仏教美術の源流に触れる!/「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展@東京国立博物館(~5/17まで)


東京国立博物館表慶館にて行われている「インドの仏」展に行ってまいりました~!

表慶館と言われてもピンとこない方も多いかもしれませんが、本館の左側にあるこの美しい西洋建築でございますよ。

大正天皇(当時皇太子)のご成婚を祝して建築されたこちらは、日本初の本格的な美術館建築だそうで、重要文化財です。関東大震災にあっても倒壊しなかったといいますから、きらびやかなだけでなくとてもしっかりとした造りなんでしょうね。

好みはともかく、日本ではなかなかお目にかからないバロック様式の建築物です。貴重ですね。
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思い起こしても、なかなかこちらで展覧会というのは開催されていなかったと思います。私もそこそこトーハクさんにお邪魔してますが、昔、スリランカの仏像を招へいした時、メディア向けの説明会か何かでこちらに入ったことがあった、かな?という程度。

今回は全面的に使って、インドの仏像を見せていただけるということで、建物を見るという意味でもとても楽しみでした。

今回の展示で、とにかく印象深かったのは、非常に良質な初期仏教のレリーフや仏像を一堂にみられたことです。

すごくざっくり言ってしまえば、仏陀こと、ゴータマ・シッダールタが亡くなってからしばらくは、仏陀を「人」で表現することはなされませんでした。

最初期は、仏陀の遺骨を納めるストゥーパ(塔)を建立することで表現されました。

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(写真、左は「法輪の礼拝」、右は「菩提樹の礼拝」。法輪と菩提樹は仏陀を象徴的に表している)

そして、その後、ストゥーパとその周囲を荘厳(しょうごん)するために、周囲に彫刻がなされるようになったのですが、そこに彫刻されたのは本生話(釈迦の前世譚)、仏殿(釈迦の生涯)といった教化的なもので、仏陀そのものは仏足石、法輪といった象徴的なもので表現されていました。

そして、仏陀が亡くなってから500年ほど経ってから、ほとんど同時期に人体表現がされるようになります。AD1世紀ごろ、マトゥラー(インド北部)とガンダーラ(アフガニスタン東部からパキスタン北西部)です。

両方ともイラン系王朝「クシャーン朝」の支配下にありました。クシャーン朝は仏教を篤く庇護していたんですね。

20150423-2こちらの見開きだと分かりやすいですね。(図録P56-57より引用)

左の仏像がマトゥラー、右側がガンダーラのもの。日本では圧倒的にガンダーラが有名ですが、図録で見る限り左の仏像はAD1世紀ごろで、ガンダーラの仏像よりも1世紀ほど先行してますね。
クシャーン朝と言えば、仏教を庇護したカニシカ王が有名ですが、マトゥラーの仏像が出現したのは、彼の在位より前ということになります。ほほ~~。

こんなことを書きながら世界史の地図なんかを見直したりしてましたら、無性になつかし楽しい。ちょっと忘れがちでしたけど、私高校時代、世界史専攻だったんですよ。だから日本史はあんましちゃんとやってない。日本史は趣味でやってたんだよなあ。だからどうしても史料なんかを読めないんですよね。

とと、話しを戻しますけれども…。

このような初期仏教の流れをつぶさに見つつ、14世紀くらいまでの大きな流れを見ることができます。一部ミャンマーの仏像は16~19世紀のものが出ていますが、もうちょっと古いものはなかったのかな~。コルカタ博物館蔵、ということで仕方がないかな。

そういう意味では、スリランカの早い時期の仏像も少し出てるとよかったかな~。
いや、だからコルカタ博物館蔵なんだから仕方ないですよね。

と、私の個人的希望はともかく、とても面白い展覧会でした!

ぜひ、足を運んでみてくださいね。

東京国立博物館
コルカタ・インド博物館蔵 インドの仏展
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1701

仏教美術の源流を観る!「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展開催(3/17~5/17)


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ちょっと先の話になりますが、東京国立博物館さんでは「みちのくの仏像」展のあとに、こちらが開催されますね!

インドと言えば、お釈迦さんの生誕地と連想する人は多いんじゃないでしょうか。
もうちょっと詳しく言うと諸説あるそうで確定されていませんが、ネパールとインドの国境辺りに生まれたということなんだそうですが…。

ちなみに『仏像』が作られるようになったのは、ブッダが亡くなってから5世紀ほど後、発祥地は、ガンダーラ地方(現・アフガニスタン東部とパキスタン北部周辺)で一世紀半ごろ。そして少し遅れてマトゥーラ地方(現インド北部)で作られるようになりました。

今回の展示は、そのあたりの流れをコルカタ博物館所蔵の逸品でもって、観ることができるようです。楽しみですね!

