過酷な運命の最中にも、その清冽な魂は凛として輝く!――信玄の末娘・松姫の一生を描き切った傑作歴史小説、登場!『疾風に折れぬ花あり』/中村彰彦著


文芸雑誌『文蔵』さんの連載をお手伝いさせていただいてから、約三年。
思い返すも楽しい日々でした。毎月毎月、一番初めにお原稿を読めてしまうんですもの!これぞ、まさに編集の役得ですね!幸せとはこのことです!!

そして、いよいよ。
この時がやってきた~!!と、躍り出したいような気持で一杯です。

中村彰彦先生の『疾風に折れぬ花あり』

とうとう発売されました!

装丁がまた素敵ですよね!?
華やかで女性らしさがにおい立つようなデザインです!
そして同時に、中村先生のお作らしい重厚さもしっかりと兼ね備えていますから、中村先生の往年のファンの男性も、きっとためらわず手をのばしてくださることでしょう!
こちらはあの菊地信義さんのデザインですよ!さすがとしか言いようがないです。

そして、装画は日本画家として活躍されている宝居智子さんです。ステキな日本画ですね。
特にこの手の表現!ご覧ください!
八重桜の花びらが舞い落ちるのを夢見るように見上げてます。そして自然と指先が追いかけている。そしてその指先は、まるで花弁のようにピンクに染まっているのです。
いや~、眼福眼福。

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実は、この「桜」。本書にもとても大切な場面で登場します。

ちょっとネタバレになっちゃうかもしれませんが、本書の主人公、松姫さんは武田家が滅んでしまうことで、とてつもなく過酷な人生を歩むことになります。

その過酷な人生を、ともに歩んでくれたとも言える小袖があるのですが、その銘が「桜花(おうか)」というのです。桜色のとても美しい小袖です。
「桜花」は、大好きなお兄さんの奥さんが形見としてくれたもの。この「桜花」、これぞという時に松姫さんを導いてくれるような、そんな存在に思われるのですね。

名門のお姫さまだった世間知らずの松姫さんが、三歳の女児3人を育てながら、出家し、戦国の世を生き抜いていく。
何度も何度も絶体絶命といった場面がたち現れます。しかし、松姫は、涙ぐみながらも決して逃げません。一見たおやかで、素直で優しげなのですが、こころが強くなければ生き抜くことは、到底無理だったでしょう。

***

どんな人生でも、生きていくということは山あり谷あり。
楽な人生なんてないんだな、……と40過ぎて、ようやく実感を持って分かってきました。
突然ウソのような幸運が舞い込むこともある。想像を絶する不幸が襲い来ることもある。

そうしたことが起こった時、それをどう乗り越えていくのか、切り開いていくのか、それによってその人の魂のありようが見えてくるように思うのです。

とてつもなく過酷な状況の中でも、魂の輝きを失わず、まるで暗闇の灯火のように、蓮の花のように静かに生き抜く人が確かにいた――。

中村先生は、いつもそんな素晴らしい魂を、歴史の中から掬い出して、私たちに見せてくださるような気がします。

本書の主人公、松姫然り、そして保科正之公もそうです。
あれだけ魅力的な人物がいたことを、私は先生の小説で知ることができました。

そうそう、保科正之公も、本書で登場しますよ!健気でかわいらしい少年の幸松君として、ですけどね。ぜひ、お手に取ってみてくださいまし!

そして最後になりますが、中村彰彦先生、そしてN編集長さま、Y副編集長さま。
ご一緒させた時間は何もにも代えがたい、私の宝物です。
至らぬことも多々あったと思いますが、本当に素晴らしい時をありがとうございました!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第23回「はるか江戸を離れて」掲載!


ご紹介が遅くなってしまっておりますが、毎月PHP研究所さんで発刊されている文芸雑誌『文蔵』では、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」が絶賛連載中です。
最新号(8月号)が発売になっておりますので、7月号も併せてご紹介させてください。

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7月号「祈る女」では、亡き兄・仁科盛信の忘れ形見で、養い姫の一人であった生弌尼(しょういちに)を看取った、信松尼(しんしょうに)。

ここに武田信玄の直系のうちの一人が、はかなくも夭折してしまったのですが、一方で物語は大きく動きます。

江戸城内の比丘尼屋敷に住まう、信松尼の異母姉で、信玄の次女、そして穴山梅雪の未亡人である見性院(けんしょういん)が、二代将軍の乳母・大うば様を通じて知り合った奥女中『お静』さんが、いよいよ7月号で登場しました。

この『お静』さん、中村先生ファンなら「あ!ついに!」と膝を叩くことと思います。

中村先生が、世に広めた「会津武士」の生きざまを凝縮したかのような人物で、会津の崇高な精神の源となった、会津松平家の始祖、保科正之(ほしなまさゆき)公の生涯をえがいた大作『名君の碑』の世界が、いよいよ再び戻ってきました~!

