muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・マンガ・サブカルいろいろ・仏像・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと唄。

京都、奈良、高野山へ――空海さんと密教を巡る旅!②乙訓寺


長岡京・乙訓寺(おとくにでら)

洛北の高雄山寺こと神護寺を含む「三尾」を尋ねた翌日、小雨の中を電車とバスを乗り継ぎ、乙訓寺へと向かいました。

JR京都駅から約10分ほどの長岡京駅で下車、バスでさらに15分ほど。「光明寺行」のバス、というのがゆかしいですね。
光明寺と言えば、浄土宗の開祖・法然上人さん縁のお寺。こちらもぜひ拝観したいところですが、なにしろ雨で足元も良くないので、今回はあきらめました。

バス停から、住宅街を10分ほど歩くと現れたのがこちら。

……あれ?

想像していたのより、だいぶコンパクトな…。
いえ、すみません、失礼な物言いになってしまいましたが、乙訓寺と言えば、例の早良(さわら)親王が幽閉されたお寺です。

早良親王は、桓武天皇の同母弟であり、皇太弟でしたが、無実の罪を着せられ、廃太子となり、非業の死を遂げられた方。
じつは、この早良親王という悲劇の人物が、後の京都(平安京)をつくりだしたと言っても過言ではないのです。憤死された後、桓武天皇の身の回りの大切な人が次々に亡くなり、親王の怨霊の祟りだと考えられました。
その祟りから逃れるために、長岡京を遷都し、平安京に遷ったとされています。まさに「御霊(ごりょう)」--日本史上特筆すべき怨霊のおひとりと言っていいでしょう。
当時の皇太子という高貴な容疑者を幽閉する場所として選ばれたのが、この乙訓寺なので、勝手に想像を膨らませてかなり大規模なお寺を想像してしまっていたのでした。

もう少しすると、ボタンが咲き乱れて多くの人が訪れるそうですが、この日は寒いし雨は降っているしで、ほとんど参拝客はいません。

左手に見える鳥居は八幡神のお社。右手奥が本堂になります。
じつは、この「八幡神」というのが、こちらのお寺のキモと言っていい存在なのです。

桓武天皇にまつわる怨霊と、鎮護国家の道場

ちなみに、空海さんは、神護寺の後、嵯峨天皇の勅命によりこの乙訓寺の別当になりました(811年)。「高雄山寺(神護寺)では不便なので」という理由だったらしいんですけど、それならもっと御所に近い場所のお寺でも良かったのでは?と素朴に思います。長岡京の故地にあるお寺なんて、ちょっと遠すぎませんか。
嵯峨天皇は、空海を別当に命じこの地を「鎮護国家の道場とした」そうなんですが、それはやはり、親王の怨霊鎮めと無関係ではなさそうです。
嵯峨天皇は、早良親王の甥にあたるのです。親王が憤死されたのは785年。嵯峨天皇は786年生まれですから、生前の交流はありえませんが、実母である藤原乙牟漏(おとむろ)皇后は、親王の祟りによって亡くなった(790年)と考えられていましたから、思いは切実だったことでしょう。

事件の時、空海さんは12歳でした。まだ故郷の讃岐国に居ましたが、この大事件を知らないはずがないのです。なぜなら、空海さんの母方の伯父である阿刀大足(あとのおおたり)は、桓武天皇の第三皇子・伊予(いよ)親王の侍講(学問の師として使える役職)だったんですから、とても近い感覚でこの大事件について聞いていたはずです。
ちなみにこの伊予親王も悲劇の人。807年に無実の罪を着せられ自害して、のちに怨霊になっています。パターンは早良親王とほぼ一緒です。

いやもう、実に。

桓武天皇の周りは、怨霊だらけです。
そもそも、桓武天皇が皇位に就く際にも、異母弟で皇太子だった他部(おさべ)親王と、母・井上内親王も、これまたほぼ同じパターンで廃皇后・廃太子、憤死→怨霊化しています。

弘法大師が住まったお寺のご本尊は「合体大師」

こちらのご本尊は、その名も「合体大師」とおっしゃいます。
私はそのことを本田不二雄さんのご本『弘法大師 空海読本』(原書房)で初めて知りました。

「合体大師」??

なんですか、それは!?

改めてお寺のHPを拝見しますと…

ーー空海が八幡大神(大菩薩)の姿を彫っていると、翁姿の八幡大神(大菩薩)が現れ、「力を貸そう。協力して一体の像を造ろう」とお告げになり、八幡大神は大師をモデルに肩から下、大師は八幡大神をモデルに首から上をそれぞれ別々にお彫りになった。出来上がったものを組み合わせると、寸分の狂いもなく、上下二つの像は合体したという。この像はしび制作縁起から「互為の御影」と語り伝えられ、八幡社は今の境内の一角にある。(公式HPより引用)

むむむむ。

つまり、お顔は八幡大菩薩。肩から下は、弘法大師のお姿だと、そういうことですね?

