沖縄の歴史を感じるのに最適!グスク巡りの前に必ず読むべし!『世界遺産 グスク紀行』/岡田輝雄著(琉球新報社)


私は、沖縄が大好きです。初めて行ったときから、なんともいえぬ親近感を覚え、休みが取れては沖縄へ通い、しまいには沖縄民謡を習ったりしておりました。

私が沖縄に惹かれてしまうのは、どうしようもなく肌に合う、ということもありますが、もう一つ、沖縄の文化がとても魅力的だからだと思います。

特に私が沖縄の歴史にはまるきっかけとなったのが「グスク」です。

グスク、というのは「城」の字があてられますが、城塞(城塞でないものも含むのでちょっと複雑)のことで、北は奄美地方から、南は八重山地方の琉球弧の島々に、200以上あると言われています。

沖縄の中世、グスク時代とも呼ばれる群雄割拠の時代がありましたが(12世紀~)、この時代に多く作られました。

今も、その美しい城壁が残されてまして、さらにいまも聖所として尊崇の対象となっていて、そういう意味では御嶽(ウタキ)と同質、みたいな感じですね。

そうそう、忘れもしません。
初めて行ったのは中城(なかぐすく)でした。

残念ながら写真がありませんが、そのあまりにも美しい城壁にびっくりしてしまい、すっかり興奮して、座喜味グスク、今帰仁グスクと続けて観に行ってしまいました。

ほんとうにもう、そりゃ美しいのですよ!

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こういう時に限って、いい写真を発見できなかったのですが、上の写真は数年後に訪れた、今帰仁グスクの城壁(一部)です。

グスクの魅力は、その石積みの美しさもさることながら、御嶽(うたき)が必ず場内にあるということかもしれません。もう、建物は残っていませんが、ここは「遺跡」ではない。過去のものではなく、いまも、魂がちゃんとあるような気配があるのです。

よく、有名な遺跡を観に行くと、その壮麗な石造建築にウットリしながらも、「ここにはなにもない。過去のものなんだなあ」と感じて、ちょっと物悲しい気持ちになるのですが、グスクにはそれがありません。現役バリバリです。

よく、仏像を動かしたり、修理するときに「御霊抜き」という儀式を行います。これは仏像に宿る仏さんに一度ほかに遷っていただく、という儀式です。修理が終わったり、元の場所に戻ってきたら「御霊入れ」をする、ということをします。
その時の「御霊」にあたるようなモノが、グスクにはいまも変わらず宿っているように感じるんですね。

それは、コワいような、でもあたたかいような不思議な感覚です。

以来、私は沖縄に行くたびに、グスクを巡るようになりました。世界遺産にも指定されましたから、年々整備が進んで、ずいぶん足下も歩きやすくなりましたが、まだまだ昔ながらのグスクも多くあります。

沖縄に入ったことあるけど、グスクっていったことないなあ、という方がおられましたら、ぜひ巡ってみてください!

歴史好きでなくても、なんとも言えない不思議でパワフルな空間で、とても魅力的です。

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そんな方や、もしくはグスクは行ったことあるけれど、詳しいことは知らない、という方に、心からお勧めしますのがこの一冊!

『世界遺産 グスク紀行』(岡田輝雄著)です!!

「紀行」なんて書かれてますと、ライトな感じがしますけれども、ものすごくちゃんとした内容の、学術的な本です。写真も豊富で、説明も丁寧。

グスクを通じて、沖縄の歴史の相当克明なことを知ることもできますよ!

私も、実は久しぶりに、沖縄に行きたいなあ、と思い、書棚を見ていてふとこの本を手に取って、改めて唸りました。すごい本です!

数年前、この本を読んで、もう一度有名どころのグスクを巡りましたが、何度も見てきたはずなのに、気づくことがたくさんありました。本当に深い見方ができたと思います。

ぜひお手に取ってみてくださいね~!

『妖怪退治伝』展@国立公文書館、観に行ってきました!


国立公文書館今年は、できるだけ時間をとって歴史系の展覧会も足をのばすぞ!…が今年の抱負のレキベンです。

遅ればせながら新年あけましておめでとうございます!

そんなわけでして、さっそく昨年からチェックしておりました『妖怪退治伝』@国立公文書館にいってきましたよ。

この国立公文書館、知らないという人も多いかもしれません。

「独立行政法人国立公文書館は、国の行政機関などから移管を受けた歴史資料として重要な公文書等を保存管理しています。当館は、その保存実務から一般利用まで広く事業を行うことにより、歴史資料として重要な公文書等の適切な保存と利用を図ることを目的とした施設です。」(HPより引用)

その名の通り「公文書を保管管理し、公開する」役割を持っている機関なんですね。
竹橋駅の近く、国立近代美術館の隣にあります。意外と一般の方には利用する機会もないかもしれませんが、誰でも利用できるんですよ!

