【2017宗像・対馬・壱岐旅】①「海の国・日本」の大切なルーツをたどりたい


「日本文化」のおおもとを感じたい

40年余りの人生を振り返ってみますと、どうも私は、自分自身が生まれ育ったこの「日本」という国のおおもとを感じたい、という欲求に突き動かされ、動き回っているような気がします。

きっかけはひょっとしたら、子どもの頃に、縄文土器を見つけたことかもしれません。私が生まれた家は、縄文時代の住居跡の上にあり、発掘調査は済んでましたが、それでもちょっと掘れば土器の破片が出てくる場所でした。

その縄文土器はおそらく後期ぐらいのものだったんでしょうね。かなりデコラティブな文様のものもあって、そりゃもうかっこよかった。
と同時に、弥生時代と思われる薄い土器や、もっと下った時代と思われる土師器も一緒に出てきました。実際には重層的に積み重なっていたんでしょうけど、子どもが穴を掘るので、結局混ざって出てきているような感じになるわけですね。

私が暮らすこの土地には、信じられないほど長い時間、誰かが暮らしていた――。

そう考えると、何とも言えない豊かな気持ちになるんです。
私もいつか、その大きな流れの流れに帰っていくんだ、そんなふうに思うと、私は孤独ではない、そう感じられてホッとしたものでした。

そんな経験があったからでしょうか。

そうした気持ちを感じられる場所が、私の大好きな場所になりました。そんな場所はつまり、「太古から繋がる何かとアクセスしやすい場所」ということになるのです。

それは不思議と縄文時代の遺跡や、古墳、お寺や神社がある場所と重なります。
どんな時代でも、「ここは…?!」と、人間が感じる場所はそうそう変わらないということでしょう。なんとなく気持ちがいい、畏れ多い、感謝したい、そんな気がふと起こってしまう場所というのは、いつの時代でも共通なのではないでしょうか。

(写真:飛行機から見た富士山。富士山もまさにそんな場所ですね!)


古代日本を動かしていた海人族、安曇(あずみ)氏と宗像(むなかた)氏

さて、私たちが暮らす「日本」の最大の特徴は、「島国」だということでしょう。
島国ということは、四方を海に囲まれていますから、海を自由に行き来できる技術を持った人たち「海人族」が力を持つようになる、ということは自然な流れです。

そんな海人族の中でも、特に有名なのは、安曇(あずみ)氏、そして宗像(むなかた)氏です。
「安曇」と聞くと、信州の安曇野を思い浮かべる人も多いかと思いますが、それ、正解です。安曇野は山間部にありますが、安曇氏は日本中に散らばって今も地名や神社などにその姿を残しています。

そして「宗像」氏。――「むなかた」。
最近耳にしたことがあるという人は多いのではないかと思います。
つい数週間前に、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産に登録されることが決定しましたね。

この「沖ノ島」は、祭祀が行われていたその姿をそのまま今に伝えている大変貴重な場所ですが、そもそも「宗像大社」の「沖津宮」です。

(写真:宗像大社・辺津宮正面。一般的には宗像大社といったらここを想像するかもしれませんが、宗像大社そのうちのひとつ、ということなんですね)
私は、かねてよりこの「安曇氏」と「宗像氏」などの海の民の本拠地であるこの地域に興味津々でした。奇しくも、というか必然なのかもしれませんが、この海人族は両方とも北九州で発生した氏族なのです。
安曇氏の発祥地は「筑前国糟屋郡阿曇郷(福岡県粕屋郡新宮町)」とされていて、宗像大社から20キロしか離れていない場所にあります。ほんとに近いですよね。
この至近距離から、これだけの勢力を持つに至った氏族が二つ出ているというのは、偶然ではないのでしょう。それだけ、この海域が重要な場所だったということを想像させます。

安曇氏も、宗像氏も今の日本の礎となるような、重要な存在です。
…ううう。
これは、やっぱり実際にその場に行ってみたい。その場に立ってみたいですね。

(続く)

祝!第六回歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞!!!7世紀東アジア世界の大動乱を描き切る歴史小説『白村江』/荒山徹著


タイミングを逃してしまい、ご報告できていなかったのですが、編集のお手伝いをさせていただきまして、今年の1月に刊行されました荒山徹先生の歴史小説『白村江』が、このたび第六回歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞されました!

そんなおめでたい機会ですので、こちらでもご報告させていただけたらと思います。

最近でも、朝鮮半島、中国、そして日本の間には、かなりの緊張状態が続いていますが、7世紀の東アジアでも、同じような、いえ、それ以上の緊張状態が続いていました。

本書、『白村江』のタイトルにもあるように、「白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦(たたかい)」としてその緊張はひとつの頂点をなし、そこを分岐点として、怒涛の如く歴史が動いていくわけなんですが、本書は、その有様を、日本、新羅、百済、高句麗、それぞれの視点も入れこんで描き切った、まさに渾身の大作だと思います。

百済の王子・豊璋(ほうしょう)の生きざまを縦軸として、
倭国の葛城(かつらぎの)皇子(中大兄)、蘇我入鹿、中臣鎌子(足)、
新羅の王族・金春秋(きんしゅんじゅう)、
高句麗の宰相・泉蓋蘇文(せんがいそぶん)

が入り乱れて繰り広げられる思惑の応酬に次ぐ応酬。息をつく間もないような、正に怒涛の展開。
そして、それぞれの人物がこれまたとても魅力的なんです!
古代の人物ですから、時間的距離はあるはずですが、今の私たちからしても人間として共感してしまうような魅力的な人物造形です。
そして、随所に光る荒山先生ならではの歴史解釈は正に「荒山史観」とも言える斬新な読み解き方で、本当に面白い!「あああ、なるほど!そうだったのかもしれない…」と膝を叩いてしまいます。

どうしても登場人物の名前が長めの漢字だったり、場所の名前も少々読みづらかったりするかもしれません。出来るだけ読みやすいようにルビを多目に振ったり、巻頭には地図、巻末には各王家の系図も付させていただきました。
そんなものも活用していただきながら、この世界にダイブしてみていただけたらと思います。
もっとも、そんなことをすっ飛ばしても、とにかく読み始めてしまえば、その魅力的な世界観で一気に読み進んでしまうとおもいます~!
ぜひともお手に取ってみてくださいまし!

(むとう)

若き日の半藤先生、日本の黎明期の心を詠う「万葉集」を読み解く!『万葉集と日本の夜明け』/半藤一利著


半藤先生のご本をお手伝いさせていただいて、今回でなんと四冊目。

これまでは、太平洋戦争や昭和史といった半藤先生ならではのテーマが多かったのですが、今回はちょっとこれまでのご本とは雰囲気が違います。

なんと、今回は「万葉集」です!
ど真ん中、正統文学のかほり!

昭和史の大家としてあまりにも高名で、歴史家として硬派な印象の強い半藤先生ですが、実は学生時代は東京大学文学部国文学科所属。卒業論文は、なんと『堤中納言日記』という生粋の文学青年だったことはあまり知られていないかもしれません。

知られていない、…というよりも、先生もこれまであまり声を大にして言ってこなかった事実、というべきでしょうか。大学を卒業して、編集者として活躍しながらも、短歌を愛し、歌人として活動もされていた、ということも多くの読者はご存じないのではないかと思います。

本書は、そんな若き歌人としての半藤先生が、愛する『万葉集』を前に、ワクワクしながらづつった文章を中心にまとめたものです。万葉集がもつ日本の黎明期・青春期そのものの力強さと、先生ご自身の若々しい躍動感があいまって、素晴らしい一冊となりました。

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ご存じのように、万葉集は日本最古の歌集です。特に日本史上、この歌集が際立っているのは、上流階級の歌だけでなく、庶民の歌も広く収録しているところででしょう。