しかも、八幡神の姿をつくろうとしているところに、本人が登場して「半分つくるよ」と言って、顔から下を彫り手であったはずの空海さんにしちゃった、ということですよ。なんと秘密めいて、暗示的なお話なんでしょうか。
(ご朱印も、もちろん「合体大師」です)

ちなみに、お像は秘仏ですが、今のご住職は一度だけ、阪神淡路大震災で被害を受けた本堂の修復のためにお像をご覧になったんだと、ご朱印を書いてくださった奥さまからうかがいました。
「お嫁に来てからは一度もあけていないから、私は拝観したことがないんですよ」
と奥さまがにっこり。今後は33年に一度のご開帳と決められたそうなので、生きてる間に一度拝観できそうでよかった、なんてお話ししました。気さくな優しい奥さまでした。

空海さんと八幡神の深いつながり

先にご紹介したご著書の中でも、本田さんは空海さんと八幡神の不思議なほど濃い関係について、考察されています。詳しくはぜひ本書をご覧いただきたいのですが、じっさい、あまりよくわかっていない私ではありますが、そもそも神護寺が「和気(わけ)氏」の氏寺であった時点で、「おや?」と思うわけです。

和気氏といえば、これまた古代史上大事件「道鏡事件」で大きな功績のあった、和気広虫(わけのひろむし)と和気清麻呂(きよまろ)姉弟のあの和気氏です。

道鏡事件をざっくりまとめれば、女帝・称徳天皇が、寵愛していた僧侶・弓削道鏡を天皇にしたいと考えたものの、宇佐神宮のご神託により、天皇にするのをあきらめた、という事件です。

この時、宇佐神宮に使いをして「道鏡を天皇にしてはいけません」というメッセージを持ち帰ったのが、和気清麻呂でした。

宇佐神宮というのは、八幡神のお社のことです。つまり、このご神託は八幡神が発したものでした。

ここでも、素朴な疑問が湧いてきませんか。

「誰を天皇にするかという大問題を、八幡神の意見で決めちゃうの?……なんで??」と。

もちろんこの疑問に関しては、学者の先生方がありとあらゆる仮説を唱えておられます。これまたざっくりとまとめてしまえば、天皇位を含め、権力をめぐる抗争が激しく行われている中、八幡神をトーテムとするグループのようなものがあり、何かこう、大きな力を持っていた一つのポイントだった、ということなんでしょう。
(八幡神は一般的に皇祖神とされますが、成り立ちからしてもともとは宇佐を中心とした地域を代表する尊格だろうと私は思っています)

ちなみに、和気氏は岡山のあたりの豪族で、別に八幡神をトーテムにする氏族ではありません。しかし、このご神託事件あたりから、どうも強い関係性を持つに至ったのではないか、と想像します。

そして、空海さんと八幡神とのつながりも、この和気氏とのつながりがから始まったんじゃないかな~、とこれまた勝手に想像してみたりして。
(上の写真は、神護寺にある和気清麻呂廟)

これまた何の根拠もない想像なのですが、私はこの清麻呂公と空海さんは、会ったことがあったんじゃないかと思うんです。

空海さんは、18歳の時(791年)に京の大学に入学しますが、その超エリートな道をあっさり捨てて、逐電(?)してしまいます。

この時、清麻呂さんは58歳。
清麻呂さんがなくなったのは、799年ですから、この頃は充分にお元気そうな年代です。

空海さんは大学をやめてから、入唐するまで10年余り、いくつか歴史的にわかっている事績はあるものの、はっきりとこういうことをしていたということが、わかっていません。各地の山野を巡り修行していた、東大寺や大安寺などの大寺にもなぜかしっかり出入りをして、経典を読み漁っていた……のかな?という感じ。

そんな時に、才気あふれる政治家・清麻呂翁に会ったりしてなかったかな??
いや、会っててもまったくおかしくないぞ!?

そんなご縁もあったから、唐から帰国し、京に入った時に、高雄山寺(神護寺)に入ったんじゃないのかな、と。

神護寺を出た後、住まったこの乙訓寺でも、和気氏との強い絆は続いていたのではないでしょうか。ご本尊の「合体大師」は、その象徴のような気がしてならないりません。

(むとう)

京都、奈良、高野山へ――空海さんと密教を巡る旅!①神護寺


空海さんの足跡をたどる旅へ

先週、約一週間かけて関西地方を行脚してきました。
今回のテーマは「特に空海さん(弘法大師)の『密教』を巡る」。

少々回りくどい話になりますが、人生を振り返りますと、
「日本文化の根っこに触りたい」というのが、どうやら私自身の変わらぬテーマなのですが、その日本文化の大きな根っこのひとつに「密教」があります。
私は、その大きな根源である『密教』を、仏像を通していつも遠くから(物陰に隠れるように)見てきました。

仏像を拝観するのに必要な、ごく初歩的な情報だけは一応知っていますが、あまりそれ以上突っ込まないようにしていた、というのが本当のところです。
そのあまりに深遠な世界ゆえに、腰が引けまくってました。及び腰になっていたのです。

しかし、仕事で密教に関わることをするかもしれなくなって、そうも言っていられなくなりました。

そこで思い立ったのは、まずは初歩の初歩。
密教を日本に持ってこられた弘法大師・空海上人の足跡をたどることでした。
時間の都合上、唐から帰国して京都に入ってから以降の代表的な関係深いお寺さんだけしかいけませんけど、まず現場に立ってみるというのが、やっぱり大事。そう考えました。

京都・神護寺からスタート

そんなわけで、スタートは京都の北西部にある神護寺さん。
神護寺さんは、和気氏の氏寺として成立しましたが、空海さんが唐から帰ってきたもののしばらく洛中に入らず、住まいしたお寺です。

こちらには、仏像ファンにとっても垂涎のお像がたくさんいらっしゃいますから、これまでも何度ともなく訪れています。

でも、今回は心の設定を「仏像拝観」から「空海さんの密教」に変更して、改めての拝観。面白いもので、そうなってくると見えてくる風景も何だか新鮮。目が行く場所もだいぶ違ってくるものです。

正直言って、この神護寺さんを拝観するだけでも、自分なりの小さな発見や気づきがたくさんありました。これこそまさに、現場にいってこそ感じる気づき。

実は、先週は本当にお天気が悪くて、神護寺に行く途中も曇天・時々雨。気温も低くて残念な感じだったんですが…

なんと、金堂(本堂)の前に進んだら、いきなり晴れました!!