年に何回か企画展をするんですが、あくまでも、保管しているものの中からちょっと角度を入れて紹介するだけなので、地味と言えば地味。でも、貴重な本物を間近にみることができるというのはいいですよ。特に江戸時代以降から現代にかけての史料を垣間見るには最適な場所ですね。

しかもなんと、企画展は無料!
ありがたいですよね。
企画展さて、私が見てきたのはこの「妖怪退治伝」です。

妖怪退治ですよ!

なんか、いいですよね!心惹かれます。

子どものころから怪物や妖怪が大好きな私としては、見逃せません!

土蜘蛛退治

早速こちら!有名な「土蜘蛛退治」の場面の絵です。

こちらの書物は『源氏一党志』(1846年版)の挿絵。なんとこの挿絵は、あの葛飾北斎です。通りでかっこいいですよね!ほんと北斎ってうまい!

ところで。

日本の物語の中で、『妖怪退治』譚のヒーローとして定番な人たちってのがいます。本企画展はその定番な人たちを中心に構成してます。

まず最初は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト。

次に、大ムカデを退治し、平将門を追討した俵藤太こと、藤原秀郷(ひでさと)。
平将門と俵藤太三番目に、土蜘蛛退治、鬼(酒呑童子、茨木童子)退治で有名な源頼光と、頼光四天王。

四番めは、すさまじすぎて鬼以上と言われた源為朝(ためもと)。為朝は頼朝の叔父さんですが、伝説多すぎな人。

五番目は、鵺退治で有名な源頼政(よりまさ)。頼政は源三位(げんさんみ)と呼ばれた文武両道な人で、以仁王とともに平家への反旗を翻し自害した人です。

そして六番めは、武蔵坊弁慶。なんで弁慶?妖怪退治したっけ??って感じですが、こちらも為朝と同様に、すごすぎたのでみたいなことで入ってるみたい。

そして最後は、大森彦七。この人は一般的にはあまり知られていないと思いますが、南北朝時代、北朝に味方し、南朝の名将楠木正成を打倒したという伝説のある人。楠木正成の怨霊である鬼女退治のエピソードで、最後に入ってきたみたいです。

なんでかな…^^;;。4番めと6番目。本人が超人だった、ということで入ってしまってますけども、いいのかしら。

妖怪退治の人って、まだほかにもいるんじゃないかな。特に江戸時代は妖怪本がもてはやされたわけだし。
江戸時代中期の『稲生物怪録』(稲生平太郎という武士が一か月の間妖怪たちと戦ったという事件を記録したもの)とか、最適だと思うんだけど。写しでもいいからみたかったなあ。

それはともかく、もう一つ気づいたのは、『妖怪退治』をしている人に源氏が多い、ということ。特に本企画展で取り上げている人たちは、スサノオノミコトと俵藤太以外は全部源氏です(大森彦七も本姓は源氏)。わざとなのかなあ。ううむ。

***
さてそんなこんなですが。

古文書自体、普段あまり観る機会ってないと思います。
ぜひ、一度ちょっとでも興味のある企画展のある時に立ち寄ってみてください!近代美術館に行ったついで、でもいいかもしれません。

国立公文書館
http://www.archives.go.jp/exhibition/

 

「えらい人たち」、ことを成し遂げた年齢と寿命にビビる


 

そんなに早く亡くなってたの??!
偉人の年齢や寿命を改めてみていくと、かなりびっくりします。
例えば、織田信長は49歳のとき、本能寺の変で亡くなりました。当時の49歳はそんなに若くないかもしれませんけど、かたや徳川家康は75歳まで生きていますから、やっぱりちょっと若いような気がします。
49歳といえば、上杉謙信も49歳で亡くなりました。ライバルだった武田信玄は53歳。
戦国時代の武将の没年を見ると、50前後から60前後が多いので、当時の平均的な寿命からしてもそのくらいだったのかもしれませんが、自分の来し方に当てはめて考えると、昔の人ってめちゃくちゃ濃厚な一年だったような気がします。歴史に残るような偉人と自分を比べちゃいけないけど、やっぱりすごいなあ、というのが自分がその年齢になってみると実感を伴って分かるような気がしますね。

織田信長の人生で見てみると、
桶狭間の戦いのときなんと26歳!上洛したとき34歳!右大臣になったのが43歳!!!
かたやわたくし26歳の時、編集になって3年目で仕事でいっぱいでよく愚痴ってました。34歳の時、二社目の出版社で仕事でいっぱいいっぱいになって一人寂しく深夜残業してました…。わあ、小さ!!!

