【関西旅2015】③なぜご本尊が「十一面観音」、「水」が重要、そして若狭(小浜)から送られてくるのか。構成要素で妄想してみると…


なぜ『お水取り』が重要とされるのか

素人の私がいくら頭をひねっても、その真相などわかる訳もありませんが、しかし私なりに妄想してみたいと思います。

まず、

1.この行を始めたのが「実忠」さんである、ということ。

2.二月堂のご本尊が十一面観音であるということ。

3.実忠さんがこの行事を始めようと思ったきっかけのお話し【笠置山の穴(龍穴)に入ると、そこは兜率天。天人たちが十一面観音悔過を行っているのをみて、人間界でもこの行を行いたい、と切望し、……】にあるように、どこかほかで行われていた優れた行事を実忠さんがもたらした、ということ。

4.重要なのが「水」であるということ。そしてその水は若狭から送られる、ということ。

このあたりにあるキーワードを拾って、ちょっと妄想してみましょうか。


実忠さんはインド人? 国際色豊かだった古代日本

まず1.の「実忠」さんという人、なんですが。

私は何度も若狭小浜を訪ねてますので、ごくごく普通にこの実忠さんという人が、インド人であった、と思っておりました。小浜市のガイドブックや、神宮寺関係のパンフレットにはそのように書かれていますし、そもそも東大寺の開山である良弁(ろうべん)さんも小浜市出身だ、とされています。

しかし、国史大辞典や東大寺のサイトなど確認しますと、そのようなことは一切書かれていません。
国史大辞典によりますと、良弁僧正は近江国か相模国の人だ、と言い、実忠さんは出自がわからない、としています。

ほかの辞書でも、ほとんど同じ。おそらくこの説が通説なんでしょう。
ですので、小浜に残る「良弁さんの出身は小浜」「実忠さんはインド人」というのは、伝説、ということになります。

しかし、単に伝説と言って片付けてしまうのもちょっともったいないようなお話しです。

意外と知られていないかもしれませんが、この時代、外国の人がたくさん来日していました。有名なのは、東大寺の開眼供養を行った菩提僊那(ぼだいせんな)僧正でしょうか。彼はバラモン階級出身のインド人仏僧で、請われて来日し、大安寺に入り、日本仏教の興隆に尽くしてくれました。菩提僊那と一緒に、渡日してきた僧、仏哲はベトナム出身、道せんは唐の出身です。想像以上に国際色豊かだったのが当時の日本なんです。

そうした背景を考えますと、実忠さんが、インド人でも不自然ではありません。
また一説にはペルシャ人(イラン)だったともいわれるそうですが、それも不自然ではありません。当時ペルシャ人が来日し、聖武天皇に拝謁している記録も残っているからです(『続日本紀』)。

ちなみにペルシャ人は当時、「波斯(はし)人」と呼ばれていました。このこともちょっと記憶しておいてください。

十一面観音さんと言えば「水」という連想

そして次に「ご本尊が十一面観音である」、ということです。

仏像好きな人であればピンと来ると思います。頭の中にこんな連想が浮かぶ人は多いんじゃないでしょうか。

【十一面観音さんがご本尊→水→北陸・泰澄(たいちょう)・白山(はくさん)信仰】

よく知られた話ですが、十一面観音さんは「水」とたいへん深いかかわりがあります。もともとインドで天候や雨を支配した神がベースになっている、ということもあるのでしょうか、十一面観音さんがおられるところの近くには、たいてい重要な水源、川、湖などがあります。

また十一面さんといえば、泰澄の白山信仰でしょう。

白山は、富山にある霊峰ですが、この山を開いたのが泰澄さん。夢の中に現れた貴女(白山神)の呼びかけにより白山へ登拝しますが、頂上で、白山神の本地仏(ほんじぶつ)、十一面観音が出現します。

こうして、「白山信仰」は泰澄とその弟子によって全国に広く伝わっていくのですが、この泰澄さん、東大寺関係者とも強い関係があります。

まず、聖武天皇。
聖武天皇の前の天皇で聖武天皇の叔母にあたる元正天皇という女帝がいたのですが、この方の病を泰澄さんが祈祷で平癒させたため、女帝の篤い信頼と帰依を受けます。