能天気で楽天家の私は、「これはきっと歓迎してもらえてるってことだ!」といきなり気分アップ↑。

何しろ、この金堂の中には(そもそも)大好きな薬師如来像がいらっしゃるし、ね。好きな相手に受け入れたもらえたような、そんな気持ちになってたちまち幸せになり、「この旅は来てよかったってことなんだ!」とほくほく。

これは、企画成功もお祈りして、カワラケ投げるべし!ということで、お馴染みカワラケ投げ。目いっぱい厄除けします!

境内のいちばん奥の地蔵院まえから、錦雲峡と呼ばれる峡谷にこのカワラケを投げますよ。私は、なかなか上手に遠くまで飛ばせたので、茶屋の女将さんに褒めてもらえました。ほくほく。

そのあと、やっぱりせっかく来たからには…と、西明寺、高山寺と巡って、ホテルに戻りましたが、 やっぱり行ってみてよかった。

というのも、この風景。

金堂の後方の山上に、神護寺中興の祖でもある文覚上人のお墓があり、そこから見えるのは、京の街全体です。

なるほど。
この立地、大事ですよね。

山深いところになぜ?と思ってしまうのは、現代人の感覚かもしれません。

この場所からは、京都がよく見えますし、山をいくつか越えれば若狭の国、良港に恵まれた国際都市・小浜に出られます。
それに、素人目ではありますが、池の水の色を見ても土壌に石灰が多く含まれているように見受けられましたし、多くは赤土で鉄分も多そうな感じでした。
鉱物資源にも恵まれてる山系なのかもしれません。

こうしたことを、肌で感じられるのが、現場に立つことの意味でしょう。理屈じゃなくて染み入ってくるものがあります。

それにしても幸先のいいスタートでした。

(むとう)

仏像ブームを牽引した仏像ガールさんの処女作、約10年の時を越えて、再誕!『仏像の本<手のひら版>』西山厚監修・廣瀬郁実著(山と溪谷社)


2008年。「仏像ブーム」のなかで

フリーになる前に勤めていた会社で作った最も思い入れのある本に、『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』という本があります。

物心ついて以来ずっと仏像ファンだった私は、どうにか仏像の本を編集したいとずっと考えていましたが、なかなか新しい切り口に出会えずにいました。
……しかし、ある時。

ネットで、『仏像ガール』さんが運営している素晴らしいサイトに出会い、その存在を知りました。彼女は、「仏像は、まず感じることが大切」と言い、シンプルな言葉で仏像の素晴らしさをより多くの人に知ってもらおうと活動していたのです。
私は珍しく即座にメールを送りました。ぜひお会いしたい、と。

そして、仏像ガールさんは、私の(あつ苦しい)思いを、あたたかく受けとめてくださいました。そうして出来上がったのが『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』だったのです。

2007年から2008年というのは、「仏像ブーム」にわいた年でした。
そんな時代に呼ばれて登場したのが「仏像ガール」さんという様相で、まさにあのブームをけん引されていたと思います。

おかげさまで仏像ガールさんの大活躍により、本は大ヒット。私も、大好きな仏像の本を編集することができ、なおかつたくさんの方に手に取っていただけるという、この上ない幸福感に浸りました。

やせ我慢、そして独り立ちの時を越えて

そして月日が経ち。

私は会社を辞め、フリーランスで仕事をしていますが、古巣のお仕事はこれまでしてきませんでした。
一番の理由は……「もし古巣のお仕事をやるなら、やめないほうがよかった、ということだ」と思っていたからです。
だから、私は苦しいけれどもやせ我慢をして、ほかの出版社のお仕事をさせていただけるように頑張りました。そして、大先輩Hさんのご紹介で、P社のN編集長との出会いをいただき、それをきっかけにどうにかお仕事をいただけるようになりました。

たいして力がないこともわかっていたので、「とにかく全力でやる」と決めました。
調べるならとことん調べる。確認するならとことん確認する。思いつくことは全部やって先生とご相談する…。
何より、「心を込める」ことだけは忘れないようにしよう、と思ったんです。
真心を込めたら、それは著者の先生にも、編集長にも、そして読者にも、きっとちゃんと伝わるはずだ。私はそう信じていました。楽天家なのかもしれませんん。

でも、結果それがよかった。

もちろん最初は失敗ばかりでしたが、真心をしっかりと受け止めてくださる編集長、著者の先生に、ちゃんと出会えました。本当に私はラッキーだったと思います。

10年前の自分と出会うような時

そんな中、私にとって恩人でもある元上司のK編集長から、「仏像の本を作り直したい、ついてはムトウにお願いしたい」という、嬉しい連絡をいただきました。

K編集長は、長らく書籍編集の現場から離れて、八面六臂の活躍をされていましたが、書籍に戻ってきた、というではありませんか。
そもそも、この本もKさんの後押しがあって作ることができた一冊です。
やせ我慢も何も、「ぜひやらせてください!」という返事以外考えられませんでした。

そして、Kさんは、この本をつくった時のメンバー全員に声をかけてくださいました。

仏像ガールこと廣瀬郁実さん、監修者の西山厚先生はもちろんのこと、カバーデザインとイラストを担当してくださったかしわらあきおさんも。
まさにあの時のまま、「仏像の本」チームが再結成されたのです!!

そして、嬉々として再編集作業に入ったのですが…

なんというか、もう。

あの時の自分が、そこにいるって感じなんですよね。
「ああ、ここで時間切れ。力尽きたな」
「なんでこんな不思議なことした?私w」
そんな感じです。

仏像ガールさんや、Kさんとのやり取りも、時の流れをほとんど感じない。10年前の自分に戻ったような、いや、今の自分と昔の自分が重なって存在しているような不思議な感覚でした。

でも、あの頃の自分よりは、だいぶマシになったなあ。
そんなふうに思えたことは、自己満足ですが、ちょっと嬉しかった。
こんなことは、なかなかない経験だったように思います。そういう意味でも、本当に貴重な時間でした。

「仏像と出会う」ことをサポートしたい、という願い

そうして、いよいよ発売日がやってまいりました!