実際、同じ人間として彼の人生を見てみると、ほんとに半端ないですよね。ずーっと戦ってます。気の緩む隙など一部もありません。
そしてそんなに忙しいのに、ちゃんと子供も作ってます。正妻以外に10人もの女性を側室に迎えてます。なんてマメなんでしょう!

天下人で、女性にマメといえば、天智天皇(後宮の女性が多かったので勝手にそう連想してしまった)。大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、そういえばどんなかんじでしょう。
まず、蘇我家を滅亡させた乙巳の変の時、なんと19歳!
そのあとの大化の改新の時、20歳!
新羅と戦って大敗した白村江の戦い後、都を近江に移して即位したとき37歳。
そして亡くなったのは46歳だそうです。

え、えええ~~!
37歳って、とっくに通り過ぎた年齢ですやん!

…個人的に衝撃走りました。

世界の偉人も調べてみる
こうなってくると、世界のほうもちょっと気になります。

世界の偉人といえば、そうです!イエス=キリストさん!
磔になった時は34歳か37歳だったみたい。若い!!
しかも、それで類推すると、実際に宣教した期間は多くても3年ほどだったんですって。信じられません。そんなに短期間での教えが、2000年もの間人々に信仰されてきたんですから、まさに奇跡です。

この方向での偉人といえば、イスラム教の開祖ムハンマドは享年62。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは80歳で亡くなっています。

ちなみに、ムハンマドが啓示をうけたの40歳頃。シッダールタが出家したのが29歳で、悟りを開いたのが35歳の時です。
わあ~~~!ほとんどすべて過ぎ去ってる~~~!

いや、こんなすごい人たちと比べたった意味ないことは重々わかってますよ。でもやっぱり比べちゃうわけですよ。

逆に長生きだった偉人たち
若くしてことをなしたことにビビってるばかりでは、あれですので、逆にめちゃくちゃな長生きで、大器晩成な偉人かいないかな、ということでちょっと見てみましょう。

まず一番最初に挙がるのは、北条早雲ですね。
北条早雲が、一般的に歴史の中に表れてきたとされている駿河の国下向が、44歳の時。
戦国時代の下剋上の先鞭、嚆矢と言われる伊豆討ち入りが、61歳。
相模の国を平定したのがなんと86歳。そして88歳で亡くなりました。
(とはいえ、最近では疑問を呈している研究者もいるとのことですが^^;)

それから、鎌倉時代の高僧、重源上人も長生き。
重源さんは、東大寺大仏殿再建の責任者になった時、すでに61歳。そしてやり遂げて85歳で亡くなってます。これもすごい話ですよね。

あと、何気にめちゃくちゃ長生きしてるのが、真田信之。有名な真田幸村のお兄さんですね。なんとなくなったの93歳ですって!
信之は大器晩成というよりも、若いころからできる人だったと思いますが、派手な父親と弟に少々隠れがちですよね。それにしても93歳とは驚きました。

それから、信之と比べてしまうとあれですけど、徳川家康も75歳と長命でした。
彼の場合を見ていると、あの過酷な環境と試練の連続の中、それでも生き延びて、生き抜いて、最後につかみ取った天下だったという感じがしますよね。対して秀吉は61歳で亡くなっていますが、もしあと10年秀吉が長生きしていたら、家康に天下はまわってこなかったでしょう。
長命も才能のうち。これも中国風に言えば天命なんでしょうね。

それにしましても。
この記事を書いていて、凡人なワタクシは、ため息のつきっぱなしでありました。どっちにしてもまじめにコツコツ生きていこーっと。というのが私のささやかな決意なのでした。

歴史上の人物勝手にベストテン!「人としてすごいですよねベスト10」


今日はいいお天気ですね~~。
いかがお過ごしでしょうか。
私は確定申告(大の苦手)が終わったので、身も心も晴れ晴れとした気持ちでいっぱいです。

そんなわけで、今回は晴れ晴れと、さらに個人的な思いを込めたベスト10をお送りしますよ~~。

人としてすごいですよねベスト10
その人格、業績から言って、人としてすごいなあ、尊敬しちゃうなあ、という人たちを10人考えてみました。このお方たちです!