個人的には貝葉経のコレクションが観られるのも楽しみ♪

「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏」展
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【仏勉】④世界と私。そしてバランス・調和。


自分がどう成り立ってるか、まず理解する
前回、かなりの飛躍はあるにしろ「世界は私、私は世界である」というところまで、私なりに理解しました。引き続き『日本仏像事典』(真鍋俊照編・吉川弘文館)の「仏教~原始仏教の思想」を読んでみましょう。

以下の三つの理(ことわり)で、私たちは成り立っている、ということみたいです。

■「苦」……自分の思い通りにならないこと
■「無常」……すべてのことは因縁が絡み合って作られたもので、常に変遷するものである。
■「無我」……「無常」の理から考えて、私たちを構成している物質的な要素、機能のいずれも「自己」と解することはできない。(前回「世界は私、私は世界」ってこと?と理解した部分)

さらに、抄訳してみますと…

『迷いの根本は、‟盲目的な欲望”である。
「苦」からの離脱を求める人は、「苦」「無常」「無我」の理をよく理解して、認識を持ち、迷いの根本である「執着・愛欲」を絶たなくてはならない。』

なるほど~~。確かに、迷ってるときって、覚悟が決まってないというか、心が定まらない状態の時ですよね。

仏陀@プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム:タイ

仏陀@プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム:タイ

迷いは「盲目的な欲望」から生まれる
自分を顧みても、「だまされるんじゃないか」「バカにされるんじゃないか」、「損するんじゃないか」…、そんな考えが背後にあるとき、迷ってる状態に陥っている気がします。「怯えてる」とも言えますね。

「よくわからないから不安」。だから怯えてる。怖いので、自分を守る方法として、他者に対して「攻撃」が出てくる。
「よくわからないけど、自分が損したらやだ、得したい」。

こういうが「盲目的な欲望」、なのかな。

仏教では、こういう「盲目的欲望」を断ち切るためには、修行に努め、戒律を守り、禅譲を修める必要があると説きます。これが、「解脱」の境地であり、「涅槃」とも呼ばれるんだそうです。

でもって、これを実践するためには、快楽を求めすぎるのではなく、また苦行をしすぎることのないライン【中道】がいいとし、他者に対しては、人間だけではなく一切の生きとし生けるものに対して慈悲を及ぼすことを理想としました。

でも、こういうことって、そうそうできませんよね。修行とか。普通の人には難しいし。お坊さんになるってめちゃくちゃハードル高いですよね。

私たちにもできること
シッダッタさんは、別に出家修行をしなくても、在家でも実践できます、と言ってます。

個人的な戒律には5つあって、

1.生き物を殺すな
2.盗みをするな
3.邪淫を行うな
4.虚言を言うな
5.酒を飲むな

なんだそうです。
1.は難しいなあ。食べ物を食べる限り、生き物を殺し続けてますものね。
例えば、魚や肉を食べるのをやめたとしても、野菜はいいのかな?
以前から思ってたんですけど、野菜だって生き物ですよね。果実や穀物はいい気がするなあ。これらは「生ったもの」で、その命を一部わけでもらう、というなら矛盾しない。あ、植物も、根から全部食べちゃうんじゃなくて葉っぱを一部もらうなら矛盾しないか。

盗み、はしないようにすれば盗まないで済みそう。
邪淫、虚言、これはまあ大丈夫かな。
酒、もともと飲めないから大丈夫。

あ、でも虚言に関しては、結構「オトナな配慮」の中、うそをついたりしてることはあるなあ。
よくやってるのが、同居している両親に、本当は友人とごはん食べるために外食したんだけど、ブーブーうるさいので、打ち合わせってことにするとか。
これもウソ、っていえばウソですね。こういうのはいいんだろうか…^^;。

ま、それはともかく、この「五戒」って、まあまあ守れそうですね。

こうしてみていくと、シッダッタさんは、すごくまっとうなことをお勧めしてますよね。
つまり、大切なのは『調和』なのかなあ、と感じました。

自分だけいいってのもバランス悪いし、相手のためだけに何かするっていうのもバランス悪い。苦行をして自分を痛めつけるのもやりすぎだし、愉しいと思うことだけをするというのもなんかやりすぎ。

自分のことも、他者にやさしくするようにやさしくする。
他者には自分のことを大切にするように大切にする。

そんなことが、一般人な私たちにとってもとても大切なんじゃないかな~、なんて。

(続く)

