muto の紹介

ありをりある.com編集長。アウトドア系出版社を経て、ありをる企画制作所を設立。編集者・ライターとして活動中。気になる分野は歴史・伝統文化・マンガ・サブカルいろいろ・仏像・いろんな国のいろんな考え方など。好きな食べ物はあんことなす。趣味は三線弾きと唄。

2017年は「慶派イヤー」!⑧迫りくる慶派の奔流!この究極の空間に在る歓び。『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)


やっぱり、『運慶と慶派』展という名前のほうがしっくりくるかも…

円成寺さんと、願成就院さんのお像について語りだしたら止まらなくなってしまった私ですが、全体的なお話もちょっとだけ…

今回の展示のストーリーとしては、運慶の生涯の時間軸を大きな縦軸にしています。
「運慶前夜」とも言える慶派の始祖・運慶のお父さんである康慶のお仕事、そして、さらに慶派前夜とも言える仏像の数々などから始まり、運慶自身の仏像、運慶がプロデュース・総指揮をしたであろう仏像、そしてそのチームの中で綺羅星の如く、運慶の息子たちの仏像……と進行していきます。

正直言って、運慶がほとんど一人で作ったものもありますが、監督だけしたであろう仏像も多いので、『運慶と慶派』展という名前のほうが、実情に合ってるように思ってしまいます。

このあたりは、あえて『運慶』とされたんだろうとは思いますが、せっかく担当した仏師の名前がわかってるんだし、それはやっぱりそう記してもいいんじゃないかなあ、なんて素人考えで思うわけです(図録にはちゃんと書かれてますけども)。

例えば、このあまりにも有名な「無著菩薩像」@興福寺。
こちらの図録の表紙にも登場されてますが、こちらは、図録にも書かれていますけれども、〔総指揮:運慶、制作:運賀〕って感じなんですよね。

実際に作ってるのは、運慶の6名いる息子のうちのひとり・運賀だとされているそうです。もちろん、運慶の指揮でもって行われてますから、運慶作、と言っていいのかな?……でも、やっぱり、せめて「運慶・運賀作」ってクレジットでも良いのではないかしら…。なんて思ってしまうのでした。

もし、「総指揮」した人を作者とする、というルールを貫くなら、円成寺さんのお像も「康慶作」となってしまいますもの。それはなんか違う、と思いませんか?

まさに怒涛! 迫りくる慶派の奔流!!

そんなわけで、今回のみどころは運慶一人ではありません。運慶を中心として、父・康慶、息子6人の関わった仏像がドドンと集結していますので、それがまた怒涛のように次から次へと押し寄せてくるのです。
ぜひその奔流の中に身をひたして、次はあり得ないかもしれないこの究極の空間を楽しんでいただきたいのですが、あえて、個人的に特に注目したものを挙げてみますと…

なんと言っても、長男・湛慶作の高知雪蹊寺の「毘沙門天三尊像」と、高山寺の「子犬」像です!!
雪蹊寺には、私も幸運なことに二回、こちらにお邪魔したことがあります。とはいってももう10年以上前の話。久しぶりに毘沙門天立像に拝観できて嬉しかったです。やっぱり素晴らしいですね!

(図録P200より引用)

運慶の毘沙門天立像@願成就院を意識していると思われますし、そういう意味ではやはり運慶には及ばないのですが、でもこの毘沙門天さんは、湛慶さんの毘沙門さんです。湛慶さんのお像を見るとなんだか「清明」という言葉がひょんと浮かぶのです。
お父さんの偉大さが極め付き過ぎて、どうしても比較されてしまいますが、この爽やかさ、清らかさ、明るさは、やはり特別な個性ではないかと思います。

(図録P204より引用)

湛慶さんの個性を特によく感じられるのは、高山寺の「子犬」像ではないかと思います。高山寺さんも大好きで、何度も拝観していますが、明恵(みょうえ)上人のために作られたというこの「子犬」像は、とにかく可愛い。子犬のフクフクとした足元、無邪気にみつめてくる愛らしい瞳、くるんと巻いた尾っぽ。本当に愛らしい。

