過酷な運命の最中にも、その清冽な魂は凛として輝く!――信玄の末娘・松姫の一生を描き切った傑作歴史小説、登場!『疾風に折れぬ花あり』/中村彰彦著


文芸雑誌『文蔵』さんの連載をお手伝いさせていただいてから、約三年。
思い返すも楽しい日々でした。毎月毎月、一番初めにお原稿を読めてしまうんですもの!これぞ、まさに編集の役得ですね!幸せとはこのことです!!

そして、いよいよ。
この時がやってきた~!!と、躍り出したいような気持で一杯です。

中村彰彦先生の『疾風に折れぬ花あり』

とうとう発売されました!

装丁がまた素敵ですよね!?
華やかで女性らしさがにおい立つようなデザインです!
そして同時に、中村先生のお作らしい重厚さもしっかりと兼ね備えていますから、中村先生の往年のファンの男性も、きっとためらわず手をのばしてくださることでしょう!
こちらはあの菊地信義さんのデザインですよ!さすがとしか言いようがないです。

そして、装画は日本画家として活躍されている宝居智子さんです。ステキな日本画ですね。
特にこの手の表現!ご覧ください!
八重桜の花びらが舞い落ちるのを夢見るように見上げてます。そして自然と指先が追いかけている。そしてその指先は、まるで花弁のようにピンクに染まっているのです。
いや~、眼福眼福。

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実は、この「桜」。本書にもとても大切な場面で登場します。

ちょっとネタバレになっちゃうかもしれませんが、本書の主人公、松姫さんは武田家が滅んでしまうことで、とてつもなく過酷な人生を歩むことになります。

その過酷な人生を、ともに歩んでくれたとも言える小袖があるのですが、その銘が「桜花(おうか)」というのです。桜色のとても美しい小袖です。
「桜花」は、大好きなお兄さんの奥さんが形見としてくれたもの。この「桜花」、これぞという時に松姫さんを導いてくれるような、そんな存在に思われるのですね。

名門のお姫さまだった世間知らずの松姫さんが、三歳の女児3人を育てながら、出家し、戦国の世を生き抜いていく。
何度も何度も絶体絶命といった場面がたち現れます。しかし、松姫は、涙ぐみながらも決して逃げません。一見たおやかで、素直で優しげなのですが、こころが強くなければ生き抜くことは、到底無理だったでしょう。

***

どんな人生でも、生きていくということは山あり谷あり。
楽な人生なんてないんだな、……と40過ぎて、ようやく実感を持って分かってきました。
突然ウソのような幸運が舞い込むこともある。想像を絶する不幸が襲い来ることもある。

そうしたことが起こった時、それをどう乗り越えていくのか、切り開いていくのか、それによってその人の魂のありようが見えてくるように思うのです。

とてつもなく過酷な状況の中でも、魂の輝きを失わず、まるで暗闇の灯火のように、蓮の花のように静かに生き抜く人が確かにいた――。

中村先生は、いつもそんな素晴らしい魂を、歴史の中から掬い出して、私たちに見せてくださるような気がします。

本書の主人公、松姫然り、そして保科正之公もそうです。
あれだけ魅力的な人物がいたことを、私は先生の小説で知ることができました。

そうそう、保科正之公も、本書で登場しますよ!健気でかわいらしい少年の幸松君として、ですけどね。ぜひ、お手に取ってみてくださいまし!

そして最後になりますが、中村彰彦先生、そしてN編集長さま、Y副編集長さま。
ご一緒させた時間は何もにも代えがたい、私の宝物です。
至らぬことも多々あったと思いますが、本当に素晴らしい時をありがとうございました!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第十一回「お身代わり」掲載!!


