方々の発表で「亀の甲羅はあばら骨(肋骨)から背面に広がってできることがわかった」といったニュースを見て、そんなことをふと思ったわけなんですが。

亀と言っても本当にさまざまな種類がいますよね。
たとえば世界最大の亀は「オサガメ」です。甲羅の長さが何と約2m、900㎏ほどにもなるというんですから驚きます。すごすぎますよね!!!かっこいい!!!!

日本では、以前は名古屋湊水族館で飼育されていたらしいのですが、現在はいない様子。ネットでいろいろ検索してみても、亀マニアの皆さんが、ぜひ見てみたい、とおっしゃられているので、やはり自然環境下でないと見ることが難しいんですね。

さて、一方、日本では、どんな亀がいるのかというと、よく見られる外来種も含めて「6科11属13種(2亜種)」が確認されているようです。

オサガメも上陸はしてないですけど近海には来たりしてるみたいなので、それもオサガメ科としてカウント。
ウミガメ科のアオウミガメ、アカウミガメ、タイマイ、スッポン科の二ホンすっぽん、イシガメ科のクサガメ、二ホンイシガメ、ミナミイシガメ、セマルハコガメ(ヤエヤマセマルハコガメ)、などがいます。

セマルハコガメに会いたい
さて、そんなカメさんたちの中で天然記念物に指定されている「セマルハコガメ」が今回の主役です。「セマルハコガメ」は、日本だと、石垣島・西表島に生息している「箱亀」です。

なんというか、亀というと「頭と手足をひっこめる」っていう印象ですよね? この箱亀さんたちは、さらに一歩攻めてる(いや守ってるというか;)んですよ。
胸とおなかの間に蝶番(ちょうつがい)みたいなのがあって、ひっこめるだけじゃなく、腹甲でビッタンと閉めちゃうんです。蓋したみたいに。結果、箱みたいにきっちりした感じになるので「箱亀」とよばれてるんですね。

以前から、ぜひ現地で会いたいなあ、と思っていたんですが、残念ながら会えずじまい。石垣島、そこそこ回数行ってるのになあ。
石垣島によくいく友人や在住の友人が言うには、「その辺でよくみる」そうですけど、タイミング外してなかなか会えなかったのです。
セマルハコガメの焼き物

(余りに会えなくて悔しくなって、衝動買いしたセマルハコガメの置物。「内臓までちゃんと作ってるさ」と言われてついつい3000円で購入した。)

ところが(もう二年前になっちゃいますが;)、久しぶりに上陸した西表島で、ついに出会うことができました!!
セマルハコガメおおおお!!いた~!!!
本当に草むらに普通にいました!

見てください、この甲羅の美しいこと。写真の色でちょっとあれですけど、ほとんどオレンジのような輝きのある茶色と、深いこげ茶色のコントラスト。

あんまり、うれしくて私が興奮しすぎたせいでしょうか。
居心地が悪くなったみたいで、もっと深い草むらへと逃げて行ってしまいました。ううむ。草むらであんまり写真がうまく撮れなかった。何しろ突然のことで携帯しか持ってなかったし。ううむ無念。
セマルハコガメの焼き物おそらくこんな感じでした!たぶん!

実はそのあと、石垣島の宿に戻ってから、庭にいるのを発見しました。そして、散歩してても発見しました。わあ、「その辺にいる」って本当だ。いったい私はこれまで何を見ていたんだろう…。節穴…。

それはともかく、こんなに美しい亀がいる場所って最高ですね!
また石垣島に行きたいなあ。次回行ったらかなり発見できる自信ありますよ…。

 

 

 

【犬スペシャル】琉球犬に会いたい!③



かっこいい!トゥラー(虎)柄

さて、そこで皆さん。「トゥラー(虎)」ってどんな感じの柄なの?と思いますよね??
これがまあ、かっこいいんですけどね!
虎この子!この子は「黒トゥラー」かな??
それと…
赤虎この子とか!
この子の柄は多分赤トゥラー(虎)???