こちらは仏像ではありません。あくまでも、「子犬」の像なのですが、高山寺の開祖・明恵上人の慈悲深いエピソードと相まって、何とも言えぬ存在感を感じます。
こういう優しげな雰囲気が、いかにも湛慶さんだなあ、と思うんです。

隣に展示されている「神鹿」像@高山寺もとても可愛いです。明恵上人は春日社(大社)を篤く信仰していましたが、その春日社ゆかりの神鹿です。こちらも、神秘さというよりは、鹿本来のしなやかな美しさ、可愛らしさが先に立つ像ですね。

湛慶さんは、きっと優しい人だったんだろうな~。

運慶さんのような、スーパー父さんの下で同じ仕事をすることになって、さらに五人の弟たちをまとめながらの…って、本当に大変だったろうな…。

ちなみに、有名な三十三間堂の中尊(丈六千手観音菩薩坐像)は、湛慶さんの手によるものです。三十三間堂は、慶派だけでなく、院派や円派など当時の仏師大集結で建立されました。考え方も違う、個性的な仏師たちをひとつにまとめ上げるなんて、とてつもない大事業だったことでしょう。しかし、湛慶さんはやり遂げました。それだけ人徳のある人だったんでしょう。

中尊に在る銘によれば、その時、83歳。……まさに超人!!

今回はちょっと珍しいものとして、その中尊の光背にある「三十三応現身像」のうち、迦楼羅像、夜叉像、執金剛神像の三体を取り出して、出品されています。

これまでにも、光背にある状態は見てきたはずなのですが、お堂にある状態ですとお花や影の塩梅などで、光背の細部まではさすがによく見えません。こんなふうに近くで見られる機会は、なかなかないでしょう。ぜひ、見逃さないようにしてくださいね!

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さて、長くなりましたが、運慶展のレポートはこのあたりで。
11月1日ごろに、二回目を観に行こうと思っています。
何度拝見しても、また感動するでしょう。それが、運慶の、ひいては仏像の魅力なんですよね。

『運慶』展 東京国立博物館(9/26~11/26)

2017年は「慶派イヤー」!⑦とにもかくにも願成就院の毘沙門天立像、円成寺の大日如来坐像…!『運慶』展@東京国立博物館(9/26~11/26)


鎌倉時代の支配者・北条得宗家の氏寺、願成就院

仏像というと、どうしても関西といった印象が強いかもしれませんが、運慶の仏像で最も重要なお像の数体は、東日本にあるんです~!

その中でも最も重要なのは、願成就院です!!(と言いきっていいですよね?!)

願成就院は、伊豆半島の付け根、駿豆線というステキなローカル線の韮山駅から歩いて15分ほどのところにあります。

こちらには、運慶の真作とされ、国宝指定になっている仏像が、なんと5体もいらっしゃるんです!!
それにしても、なぜここにそんなすごいお像が?…と思われるかもしれませんが、この辺は、源頼朝の舅・北条時政の領地で、願成就院のスポンサーは時政だったんですね。ちなみに、頼朝の配流先である「蛭ヶ小島(ひるがこじま)」も、現在の願成就院から歩いて20分ほどのところにあります。

そんなわけでして、願成就院は、北条家のゴッドファザー・時政開基の特別なお寺。鎌倉幕府の支配者・北条得宗家の氏寺のようなお寺だったんです。戦国期の始まり頃(1491)に燃えてしまうまでは、そりゃもうゴージャスで、広大な大伽藍だったそうですよ。

運慶の「リアル」とは…

前回お話ししましたが、小学生の頃にこちらの仏像に出会ったことが、私の仏像人生に始まりとなりました。今回はその五体の中から一体だけの登壇となっています。それが、幼い私が最も釘付けになったお像、「毘沙門天立像」です。

このお像の凄さというのは、何度拝観しても、見慣れたつもりでもう一度見ても、あらためて、感動してしまうというところです。
すごい仏像というのは、まるで山や大木や滝や海のように、そこに在るのが自然である、…と思わせてくれるお像だと私は思っているのですが、このお像はまさにそんなお像だと思います。この一体が、仏教の教えの具現化であり、宇宙、自然事象その物なんじゃないか、と。

