muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・仏教・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと剣道。

②日本的解釈とネイティブ解釈、こんなにも違う!!?/『反骨のブッダ』高山龍智著(コスモ21刊)


翻訳すると、当然生じる違い

2500年前を生きたブッダの言葉を、弟子たちがまとめたのが初期仏典なわけですが、それらはサンスクリット語やパーリ語で表記されています。

日本でも、中村元先生のような偉大な仏教学者が初期仏典を翻訳してくださってますので、私たちも読むことができるわけですが、単純にそれらを読むだけでも、ブッダが言っていることで感じる印象と、なんとはなしに仏教に対して持っていた印象が違うことに気づきます。

私が読んだのは、本当にその一部にすぎませんけども(その限られた経験で物を言うのはどうかと思いますが)、ブッダは、ものすごく合理的で、謎めいたことを言わない人だったような感じがするんですよね。

確かに、翻訳ものを読むと、原本と大分印象が違う、なんてことはよくありますよね。翻訳した人の解釈や翻訳言語の特性、文化的個性が、どうしても出てしまうからでしょう。仏典は、サンスクリット語やパーリ語の仏典を、中国で漢字に翻訳したものが日本に到来しているものがほとんどですから、原典とだいぶ違くなってるだろうということは、想像に難くないわけです。

さて、本書で高山さんは、その感覚をもう一歩進めよう、とおっしゃいます。

時代は変わった。
サンスクリットやパーリ語もヒンディー語ととても似ているので、翻訳機を使えば解読だってできる。つまり、原典を直接読むことだって可能なんだよ、と。

「原始仏教ではなく、『言語』仏教へ」

「仏教経典を記述したパーリ語やサンスクリット語は、インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、インド人でも多少の学習は必要となるが、現代日本人が『枕草子』を理解するよりはずっと垣根が低いと言える」(P22より引用)

このくだりを読んで、思わずおおおお!?と声を上げてしまいました。
そのくらいの段差?!たいして遠くないですよ?!

日本語でも、古語にしかない言葉もありますが、今も昔も変わらぬ言葉もあります。あるいは、使い方や意味が、時代によって違う言葉もありますね。
わからない言葉もあるけど、なんとなくわかります。

例えば、「サンガ」という言葉。

ヒンディー語を母語としている人は、この言葉は「共同体」という意味の言葉なんだそうです。宗教的な言葉というよりも「団体」といった意味で今も使われるごくごく一般的な言葉。

ところが、古い時代に、漢字では音訳として「僧伽」とし、意味合いとしては「侶(パートナーの意味)」で補って「僧侶」と翻訳。これで、「共同体」という意味と音を表現したわけなんですが、日本ではそれがいつの間にか一人の出家者のことを指すようになっています。

この言葉ひとつとっても、だいぶ印象が違いますね。

最も基本的な言葉でさえ、そんな感じなわけですから、膨大な言葉で形成されている経典では推してしるべしです。

「仏教」とは一体何なのか

本書を拝読すると、ブッダが生きた時代やインドならではの文化的状況を背景に感じながらも、素直にその言葉の意味を知ることでもって、ハッとさせられます。

しかし、ブッダの死後、何百年もたってインドを遠く離れ、いろんな環境の中である意味「異常発達を遂げた」仏教の枝葉について、どう考えたらいいんだろう、と戸惑いを覚えずにはいられません。
長い歴史の中で、各地・各時代の偉人が格闘して得てきた果実が、もしブッダの言っていたことと異なることであっても、それはそれでやっぱり大切な宝物なのではないのかな、と思います。

私のポンコツ頭で考えてもよくわからないのですが……

そうして格闘し、のたうち回って真理に近づこうとするそのフロー自体が、最も大切なことなのかもしれないな、と思います。そんな種を、ブッダは世界中に蒔いたんだ、と。

本書の中で、高山さんがブッダが説いたことをこんな風に言っておられます。

「問題や悩みがあれば、自分で解決する人になればいい」
「人類同士が、隣の人との友愛によって、自ら救済されよ」

私はそれを自分ふうに言い換えて、胸に刻んでみました。

誰かに救ってもらうのではなく、自ら救うのです。
隣の人のために何かしようと思う気持ちが力になって、自分を救うのです。

……どうしたらいいのかわからない、と思いながら日々生きておりますが、
そんな言葉を土台に、日々を重ねていきたいと思います。

(むとう)

①ブッダがしようとしたこと――その言葉の本質とはいったい何か/『反骨のブッダ』高山龍智著(コスモ21刊)


現代インドで進行中の「仏教復興」

なかなか体調が戻らず、この週末も剣道のお稽古はお休み。
仕事も少々落ち着いてきたので、新年にできなかった掃除やら、資料整理を細々としつつ、自分のための読書です。

つい最近発売になった『反骨のブッダ』をさっそく拝読しました。

著者の高山龍智さんは、日本国内でいえば、浄土真宗の僧侶ですが、インド仏教の最高指導者・佐々井秀嶺師に師事し、日印仏教の橋のようなお仕事をされているお方だそうです。