先日、大学時代の友人たちと久しぶりに会ったときのこと。

途中までは、のほほんと「いや~、みんな若いよ、変わらないね~」なんて、ちょっと余裕のある大人発言を機嫌よく繰り返しておりましたが、後半、なぜだかみんなで卒業アルバムを見始めて以降、すっかり酔いがさめました。

すっかり忘れておりましたが、私が通っていていた大学は、皆さん育ちがよく経済状況もよく、「綺羅の空間」だったんです。

そんな中で、私は「醜いアヒルの子」。きれいな人たちの中で、呆然とたたずんでいた、というかんじだったんですよね。

しかし、あまりにかけ離れると、嫉妬など浮かぶ間もなく感心してしまい、心から「すごいなあ」「育ちがいいってのはこういうことなのか」と思っていたのでした。

卒業アルバムを見ていると、そんな風だったことが一気に思い出され、自分の太ってパンパンな写真を正視できず、酔いがさめると同時に、周りの女の子たちの美人比率の高さに、改めておののいたのでした。

こんな中で過ごさなくちゃいけなかったなんて、わたしって不憫。っていうかエライ。よく頑張った!と、かつての自分に言ってあげたい気持ちになりました。

それはともかく。

当時、観察していて面白かったのは、美人であるということは必ずしもいいことだけじゃないんだな、ということでした。
誰が見ても美人という子は、ちょっと敬遠されたり、あるいは今風に言うと「トロフィーワイフ」じゃないですけど、肉食系な男のひとたちにとっての勲章みたいな、「戦利品」のようになっていたりして…。だから、自分が選ぶ前に男性チームのほうで候補者を決めていて、なんとなく押されてその人と付き合ったり。まあ、「アヒルの子」チームの人間からしたら羨ましい話なんですけど、結果的にけっこう大変な目に遭ったり、幸せになっているわけでもないのを見ていて、「美人ってのも大変だわねえ」と、これまた感心していたのでした。

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さて、前置き長くてすみません。なぜこんなことを思い出したかというと、毎月お手伝いさせていただいております連載「疾風に折れぬ花あり」の主人公、武田松姫さんは「白鳥チーム」のお嬢様だなあ、と思ったからなのです。

松姫さんのお母さんは血筋もよく甲州一の美女と呼ばれたようなひとでしたので、また本人も大変な美人だっただろうと思われます。そして、お父さんの信玄は、名族・甲州武田家の嫡流ですから、本当にもう非の打ち所のないスーパーお嬢様。

これまで通りでいれば、蝶よ花よと大切にされ苦労など知らずにそのまま生を追えたかもしれませんが、そこはなんといっても戦国の世。飛び切りのカリスマだった父・信玄公が亡くなってしまってから、武田家は一気に斜陽の道を歩み、ついに織田信長に滅ばされてしまうのです。

松姫は、兄たちから「生き延びて武田家の血を残してくれ」と、幼い姫たちを託されて、武蔵国へ命からがら逃げ延びます。そして、その武蔵国の八王子で、死んでいった武田家の人々を弔いたいと、髪を下ろすのですが…。

静かに暮らしたいと願う松姫の思いとは裏腹に、美女であり、身のこなしから間違いなく生まれもいいということで、周囲にその存在が知られてしまうのです。

まさに、衣通姫(そとおりひめ)。隠しようのないその存在感…。

今月号では、武田家ゆかりの女性を自分の側室に迎えたいと、女狩を始めた徳川家康配下に、ついに居場所をつかまれてしまいます。

ただ、救いなのは、ここにいる美女は「武田家ゆかりの人だろう」という推察だけであって、信玄の末娘・松姫さんそのひとだとはばれていないのです。

徳川家康の配下が、八王子の庵を訪ね、「武田家ゆかりの女性がここに入るだろう」と言ってきたとき、松姫さん改め、信松尼の家臣の皆さんは、どうにか守り通そうと考えますが、それはなかなか難しい。確かにここには「品があって美しい女性」が暮らしているということは、近辺でも有名なはなしだったわけですからね。

苦肉の策として、松姫さんの存在は伏せたまま、侍女として一緒に暮らしていた二人の女性の名前を上げます。「血筋」のものではないですけど、武田家に長年仕えてきた人たち、つまり「武田家関係の人」ということで、その名を挙げたのでした。

そしてそのうちの一人、お竹さんと、家康配下の人が面会します。すると、これまた大変な美女です。武田家嫡流の女性ではないけど、この美女ならいいんじゃないの?…と思ったからか、その後正式に「奥向きに迎えたい」と言ってきました。