わかります皆さん。もっといい写真はないのか、と言いたい気持ちは…
しかし。……すみません。動きが早すぎて写真ぜんぜんうまく撮れませんでした。ブレてない写真がほとんどないんですよ…^^;。
でも、「虎柄」がどんなものかを皆さんに観ていただけたらいいか、ということでどうかお許しください。

さて、こんな感じで、保存会で現在認定されているのは、「赤虎」「黒虎」「白虎」の三色のトゥラーと、前回ご紹介している「赤」(*赤は茶色のこと)の「アカイン」、この四種類です。

また、アカインには、鼻先のあたりが黒っぽい「マスク」と、鼻先が赤く目が金色の「ゴールドアイ」があるそうです。新垣さんのお話では、この純粋な金目というのはは世界的に見ても非常に珍しい遺伝因子で、ほかにはオーストラリアの在来犬に出るくらいなんだそうです。
キンメ

この子の明るい目、これが「ゴールドアイ」なんだそうです。日陰で見ると薄い茶色に見えますが、角度で確かにゴールド?って感じできらめきます。

白、黒、ゴマ、アイボリーもいます
そして、まだ正式には認定していないとのことですが、これ以外にも白・黒(ものすごく珍しい)・ゴマ・アイボリーなど十種類の毛色があるんだそうです。

「ほらほら、こっちに白とアイボリーがいるよ。生まれて50日くらいかな~?」
新垣さんがおりを開けてくださいました。その瞬間…

どわ!!
白とアイボリーめちゃくちゃ元気です!白とアイボリーの小犬ちゃんたち登場!
興奮しすぎて一時も止まりません。私の手をなめたと思ったら、二人で上になったりしたになったり、ゴツゴツ壁にぶち当たってますけど、そんなことも気にせず大暴れです。

しゃ、写真撮れない…
大興奮新垣さんが、見るに見かねて、抱っこしてくれました^^;。
白うわああ、かわいいいい!!!
この子は「白」です。

そして…
アカインこの子は「赤」。これで大体一か月。丸々太っててかわいいですね。コロコロ~~。
アカこの子の目、今はうすい青色ですが、大人になると金色になるんだそうですよ。

いや~~。かわいいですね~~。。ほんっとに!!!

「譲ってくれって来たお客さんはさ、男の人だとトゥラーがいいって言って、女の人とか子供は赤とか白とか単色のがいいっていうんだよ。で、家族できたら奥さんの意見で決まっちゃうことが多くてさ~(笑)」

と、新垣さん。なるほど、なるほど。なんかわかります。

確かにトゥラーは野性味あふれてかっこいい感じで、単色の子たちはどっちかっていうと可愛い感じ。

いや、でも、私だったらもう何でもいいや~、どれも可愛いや~~。
とデレデレしていると、新垣さんが「ほしくなったらまた来たらいい、遊びに来たらいいさ~」とにっこり。

ううう。ありがとうございます。

新垣さんは、譲渡もしてらっしゃいます。もちろん頭数に限りはありますが、分けていただくことは可能です。ああああ、いいなあああ。

もっともっとみんなに知ってほしい
さて、こうして至福の時は過ぎ去り、お暇することになりました。
お話をたっぷり伺った上に、ワンちゃんたちともたっぷりたわむれさせていただき、さらには奥様の手料理でお昼までごちそういただいちゃうという…^^;
いや~、もうなんか申し訳ないほど楽しい時間でした。

私は、この貴重な時間を過ごさせていただき、本当に楽しかったので、沖縄在住の友人にも琉球犬の存在についてアツく語ったりしたのですが、意外なほど皆さん「琉球犬」の存在自体、知らなかったりしました。
なんだかそれはもったいないなあ、とつくづく思いました。

犬というのは、もっとも古くから人間とともに生活してきた『コンパニオンアニマル』です。特に琉球犬は、縄文時代のころからずっとともに歩んできたパートナー。そんな存在が今もちゃんと息づいているということは、とても素晴らしいことだと思うのです。

ぜひ、この身近で貴重な存在にもっと沖縄の皆さんも気づいていただけたらと、願ってやみません。もちろん、私のような県外の犬好きの皆さんにも、この感動をお伝えできたらと願っています。

最後になりますが、取材にご協力いただきました新垣さんに改めて御礼申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!また、会いに行きます!!