そして行基。
東大寺創設の功労者である行基さんは、泰澄さんを訪ね、ともに白山に登り語り合います。哲学者・梅原猛さんは、この時、行基さんは泰澄さんより「本地垂迹」の考え方を学び、また仏を木に彫ることを学んだのではないか、と推察しておられます。

そして「お水送り」の舞台である小浜。
小浜には、大変有名な美しい十一面観音さんが居られます。羽賀寺というところのご本尊ですが、こちらは元正帝のお姿を映したもの、と言われています。そしてこのお寺は元正帝の勅願により、行基さんが創設した、と伝わっているのです。

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(こちらが羽賀寺の十一面観音さん。何となく日本人離れしてこってりした顔立ちの美人ですよね?)

羽賀寺のある場所は、お水を送る舞台になる神宮寺と鵜瀬からは結構離れてますが、この小浜という地域全体が何となく、聖武天皇ファミリーと近しい間柄にあるような感じをうけます。

つまり、ご本尊が十一面観音さんである、ということは、「水」と縁が深い、とまず連想されますし、その水が聖武帝ファミリーとも何かと縁のある小浜から送られてくる、ということは何となくあり得る話、という感じがしてくるわけです。 必然性と申しますか…

(続く)

【関西旅2015】②1264年一度も途切れず行われてきた行法『お水取り』、そして『お水送り』


十一面観音さんに懺悔する「十一面悔過(じゅういちめんけか)」

東大寺の「お水取り」をどうしてもみたくて、奈良を訪れたワタクシ。

「一度は観ないと安心して死ねないわっ」と長年思ってきたので、今回奇跡的に時間がとれたのは、まさに念願のチャンスでした。

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(おなじみ大仏殿。何度見ても巨大ですが、こちらは江戸時代の再建でして、創建当初はもっと大きかったそうですよ)

さてさて、ではどうしてそんなにも観てみたかったのか。

それは東大寺という日本仏教史上格別なお寺さんの歴史そのものであり、もっといえば日本における仏教史そのものともいえますし、また、日本ならではの仏教とプリミティブな信仰との集合形態のもっとも明らかなものであるから、といえますでしょうか。

お水取りが始まったとされるのは、752年。東大寺の大仏殿の開眼供養が行われたのが749年ですから、開創まもなくのタイミング。
この東大寺の開眼供養を行った開祖・良弁僧正(ろうべんそうじょう)の弟子、実忠和尚(じっちゅうかしょう)という人が、創始されました。一説にによると、この時実忠さんは20代。オフィシャルな行事として始まったのではなかったのではないか、と言います。

正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」というそうなんですが、この十一面とは「十一面観音」さんのこと。「悔過」とは、懺悔する、という意味です。東大寺の二月堂のご本尊は十一面観音さん。このご本尊に、練行衆という特別に選ばれたお坊さんたちが、日々さまざまな過ちを重ねている私たちに代わって懺悔してくださる、という行なのですね。

本行は14日間行われるのですが、そのタイムスケジュールで行われる行の内容をみても、 シンクレティズム(神仏習合)であることがとてもよくわかります。

『お水取り』と『お水送り』

そもそも、正式名称は「十一面悔過」なのに、なぜ『お水取り』と呼ばれるのか。
『水取り』と呼ばれる行は、14日間のうち12日目に行われるもので、全体を示すものではないのです。しかしこの行が「最も大切な行」である、とされているのが、奇妙で面白い。

これまた不思議なお話があるんですね。『二月堂縁起』という本によると…。

実忠さんがこの行を始めたときに、日本中の神々に呼びかけ招きました。しかし、若狭国の遠敷(おにう)明神という神さまが、川で魚を取っていて、遅刻してしまいます。
遠敷明神はこれを歎いて謝罪し、実忠さんにこう約束します。「道場のほとりに香水を出して奉るべきよし」。すると、黒と白の二羽の鵜(う)が、岩の中より飛出でて、その跡からお水がわき出でた…。

ううむ。不思議ですよね。なぜこのエピソード、このお水をとることが重要な行なのか。

ちなみに、水をとる、行事があるということは、お水を送る、という行事もあるんですね。これを『お水送り』と言い、今も、福井県小浜市で粛々と行われています。3月2日の午後6時。神宮寺の境内の井戸から水が汲まれて、近くの遠敷川にお水を流します。