信松尼さんは躊躇します。つまりこれは自分の「身代わり」。お竹さんを差し出すようなまねは…ということですね。

しかし、そこは戦国時代の武家の女性です。お竹さんは自分から「お身代わりになります」と言うのです……。

歴史上のことを仮定してもしょうがありませんが、もし、このお竹さんだって十人並の普通の女性だったら、たぶんこんなことにはならなかったような気がしますし、そもそも、松姫さんが野に隠れてしまうような地味な外見だったら、周囲のひとたちにもこんなに大々的にばれずに、家康にもばれずに済んだんじゃないか、と思うわけです。

いやはや……。
美人って大変ですよねえ!?

私がご紹介を書くと、なんとも品がなくなってしまいますが、本当は中村先生ならではの気品あふれるお話です。ぜひ本誌面をご覧ください!!

(むとう)

家康って半端ない苦労人なのねえ、と気づいたあなた。そんな家康の家臣の皆さんはもっと苦労人、かもですよ!?あるじシリーズ最終巻『あるじは家康』、刊行!/岩井三四二著


第一弾は『あるじは信長』、第二弾は『あるじは秀吉』と……続いてきました岩井先生の「あるじシリーズ」。

第三弾は、もう言わずもがなですよね。

そうです、『あるじは家康』、です!
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家康と言えば、「ザ・苦労人」ですよね。

三歳、物心つくかつかないかで実のお母さんは政治的理由で離縁されて離れ離れになっちゃうし。
6歳で宗主である今川家に人質に出されるかと思ったら、途中で誘拐されて敵対していた織田家の人質になっちゃうし。
8歳の時にはお父さんが家臣に殺されちゃうし、いや、もっとさかのぼればお祖父さんも家臣に殺されちゃってるし。

ふわああ、なんですかこのすさまじいまでの、不幸の連続。

子ども時代からこんな過酷な出来事を乗り越え、生き抜いたからこそ、天下人になったのかな~、家康、本当にすごい、とみなさんも思われると思います。

が。

そこでみなさんに気づいてほしい。

この過酷な条件で生き抜いたのは家康さんだけじゃないということを。
こんな天中殺ばっかり押し寄せてきてるような、相当に不運な主君に仕えた「家臣のみなさん」がいたということを!!!

『あるじシリーズ』は、「家臣」が主役の短編連作集です。『あるじは家康』にも、嵐のような災難の中をどうにか生き抜いて、最終的に天下をとった偉人・家康に仕えた皆さんの悲喜こもごもが描かれています。

前二作に比べて、大久保忠隣、石川和正、茶屋四郎次郎、ウィリアム・アダムスといったいわゆる有名人が多いですけど、そこはさすがの岩井先生。ならではのユーモアと新しい解釈とでぐいぐいと引き込んでくださいます!
家康マニアの方にも、家康を全く知らないという方にも、ぜひ手に取ってみていただきたい、愉しい連作小説集だとおもいます。
20140710-2そして、ぜひぜひおすすめしたいのが、この三冊・一気読みでございますよ~!

並べてみましたがいかがでしょう?
O編集長、渾身のコピーがさらに効いてきますね~!

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

 

 

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第10回「髪を下ろす日 その二」掲載!


月日が経つのは恐ろしいように早いですね。もう上半期終わっちゃいましたよ~!!!

早くも下半期。7月に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、毎月文芸雑誌『文蔵』で掲載されております、「疾風に折れぬ花あり」第10回目のご紹介です。大きな声では言えませんが、先月バタバタしていて、9回目をご紹介する前にもう10回目掲載号7月号が出てしまったのです^^;;。とほほ。
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さて、「疾風に折れぬ花あり」は、戦国時代のお話。

武田信玄の末娘・松姫の苦難に満ちた生涯を、あの中村彰彦先生が小説に描く…という、お手伝いしている立場の私が言うのもなんですけども、面白いに決まってる、というお話なのです。