このお静さんは、もともと小田原北条家の家臣だった神尾(かんのお)家の娘で、縁あって秀忠の乳母であり、大奥の実力者である大うば様に仕えることになりました。

そこで、恐妻家の秀忠に見初められ、正室・お江与(えよ)の方の許しがないまま、秀忠の側室になりました。

意外と思われるかもしれませんが、当時、戦国時代の気風がまだ色濃く漂うこの時代、妻を複数持つことは許されていましたが、正室の許可、というか、正室が勧めた女性を側室にむかえる、という形式をとることになっていました。

ですから、いくらお江与の方の性格が苛烈で、秀忠が恐妻家とはいえ、内密に側室を迎えてしまうというのは、やはり正室をないがしろにした行為です。

そして案の定ばれてしまい、なおかつ妊娠も発覚してしまうと、お静さんは何度も毒物で殺されそうになりまして、恐ろしくなって実家に逃げ帰ります。

そこで、お江与の方の復讐を恐れた実家の兄たちの決断により、子を堕胎させられてしまうのですが…。

8月号では、堕胎薬によってぼろぼろになってしまったお静さんを、それでも戻ってくるようにと説得する、秀忠からの使者がやってきます。

さあ、お静さん、どうする!??
戻るの?戻らないの~!!???

……と、ハラハラドキドキな展開になっております。

保科正之公に詳しい皆さんは、この後の展開を良くご存じと思いますし、保科正之公という綺羅星の如く優秀な人物が誕生した、という一事を持って考えてみましたら、仕方ないけどなあ、と思います。しかししかし。

同じ女性としてみると、どうもこの秀忠という人物は、信用なりません。
いくら正室がこわいからと言っても、一番力を持つ立場なわけですから、やる気になったらもっと守れるはずなのに、なんか逃げてるようにしか思えない。

やめときなはれ、戻らないほうがいい!!!
この男、真心を感じないダメなやつだよ!

……と、お原稿拝読しながら、思わず叫んでしまいました。

ちょっと感情移入しすぎましたね(笑)。
それはともかく、これからの展開はいよいよ目が離せませんよ~~!

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第21回「祈る女」掲載!


ご紹介がすっかり後手後手になってしまっておりますが、毎月『文蔵』では、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」が絶賛連載中です!
最新号(6月号)が発売になっておりますので、ご紹介していなかったその前のものも併せてご紹介させてください。

20150510

本連載主人公は、武田家滅亡後、八王子まで逃げてきて出家した松姫こと、信松尼さん。

次から次へと襲い来る困難にも、たおやかに柳のようにしなやかに切り抜け、無事に養い子三人も育て上げました。

そして今や40代半ば。

自立のため、たつきの足しにと考え始めた養蚕だけに飽き足らず、染色、織りまでも学ぼうとしている姿が生き生きとえがかれます。

本連載で中村先生が描き出される「信松尼」というひとは、一見、絵にかいたような「良家のお姫様」といったたおやかで優しげな風情ながらも、その魂には父・信玄の豪胆さを受け継いだ女性です。これと決めたらやり通す、という意志の強い凛とした人。

いっぽうで、いくつになろうとも、無垢で世間知らずな一面もそのままな人、でもあるのです。
そして、そういう面もまた彼女の魅力でもあり、そんな彼女を助けようと一生懸命動いた人たちがいたことが大きいということも事実。

そこで、そんな人たちの中でも、特に重要な人物が、大久保十兵衛こと「大久保長安」です。

このひとは、一般的にどうしても金と女の話が先行し、「怪人物」といった印象の強い人ですが、先生が描き出すのはそれとは真逆ともいえるような、「目配りの大きい、まことに行き届いた」といった印象の人物です。

そして実際、信松尼さんにして上げた史実上のことを合わせて考えましても、長安さんという人の実情は、本作品に登場する「十兵衛」さんに近いのではないのかしら、と思われてきます。

中村先生のお作には、これぞ「歴史小説」という、非常に高度な史料の裏付けによる「中村流読み解き」があります。毎回「なるほど!」と目からウロコ。

ぜひ、お手に取ってみてくださいまし!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第14回「陣馬街道 その二」掲載!