Amazonさんでは、明日(3/5)発売。
リアル書店さんでも今週中には並び始めると思います。

前作よりもだいぶ小さく、持ち歩きやすいようにと、ハンディなサイズになりました。
もちろん、中身の濃度はそのままですよ!
「仏教用語がわからなくても、調べやすいように」と、工夫した構成は変わりません。

郁実さんの優しく語り掛ける言葉、かしわらさんのポップでかわいいイラスト。そしてご紹介する仏像は、郁実さんが大好きなあったかくて素晴らしい仏像ばかりです。一冊持っていれば、お寺巡りも、きっともっともっと楽しくなると思います!

本書は、「超入門書」です。

「まず、知識より何より、『仏像と出会う』という体験をしてほしい」

郁実さんも、監修の西山先生も、いつもそうおっしゃいます。
その体験さえあれば、心も体も動くでしょう。もっと知りたかったら、本を探すでしょうし、もっと会いたかったら何度も足を運んでしまうでしょう。

そんな体験を、読者の方一人一人にしていただけたら、本書に込められたお二方の、そして不肖ムトウの願いは、成就するのです。

今回も不首尾はあるかもしれませんが(すみません;;)、とにかく全力で真心を込めました。ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

また、最後になりますが、今回もたくさんのお寺、博物館の皆様に大変お世話になりました。お電話して、皆様の優しいお言葉に何度となく癒されました。本当にありがとうございました。

そして、廣瀬郁実さん、監修者の西山厚先生、デザイン・イラストのかしわらあきおさん、そして、K編集長。改めて御礼申し上げます。ぜひまた、お仕事ご一緒できたらと思っております!

(むとう)

「校閲」と「校正」、そして編集者の仕事について


編集者にとって、最大の苦しみ

実は、〆切を守っていただけないという状況に苦しめられている日々です。

不安が夢の中までやってきて、追いかけられて崖から落ちる……みたいな夢を見て、目が覚める。そんなことを繰り返しています。

そんな時には、必ず読む本がこちら。

〆切を守れない作家の言い訳、締切や、締切を守らない作家への思いや考えを綴った編集者出身の作家さんの文章などが、これでもかとのっています。

私的には、ものすごく身につまされ、「ああ、こんなに有名な編集者でも、同じような苦労をされてるんだな」と癒されます。苦しんでるのは私だけじゃない、と。

それはともかく、この本は一般の皆さんにとっても、すごく面白い一冊だと思います。締め切りは誰にもありますものね。
また、「編集」というお仕事がどんなものかは、これを読んでいただくと、かなりわかるんじゃないかと思います。

私は編集者なんですけども……(汗)

そうそう。編集者と言えば、なんですけども。

出版業界で、ごく当たり前に使われている「校閲」「校正」という言葉、同業者でも、かなりあいまいに使っているんだな、とここ数年痛感しています。
「フリーの編集者」というのも、いまいちよくわからない、という同業者も結構いらっしゃるような気もしたりするのです。
というのも、どうも私のご説明がうまくないのか、最近、校閲のお仕事のご依頼があったりするんですよね。ちょっと前にもそんなご依頼があり…

「私は編集者なので、校閲はできませんよ??編集者としてお仕事を受ける、その際に校閲的なところまで踏み込んで丁寧にやります、ということでやってますけど…。それよりシンプルに校閲までできる校正者の方にお願いしたほうがいいのでは?」

そんな方を、ご紹介しましょうかと申し上げても、なんだかどうしても私に御用命な様子。ありがたいですが、私も困ってしまうというか……

「ううう。そしたら校閲者として仕事は受けられないです。しかし、校閲的な読み方を編集者がするという範囲で良ければ、一度読みましょうか」

と言ってお預かりしました。

校閲者、校正者のお仕事というのは、編集者とは職域が違うのです。
プロとして請け負うからには、責任が生じます。私は、編集者なので、校閲者としては仕事を受けるなんてことは、ちょっと差し出がましいというか…
「校閲的な読み方をする編集者」として仕事をお受けする、ならギリギリセーフ、と言いますか…

そんなわけでして。
正直、相当戸惑ってしまうので、一度整理させていただいたほうがいいかなと思いました。

校閲・校正者の職域と、編集者の職域

私自身は「フリーの編集者でライター」だと名乗らせていただいてます。キャリア的には単行本の編集者が一番多いので、やはり編集者という名乗りがメインです。

7年前、フリーになった時に、「自分が版元編集だったときに、フリー編集がしてくれたら本当に嬉しいとおもうこと」を考えてみました。

そこで、最近ではなかなか校正者がやってくれない、「校閲的な検証もしながら」丁寧な編集をします、という方針にしました。結果、歴史小説や時代小説のお仕事をコンスタントにいただけるようになったので、その方針は、結構喜んでいただけたのかな、と思います。

ところで、ここで皆さん「校閲と校正って何?何か違うの?」と思われる人は多いでしょう。

実は、これ、似て非なるものなのです。

ざっくり言いますと、

校正とは……一語一字、文字や文章を比べ合わせて、誤りを正すこと。

校閲とは……原稿の意味や内容を読み、事実確認を行うこと。

私が今お世話になっているプロの校正者さんは、校閲的な読み方までしてくださいます。しっかりとした技能を持っておられる、才能あふれたまさに「プロフェッショナル」。ちゃんと勉強されて、その職域についての「責」プラスαを果たしてくださるわけですね。