実際、武田家滅亡から、甲州脱出を経て、現在お話は武蔵国八王子に身をかくす…というところまで来ておりますけれども、中村先生ならではの史料の読み込みから生まれた新解釈が随所にみられ、歴史好きにはたまらない内容になっています。

さて、前号で、武田家の死んでいった人たちを弔うため、まだ20代前半の美女である松姫さんは、出家。彼女を導いたのは心源院の卜山和尚(ぼくざんおしょう)というひとですが、和尚の温かい心配りで、無事髪を下ろし、「信松尼(しんしょうに)」という法名を授かります。

よかったよかった。これでようやく静かに暮らせるのかな?、と思いきや…

そうや問屋がおろしません。やっぱり、世の中はほっとかないわけですよ。

織田信長が本能寺の変で、明智光秀に謀殺された後、甲斐国は徳川家康の支配下に置かれるようになりました。

徳川家康というと、「鳴くまで待とう時鳥」のたとえなんかで、どちらかというと耐え忍ぶ、というか「真面目」な印象が強い人だと思います。

でも、それはお仕事の面の話であって、女性面になるとかなりの好きものだったといえるわけですね。

先生は、それを「裾貧乏(すそびんぼう)」という言葉で表現されています。

なるほど、そんな表現があるんですね。浅学ゆえに存じ上げませんでしたが、奥ゆかしくも、的を得た言葉!日本語って素晴らしいなあ。

さてさて。

「裾貧乏」、つまりは相当の女好きだった家康さんは、甲州に入ってから「女狩り」をはじめます。とりあえず、武田家旧臣の未亡人を側室にし、それだけでは飽き足らず、武田家の血筋の女性はいないか家臣に捜させるのです。

はい。そうです。気づいちゃうんですね、松姫さんの存在に!!

当時の考え方としては、松姫さんが家康さんの側室になる、というのはそんなに悪い話ではありません。武田家の嫡流を徳川家の中に残す、ということもできますし。

しかし、松姫さんは前号で出家してますからね。彼女は仏門に入って生きていくことを決めています。ですから、ここで家康さんに発見されることは、まったく彼女の望まない生き方を選択させられてしまうことになるわけです。

さあ、この難所を松姫さん改め信松尼と、その家臣の皆さんはどう切り抜けるんでしょうか!

……ぜひ、本誌面をチェックしてみてくださいね~!

(むとう)

「えらい人たち」、ことを成し遂げた年齢と寿命にビビる


 

そんなに早く亡くなってたの??!
偉人の年齢や寿命を改めてみていくと、かなりびっくりします。
例えば、織田信長は49歳のとき、本能寺の変で亡くなりました。当時の49歳はそんなに若くないかもしれませんけど、かたや徳川家康は75歳まで生きていますから、やっぱりちょっと若いような気がします。
49歳といえば、上杉謙信も49歳で亡くなりました。ライバルだった武田信玄は53歳。
戦国時代の武将の没年を見ると、50前後から60前後が多いので、当時の平均的な寿命からしてもそのくらいだったのかもしれませんが、自分の来し方に当てはめて考えると、昔の人ってめちゃくちゃ濃厚な一年だったような気がします。歴史に残るような偉人と自分を比べちゃいけないけど、やっぱりすごいなあ、というのが自分がその年齢になってみると実感を伴って分かるような気がしますね。

織田信長の人生で見てみると、
桶狭間の戦いのときなんと26歳!上洛したとき34歳!右大臣になったのが43歳!!!
かたやわたくし26歳の時、編集になって3年目で仕事でいっぱいでよく愚痴ってました。34歳の時、二社目の出版社で仕事でいっぱいいっぱいになって一人寂しく深夜残業してました…。わあ、小さ!!!

実際、同じ人間として彼の人生を見てみると、ほんとに半端ないですよね。ずーっと戦ってます。気の緩む隙など一部もありません。
そしてそんなに忙しいのに、ちゃんと子供も作ってます。正妻以外に10人もの女性を側室に迎えてます。なんてマメなんでしょう!