少々話が遠回りになるかもしれませんが、私は以前、サンガラトナ・法天・マナケ師の『波乱万丈! インドの大地に仏教復興』(春秋社)という本を拝見して、インドの社会状況と、インド仏教を再興しようとして奮闘しておられる方々の活動を知りました。

数年前、バンコクに住んでいるときに、印僑(インド系商人)の人たちがたくさんいるので、インドに詳しい当時の連れ合いにいろいろ教えてもらいましたが、ひとことで言うと、インドでは『カースト』がいまだに現役バリバリの制度であるということを目の当たりにして、本当に驚きました。「そんな構造の中で生きるだなんて、なんて大変なんだろう、つらい」と、溜息と共に思ったのです。

そんな中で法天師の本を読み、なるほど、インドで仏教が復興されようとしていることには、こんなにも必要な事情があるんだな、と思わず黙り込んだ覚えがあります。

ちなみに、法天師は、インドのアウトカーストに生まれ、日本山妙法寺にて、7歳の時に自ら進んで得度。9歳の時に比叡山延暦寺に留学して、修行したという方です。この本を読むと、インドに仏教を復興させたアンベードカル博士についてや、カースト制度への理解が早いと思います。

「カースト」という恐ろしい物語に立ち向かった人、ブッダ

さて、この「カースト」なんですけども、誤解を恐れずに言えば、「征服民族が自分たちが永久に支配者階級であるために有利であるように、仕掛けた壮大な罠(物語)」だと思います。

今から3000年も前の話です。
でも、その物語は、波はありますけれども、昔もそして今も生々しく有効だということです。

約2500年前にも、この罠をどうにかしたいと考えて立ち上がった人がいました。それこそが、私たちもよく知る「ブッダ」なのです。

一般の日本人は「ブッダ」と聞くと、何かこう、優しそうな、すべてを包み込んでくれ、許してくれそうなイメージがあるという人が多いのではないかと思いますが、もちろんそうした人間的大きさはあったでしょうけども、それよりも何よりも、「改革者」としての活動家であったというほうが、主だったと考えたほうがいい。

それは、インドで何千年も続いてしまっている、恐ろしい呪いのような社会構造を知ると、わかります。
そんな状況をどうにか変えたいと奮闘したのがブッダであった。そして、の戦いは今も続いている、ということなのです。

そうしたインドの社会状況、そして自然状況などを知らないと、ブッダの言葉を読み違えてしまうのも、また仕方がないことでしょう。

私たち日本人が暮らす日本列島は、やはり穏やかでのんびりしているのです。
そして絶えず変化していくことを前提にしている文化を持っています。

季節は大きく移り変わり、様々な動植物が現れては消えてゆく。どんなに偉い人でも、ずっと富んでいるということはないと考える。実際問題、自然災害が起これば、富者も貧者も同じく死んでしまうし、立派な建物でも火事で焼け、あるいは津波に呑まれてしまう。

このような背景を持つ我々の文化と、「魂は永遠に変わらない、死んでも終わらない。暑さはずっと続くし、砂漠はずっと砂漠」といった文化では、同じ言葉でも捉え方が違うのです。

その前提をもって、「仏教」の中心概念を、やさしく読み解いてくれるのが本書『反骨のブッダ』だと言えると思います。

(続く)

【覚書】「あれ」の意味ーー稗田阿礼と、鹿島神宮の「大物忌」


鹿島のクマリ「大物忌(おおものいみ)」と、「あれ」

古事記を編纂した時に功績のあった「稗田阿礼(ひえだのあれ)」という人がいます。
天武天皇の勅命で「帝皇日継(ていおうのひつぎ)」と「先代旧辞」を「誦み習わし」ていた、つまり「丸暗記していた」という稗田阿礼は、謎が多いキャラクターで、小説にも多く描かれている人物です。 「稗田」氏は、天の岩戸伝説で有名なアマノウズメノミコトの末裔である「猿女の君」の一族と言い、それからしても、阿礼さんは、女性だったのではないか、とか。丸暗記しているというその異能からして、サヴァン症候群の天才的人物だったのではないか、とか。

謎が多いというか謎だらけの人物なわけですけど、わざわざ古事記序でその名前を挙げて称しているということからしても、この人の功績がいかに大きく、尊いことだったかということを想像します。

ところで。

たまたま「大物忌」(*物忌は、伊勢神宮、賀茂・春日・平野・松尾・香取・鹿島などの大社に仕えた童女・童男のこと。鹿島の「大物忌」はチベットの「クマリ:童女現人神」に似たような存在)について調べたくて、『新鹿島神宮誌』を再読していたら、「みあれ」という言葉が出てきました。「みあれ」は、「み生れ」と書くそうで、新しく生まれ出ることを言うようなんですね。ちょっと抜萃してみますと…