武田信玄の末娘・松姫さんこと、現在出家して信松尼(しんしょうに)さんが主役を務める「疾風に折れぬ花あり」。

前号で、信松尼さんを経済的に援助してくれていた北条氏照(うじてる)が城主を務める八王子城が、落城。殲滅、つまり皆殺しにされてしまいました。

そして、今号ではいよいよ、本拠地小田原城は、あまりに巨大な秀吉軍によって包囲されて、当主・氏直は降伏、北条家は滅亡してしまいます。
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武田家のお姫様であった信松尼さんにとって、北条家は縁戚であり、また、八王子に移ってからは、経済援助をしてくれた大切な人たちでした。

それが、あっけなく滅亡してしまった……。心情的悲しさだけでなく、現実的な危機でもあります。今や援助の道は絶たれてしまいました。幼い姪たち3人だけでなく、彼女たちを慕って仕えている家臣たちを養わなくてはならないのです。

いよいよ「自立」の道を確立しなければならなくなったわけです。そこで、信松尼さんが思いついたのは「機織り」でした。つまり養蚕、絹を生産すること、です。

古代から、信松尼さんが住む八王子がある武蔵国(今の東京都・埼玉県一帯)や上野国(群馬県)は、絹の名産地でした。そのため、彼女がそういう風に思いついたのはとても自然なことでした。

今でも上州(群馬県)名物として、「かかあ天下とからっ風」なんて言います。

これは、上州の女性は働き者で強いということなんですけど、女性が養蚕をしていたので、女性のほうが収入が大きくあったことで、経済的自立をしていたので、強いというわけなんですね。

そして、この「養蚕」ですが、これまた古来より女性の仕事と考えられていました。

蚕を育て、糸をとり、機を織る、という仕事は、手先の細やかな女性のほうが向いていたのかもしれませんね。この大変な作業の果てに生み出される「絹」は大変高価なもので、これを生み出すことができるというのは、相当な経済力を持っているということ。家庭内でも大きな権力になったろうと思います。

そんなわけで、目の付け所はすごくよさそうなんですが、果たしてうまくいくのか否か…。

歴史小説、というとらえ方でなく、現代に引き寄せてみると、信松尼さんはまさにベンチャー起業家ともいえるかもしれませんね。

詳しくはぜひ本誌をご覧くださいませ!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第13回「陣馬街道」掲載!!


中村彰彦先生の本連載も、13回目。まるまる一年を超え二年目に突入しました。

先生の連載をお手伝いさせていただくようになり、慌てて八王子に取材に行ってみたり、遅れて山梨県や長野県を訪れたり…。遅ればせながら、武田家ゆかりの場所を訪ねてみたりしているわけですが。

実は、私の生まれた家「武藤」も、武田家と少々縁がございます。

うちは分家もいいところで、よくわからなくなってるんですけど、真田昌幸(幸村のお父さん)が一時養子に行った武藤の家に関わりがあるんだと聞いてます。

中村先生にそのことをお話すると、優しい先生は面白がってくださいました。先生は2012年に『真田三代風雲録』を上梓されてますので、そんな小さなつながりも良としてくださったのでしょう。

さて、前置き長くてすみません。本題に入ります。

武田信玄の末娘、松姫こと信松尼(しんしょうに)さんの生涯を描く「疾風に折れぬ花あり」も、いよいよ秀吉による天下統一仕上げの時期に入ってまいりました。

そうです。「小田原征伐」です。
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「小田原征伐」という戦いは、「小田原評定」ということばで有名ですね。

当時、小田原城は、後北条家5代当主北条氏直(うじなお)が治めていました。天下の名城と言われた小田原城は難攻不落と言われ、伊豆・相模の雄として君臨し、関東八州にまで支配を広げていた北条家の象徴ともいうべき場所です。

また、北条家と武田家は、縁戚関係にもありました。

氏直さんのお母さんは武田信玄の娘、黄梅院という人なので、信松尼さんから見たら甥っ子にあたります。

また、信松尼さんのお兄さん、武田家最後の当主となった勝頼さんの後妻・北条夫人は氏直さんの叔母さんにあたります。

そんな濃い縁戚関係だったんですね。
当時の戦国大名は、同盟の証として婚姻関係を結んだりしますから、とても複雑です。

さて、この「小田原征伐」、我らが信松尼さんにも無関係ではないのです。

というのも、信松尼さんが住んでいる地域にあるお城は八王子城というのですが、このお城が、北条家にとって大切なお城なのです。

八王子城の城主は北条氏照(うじてる)という人で、氏直の叔父さんにあたります。たいへん優れた武将で、北条家を代表する人でした。

信松尼にとっても、勝頼の継室であった北条夫人の兄なので、氏照さんは義理の兄弟にもあたります。信松尼の存在を知ってからは生活を援助してくれ、頼れる人だったのですが…

いやはや…。

せっかく頼れる兄貴が出てきてくれた!とほっとしたのも束の間。

信松尼さんはどこまで行っても苦労しなくちゃいけない人なのです…。

詳しくは、ぜひ本編をご覧ください~!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第十一回「お身代わり」掲載!!