【仏勉】②シッダッタさんの生きた時代


さてさて、そんなわけで、シッダッタさんは世界三大宗教のうちの一つとされる仏教を開いたわけですが、シッダッタさんの生きた時代はどんな時代だったんでしょうか。

彼が生きていた前6世紀ごろのインドは(このあたりがインドのすごいところですけど^^;)、すでに文明の爛熟期のひと山ふた山を越えたかんじで、爛熟を超えて退廃的な雰囲気が色濃い状況でした。
ガンジス川流域の中部とインド東部には、都市を中心とした小国家が林立し、多くは王制でしたが、そのいくつかの国では共和制を布くほど。
商工業が盛んになって、物質生活も豊かになってきていたので、王族や商業階層が台頭し、バラモンを頂点としたカースト制も、以前よりは絶対的なものではなくなっていました。

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム)

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム:タイ)

…この流れ、なんだか18世紀ごろのヨーロッパみたいですよね。工業化により、それまでの支配者階級(貴族=地主)を押しのけるように、ブルジョアジーが台頭して、市民革命を起こす…みたいなながれですよ。

ですので、インドでも、自由思想家がたくさん現れました。当時の伝統宗教・バラモン教を批判し、新しい思想や宗教を起こした人は、シッダッタ以外にもたくさん存在していました。

シッダッタさんが登場した時代は、それほど、古い時代の権威を否定するような、改革のムードに満ち溢れた時代だったのです。

そんな空気の中で、シッダッタさんは思い悩み、またその深い悩みから修行に入り、ついには悟りを得たわけですね。まさに時代の要請だったともいえるでしょう。
(続く)

【仏勉】①悩み深き人・シッダッタ


仏陀(ぶっだ)とは???
あけましておめでとうございます!
ありをりある・ブツタビでは、年初にふさわしく、仏教のおおもとである「仏陀」についてお勉強してみたいと思ってます。よろしくおねがいします!

さて。
私はお寺や仏像が好きなので、そのことを周りの人にお伝えすると「仏陀って何なの?」と聞かれることがよくあります。仏教やお寺は身近にありますけど、意外とそのあたりちゃんと教えてもらったりしないですよね。

私も実はたいして詳しくないので、そんな時には「仏陀は悟りを得た人、という意味で、仏教を開いたお釈迦さんのことですよ~」なんて言ってお茶を濁してました。

念のため『岩波仏教事典』や『日本仏像事典』を確認してみても、大まかには間違いありません。「ブッダ」=「お釈迦さん」なのです。

仏陀坐像@シュユダゴン・パヤー(ミャンマー)

仏陀坐像@シュユダゴン・パヤー(ミャンマー)

悩み多き人・シッダッタさんの波乱万丈な人生
さて、みなさん、この「お釈迦さん」ってまたどんな意味かご存知でしょうか。
お釈迦さんは、親しみを込めた呼び方で、正確には「釈迦牟尼(しゃかむに)」、「釈迦如来(しゃかにょらい)」、略して「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれます。

お釈迦さんの本名は「ゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)」。紀元前5世紀ぐらいに実在した人物です。ちなみに姓がゴータマ、名がシッダッタ。ネパール系の民・釈迦族(サーキヤ族)の正統な王子として生まれました。長男だったので今で言うと皇太子ですね。次の釈迦族の王になるべく大切に育てられました。

シッダッタさんは、子どものころからめちゃくちゃセンシティブな人でした。普通の人なら看過してしまうようなことでも、立ち止まってしまうような人だったみたい。お父さんもとても心配して、とにかく恵まれた環境を与え、早く愛する妻や子を持ってもらって普通の大人の男性になってほしいと願っていたようです。
シッダッタさんも、そんなお父さんの愛情や期待、周囲の気遣いを感じつつ、人生の問題に思い悩みながらも、奥さんを何人か迎えました。子どもも誕生し、誰もがうらやむような恵まれた人生を送っていたのですが…。にもかかわらず、結局、悩みからは解放されず、王位も家族も投げうち、29歳で出家してしまいました。

出家と言うと言葉はキレイですけど、つまりは「家出」。
当時の年齢を今の年齢の感覚にしたら、30代後半くらいなんじゃないかな。
つまり39歳くらいの働き盛りのお父さんが、いきなり家出しちゃった、みたいな感じですよね。こりゃたいへんだ。
非常に繊細な優しい人だったでしょうから、自分がどんなに無責任なことをしているかとか、わかっていたと思いますけど、おそらくそんな無責任なことをしなくてはならないくらい心が追い詰められていたんでしょう。