――「生(あ)れ」とは一つには、地下の種の状態の見えない世界から見える世界へ発芽し、「生れ」てくるという意味がある。そしてこの時の「生れ」は同時に「荒れ」でもある。あるけれども見えない聖なる地下の世界から土を打ち破り地上の動の世界へ荒々しく「荒れ」て出てくるのである。(中略)「生れ」は「荒れ」であり、「有れ」「在れ」の生命顕現の姿である。(「第五章 鹿島神宮古事記」より引用)

 鹿島神宮の基本的なご神徳はこの「みあれ」である、と。ものすごくざっくりまとめると、「新たなる出発、旅立ち、誕生、表出、春」そうしたことが基本属性と考えられるようです。

鹿島の「大物忌」は、伊勢の神宮の斎宮と同じく、大宮司より上位にありました。古い時代には、ごくごく限られたお祀りにしか参加しなかったそうなんですね。それは、この基本属性に関わる重要なお祭りのみ。神が「静の世界、姿のない世界」から、「動の世界、姿のある世界」に顕現することに関わる御祭りに、大物忌がお迎えする、という感じですね。
なるほど、「あれ」にはそんなに大切な意味があるのね、と頷きながら、ふと連想したのは「稗田阿礼」のことだった、というわけなのです。

賀茂の斎院と「あれ」

そして、これまた流れで読み始めていた『日本巫女史』(中山太郎著)で、ハッとなりました。
「阿礼乎止売(アレヲトメ) 賀茂神社 類聚国史
賀茂社の斎院を一に阿礼乎止売とも称えたことが、「類聚国史」天長八年十二月の条に載せてある。阿礼の語釈に就いては諸説あるも、私は産生(あれ)の意と解してある。賀茂社第一の神事である御阿礼は、即ち産出の事だと考えている。」

なんと!

賀茂の斎院も、「あれおとめ」と呼ばれていたと。しかも「あれ」に充てられている漢字が「阿礼」で、稗田阿礼と同じじゃないですか。

浅学にして存じませんでしたが、「阿礼」には、そんな意味があったんですね。なるほどなあ。

このことからしても、性別はわかりませんけど、稗田阿礼という名前には、「生まれ出る」といった意味合いがあったということですよね。
天岩戸伝説で、天照大神が再びこの世に出現するきっかけを作ったアマノウズメノミコトの末裔にふさわしい名前ですし、「古事記」をこの世に顕現させるために存在する人物であったということを、よく表現しているように思います。

古来、言葉は「呪」でもありますし、意味のあること以外に使いません。全てに意味があることを思うと、やはりこの名前に込められた意味は深いですよね。

文字の強さが押し寄せてくる!――視覚的にも・音的にも。そして意味的にも/『人生は単なる空騒ぎ』鈴木敏夫著(角川書店)


とにかく本が大好きなので、
友人が精魂込めて編集している本が出来上がったと聞くとものすごくテンション上がります。二重に三重に、本当に嬉しい。

でも、ついつい忙しさにかまけて本HPで紹介することを怠ってきてしまいましたが、今年はマメにご紹介したいと思ってます。

本年第一弾は、こちら!!
スタジオジブリの名プロデューサーとしてあまりにも有名な鈴木敏夫さんの『人生は単なる空騒ぎ』(角川書店)です!!

うううむ。Yさん。
こんなすごい本作ってたのか…

実は、まだしっかりと拝読する前なのです。
しかし、全体をざっくり拝見し、その構成にさすが…と思わず頭が下がりました。

鈴木さんの来し方を、「文字」という角度から新鮮に、ど直球に、丹念に、サービス精神マックス注入で、構成している……。

……愛だなあ。本質をしっかりとつかむ、ということはもちろんのことですが、それをより読者にお伝えするために、編集者は格闘します。そんな編集者の凄み・機微は細部に宿る、と私は思うので、こういう「諦めない」構成は、まさに編集者の愛なのだと、思っているのです。だって本当に大変なんですもの~!Yさん、本当にすごいよ~!

*****

鈴木さんはもともと編集者としてもものすごいお方で、私は雑誌はあまり通っていないと思っていたのだけれど、よく考えたら鈴木さんが編集長を務めておられた『アニメージュ』だけは買っていたんでした。
毎月夢中になって隅から隅まで読みこんでいた。

ーーーそう、そうだった!!!