先日、大学時代の友人たちと久しぶりに会ったときのこと。

途中までは、のほほんと「いや~、みんな若いよ、変わらないね~」なんて、ちょっと余裕のある大人発言を機嫌よく繰り返しておりましたが、後半、なぜだかみんなで卒業アルバムを見始めて以降、すっかり酔いがさめました。

すっかり忘れておりましたが、私が通っていていた大学は、皆さん育ちがよく経済状況もよく、「綺羅の空間」だったんです。

そんな中で、私は「醜いアヒルの子」。きれいな人たちの中で、呆然とたたずんでいた、というかんじだったんですよね。

しかし、あまりにかけ離れると、嫉妬など浮かぶ間もなく感心してしまい、心から「すごいなあ」「育ちがいいってのはこういうことなのか」と思っていたのでした。

卒業アルバムを見ていると、そんな風だったことが一気に思い出され、自分の太ってパンパンな写真を正視できず、酔いがさめると同時に、周りの女の子たちの美人比率の高さに、改めておののいたのでした。

こんな中で過ごさなくちゃいけなかったなんて、わたしって不憫。っていうかエライ。よく頑張った!と、かつての自分に言ってあげたい気持ちになりました。

それはともかく。

当時、観察していて面白かったのは、美人であるということは必ずしもいいことだけじゃないんだな、ということでした。
誰が見ても美人という子は、ちょっと敬遠されたり、あるいは今風に言うと「トロフィーワイフ」じゃないですけど、肉食系な男のひとたちにとっての勲章みたいな、「戦利品」のようになっていたりして…。だから、自分が選ぶ前に男性チームのほうで候補者を決めていて、なんとなく押されてその人と付き合ったり。まあ、「アヒルの子」チームの人間からしたら羨ましい話なんですけど、結果的にけっこう大変な目に遭ったり、幸せになっているわけでもないのを見ていて、「美人ってのも大変だわねえ」と、これまた感心していたのでした。

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さて、前置き長くてすみません。なぜこんなことを思い出したかというと、毎月お手伝いさせていただいております連載「疾風に折れぬ花あり」の主人公、武田松姫さんは「白鳥チーム」のお嬢様だなあ、と思ったからなのです。

松姫さんのお母さんは血筋もよく甲州一の美女と呼ばれたようなひとでしたので、また本人も大変な美人だっただろうと思われます。そして、お父さんの信玄は、名族・甲州武田家の嫡流ですから、本当にもう非の打ち所のないスーパーお嬢様。

これまで通りでいれば、蝶よ花よと大切にされ苦労など知らずにそのまま生を追えたかもしれませんが、そこはなんといっても戦国の世。飛び切りのカリスマだった父・信玄公が亡くなってしまってから、武田家は一気に斜陽の道を歩み、ついに織田信長に滅ばされてしまうのです。

松姫は、兄たちから「生き延びて武田家の血を残してくれ」と、幼い姫たちを託されて、武蔵国へ命からがら逃げ延びます。そして、その武蔵国の八王子で、死んでいった武田家の人々を弔いたいと、髪を下ろすのですが…。

静かに暮らしたいと願う松姫の思いとは裏腹に、美女であり、身のこなしから間違いなく生まれもいいということで、周囲にその存在が知られてしまうのです。

まさに、衣通姫(そとおりひめ)。隠しようのないその存在感…。

今月号では、武田家ゆかりの女性を自分の側室に迎えたいと、女狩を始めた徳川家康配下に、ついに居場所をつかまれてしまいます。

ただ、救いなのは、ここにいる美女は「武田家ゆかりの人だろう」という推察だけであって、信玄の末娘・松姫さんそのひとだとはばれていないのです。

徳川家康の配下が、八王子の庵を訪ね、「武田家ゆかりの女性がここに入るだろう」と言ってきたとき、松姫さん改め、信松尼の家臣の皆さんは、どうにか守り通そうと考えますが、それはなかなか難しい。確かにここには「品があって美しい女性」が暮らしているということは、近辺でも有名なはなしだったわけですからね。