先生も、やはりそのような歌の数々――東歌、防人の歌に特に愛情を向けられ、読み解いてくださいます。とはいえ、半藤先生ブシは、健在。
東歌や防人歌を通して、古代の日本、そして当時の東アジア情勢を見事に読み解いてくださいます。そこは、やはり「歴史探偵」の面目躍如です。

「『万葉集』は「日本人の心のふるさと」という。しかし『万葉集』は遠い風景をうっとり眺めるようにみるのはむしろ間違い。時代を越えてわたくしたちといまも一緒に生きられる、いや、現に生きているトナリの人々、それが万葉びとなのである。」(本文より引用)

歴史上の人だから、昔の人だからといって崇め奉るのではなく、同じように生を生きた人間として、万葉びとの言葉を味わう。その言葉から、心情を慮り、その時をどう生きようとしていたかを推理する。古代史を庶民の言葉を突破口に、読み解いていく手法は、歴史探偵ならでは。万葉集をお好きな方だけではなく、古代史好きな皆さんにも、ぜひともお勧めしたい内容になっています。

そして、後半部ではご自身が中国を旅した際の旅行記を採録しています。万葉の時代、中国は唐の時代です(正確に言いますと、則天武后の代なので、武周)。先生は、万葉の歌人として有名な山上憶良に仮託しつつ、唐の時代に思いをはせます。

唐の時代、万葉の時代。
ダイナミックで、国際色豊かな時代の風が、ふうっと香り立ちます。

この時代は、何とも言えず、良いですな~。
この頃の仏像も建造物も、精緻でありながら何とも言えず大らかですね。
時代の空気というのは、その時代すべてのものに自ずと現れると思いますが、万葉集や唐の詩人たちの詩にも共通する豊かな息遣いがありますね。
先生の旅行記を拝見すると、そんな息遣いを感じることができます。

半藤先生のファンの皆さんはもちろんですが、古代史好き、万葉集・短歌好きのみなさんにも、ぜひ、お手に取っていただけたらと思います!

(むとう)

わからないって面白い!~シンポジウム「埼玉古墳群の謎」1/25~



古代の東日本ってどんなかんじ?

土曜日は、シンポジウム「埼玉古墳群の謎~東国を治めた古代豪族~」をみにいってきました。
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関東在住の古代史ファンにとって埼玉古墳群はビッグネームですよね!古代史ロマンの玉手箱、もしくはタイムカプセルって感じ?

あまり興味のない方にも、あえてざっくりご説明するならば。

「5世紀から7世紀の東国ってどんなかんだったのかが、古墳を見ているといろいろわかってくる」。

なので面白いのです。

高校くらいまでに習った日本史なんかですと畿内(大和王権)のことを習うので精いっぱいですし、それ以外の勢力についてはあまり書いてないですよね。畿内以外は後進地みたいな描かれ方です。

しかし、最近ではそういう中央ばかりではない想像図が様々描かれるようになっています。

ちなみに、5~7世紀といえば、倭の五王の時代から飛鳥時代まで。

人物でいうと、5世紀初頭から半ばからだと、【仁徳天皇】、【雄略天皇】、【継体天皇】(欽明天皇のお父さん)とか。その100年後くらいの530年くらいだと【欽明天皇】(仏教伝来で有名ですね)とか。この欽明天皇は、【聖徳太子】のお祖父さん。

聖徳太子が活躍したのは590年くらいから、つまり6世紀末から7世紀初頭にかけて。

7世紀といえば、やっぱり大化の改新で有名な【中大兄皇子】(天智天皇)でしょうか。そして、壬申の乱を経て、【大海人皇子】(天武天皇)へ。

……っていう時代ですよ。

憧れの大塚初重先生!!
そんな時代、関東界隈がどうなってたか。そんなことが古墳を通じてちょっとずつわかってくるわけですね。

さてさて、そんなことに興味がある人にとっては、「埼玉古墳群」というのは、特別な古墳群です。全国でも類をみない「銘文」を有する鉄剣が発見された稲荷山古墳があるところですし。この鉄剣は、国宝になってますね。

この鉄剣、またその鉄剣があった古墳群の意味合い、そして新しくわかってきたことなどをシロウト向けに発表してくれるのが、このシンポジウムの趣旨です。

古代史ファンにとってはまさに垂涎のイベントですよね!!