と、いきなり10代の時のことを強烈に思い出しました。

この本は、アニメや漫画ファン、映画ファンはもちろんですが、編集者必読じゃないかと思います。編集者時代に書いたという、映画の企画書や、制作作業行程表がカラーで掲載されていたり(手書き!!)、新聞広告のラフや、ポスターラフなどなど(これまた手書き!)なんかもカラーで掲載されてます。
このような貴重なものを見られるなんて、なかなかないですよね。

仕事のできる人のラフ、
あるいは校正ゲラの赤字を拝見するのが、一番勉強になる。

と、私は痛感しているので、このような貴重なものを拝見できるなんて、とものすごく得した気分です。

もちろん、鈴木さんの文章もたくさん載っていますよ!
そしてもちろん「書」。これまたとにかく強くて味があって、ステキです。

そんなわけでして、皆様。
ぜひお手に取ってくださいね~!

私は今の山場を越えたら、じっくりと拝読したいと思っています。
仕事がんばります!

(むとう)

2018年、新年のご挨拶。


新年あけましておめでとうございます!!
旧年中は、本サイト及び代表・武藤をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました!

一年経つのがあっという間過ぎて、毎年驚いている気がします。

2017年も、本当にあっという間でした。

しかしこの「あっという間」は自分にとっては、とてもいい意味の「あっという間」だったように思います。

例年ですと、自分の力不足に苦しみ、人間関係に悩み、くよくよし……

そんな負荷を感じながらの「あっという間」なんですが、昨年はそんなことも感じつつも、それ以上に、何だか充実した楽しい一年だったような気がするのです。

微力なことにはかわりありませんが、自分なりに満足できるお仕事をさせていただくことができました。

畠山健二先生の『本所おけら長屋』シリーズが、累計50万部突破されたことも、
五木寛之先生のご本を続けて2冊刊行することができ、重版を重ねられたことも、
本当に嬉しいご褒美でした。
私の力なんてなきに等しいのですが、そう言った素晴らしい作品に関わらせていただけたことが、とにかく誇らしく、ジンワリとありがたく……
さらに、荒山徹先生の歴史小説『白村江』が、歴史時代作家クラブ作品賞を受賞されたことも、とにかくものすごくうれしかったです。

そして、自分のために時間をつくれたのも良かった。

2017年は、少しでも時間ができたらとにかく旅をする、と決めたんですが、十分に実行できました。特に印象的だったのは…

大阪・奈良、
対馬・壱岐・博多・宗像、
長野・戸隠、
津島・名古屋・伊勢・鳥羽・伊良湖、

への旅です。
上の地名は、実は自分の中ではすべて関連し、繋がっているんです。
仕事にダイレクトにかかわらないかもしれませんが、自分にとってのライフワークにコネクトしていく大切な旅になりました。

そして今年です。

2018年も、2017年にスタートできた、「自分なりの大きくて小さな旅」を続けていきたいと思っております。

仕事ももっともっと、面白がっていきたいですし、
先生方にもっともっと、楽しく本を書いていただけるよう全力を尽くしたいと思います。
そして、自分自身のライフワークも、しっかりと歩を進めていきたいと思っております。

本サイトでもささやかながら、そんなことをご報告していきたいと思っております。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!

ありをりある.com 編集長
武藤郁子 拝

2017年は「慶派イヤー」!⑧迫りくる慶派の奔流!この究極の空間に在る歓び。『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)


やっぱり、『運慶と慶派』展という名前のほうがしっくりくるかも…

円成寺さんと、願成就院さんのお像について語りだしたら止まらなくなってしまった私ですが、全体的なお話もちょっとだけ…

今回の展示のストーリーとしては、運慶の生涯の時間軸を大きな縦軸にしています。
「運慶前夜」とも言える慶派の始祖・運慶のお父さんである康慶のお仕事、そして、さらに慶派前夜とも言える仏像の数々などから始まり、運慶自身の仏像、運慶がプロデュース・総指揮をしたであろう仏像、そしてそのチームの中で綺羅星の如く、運慶の息子たちの仏像……と進行していきます。

正直言って、運慶がほとんど一人で作ったものもありますが、監督だけしたであろう仏像も多いので、『運慶と慶派』展という名前のほうが、実情に合ってるように思ってしまいます。

このあたりは、あえて『運慶』とされたんだろうとは思いますが、せっかく担当した仏師の名前がわかってるんだし、それはやっぱりそう記してもいいんじゃないかなあ、なんて素人考えで思うわけです(図録にはちゃんと書かれてますけども)。

例えば、このあまりにも有名な「無著菩薩像」@興福寺。
こちらの図録の表紙にも登場されてますが、こちらは、図録にも書かれていますけれども、〔総指揮:運慶、制作:運賀〕って感じなんですよね。

実際に作ってるのは、運慶の6名いる息子のうちのひとり・運賀だとされているそうです。もちろん、運慶の指揮でもって行われてますから、運慶作、と言っていいのかな?……でも、やっぱり、せめて「運慶・運賀作」ってクレジットでも良いのではないかしら…。なんて思ってしまうのでした。

もし、「総指揮」した人を作者とする、というルールを貫くなら、円成寺さんのお像も「康慶作」となってしまいますもの。それはなんか違う、と思いませんか?