■行基(ぎょうき)
■鑑真(がんじん)
■空海(くうかい)
■藤原清衡(ふじわらのきよひら)
■法然(ほうねん)
■叡尊(えいそん)
■重源(ちょうげん)
■保科正之(ほしなまさゆき)
■公慶(こうけい)
■上杉鷹山(うえすぎようざん)
■西郷隆盛(さいごうたかもり)

私は、「自分のためでなく、誰かのためや信念のために一生をかけて生き抜いた人」というのが大好きです。このベスト10に上がっている人たちは、全部それに当てはまります。 #お坊さんが多くなっちゃうのはご愛嬌、ということで^^;。

古代から平安時代のすごいお方たち
さて、ちょっとだけ、この方たちの補足説明を、ば。

行基さんは、ご存じない方もいるのかな?
奈良時代、8世紀ごろのお坊さんです。渡来系の血筋に生まれた人で、貧しい生まれのひとでしたが、とても優秀な人だったみたい。民間で活動した人で、土木技術などを駆使して、貧しい人たちが生活できるように、お寺はもちろんのこと、ため池などの灌漑施設や橋などをたくさん建立しました。実は、聖武天皇が東大寺を建立できたのも、行基さんの協力あってのことなんです。

鑑真さんは、皆さんもよくご存知ですね。8世紀ごろ日本側に請われて、日本へやってきたお坊さんです。なんと5回も失敗したのに、それでもあきらめず6回目に日本へ到着し、多くの日本人に戒を与え、日本仏教の興隆に貢献しました。

空海さんも、これまた皆さんよくご存知ですね。空海さんは元は讃岐のあたりの有力豪族の息子さんでしたが、様々な修行ののち出家し、中国へ留学。そこで、仏教の一派である「真言密教」の正当な法統の継承者となって日本に帰国、密教を伝えました。

藤原清衡さんは、奥州藤原氏の祖。平泉の中尊寺などを建立したあの奥州藤原氏です。
この人は、まあ、苦労人なんですよね~~。
幼いころに実父を殺され、その殺した人がお母さんと結婚したため義父となり、育てられました。そんな状態ですから、どう考えても快適な生活ではなかったことは想像に難くありません。さらに、その義父が死んだあと家督争いに巻き込まれ、異母弟に、妻子を殺されてしまいます。そんな地獄のような状態から、這い上がり、ついには平泉に都のように立派な街を作り上げ、その後100年余り続く、奥州の繁栄を作り出しました。

法然さんも、皆さんご存知ですよね。法然さんは平安末期から鎌倉期のお坊さん。地方豪族の息子として生まれますが、子供のころ父親を殺され、お寺に預けられます。そこで、素晴らしく優秀だったので、比叡山に入山し、当時最高のお坊さんたちに次々と教えを受け得度。つまり当時の仏教界では超エリートです。
当時、実は「学問を修める場所は、お寺」だったので、比叡山延暦寺は今でいうと東大みたいな場所です。なので、東大をスキップしてさらに首席で卒業、って感じでしょうか。「智慧第一の法然房」と呼ばれたそうです。しかし、そのあと様々な矛盾を感じて、山を下り、43歳にして「専修念仏」を掲げ、浄土宗を開きました。

叡尊さん。この方は、皆さんご存知ないかなあ。ついこないだ石部のほうでもご紹介しましたが、叡尊さんは、鎌倉時代中期のお坊さん。もともと重源さんと同様に京都醍醐寺、高野山で密教を学んだ人。でもそれだけでは飽き足らず、西大寺で律宗を研究しました。差別される人、らい病患者、娼婦など、弱い立場の人たちのためにその人生を捧げたひとです。

重源さん。こちらも、石部でもご紹介したばかりですけど、一言でいうと、東大寺を復興させたスーパーお坊さん。

江戸時代から幕末のすごい人たち
保科正之さんは、ぐっと時代は下がりますが、江戸時代初期の政治家。二代将軍秀忠の隠し子なんですが、大変な人格者で経営者としての才も抜群な人でした。ここまでくると思想家だと思います。保科正之の思想が、その後の会津人を作り上げていったわけですね。

公慶さん。この方は皆さんたぶんご存じないだろうなあ。実は私もつい最近まで存じ上げませんでした。江戸時代初期のお坊さんです。
実は、かの東大寺は、戦国時代にも焼かれてしまいました。徳川の世になってもしばらくそのままだったんですが、この公慶さんによって、無事復興されました。私たちがみられる現在の東大寺はこの公慶さんが作ったものなんです。
35歳に復興を発願。その時、願いが成就するまで、横になって寝ないと誓い、57歳で亡くなるまで一度も横になって寝なかったんだそうですよ。まさに信念の人です。

上杉鷹山さん。この方は、江戸中期ごろの米沢藩藩主です。もともと他家から養子に来た人なのですが、経営破たんしていた米沢藩を見事立て直した人。義理人情に厚い人格者です。