今の業界では、大きく言うと「校正者」がいて、その中に、「校正作業しかやらない」という人と、「校閲的なところまで踏み込んで読み、校正作業もする」という人がいる、というのが現状です。
後者のような方法をされる方は、今はとても少ない。ですから、敬意も込めて「校閲者」とお呼びすることもあるように思います。校正だけでなく、原典に当たり、事実確認までできる人。それはやはり、相当特別で貴重なスキルです。

編集者も原稿については校正的、校閲的な読み方をします。私は特に校閲的な読み方を重点的に行いますが、もう一人、専門職の皆さんに読んでもらうことで、さらに精度を上げたい、間違いを減らしたい、と考えているのです。編集者は、その貴重な指摘を見て、さらに確認し、必要なければその指摘を外し、あるいは追加の資料を付けたりしながら、著者にその旨をお伝えし、修正していただいたりします。

とはいえ、誤字脱字の類い、つまり校正的な指摘の精査は、編集者マターだと思うので、著者にわざわざ確認するまでもない、と考え、こちらで的確に修正するよう指示を書きこみます。

職域が違うので、ギャラの計算方法も違う

少々下世話な話ですが、ギャラについても少しふれちゃいますけども。

一字ずつ見ていくという職域の校正の場合、料金の発生が文字数で決まります。そういう意味では、ギャラの発生はクリアです。
文字の多い本ほど、たくさんギャラが発生しますし、読んだ回数だけギャラが発生します。労働の対価としてはとても明快。

一方、編集者のギャラは、もっとも不明瞭です。

どんなに手間がかかろうとも、著者都合、出版社都合でやり直しが生じて、当初予定していた日数の倍、行数がかかろうとも、編集費は同じ額です。「校正紙(ゲラ)」を、3回読んで終了することもあれば、10回読んでようやく終了することもありますが、それでも同じ。

「時給計算だけは、しちゃいけないよね」

フリー編集同士で、よく言い合う言葉です。
さらに、著作権も生じないので、売れてもたいして儲かりません。
#ただ、私の場合、重版以降は編集印税を少しでもつけてもらうようにお願いしてます。

こんなに割に合わない仕事はない、フリーでやるもんじゃない……そんな言葉もよく言い合っていますが、それでもやっぱり好きなんでしょうね^^;。やめられません。
ただ、最近はライティング(執筆)業の比率を上げています。ライティングのほうが、権利も明確なので、フリーの仕事としては、すっきりしていてストレスが少ないように思います。

ちょっと、恨み節になってしまいましたが^^;。

さてさて。

もう少し頑張ります。
それにしても、胃が痛い……。

(むとう)

累計58万部の大好評シリーズ、記念すべき第10巻発売。そして早くも重版決定!『本所おけら長屋(十)』/畠山健二著


編集のお手伝いをさせていただいている『本所おけら長屋』シリーズ、第10巻発売。いよいよ大台に突入しました~~!!
発売日は、昨日。バタバタしておりまして、ご紹介が遅くなってしましましたが…

なんと今日。

PHPの担当編集者・Aさんから、「発売日2日目にして、重版決まりましたよ~~!と、めちゃくちゃ嬉しいお知らせが~!

ぎゃ~~!!
素晴らしい初速~~~!!!

Amazonでのランキングもいい感じで、本シリーズの読者の皆さんの「待ってました!」という掛け声が聞こえてくるような気がします。

さて、そしてその記念すべき10巻目ですが。

今回も、めっちゃくちゃ面白いですよ~~!!
安心して、期待してください!

第10巻のテーマは「男の友情」。

いろんな形の「男の友情」が、笑いと涙に彩られて、また何ともいい調和を生み出しています。

第一話「さかいめ」
おけら長屋に新入りが登場。小さいながらもお店の若旦那のくせに、不良を気取る弥太郎。商いの基本を学ぶためにと、ぼて振り八百屋の金太の手伝いを始めますが、金太を騙して売り上げをくすね…

第二話「あかぎれ」
旗本屋敷に通い奉公するお福が、ある日助けた富山の薬売りの和助。年に二回会えるだけでいい、何の約束もしないで…というお福さん。なんともしっとりいい女です。これぞ、畠山先生流の「大人の恋愛」!

第三話「あおおに」
人付き合いの下手な青年・喜之助と、折り合いの悪い継母のいる家で、なんとなく居場所のない少年・長太郎。長太郎が病弱な弟のために動き出そうとするとき、年を越えて芽生える友情とは……

第四話「もりそば」
異常なほど恋愛体質な研ぎ屋の半次。お美代が自分に一目ぼれしたと思いこみ、自分も惚れてるから夫婦になろうと告白するため、万松にそそのかされて大食い大会に出場するが……

第五話「おくりび」
江戸っ子も憧れる「火消しの中の火消し」松五郎。いい男で、気風がよくて鯔背でまさに「完璧な江戸っ子」。しかし、実は、人には絶対に言えない秘密があって…

今回も、色とりどり揃いました!

人によって、またお好きな物語は違うだろうと思いますが、個人的には、第三話「あおおに」と、第5話「おくりび」が特に堪らなかったです。

「あおおに」はとにかく長太郎と、清一郎という兄弟が健気で……
二人は異母兄弟なのですが、とにかくお互いを思い合っているのです。
そして、人との付き合いができない喜之助にも、口やかましいけど弟思いのお兄さんがいます。この二組の兄弟がもう、なんともいいのです。

そして「おくりび」は、いやあ、もうこれこそ「おけら長屋」の真骨頂!
本当にこの人たちときたら、なんて優しいんだろう。
――ラストシーンでは、そんな思いで胸がいっぱいになって、目頭熱く…

そんなわけで、ぜひ皆様。
お手に取ってみてくださいね~!