まさに怒涛! 迫りくる慶派の奔流!!

そんなわけで、今回のみどころは運慶一人ではありません。運慶を中心として、父・康慶、息子6人の関わった仏像がドドンと集結していますので、それがまた怒涛のように次から次へと押し寄せてくるのです。
ぜひその奔流の中に身をひたして、次はあり得ないかもしれないこの究極の空間を楽しんでいただきたいのですが、あえて、個人的に特に注目したものを挙げてみますと…

なんと言っても、長男・湛慶作の高知雪蹊寺の「毘沙門天三尊像」と、高山寺の「子犬」像です!!
雪蹊寺には、私も幸運なことに二回、こちらにお邪魔したことがあります。とはいってももう10年以上前の話。久しぶりに毘沙門天立像に拝観できて嬉しかったです。やっぱり素晴らしいですね!

(図録P200より引用)

運慶の毘沙門天立像@願成就院を意識していると思われますし、そういう意味ではやはり運慶には及ばないのですが、でもこの毘沙門天さんは、湛慶さんの毘沙門さんです。湛慶さんのお像を見るとなんだか「清明」という言葉がひょんと浮かぶのです。
お父さんの偉大さが極め付き過ぎて、どうしても比較されてしまいますが、この爽やかさ、清らかさ、明るさは、やはり特別な個性ではないかと思います。

(図録P204より引用)

湛慶さんの個性を特によく感じられるのは、高山寺の「子犬」像ではないかと思います。高山寺さんも大好きで、何度も拝観していますが、明恵(みょうえ)上人のために作られたというこの「子犬」像は、とにかく可愛い。子犬のフクフクとした足元、無邪気にみつめてくる愛らしい瞳、くるんと巻いた尾っぽ。本当に愛らしい。

こちらは仏像ではありません。あくまでも、「子犬」の像なのですが、高山寺の開祖・明恵上人の慈悲深いエピソードと相まって、何とも言えぬ存在感を感じます。
こういう優しげな雰囲気が、いかにも湛慶さんだなあ、と思うんです。

隣に展示されている「神鹿」像@高山寺もとても可愛いです。明恵上人は春日社(大社)を篤く信仰していましたが、その春日社ゆかりの神鹿です。こちらも、神秘さというよりは、鹿本来のしなやかな美しさ、可愛らしさが先に立つ像ですね。

湛慶さんは、きっと優しい人だったんだろうな~。

運慶さんのような、スーパー父さんの下で同じ仕事をすることになって、さらに五人の弟たちをまとめながらの…って、本当に大変だったろうな…。

ちなみに、有名な三十三間堂の中尊(丈六千手観音菩薩坐像)は、湛慶さんの手によるものです。三十三間堂は、慶派だけでなく、院派や円派など当時の仏師大集結で建立されました。考え方も違う、個性的な仏師たちをひとつにまとめ上げるなんて、とてつもない大事業だったことでしょう。しかし、湛慶さんはやり遂げました。それだけ人徳のある人だったんでしょう。

中尊に在る銘によれば、その時、83歳。……まさに超人!!

今回はちょっと珍しいものとして、その中尊の光背にある「三十三応現身像」のうち、迦楼羅像、夜叉像、執金剛神像の三体を取り出して、出品されています。

これまでにも、光背にある状態は見てきたはずなのですが、お堂にある状態ですとお花や影の塩梅などで、光背の細部まではさすがによく見えません。こんなふうに近くで見られる機会は、なかなかないでしょう。ぜひ、見逃さないようにしてくださいね!

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さて、長くなりましたが、運慶展のレポートはこのあたりで。
11月1日ごろに、二回目を観に行こうと思っています。
何度拝見しても、また感動するでしょう。それが、運慶の、ひいては仏像の魅力なんですよね。

『運慶』展 東京国立博物館(9/26~11/26)

2017年は「慶派イヤー」!⑦とにもかくにも願成就院の毘沙門天立像、円成寺の大日如来坐像…!『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)


鎌倉時代の支配者・北条得宗家の氏寺、願成就院

仏像というと、どうしても関西といった印象が強いかもしれませんが、運慶の仏像で最も重要なお像の数体は、東日本にあるんです~!

その中でも最も重要なのは、願成就院です!!(と言いきっていいですよね?!)