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(こちらが若狭神宮寺。私は若狭小浜が大好きなので、こちらの神宮寺さんには何度もお参りしてます)

ここで流されたお水が10日かかって、東大寺の境内の若狭井と呼ばれる井戸から湧き出す、とされており、これをうけとる行事が『水取り』というわけです。

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(こちらが神宮寺境内にある「閼伽井戸(あかいど)」。ここから水をくんで、2キロほど離れた遠敷川の「鵜瀬」というところからお水を流し〔送り〕ます)

この一連の行事が、最も重要な行の一つだ、とされてるのは、本当に不思議です。

そもそも仏教的なお話しではない。しかも、遅刻した神さまが送る水が、ものすごく大切なのはいったいどうしてなのか……。

「すべてのことには理由がある」

尊敬するN先生の口癖ですが、まさにこれもそうだと思います。一見穏やかな昔話のようなこのお話ですが、何か重要なファクターを示してくれている、とそのように思われますね。

(続く)

【関西旅2015】①東大寺のお水取りに行ってきました!!


先週土曜日から3泊4日で、奈良と大阪に旅してきました。

今回のお目当ては2つ。

奈良で念願のお水取り@東大寺をWさんとご一緒して拝観することと、大阪でH山先生の親友でいつもたいへんおせわになっているAさんにお目にかかること。結果的に天候にはかなりやられましたが、とても実り多き旅になりました。

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は別名「お水取り」と呼ばれ、とても有名ですね。
この行事は、選ばれた僧侶11名が(練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれます)、すべての人々に代わって1年の罪を十一面観音菩薩に悔い(悔過)、国家の安泰、五穀豊穣などを祈る法会(ほうえ)をいい、今年で1264回目を数えます。
なんと「1264年」もの間、一度も途絶えることなく続けられてきた行法なんです。まさに奇跡です!世界でもほかにこのような例はないと思います。「不退(ふたい)の行法」と呼ばれるのはごもっとも…

さて、まず、私が奈良を訪れた3月7日。お水取りは、本行が14日間行われるのですが、この日はそのちょうど真ん中、7日目にあたります。

7日のお昼頃奈良市に到着し、さっそく春日大社にお勤めのWさんと合流。
めちゃくちゃ美味しいおうどんをいただき、その後車で柳生の古社をご案内いただきました。

20150314-4(ランチはおいなりさんサービス。知らずにきつねうどんにしちゃったので、おあげ祭りになってしまいましたw)

さすがWさん、一人では決していけないような古くてパワフルなお社を見せていただきましたので、この詳細はまたあらためてご報告したいと思いますが、まずはお水取りに話は戻しまして…

7日目は、後半7日間ご本尊となる小観音(こがんのん)さん出御(しゅつぎょ)の日で、ぜひともその様子を拝見したいと意気込んでました。ところが、もう、ものすごい大雨(涙)。

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おたいまつは19時から始まるというので、17時20分ごろ早めに出向きましたが、もう時を逸してしまったようで、お堂の中に入れません。たまたま一緒になった隣の方の話では16時半くらいに来ていないとお堂の中には入れないんだそうですよ。

……ううう。この段階で小観音さんのお神輿は見られないこと決定。

雨は弱まるどころがますます激しさを増しますが、このまま宿に帰るのはあまりにも口惜しい。歩いてきただけでも、もう足下はびしょ濡れ。もうここまで濡れたら一緒だわ!とばかりにこのまま2時間余りここで踏ん張ることに……。

こんな雨ではたいまつの火が消えてしまうんじゃないか?そんなことさえ考えてしまうほどでしたが、お松明はそんなヤワなものではありませんでした。

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おおおおおお!!!

すごい迫力です!