(終わり)

 

【犬スペシャル】琉球犬に会いたい②


琉球犬保存会の元会長、新垣さんのお宅へ
レンタカーを借りてむかったのは与那原町。那覇市内から車で30分弱くらいです。沖縄本島の南部に属する場所です。

「今日もあいにくの雨だねえ」
新垣さんは、そう言いながらにこにこと迎えてくださいました。
実は、本当に予定していた日は、嵐のような大雨だったので、日程を変更していただいたのでした。それでもやっぱり雨が降ってしまってましたが、梅雨入りした沖縄ですからしょうがないですね。これくらいで済んでよかった、という感じです。

早速おいしいコーヒーをごちそうになりながら、琉球犬についてお話を伺いました。

新垣さんは、獣医師で、長らく沖縄県職員として勤めておられました。「琉球犬保存会」を設立するきっかけになったのは、沖縄県動物管理センターで所長をされていたときのこと…

野犬として保護される犬の中に、昔から地元で「トゥラー」と呼ばれていた犬がまれに含まれていました。新垣さんはその犬たちのかわいそうな姿を見ていて、「このままではトゥラーがいなくなってしまう」と危機感を持たれたんだそうです。

沖縄では、古くから虎柄の在来犬のことを「トゥラー」(虎)、茶色の在来犬のことを「アカイン」(赤犬)と呼んで一緒に暮らしてきました。でも、その存在はあまりにあたりまえで、その犬たちが徐々に姿を減らしていることに、なかなか気づかなかったのでしょう。
ほかの地域の在来犬も、ほとんどがそのような流れで、結果消滅してしまいました。「いなくなってしまう」ということに気付けるかどうかが、大きな分かれ道と言えます。

そのことに気付いた新垣さんは、同様な危機感を持った有志のお友達と「保存会」を発足させました。そして、「トゥラー」「アカイン」を「琉球犬」(りゅうきゅういぬ)と名づけ、名称を統一。保存のための調査にも乗り出しました。
琉球犬・アカイン           (写真は新垣さん宅の「アカイン」。とっても陽気!)

「岐阜大学(当時)の田名部雄一先生と一緒に調査しました。田名部先生の遺伝学的調査結果によると、琉球犬はとても古い犬であることがわかったんです。日本国内ですと、最も近いのは北海道犬。縄文時代の古い犬に近いんですよ」

「北海道犬」といえば、あのソフトバンクの「お父さん犬」で皆さんよくご存じと思います。その名の通り、北海道の犬ですが、最も寒い地域の犬と、最も暑い地域の犬の種類が近い種というのは面白いですね。

「そうそう、でも、琉球犬は暑いのにも強いけど、寒さにも強いんですよ。福島県に譲渡した子犬がいますが、すぐに下毛がたくさん生えてきて、ちゃんと冬に対応できてる。雪を見てはピョンピョンはねて喜んで、元気にしてるって」

なるほど~。犬は、もともと寒い地域の動物ですから、寒さに適応できるのかもしれませんね。

少しずつ数が増えて、県外にも
保存会発足当初は17頭だったという琉球犬も、皆さんの努力でだいぶ数が増えてきたそうで、最近では、県外にも猟犬や家庭犬として譲渡されているそうです。
琉球犬は、もともと本島北部の山原地帯や、石垣島で「イノシシ狩り」の猟犬として活躍していた犬。猟犬としてもとても優秀で、特別な訓練をしなくてもすぐに狩りができるDNAを持っている(本能)そうで、県外でも猟犬として大活躍しているとのこと。

「家でも飼いやすいと思いますよ。ちょっと内弁慶な性格でね。ヌシがいないと内気だけど、ほんとは陽気で人懐こい性格。番犬としてもいいよ。なれない人が来たら吠えるけど、ヌシが来たらすぐ吠えやむ。つられ鳴きもしない」

おお、確かに!