(むとう)

 

②日本的解釈とネイティブ解釈、こんなにも違う!!?/『反骨のブッダ』高山龍智著(コスモ21刊)


翻訳すると、当然生じる違い

2500年前を生きたブッダの言葉を、弟子たちがまとめたのが初期仏典なわけですが、それらはサンスクリット語やパーリ語で表記されています。

日本でも、中村元先生のような偉大な仏教学者が初期仏典を翻訳してくださってますので、私たちも読むことができるわけですが、単純にそれらを読むだけでも、ブッダが言っていることで感じる印象と、なんとはなしに仏教に対して持っていた印象が違うことに気づきます。

私が読んだのは、本当にその一部にすぎませんけども(その限られた経験で物を言うのはどうかと思いますが)、ブッダは、ものすごく合理的で、謎めいたことを言わない人だったような感じがするんですよね。

確かに、翻訳ものを読むと、原本と大分印象が違う、なんてことはよくありますよね。翻訳した人の解釈や翻訳言語の特性、文化的個性が、どうしても出てしまうからでしょう。仏典は、サンスクリット語やパーリ語の仏典を、中国で漢字に翻訳したものが日本に到来しているものがほとんどですから、原典とだいぶ違くなってるだろうということは、想像に難くないわけです。

さて、本書で高山さんは、その感覚をもう一歩進めよう、とおっしゃいます。

時代は変わった。
サンスクリットやパーリ語もヒンディー語ととても似ているので、翻訳機を使えば解読だってできる。つまり、原典を直接読むことだって可能なんだよ、と。

「原始仏教ではなく、『言語』仏教へ」

「仏教経典を記述したパーリ語やサンスクリット語は、インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、インド人でも多少の学習は必要となるが、現代日本人が『枕草子』を理解するよりはずっと垣根が低いと言える」(P22より引用)

このくだりを読んで、思わずおおおお!?と声を上げてしまいました。
そのくらいの段差?!たいして遠くないですよ?!

日本語でも、古語にしかない言葉もありますが、今も昔も変わらぬ言葉もあります。あるいは、使い方や意味が、時代によって違う言葉もありますね。
わからない言葉もあるけど、なんとなくわかります。

例えば、「サンガ」という言葉。

ヒンディー語を母語としている人は、この言葉は「共同体」という意味の言葉なんだそうです。宗教的な言葉というよりも「団体」といった意味で今も使われるごくごく一般的な言葉。

ところが、古い時代に、漢字では音訳として「僧伽」とし、意味合いとしては「侶(パートナーの意味)」で補って「僧侶」と翻訳。これで、「共同体」という意味と音を表現したわけなんですが、日本ではそれがいつの間にか一人の出家者のことを指すようになっています。

この言葉ひとつとっても、だいぶ印象が違いますね。

最も基本的な言葉でさえ、そんな感じなわけですから、膨大な言葉で形成されている経典では推してしるべしです。

「仏教」とは一体何なのか

本書を拝読すると、ブッダが生きた時代やインドならではの文化的状況を背景に感じながらも、素直にその言葉の意味を知ることでもって、ハッとさせられます。

しかし、ブッダの死後、何百年もたってインドを遠く離れ、いろんな環境の中である意味「異常発達を遂げた」仏教の枝葉について、どう考えたらいいんだろう、と戸惑いを覚えずにはいられません。
長い歴史の中で、各地・各時代の偉人が格闘して得てきた果実が、もしブッダの言っていたことと異なることであっても、それはそれでやっぱり大切な宝物なのではないのかな、と思います。

私のポンコツ頭で考えてもよくわからないのですが……

そうして格闘し、のたうち回って真理に近づこうとするそのフロー自体が、最も大切なことなのかもしれないな、と思います。そんな種を、ブッダは世界中に蒔いたんだ、と。

本書の中で、高山さんがブッダが説いたことをこんな風に言っておられます。

「問題や悩みがあれば、自分で解決する人になればいい」
「人類同士が、隣の人との友愛によって、自ら救済されよ」

私はそれを自分ふうに言い換えて、胸に刻んでみました。

誰かに救ってもらうのではなく、自ら救うのです。
隣の人のために何かしようと思う気持ちが力になって、自分を救うのです。

……どうしたらいいのかわからない、と思いながら日々生きておりますが、
そんな言葉を土台に、日々を重ねていきたいと思います。

(むとう)

①ブッダがしようとしたこと――その言葉の本質とはいったい何か/『反骨のブッダ』高山龍智著(コスモ21刊)


現代インドで進行中の「仏教復興」

なかなか体調が戻らず、この週末も剣道のお稽古はお休み。
仕事も少々落ち着いてきたので、新年にできなかった掃除やら、資料整理を細々としつつ、自分のための読書です。

つい最近発売になった『反骨のブッダ』をさっそく拝読しました。

著者の高山龍智さんは、日本国内でいえば、浄土真宗の僧侶ですが、インド仏教の最高指導者・佐々井秀嶺師に師事し、日印仏教の橋のようなお仕事をされているお方だそうです。

少々話が遠回りになるかもしれませんが、私は以前、サンガラトナ・法天・マナケ師の『波乱万丈! インドの大地に仏教復興』(春秋社)という本を拝見して、インドの社会状況と、インド仏教を再興しようとして奮闘しておられる方々の活動を知りました。

数年前、バンコクに住んでいるときに、印僑(インド系商人)の人たちがたくさんいるので、インドに詳しい当時の連れ合いにいろいろ教えてもらいましたが、ひとことで言うと、インドでは『カースト』がいまだに現役バリバリの制度であるということを目の当たりにして、本当に驚きました。「そんな構造の中で生きるだなんて、なんて大変なんだろう、つらい」と、溜息と共に思ったのです。