向かって左側にある廻廊からお松明が登っていき、二月堂のテラスをなめるように走り抜けます。

以前、大分の国東(くにさき)半島の寺々で行われる修正鬼会(しゅじょうおにえ)を観に行った時も、その松明の大きさと、歴史ある本堂の内部で松明を振り回すありさまに、思わず言葉を失いましたが、今回もまったくその時と同じ心境です。

木製のお堂に火が燃え移らないか、ハラハラし通しですが、しかし粛々と巨大なお松明は10本も通り抜けます。あとで調べましたら、一本の重さは約40キロ、長さは約6メートルもあるそうです。これを一人で担いで走り抜けるんですから、それがまたすごい。

IMG_0206お松明を持って走り抜ける人(童子)もかなり個性があります。テラスの角で大きくお松明を突き上げるのですが、大きく振る人と、静かに振る人がいます。大きく振る人だと、観衆からは思わず感歎の声が上がります。この火の粉を浴びるととても縁起がいいそうなんですね。残念ながら私のいるところは遠すぎて、火の粉は飛んできませんでしたが、まあ、観るだけでもきっとご利益はあると信じましょう!

お松明、始まってみましたら約30分。あっという間でした。

行自体はこの後も午前2時までお堂の中で続きますが、雨でびしょ濡れ、気温も下がってきて寒くて寒くてここで限界。Wさんと合流し、Wさんの車に乗せていただいて、いつもお世話になっております、居酒屋「鬼無里」さんに避難しました。

いやあ、それにしてもすごかった。
しかし、体はびしょびしょで、足は寒くて感覚がありませんが、なんとなく気持ちが高揚して結構大丈夫な気分!これぞ非日常!

でも、鬼無里さんに入った途端、もう足が気持ち悪くて仕方なくなるわたし(我に返ったとも言いますね)。
おトイレでストッキングを脱ぎ靴下を脱ぎ、タオルを貸していただいて足を拭き…。久しぶりにお会いした大将に甘え放題甘えさせていただいちゃいました。

そして、Wさんと、Wさんのお友達Kさんと美味しいお食事をたくさんいただき、たくさん楽しいお話しをして、びしょ濡れながらも心は晴れやかに初日は終わりました。

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(とくにこのブリ大根が冷えた体と心に沁みました~~!大将、ありがとうございます!)

(続く)

 

イシブカツvol.9 東京真ん中編⑤山縣さんちの石もの〔後篇〕(椿山荘)


イシブカツ


世紀の大発見

さて、椿山荘といえば、大変有名な石灯籠があります。江戸時代から高名だった「般若寺燈籠」です!
般若寺燈籠

かっこいい!!!
素晴らしい調和感と、存在感。やっぱし本物は違うって感じですよ!

さて、この石灯籠、椿山荘のサイトを見ると「般若寺型石灯籠」とあります。「型」というのは、原型となる名物燈籠(これを「本歌」と言います)があり、それを写したもの、という意味ですね。
般若寺の灯籠というものも、実際に奈良の般若寺には般若寺燈籠(上の写真です)と呼ばれるものがあったので、椿山荘の灯籠は、写しという位置づけだったのですが(というよりも忘れ去られていた、と言ってもいいのかな)、石造美術界の巨人、川勝政太郎博士がこちらのほうこそ本歌ではないか、と「再発見」したのでした。

名物・般若寺石灯籠
川勝博士が、椿山荘でこの石灯籠を「発見」した時、この石灯籠は、なんと庭の隅のほう、プールわきに狭いところに無関心なまま置かれていたそうです。

なぜこの石灯籠が、椿山荘にあったのか、来歴はよくわからないそうですが、これだけ素晴らしい石灯籠を、庭好きの山縣公がわからないわけがないと思います。これが般若寺の本歌だということは知らなくても、この石灯籠の素晴らしさを知って、大枚はたいて購入したんじゃないでしょうか。でもその後ほかの人の手に渡るうち、よくわからないまま、放置されていた、ということかな、と想像します。

現在では、庭園全体の修復・再調整も終わり、丘の上の、三重塔の左わきのなかなかいい場所へ移されています。よかったよかった!
#数年前前ではもう一段低い、狭い場所に置かれていてちょっと悲しかったんですよね^^;

「寺社」の灯籠と「庭」の灯籠
ところで、この「灯籠」というものなんですが、灯りをともす器具ですよね。そこまでは間違いないんですが、石灯籠というもの、その本来の目的を知っておくと、視点が変わってくるのでちょっと補足しておきます。私もこのことを師匠N先生に教えていただいて、目から鱗が落ちる思いがしました。