そして、何の説明もいらないですよね。西郷隆盛さん。
こんなに無欲な人っていないんじゃないかなあ。ほとんど宗教家と言ってもいい。いや宗教家以上に自欲なし。明治維新後、反政府士族たちに担ぎ上げられ、西南戦争で新政府軍と戦い、自害して果てます。この時も、闘っても負けるだろうとわかっていだでしょうし、そもそも大義がないことはわかってたでしょうけど、反発する青年士族たちの気持ちを受け止め、その気持ちに殉じた、という感じですね。

「大欲は無欲に似たり」
この人たちすべてに共通しているのは、自欲はないんですが「大欲」はあるということです。
自分にとって利益があるか、ということはかなりどうでもよくて、もっと大きな願望(大望)を持って行動しています。国の平和であったり、人々の幸せだったり。
私は、ビビりなうえせこい人間なので、なかなかそのような大きな視野を持って行動できていません。なので、こういう人がいる(た)んだ!と知ると、ものすごく感動してしまうんですよね。
もちろん今回ご紹介できなかったけど、すごい人というのは本当にたくさんいます。
そういうすごい人がいたんだ、と知りたいがために私は歴史を知りたいんですね。そんな「宝物」と出会えた時、本当に幸せな気持ちになります。

ぜひ、皆さんの「人としてすごいよね!」という人物、教えてくださいね!

 

 

歴史上の人物勝手にベスト10!「かっこいい戦国武将ベスト10」


現在、戦国武将ブームらしいです
さて、今回は、「かっこいい戦国武将」を勝手にあげてみたいと思います。

前回予告では「武将」としましたが、そうするとあまりにもたくさんいるので、「戦国武将」と区切ることにしました。

戦国時代は、ファンもとても多いので、皆さんそれぞれの思い入れがおありと思います。
特に最近では、戦国武将ゲームの人気もあり「戦国ブーム」なんですって。

世の中の戦国武将の人気どうなってるかなあ、と思って調べたら、ぴあで戦国武将特集をやってました。イベントなんかもたくさんあるんですね。知らなかった!

このページのランキングで見ますとこんな感じ。
1位 真田幸村
2位 伊達正宗
3位 前田慶次
4位 織田信長
5位 上杉謙信
6位 直江兼続
7位 石田三成
8位 片倉小十郎景綱
9位 長曾我部元親
10位 明智光秀

こうしてみますと、やっぱりゲームの影響が大きいですよね。
それからゲームもそうですけど、小説や漫画などに取り上げられている人物はより上位に来ているように思います。真田幸村、前田慶次あたりはまさにそうですよね。私も大好きな人物ですが、その実像は実はよく知らなくて、隆慶一郎さんの小説で知っている、って感じですもの。いや、でも、歴史上の人物って、やっぱり誰かに紹介されないとなかなか知る機会がないですものね。創作世界で出会う、というのが当然といえば当然ですね。

そして勝手に「かっこいい戦国武将ベストテン」!
さあ、それでは私も、小説などから得た勝手な思い込み90パーセントの個人的ベストテンをご紹介したいと思います。基準は『私がかっこいいと思うかどうか!』。順不同です。

伊達政宗
本多忠勝
島左近
前田利家
大谷吉継
支倉常長
竹中半兵衛
直江兼続
上杉謙信
徳川家康

悩みましたけども、こんな10人ですね~~~。
伊達政宗は、幼いころから死ぬまでの間、意地を通した、って感じがして好きなんです。戦上手だし、文化的センスも素晴らしい。でもよく言われますけど、生まれてくるのが20年遅かったってやつですね。

本多忠勝は、その勇猛果敢な武将っぷりがたまらなく好きですね。まさに「猛将」。ひょっとしたら私の中ではこの人がナンバーワンといってもいいかも、ってくらい好き。本当に強い武将です。

島左近も、いいですよね~。この人は智将であったとも思いますが、やはり義に生きた猛将というのがふさわしいかな。最後に関が原で討ち死にしたんですけど(諸説あり)、その時のまるで鬼神のような獅子奮迅の恐ろしさに、闘った黒田長政軍の兵士たちは後年まで悪夢を見た、と言われてます。

前田利家も、若いころは猛将です。後年のふるまいから穏やかなイメージが先に来ますけど、若いころは傾き者で有名で、直情型の武闘派だったようですね。さらに当時としては大変な長身で(180㎝)、信長の愛人でもあったそうですよ(加賀藩の資料に信長本人が披露していることが記されてるそうでので本当のことらしい)。

大谷吉継は、「智将」ですね。秀吉の下で数々の功績をあげますが、大変な病(らい病といわれます)のため、一時職を辞しますが秀吉はそれを惜しんで離さなかったといいます。人柄もとても優れていたと伝わっていますが、彼が「義にあつい」とされたのは石田光成との関係。敗けると分かっていたけど、三成のために西軍に味方し、最終的に自害して果てました。

支倉常長は、慶長遣欧使節団の正使だった人。「かっこいい武将ベストテンなのに?」と思う方も多いと思いますが、この人はもともと武将として功績があった人。で、おそらくその意志の強さとか、ハッタリ効く感じとかそういうことから、伊達政宗に抜擢されたんはないかと思うんです。だって、この役割半端なくきついですもの!