そんな中で法天師の本を読み、なるほど、インドで仏教が復興されようとしていることには、こんなにも必要な事情があるんだな、と思わず黙り込んだ覚えがあります。

ちなみに、法天師は、インドのアウトカーストに生まれ、日本山妙法寺にて、7歳の時に自ら進んで得度。9歳の時に比叡山延暦寺に留学して、修行したという方です。この本を読むと、インドに仏教を復興させたアンベードカル博士についてや、カースト制度への理解が早いと思います。

「カースト」という恐ろしい物語に立ち向かった人、ブッダ

さて、この「カースト」なんですけども、誤解を恐れずに言えば、「征服民族が自分たちが永久に支配者階級であるために有利であるように、仕掛けた壮大な罠(物語)」だと思います。

今から3000年も前の話です。
でも、その物語は、波はありますけれども、昔もそして今も生々しく有効だということです。

約2500年前にも、この罠をどうにかしたいと考えて立ち上がった人がいました。それこそが、私たちもよく知る「ブッダ」なのです。

一般の日本人は「ブッダ」と聞くと、何かこう、優しそうな、すべてを包み込んでくれ、許してくれそうなイメージがあるという人が多いのではないかと思いますが、もちろんそうした人間的大きさはあったでしょうけども、それよりも何よりも、「改革者」としての活動家であったというほうが、主だったと考えたほうがいい。

それは、インドで何千年も続いてしまっている、恐ろしい呪いのような社会構造を知ると、わかります。
そんな状況をどうにか変えたいと奮闘したのがブッダであった。そして、の戦いは今も続いている、ということなのです。

そうしたインドの社会状況、そして自然状況などを知らないと、ブッダの言葉を読み違えてしまうのも、また仕方がないことでしょう。

私たち日本人が暮らす日本列島は、やはり穏やかでのんびりしているのです。
そして絶えず変化していくことを前提にしている文化を持っています。

季節は大きく移り変わり、様々な動植物が現れては消えてゆく。どんなに偉い人でも、ずっと富んでいるということはないと考える。実際問題、自然災害が起これば、富者も貧者も同じく死んでしまうし、立派な建物でも火事で焼け、あるいは津波に呑まれてしまう。

このような背景を持つ我々の文化と、「魂は永遠に変わらない、死んでも終わらない。暑さはずっと続くし、砂漠はずっと砂漠」といった文化では、同じ言葉でも捉え方が違うのです。

その前提をもって、「仏教」の中心概念を、やさしく読み解いてくれるのが本書『反骨のブッダ』だと言えると思います。

(続く)

【覚書】「あれ」の意味ーー稗田阿礼と、鹿島神宮の「大物忌」


鹿島のクマリ「大物忌(おおものいみ)」と、「あれ」

古事記を編纂した時に功績のあった「稗田阿礼(ひえだのあれ)」という人がいます。
天武天皇の勅命で「帝皇日継(ていおうのひつぎ)」と「先代旧辞」を「誦み習わし」ていた、つまり「丸暗記していた」という稗田阿礼は、謎が多いキャラクターで、小説にも多く描かれている人物です。 「稗田」氏は、天の岩戸伝説で有名なアマノウズメノミコトの末裔である「猿女の君」の一族と言い、それからしても、阿礼さんは、女性だったのではないか、とか。丸暗記しているというその異能からして、サヴァン症候群の天才的人物だったのではないか、とか。

謎が多いというか謎だらけの人物なわけですけど、わざわざ古事記序でその名前を挙げて称しているということからしても、この人の功績がいかに大きく、尊いことだったかということを想像します。

ところで。

たまたま「大物忌」(*物忌は、伊勢神宮、賀茂・春日・平野・松尾・香取・鹿島などの大社に仕えた童女・童男のこと。鹿島の「大物忌」はチベットの「クマリ:童女現人神」に似たような存在)について調べたくて、『新鹿島神宮誌』を再読していたら、「みあれ」という言葉が出てきました。「みあれ」は、「み生れ」と書くそうで、新しく生まれ出ることを言うようなんですね。ちょっと抜萃してみますと…

――「生(あ)れ」とは一つには、地下の種の状態の見えない世界から見える世界へ発芽し、「生れ」てくるという意味がある。そしてこの時の「生れ」は同時に「荒れ」でもある。あるけれども見えない聖なる地下の世界から土を打ち破り地上の動の世界へ荒々しく「荒れ」て出てくるのである。(中略)「生れ」は「荒れ」であり、「有れ」「在れ」の生命顕現の姿である。(「第五章 鹿島神宮古事記」より引用)

 鹿島神宮の基本的なご神徳はこの「みあれ」である、と。ものすごくざっくりまとめると、「新たなる出発、旅立ち、誕生、表出、春」そうしたことが基本属性と考えられるようです。

鹿島の「大物忌」は、伊勢の神宮の斎宮と同じく、大宮司より上位にありました。古い時代には、ごくごく限られたお祀りにしか参加しなかったそうなんですね。それは、この基本属性に関わる重要なお祭りのみ。神が「静の世界、姿のない世界」から、「動の世界、姿のある世界」に顕現することに関わる御祭りに、大物忌がお迎えする、という感じですね。
なるほど、「あれ」にはそんなに大切な意味があるのね、と頷きながら、ふと連想したのは「稗田阿礼」のことだった、というわけなのです。

賀茂の斎院と「あれ」

そして、これまた流れで読み始めていた『日本巫女史』(中山太郎著)で、ハッとなりました。
「阿礼乎止売(アレヲトメ) 賀茂神社 類聚国史
賀茂社の斎院を一に阿礼乎止売とも称えたことが、「類聚国史」天長八年十二月の条に載せてある。阿礼の語釈に就いては諸説あるも、私は産生(あれ)の意と解してある。賀茂社第一の神事である御阿礼は、即ち産出の事だと考えている。」

なんと!