天下人で、女性にマメといえば、天智天皇(後宮の女性が多かったので勝手にそう連想してしまった)。大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、そういえばどんなかんじでしょう。
まず、蘇我家を滅亡させた乙巳の変の時、なんと19歳!
そのあとの大化の改新の時、20歳!
新羅と戦って大敗した白村江の戦い後、都を近江に移して即位したとき37歳。
そして亡くなったのは46歳だそうです。

え、えええ~~!
37歳って、とっくに通り過ぎた年齢ですやん!

…個人的に衝撃走りました。

世界の偉人も調べてみる
こうなってくると、世界のほうもちょっと気になります。

世界の偉人といえば、そうです!イエス=キリストさん!
磔になった時は34歳か37歳だったみたい。若い!!
しかも、それで類推すると、実際に宣教した期間は多くても3年ほどだったんですって。信じられません。そんなに短期間での教えが、2000年もの間人々に信仰されてきたんですから、まさに奇跡です。

この方向での偉人といえば、イスラム教の開祖ムハンマドは享年62。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは80歳で亡くなっています。

ちなみに、ムハンマドが啓示をうけたの40歳頃。シッダールタが出家したのが29歳で、悟りを開いたのが35歳の時です。
わあ~~~!ほとんどすべて過ぎ去ってる~~~!

いや、こんなすごい人たちと比べたった意味ないことは重々わかってますよ。でもやっぱり比べちゃうわけですよ。

逆に長生きだった偉人たち
若くしてことをなしたことにビビってるばかりでは、あれですので、逆にめちゃくちゃな長生きで、大器晩成な偉人かいないかな、ということでちょっと見てみましょう。

まず一番最初に挙がるのは、北条早雲ですね。
北条早雲が、一般的に歴史の中に表れてきたとされている駿河の国下向が、44歳の時。
戦国時代の下剋上の先鞭、嚆矢と言われる伊豆討ち入りが、61歳。
相模の国を平定したのがなんと86歳。そして88歳で亡くなりました。
(とはいえ、最近では疑問を呈している研究者もいるとのことですが^^;)

それから、鎌倉時代の高僧、重源上人も長生き。
重源さんは、東大寺大仏殿再建の責任者になった時、すでに61歳。そしてやり遂げて85歳で亡くなってます。これもすごい話ですよね。

あと、何気にめちゃくちゃ長生きしてるのが、真田信之。有名な真田幸村のお兄さんですね。なんとなくなったの93歳ですって!
信之は大器晩成というよりも、若いころからできる人だったと思いますが、派手な父親と弟に少々隠れがちですよね。それにしても93歳とは驚きました。

それから、信之と比べてしまうとあれですけど、徳川家康も75歳と長命でした。
彼の場合を見ていると、あの過酷な環境と試練の連続の中、それでも生き延びて、生き抜いて、最後につかみ取った天下だったという感じがしますよね。対して秀吉は61歳で亡くなっていますが、もしあと10年秀吉が長生きしていたら、家康に天下はまわってこなかったでしょう。
長命も才能のうち。これも中国風に言えば天命なんでしょうね。

それにしましても。
この記事を書いていて、凡人なワタクシは、ため息のつきっぱなしでありました。どっちにしてもまじめにコツコツ生きていこーっと。というのが私のささやかな決意なのでした。

歴史上の人物勝手にベスト10!「かっこいい戦国武将ベスト10」


現在、戦国武将ブームらしいです
さて、今回は、「かっこいい戦国武将」を勝手にあげてみたいと思います。

前回予告では「武将」としましたが、そうするとあまりにもたくさんいるので、「戦国武将」と区切ることにしました。

戦国時代は、ファンもとても多いので、皆さんそれぞれの思い入れがおありと思います。
特に最近では、戦国武将ゲームの人気もあり「戦国ブーム」なんですって。

世の中の戦国武将の人気どうなってるかなあ、と思って調べたら、ぴあで戦国武将特集をやってました。イベントなんかもたくさんあるんですね。知らなかった!