竹中半兵衛は、もう何も言わなくていいですよね。智将といえばこの人、って感じですよね。

直江兼続も、はいはいはい、とうなずいてくれる人は多いことでしょう。私の場合、小説なんかでの兼続さん像で惚れ込んだタイプ。義に厚く、頭のいい、教養のある智将ってかんじですね。

上杉謙信。実は武田信玄と迷いました。信玄さんはうちの先祖ゆかりの人でちょっと特別な思い入れがあるのです。でも、上杉謙信のほうが、その矛盾の抱え方とかが逆に人間らしくて好きかなあ、という感じでこちらに一票w。武将としてはもちろん一級の人ですよね。

最後に、徳川家康。ほんと、迷いました。でもこの人はやっぱり武将としてもすごいです。同時代の人からも「海道一の弓取り」と呼ばれたのは伊達じゃない。また、結構知られてないかもですが、一人の武人としてもとても優れていました。剣術・弓術・馬術・砲術などあらゆる武術で一級の腕前だったそうです。何はともあれ、信じられないほどの数の合戦を生き残って天下を取ったというのはやっぱりすごいですよね。

こうして自分が挙げたかっこいい武将を見てみますと、共通してるのは「義に厚い」という部分ですね。
自分のため、という人よりも、何かのため誰かのために覚悟決めて成し遂げた、って感じの人が好きなんですね~。

皆さんのベストテンはいかがですか??
ぜひ教えてくださいね!

そして次もまたベストテン、続く…^^

 

歴史上の人物、勝手にベスト10「時代を作った&変えた!ベスト10」


前回、いくつかの一般的なランキングをご紹介しましたが、今回はムトウの勝手にランキング編でございます!

いや~、しかし自分で言っておいてなんですけど、これって、難しーですよ!
1500年くらいの間で、ランキングなんてムリムリ!
特に順位をつけるってのが、難しい。

なので、「好きな」で順位はつけられないので、ある程度カテゴライズして、なおかつ「最強の10人」としてベスト10でお送りしていきたいと思います。

まずは、「時代を作った&変えた人物ベスト10」でまいりましょう!
#順位はつけられませんでした~^^;

時代を作った&変えた!ベスト10
雄略(ゆうりゃく)天皇
天智(てんじ)天皇
藤原不比等(ふじわらのふひと)
平清盛(たいらのきよもり)
源頼朝(みなもとのよりとも)
織田信長(おだのぶなが)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
徳川家康(とくがわいえやす)
明治(めいじ)天皇
昭和(しょうわ)天皇

こんなかんじかな~~~。好き嫌いとかではなく、「時代を変えた」ターニングポイントを作った人たちって感じで考えてみました。
ちょっと補足でご説明しますと。

雄略天皇は、400年代後半ごろ活躍した古代の天皇(第21代)です。一般的な日本史では、あまり触らずにスルーしてしまう存在かもしれませんが、5世紀以降のヤマト政権の拡大を決定づけさせた人物で、伝説めいた逸話を読んだりしてると、この人たぶんすごかったな、と思わずにはいられない人です。

天智天皇(第38代)は言わずもがな、乙巳の変で蘇我入鹿を斬殺、当時、最大の権力を誇った蘇我家を滅亡させ、天皇による統治をおこなおうと数々の改革を行いました(大化の改新)。

藤原不比等は、大化の改新を天智帝とともに行った中臣(藤原)鎌足の息子。一説には天智帝の息子とも言いますが、大化の改新後の改革をバシバシ推し進め、律令国家としての日本を作り上げていきました。そして、その後1300年にわたって、天皇家の姻戚として繁栄した「藤原氏」の礎を築いた人でもあります。

平清盛、源頼朝は皆さんよくご存じと思いますが、この二人がいたことで、武士の時代に変革していったなあ、と思うので(清盛が調え、頼朝が切り替えたってかんじ)。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も言うまでもありませんね。下剋上の戦乱の世、その後270年もの間泰平を保った江戸時代はこの3人が作り上げたといっても過言ではないでしょう。