願成就院は、伊豆半島の付け根、駿豆線というステキなローカル線の韮山駅から歩いて15分ほどのところにあります。

こちらには、運慶の真作とされ、国宝指定になっている仏像が、なんと5体もいらっしゃるんです!!
それにしても、なぜここにそんなすごいお像が?…と思われるかもしれませんが、この辺は、源頼朝の舅・北条時政の領地で、願成就院のスポンサーは時政だったんですね。ちなみに、頼朝の配流先である「蛭ヶ小島(ひるがこじま)」も、現在の願成就院から歩いて20分ほどのところにあります。

そんなわけでして、願成就院は、北条家のゴッドファザー・時政開基の特別なお寺。鎌倉幕府の支配者・北条得宗家の氏寺のようなお寺だったんです。戦国期の始まり頃(1491)に燃えてしまうまでは、そりゃもうゴージャスで、広大な大伽藍だったそうですよ。

運慶の「リアル」とは…

前回お話ししましたが、小学生の頃にこちらの仏像に出会ったことが、私の仏像人生に始まりとなりました。今回はその五体の中から一体だけの登壇となっています。それが、幼い私が最も釘付けになったお像、「毘沙門天立像」です。

このお像の凄さというのは、何度拝観しても、見慣れたつもりでもう一度見ても、あらためて、感動してしまうというところです。
すごい仏像というのは、まるで山や大木や滝や海のように、そこに在るのが自然である、…と思わせてくれるお像だと私は思っているのですが、このお像はまさにそんなお像だと思います。この一体が、仏教の教えの具現化であり、宇宙、自然事象その物なんじゃないか、と。

よく、運慶を褒めるひとつの表現として「リアル」という言葉がありますが、そのリアルさは、そういう意味でのリアルさだと思ったほうがいい、と私は考えます。
「仏」は超絶した存在です。その超絶した存在を、いかに「超絶した存在」として「リアル」に造り上げるか。誰も見たことがないその姿をいかに「本当の存在」として造り上げるのか、そこが、僧侶でもある仏師の理想とするところでしょう。ですから、「より人間らしく、写実的に」。そういう意味でのリアリティの追求ではないと思うんです。

確かに、人体の研究を良くされていただろうし、「まるで生きている人間のような」表現をうまく取り入れてると思いますが、しかし、実際に運慶作の仏像に拝観しますと、「人間っぽい」とは思いません。こんなすごい存在を、人間の手が生み出しちゃったのかーー!と驚くばかりです。
特にこの願成就院の毘沙門さんは、何度見てもそう思うんです。
今回も、会場で拝観して、何度も何度も、そう思っては溜息をつきました。

処女作、円成寺の大日如来坐像の「ひとり立体曼荼羅」感

もう一体、初めて拝見した時に、「ひええええ」と思った仏像は円成寺さんの大日如来坐像です。

実は、このお像に初めて拝観したのは、ごく最近。なぜか拝観したことがなかったのですが、大先輩Wさんのお導きで、ごくごく近くから拝観させていただく機会をいただきました。

その時に感じたのは、このお像を中心として果てしなく広がっていく「宇宙」!

すみません、わかりにくい表現で。

でも本当に、意識が広がって宇宙の中に自分ががあるようなそんな感覚がしたんです。
大日如来という存在は、仏教の中の「密教」という教えがあるんですが、その密教が描き出す世界観で、宇宙の中心にいるとされる仏さまなんですね。

このお像は、一瞬にしてその難解な教理を「感じ」させてくれました。
難しくって、経典を読んでも、私に理解できるとは思えませんが、このお像はそのとてつもない世界がどうも「在りそう」だ、という実感を感じさせてくれたのです。

す、す、すごい。
これぞ、仏師の目指す表現の世界なんじゃないのかな…と!

この大日如来坐像を造った時、運慶はまだ20代後半です。お父さんの康慶に見守られながら、一人で作り上げた初めての一体と考えられています。
それにしても、すごい。こんなにすごいお像をそんなに若くして作ってしまうとは…。

「最初の作品に、すべてが現れるということはよくあることだよ」

興奮してオロオロする私に、ご一緒いただいたWさんは、そう言って笑いました。
Wさんは、数多くの伝説的な展覧会を企画された大御所。美術について、大変な見識をおもちの凄いお方です。

「だから前から言ってるでしょ、ぼくはこちらのお像が運慶の中でも一番好きだ、って」

わ、わ、わ、わかりましたー!Wさん!
私も、ものすごく納得しました―!

そんな興奮状態で、うるさいほどふんふん頷きながら、円成寺さんを後にした私なのですが、今回も、このお像に再会できるのを、本当に楽しみにしておりました。

今回、このエポックメイキング的なお像は、展覧会構成の第一章「運慶を生んだ系譜」の中で、初めて登場する「運慶作」のお像として登場していました。

正直言って、お寺で拝観させていただいた時とはかなり印象が違います。展覧会でのお顔と、本来の場所でのお顔はびっくりするほど印象がちがうということは、よくあることですが、このお像はそれが顕著でした。
できれば、また円成寺さんで拝観したい、そう思ってしまいましたが、それにしても素晴らしいお像であることには変わりはありません。
(続く)

『運慶』展 @東京国立博物館

2017年は「慶派イヤー」!⑥始まりました!『運慶』展!!@東京国立博物館(9/26~11/26)


『快慶』展、そしてついに始まった『運慶』展!