もともと、この灯籠は、「仏さまへの捧げもの」として設置されていました。ですからこの灯りは、仏さまの正面に捧げられるというスタイルが、本来正しいのです。
東大寺大仏殿たとえば、こちら。大仏殿の写真ですが、その正面に有名な国宝・金銅八角燈籠がどーんとありますね。これ、これ、このスタイルです。こちらは石製の灯籠ではありませんが、意味は全く同じ。この灯籠の灯りは、大仏さんに捧げられているわけですね。
秋篠寺こちらは秋篠寺の本堂です。こちらも正面に石灯籠が一基おかれています。

奈良に行きますと、このような「正面一基」のスタイルのお寺さんがほとんどです。もちろん関東や、ほかの土地でも古い歴史を持っている、もしくは灯籠の意味をよくご存じ、というお寺ではこのようなスタイルをとっておられますね。

いっぽう、よくみられる「両脇に分かれて」おかれているスタイルは、割と後代になってからのスタイルだそうです。こちらはどちらかというと、参拝している人々の手元や足元を照らす、という意味合いになり、こちらは人を主役にした配置、と言えましょうか。

「加飾」大盛り、見切りの「美」
…と、灯籠についてちょっと語りすぎてしまいました^^;。今回は、「イシブカツ」ですから、実際に拝見したものについてご報告していきましょう。

般若寺石灯籠の魅力は、「バランスの妙」だと思うのです。

いろいろ好みはおありと思いますが、私の場合、石もので「わあかっこいい」と思うものは、デザインがシンプルで品と存在感があり、広がり・奥行きを感じさせるもの…なのですが、この石灯籠を見ていると、「シンプル=品がよい」というのも安易な考えだわ、ということに気づかされます。
般若寺燈籠ちょっと寄ってみてみますと、実はこの石灯籠、ものすごいデコラティブ。

笠にしても火袋(灯りを入れるところ)、その下の中台にしても、とってもデコラティブですよ。笠の蕨手もくるりんと見事にまいてますし、火袋の四面には、牡丹、獅子、鳳凰、孔雀が浮彫されています。

普通、これだけ要素を入れこもうとすると、なんだか「やりすぎじゃない?」みたいな気持ちになってしまうんですけど、この灯籠を見るとそういう風に思いません。
つまり、『調和が取れてる』ってことなんですね。何か一つ突出して見えている、というのはつまりバランス悪い、ともいえるわけで。

しかし、この灯籠はざっくり全体を見るだけで、ああすっきりとして美しい灯籠だなあ、とまず思います。で、じっくり見てその飾りの多さに驚く…という感じ。なんだか作り手の「してやったり」笑顔が浮かぶような気がしますね。

本歌ならではの躍動感と力強さ
ちょっと火袋の浮彫を見てみましょう。獅子後ろ足を跳ね上げてすごい勢いの獅子(右)。
孔雀と鳳凰孔雀(たぶん;左)と鳳凰(右)。
この神獣たちも、いい感じですよね。すごく生き生きしてますし、結構リアルな表現です。

「むとうさん、ここ、ここに注目!」
孔雀の脚石造センパイは、孔雀の脚の部分を指さしました。

「この孔雀の脚、画面を飛び出して下の格狭間(こうざま)のところまで伸びてるでしょ。川勝さんは、『枠を飛び出してしまうこの勢いこそ、本歌のしるし。写しだとこうはできない』といったんだって。確かにオリジナルじゃないとこうはいかないよね」

なるほど!

確かに、ふつうは、はみ出しちゃうなんてありえないです。でも、あえてそこを逸脱することで、枠に収まりきらない躍動感が出てきている。生きている鳥のようです。
模造品を作ろうと思う側は、なかなかこういう逸脱したことってできないのかもしれない。

「般若寺にある写しだと、枠の中に収まってるんだよ」

なるほどな~~。深いなあ。
川勝先生は、モノを作る人の心もちやスケール感をよく理解されてたんですね。そういう美意識を持ちながら歴史的にこういったものを見ていく、というそういう学者さんだったわけですね。

それにしても、この石灯籠は素晴らしい。堂々としていて、でも繊細、…でも力強くて品がある。カンペキですね。

ふほおおお。

ため息をつく石造センパイと私。

こういういいものを見せていただくというのは本当に幸せです。まさに眼福。
すっかりと幸福感に満たされて、今回のイシブカツも無事終了したのでした。

(終わり)