そして、明治天皇と昭和天皇。
このお二人は、自分自身が動いたわけじゃないじゃん、と指摘される方もいるかと思いますけど、やっぱりすごい人たちだと思います。日本が欧米の帝国主義政策下に屈せずに済んだのは、この方たちを核とした動きあってこそでしたし、昭和天皇はおそらく日本史上最も過酷な選択・立場を迫られた天皇だったのではないかと…。
一歩引いて、歴史の流れから昭和天皇をみてみたとき、この方のボリューム感はただごとじゃないな、と思うんですよね。

ここに挙げた人物を見ますと、すべての人たちはが、「いい人」とは言いがたいかもしれません。人物像としては、時に残酷ですし、多くの人たちを殺しもしています。

ですが、この人物がいたことで、時代は動き、新しい世の中が到来した…、という感じなのですね。そういう意味で、好き嫌い・善悪を超えて…なベスト10でした。

さて、次回はもうちょっとパーソナルなベスト10。
「尊敬せずにはいられないベスト10」 「かっこいい武将ベスト10」をご紹介していきたいと思います。
(つづく)

歴史上の人物、だれが好きですか?


歴史好きのマストクエスチョン
ちょっと歴史が好きだ、ということがわかると、ついつい始めてしまう「歴史上の人物、誰が好きですか?」質問。
歴史上のどんな人物に惹かれてるのか、というのを聞くとその方が大切にしているものや好みがよくわかるので、結構この質問は盛り上がりますよね(好きな人同士ならw)。
以前、P社のN編集長ともそんなお話になり、めちゃくちゃ盛り上がりました。移動中で時間もあったので、古代から現代にいたるまで、時代ごとにだれが好きか、を言い合ってですね。約5時間フルに堪能しました。何時間でも話は尽きない、鉄板ネタですね。

歴史人物ランキングを見てみましょうか
さて、では、日本人全体ではどうなんでしょうか。めっちゃ気になる!誰が一番人気があるか!

…さて、この歴史上人物人気ランキングですが、結構いろんなところで集計されています。いうまでもありませんが、どんな人にアンケートとるかでも変わりますし、その時の世相を反映して変わっていきます。大河ドラマで坂本龍馬の放送がされれば、やっぱり一位は龍馬になる、ってかんじ、で。

さて、現在手に入るもっとも一般的なランキングからご紹介していきます。NHK放送文化研究所が2008年に行った「好きな歴史上の人物」ランキングベスト10!

1位 織田信長
2位 徳川家康
3位 坂本龍馬
4位 豊臣秀吉
5位 聖徳太子
6位 武田信玄
7位 源義経
8位 西郷隆盛
9位 福沢諭吉
10位 野口英世

2008年ですからもう5年も前なので、だいぶ変わってるかもしれませんけど、へええ~なるほど~って感じのラインナップです。織田信長、やっぱし強いですなあ。

もうちょっと最近のはないかしらあ、と思って探してみたら、変化球ですがこんなのもありました!「お墓詣りをしてみたい日本の歴史上の人物ランキング」(gooランキング)!

1位 聖徳太子
2位 坂本龍馬
3位 織田信長
4位 徳川家康
5位 徳川光圀
6位 豊臣秀吉
7位 紫式部
8位 真田幸村
9位 土方歳三
10位 宮本武蔵

おお、聖徳太子がトップ!「お墓詣り」と聖徳太子は、なんとなく相性がよろしおすな。仏教ゆかりのお方だからでしょうか。
そして2位に龍馬、3位にやっぱり織田信長。変わったところですと、7位の紫式部や5位の徳川光圀でしょうか。水戸光圀、真田幸村、土方歳三、宮本武蔵などの面々は、物語世界でよく描かれますから、そういうファンも多いんでしょうね。

女子高生が好きな歴史上人物!
さて、こんなランキングも発見しましたよ。「女子高生が好きな歴史上の人物ランキング」です。

1位 織田信長
2位 卑弥呼
3位 坂本龍馬
4位 聖徳太子
5位 徳川家康
6位 豊臣秀吉
7位 篤姫
8位 西郷隆盛
9位 伊能忠敬
10位 伊達政宗

どひゃ~!信長、強すぎ!
そして、なんと2位には、古代の女王・卑弥呼さんがランクイン!そっか~、卑弥呼さんそんなに好きかあw。
そして、7位の篤姫は多分大河の影響でしょうけれども、渋いのが9位の伊能忠敬(いのうただたか)! 伊能忠敬は素晴らしい人物ですけど、この中で、唯一の町民階級の人で、リタイヤ後から測量の世界に入った努力と信念の人ですから、正直地味です。そんな人がトップ10に入ってくるなんて、なんかうれしいですね。