待ちに待った『運慶』展、いよいよ始まりましたね~!

『2017年は「慶派イヤー」』ということで、何度か既に弊HPでも書かせていただいておりますが、今年は4-6月には『快慶』展(@奈良博さん)にて開催され、秋には、この『運慶』展が開催されるということで、多くの仏像ファンが浮足立ち続けた一年、と言っていいんじゃないでしょうか。

それにしても奈良博さんの『快慶』展、よかったな~。
あの「金色の坩堝(るつぼ)」空間は、本当に素晴らしかった。

快慶という人がつくりあげようとしたものの一端に、ちょっとだけ身をひたせたような気がしました。「理解した」とかではなく「身をひたせた」という表現が自分的には正しいかんじ。あの深遠で濃厚な世界を私ごときが「理解した」なんておこがましい。でも、理屈じゃなく体感させてもらえた何かはある、そんな感じなのでした。

さて、一方の『運慶』展はどうかな~。

10月15日より前の平日が狙い目かも?!

今日は贅沢にも、神仏探偵ことH先輩と、担当編集のSさんもご一緒です。
いいですね!誰かと一緒にというのは!

平日木曜日のお昼頃でしたが、待ち時間は20分でした。とはいえ、実際にはそんなに待たなかったように思います。10月15日にNHKの『日曜美術館』で放映があるそうなので、その前までだったらだいたいこんな感じなんじゃないかな、と予想。
なので、皆さん、そこをひとつポイントとお考えいただくといいんじゃないかなと…。

様々な雑誌で特集を組まれていましたから、どんなラインナップかはご存じの方が多いと思います。私は、こういういい方はあれですが、あえてあまり雑誌を拝見しないようにしてました。
というのも、運慶や慶派のお像は、本当に有名なものばかり。拝観したことがあるものが多いんですね。なので、今回は「何が来て何が来ないか」を、知らないままには拝見したかったんです。

仏像好き人生のエポックメイカー・毘沙門天さん@願成就院!

実は、仏像好きの人生を歩むことになるきっかけをもらった仏像というのがありまして。それは、願成就院の仏像なのです。
あれは確か、小学2年生のころ。伯母の家が願成就院の近くにありまして、私がすでに仏像好きだと聞いた伯母が、願成就院に連れて行ってくれたのです。

それまでは、好きだけど、「唯一大好き!」というわけではなかったんです(エジプト考古学にも同じくらいはまっていたのでした)が、この出会いにより、圧倒的に仏像のほうへとひきつけられてしまったんです。

それも、願成就院の「毘沙門天」像でした。
看板の写真にも登場している、こちらのお方です!

30年ほど前のことですから、当時の願成就院は本当に小さくて、子どもが見てもかなり質素な現代風のお堂でした。その小さなお堂の中に、ものすごい存在感の阿弥陀仏、毘沙門天、不動三尊像が所狭しと並んでおられました。

その時の衝撃ときたら……!!

仏教のこともよくわかりませんし、何の知識もありませんけど、「うわあああ」と思いました。ここまで振り切ってると、これがものすごいんだということは、子どもにだってわかるんです。

でもよく考えたら、ここ数年お目にかかっていません。2013年に国宝に指定されたと聞いて、まるで身内の尊敬している長老が受勲したような、誇らしい気持ちになったりしてたんですが、最後に拝観したのはそれ以前ですから、もう7・8年は拝観できてませんね。

ポスターにも図録の表紙にも登場しているくらいですから、間違いなく来られているでしょう。願成就院は国宝5体こられてるのか。否か……。

(続く)

『運慶』展 @東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

 

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑮対馬で最も陽気を感じたお社・天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社〔式内社〕


対馬北部の山道を走っていると、にわかに立ち上がる「山梨」感

翌日、さらに北上し、ツシマヤマネコ保護で有名な佐護地区を目指します。その間の道程は、ほとんどが山道。道はよく整備されていますが、海はほとんど見えない島の真ん中をひたばしるので、いったいここはどこだっけ?という気持ちがふつふつと…

「なんかさ、山梨っぽくない?」

友人がポツリとつぶやきます。
わかる~~!そうなのよ、そう!
いきなり目を瞑ってここに連れてこられて、ここどこだって言われたら、山梨か、長野って答えるわ!…という、そんなかんじなのです。

もちろんこの地域に来たからには、
対馬野生生物保護センターで、ツシマヤマネコさんにお目にかかったり……

対州馬にも体験乗馬させてもらったり……

イキモン部活動も、存分に楽しんできましたが、そこはまたイキモンブ項目でご紹介できたらなということで、ここは先を急ぎます。

その五、天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社〔式内社〕と、神御魂(カミムスビ)神社〔式内社〕

佐護のあたりは、古くより対馬唯一と言っていいような穀倉地帯です。穀倉と言ってしまうと大きすぎますかね。いえ、でも水田が広がる唯一の場所とはいえるでしょう。

水田地帯を抜け、入り江に出るとそのほとりに、かわいらしいこんもりとした緑地帯が見えてきました。天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社です。

わああ…。
何とも言えず気持ちのいい場所です。
そして、すごく愛らしい場所……。

溜息をつきながら、たたずんでいると、何かの視線を感じました。
ふっとソテツの下に視線を向けると、

あ、なんかいる。…目があった!