さらにさらに。

基調講演は、大塚初重(おおつかはつしげ)先生!!

登呂遺跡や綿貫観音山遺跡、そして私の大好きな装飾古墳・虎塚古墳の発掘でもめちゃくちゃ有名。考古学界の超大物です。御年88歳っ!!

大塚先生のお話を聞けるだけでも、このシンポジウムに行く意味があります。

いよいよ、先生登場。

うわ~ラブリーな人キターー!!
20140125-2その時の私のメモ。興奮してたからでしょうか、「たぶん150~150」と書いてますが「150~155」と書きたかったんですけどね。

すっごく小柄なんです。

小さくてかわいらしいんですけど、肩が厚い!考古学者の先生方は方がしっかりしてる方が多いような気がしますが、気のせいでしょうか。

さて、こうして先生の講演開始。

基調講演ですので、本シンポジウムの目的を示しつつ、概略を説明してくださるかんじ。お話上手だという噂どおり、サービス精神満点。
鉄剣はどうしてすごいのか、ということもものすごくわかりやすく説明してくださいました。

「鉄剣がすごい理由」
■年号表記があること
■人物名があること
■115文字という長い文章が刻まれている点(東アジア全域で見ても異常と言っていいほど長い)

ちなみに、この銘文。どんなことが書かれていたかというと、すっごいざっくりいうと「プロフィール」とか「経歴」みたいなものです。

この鉄剣に銘文を刻んだ本人の名前・「ヲワケ」、
そしてこのヲワケさんの血筋的来歴(最初の祖先の名前(オホヒコ)からスタート→8代目がオワケ)、
そして職業は近衛隊隊長で、仕えた人の名前はワカタケルの大王である、と。

こういうことが明確に書かれている、しかもそれが、ゴージャスにも金で、刀身に。そのすべてが、珍しい、というか「異常」と言ってもいいすごい発見だったそうなんですね。

こういった刀剣の存在で、当時の大和王権と地方豪族との関係性がわかりますし、また、そのほかに埋葬されていた武具や馬具などからは、東アジアとの関連性も類推することができるわけですね。

大塚先生は、
「何でもかんでもいいものが出たらそれは『畿内のもの』と言い出してしまう構図は安易なのではないか」(ムトウの意訳です)

「すべてが畿内から地方へという構図ではないのでは?ダイレクトに外国との交流を行っていたといってもいいと思う」(意訳)

と言ったことを言っておられましたよ。そして、くすくす笑いながら、

「今でこそだいぶ変わりましたけど、私が若いころには関西の偉い先生に、『君はアヅマエビスだからな』と本気で言われて、いまだにそんなことを言うのか、と驚いたものです」

と言っておられたのには、私も笑ってしまいました。というのも、私も言われたことがあるからです。本当に未だにそういうこと言う人いるんですよね。

それにしても、先生は、話せば話すほど声が大きくなり、目がキラキラと輝いて、まるで少年のように興奮して話されておられたのには、何か胸が熱くなる思いがしました。

「ようするにね、わからないってことなんです」

と、いたずらっ子のような笑顔でおっしゃる。

「どんどんいろんなものが出てきて、いろんなことがわかってきました。でもわかってきたらさらにわからないものが見いだされて、もっとよくわからなくなるんです。でも、それがいいんです」

最後のほうには、そんな風に嬉しそうにおっしゃられてました。

たくさんのお弟子さんを育て、人格者としても高名な大塚先生。 考古学が楽しくて仕方がない、という様子が、とにかく素晴らしかったです。

あああ、何かお仕事一緒にできないかなあ……。