このページのランキングで見ますとこんな感じ。
1位 真田幸村
2位 伊達正宗
3位 前田慶次
4位 織田信長
5位 上杉謙信
6位 直江兼続
7位 石田三成
8位 片倉小十郎景綱
9位 長曾我部元親
10位 明智光秀

こうしてみますと、やっぱりゲームの影響が大きいですよね。
それからゲームもそうですけど、小説や漫画などに取り上げられている人物はより上位に来ているように思います。真田幸村、前田慶次あたりはまさにそうですよね。私も大好きな人物ですが、その実像は実はよく知らなくて、隆慶一郎さんの小説で知っている、って感じですもの。いや、でも、歴史上の人物って、やっぱり誰かに紹介されないとなかなか知る機会がないですものね。創作世界で出会う、というのが当然といえば当然ですね。

そして勝手に「かっこいい戦国武将ベストテン」!
さあ、それでは私も、小説などから得た勝手な思い込み90パーセントの個人的ベストテンをご紹介したいと思います。基準は『私がかっこいいと思うかどうか!』。順不同です。

伊達政宗
本多忠勝
島左近
前田利家
大谷吉継
支倉常長
竹中半兵衛
直江兼続
上杉謙信
徳川家康

悩みましたけども、こんな10人ですね~~~。
伊達政宗は、幼いころから死ぬまでの間、意地を通した、って感じがして好きなんです。戦上手だし、文化的センスも素晴らしい。でもよく言われますけど、生まれてくるのが20年遅かったってやつですね。

本多忠勝は、その勇猛果敢な武将っぷりがたまらなく好きですね。まさに「猛将」。ひょっとしたら私の中ではこの人がナンバーワンといってもいいかも、ってくらい好き。本当に強い武将です。

島左近も、いいですよね~。この人は智将であったとも思いますが、やはり義に生きた猛将というのがふさわしいかな。最後に関が原で討ち死にしたんですけど(諸説あり)、その時のまるで鬼神のような獅子奮迅の恐ろしさに、闘った黒田長政軍の兵士たちは後年まで悪夢を見た、と言われてます。

前田利家も、若いころは猛将です。後年のふるまいから穏やかなイメージが先に来ますけど、若いころは傾き者で有名で、直情型の武闘派だったようですね。さらに当時としては大変な長身で(180㎝)、信長の愛人でもあったそうですよ(加賀藩の資料に信長本人が披露していることが記されてるそうでので本当のことらしい)。

大谷吉継は、「智将」ですね。秀吉の下で数々の功績をあげますが、大変な病(らい病といわれます)のため、一時職を辞しますが秀吉はそれを惜しんで離さなかったといいます。人柄もとても優れていたと伝わっていますが、彼が「義にあつい」とされたのは石田光成との関係。敗けると分かっていたけど、三成のために西軍に味方し、最終的に自害して果てました。

支倉常長は、慶長遣欧使節団の正使だった人。「かっこいい武将ベストテンなのに?」と思う方も多いと思いますが、この人はもともと武将として功績があった人。で、おそらくその意志の強さとか、ハッタリ効く感じとかそういうことから、伊達政宗に抜擢されたんはないかと思うんです。だって、この役割半端なくきついですもの!

竹中半兵衛は、もう何も言わなくていいですよね。智将といえばこの人、って感じですよね。

直江兼続も、はいはいはい、とうなずいてくれる人は多いことでしょう。私の場合、小説なんかでの兼続さん像で惚れ込んだタイプ。義に厚く、頭のいい、教養のある智将ってかんじですね。

上杉謙信。実は武田信玄と迷いました。信玄さんはうちの先祖ゆかりの人でちょっと特別な思い入れがあるのです。でも、上杉謙信のほうが、その矛盾の抱え方とかが逆に人間らしくて好きかなあ、という感じでこちらに一票w。武将としてはもちろん一級の人ですよね。

最後に、徳川家康。ほんと、迷いました。でもこの人はやっぱり武将としてもすごいです。同時代の人からも「海道一の弓取り」と呼ばれたのは伊達じゃない。また、結構知られてないかもですが、一人の武人としてもとても優れていました。剣術・弓術・馬術・砲術などあらゆる武術で一級の腕前だったそうです。何はともあれ、信じられないほどの数の合戦を生き残って天下を取ったというのはやっぱりすごいですよね。

こうして自分が挙げたかっこいい武将を見てみますと、共通してるのは「義に厚い」という部分ですね。
自分のため、という人よりも、何かのため誰かのために覚悟決めて成し遂げた、って感じの人が好きなんですね~。

皆さんのベストテンはいかがですか??
ぜひ教えてくださいね!