苦肉の策として、松姫さんの存在は伏せたまま、侍女として一緒に暮らしていた二人の女性の名前を上げます。「血筋」のものではないですけど、武田家に長年仕えてきた人たち、つまり「武田家関係の人」ということで、その名を挙げたのでした。

そしてそのうちの一人、お竹さんと、家康配下の人が面会します。すると、これまた大変な美女です。武田家嫡流の女性ではないけど、この美女ならいいんじゃないの?…と思ったからか、その後正式に「奥向きに迎えたい」と言ってきました。

信松尼さんは躊躇します。つまりこれは自分の「身代わり」。お竹さんを差し出すようなまねは…ということですね。

しかし、そこは戦国時代の武家の女性です。お竹さんは自分から「お身代わりになります」と言うのです……。

歴史上のことを仮定してもしょうがありませんが、もし、このお竹さんだって十人並の普通の女性だったら、たぶんこんなことにはならなかったような気がしますし、そもそも、松姫さんが野に隠れてしまうような地味な外見だったら、周囲のひとたちにもこんなに大々的にばれずに、家康にもばれずに済んだんじゃないか、と思うわけです。

いやはや……。
美人って大変ですよねえ!?

私がご紹介を書くと、なんとも品がなくなってしまいますが、本当は中村先生ならではの気品あふれるお話です。ぜひ本誌面をご覧ください!!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)第10回「髪を下ろす日 その二」掲載!


月日が経つのは恐ろしいように早いですね。もう上半期終わっちゃいましたよ~!!!

早くも下半期。7月に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、毎月文芸雑誌『文蔵』で掲載されております、「疾風に折れぬ花あり」第10回目のご紹介です。大きな声では言えませんが、先月バタバタしていて、9回目をご紹介する前にもう10回目掲載号7月号が出てしまったのです^^;;。とほほ。
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さて、「疾風に折れぬ花あり」は、戦国時代のお話。

武田信玄の末娘・松姫の苦難に満ちた生涯を、あの中村彰彦先生が小説に描く…という、お手伝いしている立場の私が言うのもなんですけども、面白いに決まってる、というお話なのです。

実際、武田家滅亡から、甲州脱出を経て、現在お話は武蔵国八王子に身をかくす…というところまで来ておりますけれども、中村先生ならではの史料の読み込みから生まれた新解釈が随所にみられ、歴史好きにはたまらない内容になっています。

さて、前号で、武田家の死んでいった人たちを弔うため、まだ20代前半の美女である松姫さんは、出家。彼女を導いたのは心源院の卜山和尚(ぼくざんおしょう)というひとですが、和尚の温かい心配りで、無事髪を下ろし、「信松尼(しんしょうに)」という法名を授かります。

よかったよかった。これでようやく静かに暮らせるのかな?、と思いきや…

そうや問屋がおろしません。やっぱり、世の中はほっとかないわけですよ。

織田信長が本能寺の変で、明智光秀に謀殺された後、甲斐国は徳川家康の支配下に置かれるようになりました。

徳川家康というと、「鳴くまで待とう時鳥」のたとえなんかで、どちらかというと耐え忍ぶ、というか「真面目」な印象が強い人だと思います。

でも、それはお仕事の面の話であって、女性面になるとかなりの好きものだったといえるわけですね。

先生は、それを「裾貧乏(すそびんぼう)」という言葉で表現されています。

なるほど、そんな表現があるんですね。浅学ゆえに存じ上げませんでしたが、奥ゆかしくも、的を得た言葉!日本語って素晴らしいなあ。

さてさて。

「裾貧乏」、つまりは相当の女好きだった家康さんは、甲州に入ってから「女狩り」をはじめます。とりあえず、武田家旧臣の未亡人を側室にし、それだけでは飽き足らず、武田家の血筋の女性はいないか家臣に捜させるのです。

はい。そうです。気づいちゃうんですね、松姫さんの存在に!!

当時の考え方としては、松姫さんが家康さんの側室になる、というのはそんなに悪い話ではありません。武田家の嫡流を徳川家の中に残す、ということもできますし。

しかし、松姫さんは前号で出家してますからね。彼女は仏門に入って生きていくことを決めています。ですから、ここで家康さんに発見されることは、まったく彼女の望まない生き方を選択させられてしまうことになるわけです。

さあ、この難所を松姫さん改め信松尼と、その家臣の皆さんはどう切り抜けるんでしょうか!

……ぜひ、本誌面をチェックしてみてくださいね~!

(むとう)