茶色の毛がふっさふさの、やたらにかわいい生き物が私のほうを見つめていたのです。見つめ合ったのは一秒もなかったでしょうが、妙に長い時間がたったような気がします。

はっと気が付いたら、その生き物はいなくなっていました。おそらくイタチ、チョウセンイタチかなと思われますが、このお社に招き入れてくれたような気がして、ますます嬉しい気持ちになります。

タクズタマさんのお使いかな~、と口元をほころばせながら、さっそく…

こちらのお社のご神体は天道山で、社殿のない古い様式です。写真で二つ目の鳥居の奥に見える祭壇は、天道山を遥拝するために設けられたもので、「東面と北面に鳥居があり」と『日本の神々』にあるのですが…。

鳥居は三基建っていますが、上の写真の方角が東面しているのは確かにそうですが、下の写真が南面してるような…あれれ?

それはともかく。

遥拝所を中心に、両側に二基、積み石型の石塔があり、東面、南面を鳥居でもって結界してるこの様子は、まさに磐境(イワサカ)です。かっこいい!

この結界の中に入ると、なんとも爽やかで、軽やかな気が流れているように思います。今回の対馬で参拝したお社の中でも断トツに明るい!気持ちいい!

ただし、この祭壇がある場所の前までは、って感じですね。それより中は沖縄の御嶽(うたき)のような濃厚な気配がして、写真を撮ることも憚られる気がして、撮りませんでした(びびり)。

タクズタマと「天道信仰」

ところで、こちらの主祭神は「タクズタマ」という神さまなのですが、いったいどんな神さまなんでしょう。

実は、対馬には固有の神道「天道(てんどう)信仰」というのがありまして、タクズタマはこの天道信仰の象徴である「天道菩薩」と同体なのです。

この信仰は、神仏習合が盛んに行われた中世に生まれたものようですが、

「尊い生まれの女性が、太陽の光で受胎し、男の子・天道童子を出産。神童の誉れ高く、僧となり巫祝の術を覚え、上洛、帰郷する。33歳の時、体調不良をどうにかしたい天正天皇の要請を受け、再び上洛。見事平復させ、感謝した元正帝は、様々な恩賞と、宝野上人の称号を賜った…」

といったような、物語が語られるんですけども、極めて中世らしい物語かなと思います。

一方、タクズタマは、タカミムスビとカミムスビの子どもです。この二柱は先だっても少し書きましたが、日本神話では「ヒトリガミ」とされる尊い神々なんですけど、対馬では、夫婦神なんですね。

おそらくこちらが、古い神話として対馬に根付いていて、中世になってから、天道法師の物語と習合した、ということだと思います。

面白いのは、この夫婦神と子供神が一緒に祀られていないということ。

タクズタマを祀る特に重要な神社は、二つありまして、ひとつがこの「天神多久頭魂神社」で、もうひとつが、対馬の最南端の集落・豆酘(つつ)に鎮座する「多久頭魂神社」なんですが、前者の近くにはお母さんであるカミムスビのお社があり、後者の近くにはお父さんであるタカミムスビのお社があるんです。

必ず、片親とセットって言うのが、なんか不思議ですが、興味深いですね。
天神多久頭魂神社から、車で5分ほどの場所に、お母さん、カミムスビのお社・神御魂神社があります。

こちらも杜の中、鬱蒼と茂る草を押しのけて進むと、現れます。

めちゃくちゃ、素朴!
鳥居には手書きで神社名が書かれてますし、お社も、普通のおうちのよう。
しかし、気配はとても濃厚なので、鳥居の中に入らずに遥拝して、失礼しました。この濃厚な気配、沖縄の御嶽にそっくりですよ!

(続く)

『運慶』@東京国立博物館、観に行ってきましたー!


トーハクさん開催中の『運慶』展にいってきました!

今日のお昼頃で20分待ちと出ていましたが、さほど待たずに入場できましたよ。

日曜美術館の放映がたしか10/15だったと思うんですが、その前までが狙い目かも。

詳しいレポートはまた改めて書いてみたいと思っておりますが。

とりあえず、仏像好きのみなさま!

言わずもがなですが、観に行かなくてはならない展覧会ですよー!!