そして次もまたベストテン、続く…^^

 

歴史上の人物、勝手にベスト10「時代を作った&変えた!ベスト10」


前回、いくつかの一般的なランキングをご紹介しましたが、今回はムトウの勝手にランキング編でございます!

いや~、しかし自分で言っておいてなんですけど、これって、難しーですよ!
1500年くらいの間で、ランキングなんてムリムリ!
特に順位をつけるってのが、難しい。

なので、「好きな」で順位はつけられないので、ある程度カテゴライズして、なおかつ「最強の10人」としてベスト10でお送りしていきたいと思います。

まずは、「時代を作った&変えた人物ベスト10」でまいりましょう!
#順位はつけられませんでした~^^;

時代を作った&変えた!ベスト10
雄略(ゆうりゃく)天皇
天智(てんじ)天皇
藤原不比等(ふじわらのふひと)
平清盛(たいらのきよもり)
源頼朝(みなもとのよりとも)
織田信長(おだのぶなが)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
徳川家康(とくがわいえやす)
明治(めいじ)天皇
昭和(しょうわ)天皇

こんなかんじかな~~~。好き嫌いとかではなく、「時代を変えた」ターニングポイントを作った人たちって感じで考えてみました。
ちょっと補足でご説明しますと。

雄略天皇は、400年代後半ごろ活躍した古代の天皇(第21代)です。一般的な日本史では、あまり触らずにスルーしてしまう存在かもしれませんが、5世紀以降のヤマト政権の拡大を決定づけさせた人物で、伝説めいた逸話を読んだりしてると、この人たぶんすごかったな、と思わずにはいられない人です。

天智天皇(第38代)は言わずもがな、乙巳の変で蘇我入鹿を斬殺、当時、最大の権力を誇った蘇我家を滅亡させ、天皇による統治をおこなおうと数々の改革を行いました(大化の改新)。

藤原不比等は、大化の改新を天智帝とともに行った中臣(藤原)鎌足の息子。一説には天智帝の息子とも言いますが、大化の改新後の改革をバシバシ推し進め、律令国家としての日本を作り上げていきました。そして、その後1300年にわたって、天皇家の姻戚として繁栄した「藤原氏」の礎を築いた人でもあります。

平清盛、源頼朝は皆さんよくご存じと思いますが、この二人がいたことで、武士の時代に変革していったなあ、と思うので(清盛が調え、頼朝が切り替えたってかんじ)。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も言うまでもありませんね。下剋上の戦乱の世、その後270年もの間泰平を保った江戸時代はこの3人が作り上げたといっても過言ではないでしょう。

そして、明治天皇と昭和天皇。
このお二人は、自分自身が動いたわけじゃないじゃん、と指摘される方もいるかと思いますけど、やっぱりすごい人たちだと思います。日本が欧米の帝国主義政策下に屈せずに済んだのは、この方たちを核とした動きあってこそでしたし、昭和天皇はおそらく日本史上最も過酷な選択・立場を迫られた天皇だったのではないかと…。
一歩引いて、歴史の流れから昭和天皇をみてみたとき、この方のボリューム感はただごとじゃないな、と思うんですよね。

ここに挙げた人物を見ますと、すべての人たちはが、「いい人」とは言いがたいかもしれません。人物像としては、時に残酷ですし、多くの人たちを殺しもしています。

ですが、この人物がいたことで、時代は動き、新しい世の中が到来した…、という感じなのですね。そういう意味で、好き嫌い・善悪を超えて…なベスト10でした。

さて、次回はもうちょっとパーソナルなベスト10。
「尊敬せずにはいられないベスト10」 「かっこいい武将ベスト10」をご紹介していきたいと思います。
(つづく)