ちなみに、こちらには女子中学生のランキングも出てましたが、高校生のものとほとんど変わらず。なぜか7位にフランシスコ・ザビエルが入ってきてるくらいかな。

それから、もう一つ。バンダイが2010年、小学生対象に行ったアンケート「お子様の好きな歴史的人物は誰ですか」では、1位はダントツ坂本龍馬、2位織田信長、3位徳川家康、4位伊達政宗、5位野口英世…でした。小学生だなーと思うのは、10位以内にエジソン、ナイチンゲール、が入ってきてることかな。そういう偉人伝読みますものね。そういう影響は大きいですね。

織田信長、ツヨシ!
こうしてみますと、結構年齢にかかわらず、ランクインしてくる人物名は共通していますね。
そして、改めて驚きましたが、織田信長って、やっぱり人気あるんですね!!その年齢域にも必ずトップ3内。ダントツ人気です!
な、なぜだ…^^;。

というのも、織田信長ってすごい人だとは思いますけど、結構問題もたくさん持ってる人物です。「偉人」の一人だとは思いますけど、「好き」ってなると、なんかちょっとあれだなあ、と私なんかは思ってしまいます。だって織田信長が上司だったらいやだし、父親でも、恋人でも、ましてや旦那だったらもっといやです。すごい人かもしれませんが、私的には、そばにはいたくない人物ナンバー1だなあ。あまりに繊細で瞬発的で、そばにいたら耐えられないと思う。

そうそう、そうなんですよ。私の場合、いいな、と思うポイントはやっぱり人格的な部分ですね。この人、人としてできてるなあ~とかそういうところが気になるタイプです。

みなさんは、どうでしょうか?
さて、次回は、そんな私が好きな人物ベストテンを勝手に発表したいと思います。ひゃ~、難しいわあ(…と言いながら頬は緩む…)。

(続く)

 

 

会津と会津人~松江豊寿さんの件~


歴史好きだという人にどのあたりが好きですか?と聞くと「会津が好きです」という人は多いと思う。場所も、人も。
かくいう私もご多分にもれず、会津は大好きだ。

始まりは『二つの山河』(中村彰彦著)だった。あまりにも有名な作品なので、ご存知の方も多いだろう。第一次世界大戦の後、徳島「板東俘虜収容所」の所長を務めた、松江豊寿(とよひさ)大佐と彼が起こした宝物のような出来事の話だ。

何度読んでも、必ず泣いてしまう一冊。

松江豊寿さんはその後少将になり、会津若松市の市長になった人物だが、この本を読むと、なんと美しい生き方の人がいるんだろう!とため息をついてしまうほど。

第一次大戦の際、日本は戦勝国の一つだった。この坂東俘虜収容所は、青島陥落で投降したドイツ人兵を収容するための収容所だった。
松江さんは、ドイツ兵を「敗者」として扱わなかった。『人間』として尊重したのだ。それはこの時代においては、ほとんど奇跡のような出来事だった。
その奇跡のような出来事でこの小説は成り立っていて、好きなエピソードを上げていったら全部紹介しなくてはならなくなるので、細かい紹介はあえて避ける(この小説は、あっという間に読める小篇なので、ぜひ、手に取っていただきたい)。

松江さんが、なぜこれほど人間愛にあふれ、公平で、チャーミングだったのか。著者の中村さんはその根拠のひとつを「会津人」に置いている。

会津藩、および会津人の気質について語ろうとすると、一晩でも語れてしまうような気がする。他者を気遣い、誇り高く、信念のために命を賭す…。特に幕末の会津藩の振る舞い、会津人の性質というのは感嘆するほかない。これこそ新渡戸稲造博士のいう『武士道』のサムライなんじゃないか、と思う。

さて。

実は、そんなに会津が好きだと言いながら、恥ずかしながら会津に行ったことがなかった。昨年夏、たまたまさそって下さる方がいて、またその方が会津にとてつもなく詳しく、案内して下さる、というぜいたくな旅をすることができた。

当時、大震災と原発事故のために、福島県はかつてない苦境に立たされていた。同行者Nさんは福島をとても愛しており、「こんな時だからこそ、いつもどおりに、いつも以上に福島に行きたいんだよ」と言った。なるほど、それはとてもよくわかる。
私もぜひご一緒させて下さい、とお願いした。Nさんはとても喜んでくれた。

福島への旅はこうして始まった。

(次回「会津と会津人~会津若松へ~」に続く)