というのも、私が車で前を通り過ぎて新垣さんに家の中に案内していただくまで、みんな吠えてたんですけど、すっかり鳴きやんでます。
普通、犬を飼ってる方はお分かりと思いますが、犬が10頭ほどもいたら、誰かしら鳴きやまず、また鳴きやまない犬につられてまた吠え出したり、…となかなか収まらないですよね。それがこのピタッと鳴きやむ感じ。新鮮です。
アカイン                 (ものすごくフレンドリー。匂いチェック中。)

「だから、都会でも飼いやすいはず。体臭もないし食事も小食でね。優しいし。…あ、でもちょっとあれなのは小動物にはさっととびかかるよ。ネズミとか猫とかカエルとかね。あとよく『穴掘り』するね」

狩りをする犬は、よく穴掘りをします。オオカミもそうですが、子どもを産んで育てるときには、穴を掘りますし、また地中にいる小動物を捕食する目的もあります。
琉球犬もやはり、狩りをする犬ですから、その本能をよく発揮するんでしょう。

(続く)

首里城公園の謎の鳥・バリケン(大繁殖中)


沖縄でもっとも有名な観光地の一つは多分、首里城でしょうか。
この美しい王城は、沖縄戦の悲劇により全焼し、現在の姿は1992年の再建です。再建とはいっても、構造はもちろんのこと、在りし日と同様に壁は漆で塗装されてたりして、相当ちゃんと築造していて、とても美しい建物だと思います。
#15世紀から19世紀まで続いた琉球王国については、後日レキベンでご紹介したいと思ってます…

首里城には北のほうにこれまた美しい池「龍潭(りゅうたん)池」と「円鑑池」があります。
これらは人口の池で、15世紀初頭に庭の一部として建造されたものだそうです。
私はこの池が大好きで、首里城に上らない時でもこの池だけは必ず訪れます。

そんなわけで今回もまずはこのエリアに足を運んだのです。すると…
バリケンあ!
またこいつらいた!
バリケンなんか風景に馴染んてきてるし!!

この鳥、なんて鳥、なんだかわかります??
この鳥は「バリケン」という鳥なんだそうですよ。もともと南米原産の〔野バリケン〕という野生のカモの一種を家畜化したもので、タイワンアヒル、フランス鴨と呼ばれるもの。
食用で導入されたんですが、食用として定着することなく野生化したみたい。

ちなみに、ネットで検索してみたらこんなサイト(「バリケン情報サイト バリコレ」)があったりして好きな人は結構いるのかな??こちらを拝見すると、沖縄だけでなく全国にいることがよくわかります。
バリケン

全体的には、アヒルに近いかな。でもアヒルよりも脚が短くて、顔が赤い。がらもいろいろありますね。(それにしても弁天堂の前に悠然とたたずみまったく動かないこの子…。どうなのよ^^;)
bariken-3あれあれ!?
子連れの子がいますよ!うっわああ!
bariken-5かわいい!!
bariken-4ひよこってなんでこんなにかわいいんでしょうね~~。この黄色いベースのふわふわボディ!たまりませんよねえ!

それにしても、ひよこ連れのバリケンちゃん、このファミリー以外にもわらわらいました。おそらく天敵は、猫くらいですくすく元気に育っちゃうんでしょうね。
それにしても増えたなあ。ちょっと増えすぎだなああ。

こういった外来種の問題は難しいですね。あくまでも持ってきたのは人間だし、彼らのせいじゃないんだけど、そもそもそこにあった生態系のバランスを崩してしまうことも考えられます。
bariken-6それにしても、まったく逃げないバリケンちゃんたち。悠然と構えたその姿は、かなりこのエリアにマッチしてきちゃってるなあ、と思いました。