悩み深き人が「悟りを得た人」に
シッダッタさん、二人の高名な聖者(修行者)について修行しましたが、結構すんなり体得できちゃって、満足できず。
さらに山に入って究極の苦行したりしましたが、…結局6年ほどたって、この苦行が無意味であることを知りました。そして苦行を中止。河で沐浴して、村娘スジャータが捧げてくれた乳粥を食べ体力を回復し、ブッダガヤーの菩提樹の木の下で沈思瞑想して、ついに悟りを得ました。このときわずかに35歳。
この時から亡くなる80歳までの間、インド各地で教化を行いました。そしてインドの伝統的な身分制度(カースト制)にとらわれない、平等主義の教団を造り上げます。
これが、「仏教」の始まりです。
(続く)

フランスに渡った仏像たち(ギメ美術館@パリ)~その弐


さて、そんなわけで、私は颯爽と地下鉄の乗り方をRに教えてもらい、ドキドキしながら地下鉄に乗りました。
この時のドキドキは、「あこがれのギメ美術館に行けるのドキドキ」3割、「地下鉄に一人で乗るのドキドキ」7割です。私は、一人旅をするくせに、かなりなビビりなのですよ…。心にウサギがいるのですよ…。

とはいえ、何にそんなドキドキするんだって感じで、乗り換えもあっさりすみ、あっさりギメ美術館そばの駅につきました。イエナ(léna)駅というところ。

ギメ美術館本館です。立派!

ギメ美術館は、19世紀終わりごろ、リヨンの実業家、エミール・ギメによって創設されました。
ギメは、世界の宗教博物館を造りたかったらしいのですが、特に東洋学・アジアの宗教美術に関心が深く、熱心に収集したようですね。
このギメのコレクションを中心に、同じような志を持ったさまざまなコレクターによるもの、またフランスがアジアに派遣した発掘調査隊が収集したものなどがこちらに収蔵されていきます。
そして、その後、エジプト部門の遺品をルーブルに移管した代わりに、ルーブルの東洋部門のコレクションをギメ美術館にそっくり移管、ルーブルの東洋部門を担う形になったそうなんです。
なので、ギメ美術館は国立の美術館なのですね。
ルーブルにアジアの美術品がない理由もこれでお分かりになるかと思います。そうなんですよ、こっちにあるんですよ~!意外と知らない人も多いんじゃないかな^^;。

そんなわけで、こちらでは特にアジア各地の仏教美術を、網羅的に見ることができます。特にクメール美術に関しては、ひょっとしたらカンボジアよりいい状態のものを収蔵しているかもしれません。いやはや。

チケット売り場に行くと『セット券』が売ってます。本館と別館のセット券です。ちなみに、別館では特別展「OFUDA」を開催中でした。 『お札』ですよ~~! 日本でだってなかなかできない、この渋さ。 さすがギメ美術館。半端ないです。

ちなみにこの別館は『パンテオンブティック』というところで、日本美術の収蔵されているところ。この本館から歩いて5分くらい。同じ通りにあるとのこと。では、本館の常設展を見たら、別館で『お札』展も見ることにしましょう!

さてさて。

ここの凄まじさは、ルーブルを想像していただければ、ほぼ間違いないです。あそこのエジプト美術を見るだけで、いったい何時間かかるというのでしょう。そうです、そのコンパクトバージョンだと思ってください。

インド、中国、クメール、東南アジア、日本、朝鮮半島…みたいな感じで別れていますが、そのどれもがすごいので、大変です。しかも本当にクオリティが高いので、ふお~っと叫びながら見続ける感じです。これもルーブルと同じです。魂の体力根こそぎ持ってかれるような、あれです。

まずはインドコーナーから。

踊るシバ。あまりにも有名なこのお像とか…

インドの宗教美術、やばい。素晴らしいクオリティ!!!
あんまり感動していたからか、この時撮った写真のほとんどがピンがあってなくてブレブレです。すみません。でも多分動揺してたんだと思います。シバ神は、インドの3最高神のひとりで、仏教では大自在天として登場します。

そして中国も。
わああああ、まじですごいんですけどお!!!!

10世紀ごろ(五代十国時代)。木彫・金箔・漆。

千手千眼観音菩薩立像!
興奮して、写真も撮りまくりましたよ。
素晴らしいお像です。ひょっとしたらこれだけ状態のいい中国の仏像は、本国にもほとんどないかもしれません。かの国は王朝が変わるとその前の文物を焼いてしまう文化があったりして、意外と古いものが残っていないのです。
こちらのお像は、唐の時代が終わって直後。五代十国時代のものだそうですが、どこの国のだか分りません。日本だと、平安中期くらいですね。

ふお~。やばいです。まだ入り口から50メートルくらいしか進めていません。日本部門までまだまだ先は長いのです。
(続く)