賀茂の斎院も、「あれおとめ」と呼ばれていたと。しかも「あれ」に充てられている漢字が「阿礼」で、稗田阿礼と同じじゃないですか。

浅学にして存じませんでしたが、「阿礼」には、そんな意味があったんですね。なるほどなあ。

このことからしても、性別はわかりませんけど、稗田阿礼という名前には、「生まれ出る」といった意味合いがあったということですよね。
天岩戸伝説で、天照大神が再びこの世に出現するきっかけを作ったアマノウズメノミコトの末裔にふさわしい名前ですし、「古事記」をこの世に顕現させるために存在する人物であったということを、よく表現しているように思います。

古来、言葉は「呪」でもありますし、意味のあること以外に使いません。全てに意味があることを思うと、やはりこの名前に込められた意味は深いですよね。

文字の強さが押し寄せてくる!――視覚的にも・音的にも。そして意味的にも/『人生は単なる空騒ぎ』鈴木敏夫著(角川書店)


とにかく本が大好きなので、
友人が精魂込めて編集している本が出来上がったと聞くとものすごくテンション上がります。二重に三重に、本当に嬉しい。

でも、ついつい忙しさにかまけて本HPで紹介することを怠ってきてしまいましたが、今年はマメにご紹介したいと思ってます。

本年第一弾は、こちら!!
スタジオジブリの名プロデューサーとしてあまりにも有名な鈴木敏夫さんの『人生は単なる空騒ぎ』(角川書店)です!!

うううむ。Yさん。
こんなすごい本作ってたのか…

実は、まだしっかりと拝読する前なのです。
しかし、全体をざっくり拝見し、その構成にさすが…と思わず頭が下がりました。

鈴木さんの来し方を、「文字」という角度から新鮮に、ど直球に、丹念に、サービス精神マックス注入で、構成している……。

……愛だなあ。本質をしっかりとつかむ、ということはもちろんのことですが、それをより読者にお伝えするために、編集者は格闘します。そんな編集者の凄み・機微は細部に宿る、と私は思うので、こういう「諦めない」構成は、まさに編集者の愛なのだと、思っているのです。だって本当に大変なんですもの~!Yさん、本当にすごいよ~!

*****

鈴木さんはもともと編集者としてもものすごいお方で、私は雑誌はあまり通っていないと思っていたのだけれど、よく考えたら鈴木さんが編集長を務めておられた『アニメージュ』だけは買っていたんでした。
毎月夢中になって隅から隅まで読みこんでいた。

ーーーそう、そうだった!!!

と、いきなり10代の時のことを強烈に思い出しました。

この本は、アニメや漫画ファン、映画ファンはもちろんですが、編集者必読じゃないかと思います。編集者時代に書いたという、映画の企画書や、制作作業行程表がカラーで掲載されていたり(手書き!!)、新聞広告のラフや、ポスターラフなどなど(これまた手書き!)なんかもカラーで掲載されてます。
このような貴重なものを見られるなんて、なかなかないですよね。

仕事のできる人のラフ、
あるいは校正ゲラの赤字を拝見するのが、一番勉強になる。

と、私は痛感しているので、このような貴重なものを拝見できるなんて、とものすごく得した気分です。

もちろん、鈴木さんの文章もたくさん載っていますよ!
そしてもちろん「書」。これまたとにかく強くて味があって、ステキです。

そんなわけでして、皆様。
ぜひお手に取ってくださいね~!

私は今の山場を越えたら、じっくりと拝読したいと思っています。
仕事がんばります!

(むとう)

2018年、新年のご挨拶。


新年あけましておめでとうございます!!
旧年中は、本サイト及び代表・武藤をご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました!

一年経つのがあっという間過ぎて、毎年驚いている気がします。

2017年も、本当にあっという間でした。

しかしこの「あっという間」は自分にとっては、とてもいい意味の「あっという間」だったように思います。

例年ですと、自分の力不足に苦しみ、人間関係に悩み、くよくよし……

そんな負荷を感じながらの「あっという間」なんですが、昨年はそんなことも感じつつも、それ以上に、何だか充実した楽しい一年だったような気がするのです。

微力なことにはかわりありませんが、自分なりに満足できるお仕事をさせていただくことができました。

畠山健二先生の『本所おけら長屋』シリーズが、累計50万部突破されたことも、
五木寛之先生のご本を続けて2冊刊行することができ、重版を重ねられたことも、
本当に嬉しいご褒美でした。
私の力なんてなきに等しいのですが、そう言った素晴らしい作品に関わらせていただけたことが、とにかく誇らしく、ジンワリとありがたく……
さらに、荒山徹先生の歴史小説『白村江』が、歴史時代作家クラブ作品賞を受賞されたことも、とにかくものすごくうれしかったです。

そして、自分のために時間をつくれたのも良かった。

2017年は、少しでも時間ができたらとにかく旅をする、と決めたんですが、十分に実行できました。特に印象的だったのは…

大阪・奈良、
対馬・壱岐・博多・宗像、
長野・戸隠、
津島・名古屋・伊勢・鳥羽・伊良湖、

への旅です。
上の地名は、実は自分の中ではすべて関連し、繋がっているんです。
仕事にダイレクトにかかわらないかもしれませんが、自分にとってのライフワークにコネクトしていく大切な旅になりました。

そして今年です。

2018年も、2017年にスタートできた、「自分なりの大きくて小さな旅」を続けていきたいと思っております。

仕事ももっともっと、面白がっていきたいですし、
先生方にもっともっと、楽しく本を書いていただけるよう全力を尽くしたいと思います。
そして、自分自身のライフワークも、しっかりと歩を進めていきたいと思っております。

本サイトでもささやかながら、そんなことをご報告していきたいと思っております。
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!

ありをりある.com 編集長
武藤郁子 拝