よく、運慶を褒めるひとつの表現として「リアル」という言葉がありますが、そのリアルさは、そういう意味でのリアルさだと思ったほうがいい、と私は考えます。
「仏」は超絶した存在です。その超絶した存在を、いかに「超絶した存在」として「リアル」に造り上げるか。誰も見たことがないその姿をいかに「本当の存在」として造り上げるのか、そこが、僧侶でもある仏師の理想とするところでしょう。ですから、「より人間らしく、写実的に」。そういう意味でのリアリティの追求ではないと思うんです。

確かに、人体の研究を良くされていただろうし、「まるで生きている人間のような」表現をうまく取り入れてると思いますが、しかし、実際に運慶作の仏像に拝観しますと、「人間っぽい」とは思いません。こんなすごい存在を、人間の手が生み出しちゃったのかーー!と驚くばかりです。
特にこの願成就院の毘沙門さんは、何度見てもそう思うんです。
今回も、会場で拝観して、何度も何度も、そう思っては溜息をつきました。

処女作、円成寺の大日如来坐像の「ひとり立体曼荼羅」感

もう一体、初めて拝見した時に、「ひええええ」と思った仏像は円成寺さんの大日如来坐像です。

実は、このお像に初めて拝観したのは、ごく最近。なぜか拝観したことがなかったのですが、大先輩Wさんのお導きで、ごくごく近くから拝観させていただく機会をいただきました。

その時に感じたのは、このお像を中心として果てしなく広がっていく「宇宙」!

すみません、わかりにくい表現で。

でも本当に、意識が広がって宇宙の中に自分ががあるようなそんな感覚がしたんです。
大日如来という存在は、仏教の中の「密教」という教えがあるんですが、その密教が描き出す世界観で、宇宙の中心にいるとされる仏さまなんですね。

このお像は、一瞬にしてその難解な教理を「感じ」させてくれました。
難しくって、経典を読んでも、私に理解できるとは思えませんが、このお像はそのとてつもない世界がどうも「在りそう」だ、という実感を感じさせてくれたのです。

す、す、すごい。
これぞ、仏師の目指す表現の世界なんじゃないのかな…と!

この大日如来坐像を造った時、運慶はまだ20代後半です。お父さんの康慶に見守られながら、一人で作り上げた初めての一体と考えられています。
それにしても、すごい。こんなにすごいお像をそんなに若くして作ってしまうとは…。

「最初の作品に、すべてが現れるということはよくあることだよ」

興奮してオロオロする私に、ご一緒いただいたWさんは、そう言って笑いました。
Wさんは、数多くの伝説的な展覧会を企画された大御所。美術について、大変な見識をおもちの凄いお方です。

「だから前から言ってるでしょ、ぼくはこちらのお像が運慶の中でも一番好きだ、って」

わ、わ、わ、わかりましたー!Wさん!
私も、ものすごく納得しました―!

そんな興奮状態で、うるさいほどふんふん頷きながら、円成寺さんを後にした私なのですが、今回も、このお像に再会できるのを、本当に楽しみにしておりました。

今回、このエポックメイキング的なお像は、展覧会構成の第一章「運慶を生んだ系譜」の中で、初めて登場する「運慶作」のお像として登場していました。

正直言って、お寺で拝観させていただいた時とはかなり印象が違います。展覧会でのお顔と、本来の場所でのお顔はびっくりするほど印象がちがうということは、よくあることですが、このお像はそれが顕著でした。
できれば、また円成寺さんで拝観したい、そう思ってしまいましたが、それにしても素晴らしいお像であることには変わりはありません。
(続く)

『運慶』展 @東京国立博物館

2017年は「慶派イヤー」!⑥始まりました!『運慶』展!!@東京国立博物館(9/26~11/26)


『快慶』展、そしてついに始まった『運慶』展!

待ちに待った『運慶』展、いよいよ始まりましたね~!

『2017年は「慶派イヤー」』ということで、何度か既に弊HPでも書かせていただいておりますが、今年は4-6月には『快慶』展(@奈良博さん)にて開催され、秋には、この『運慶』展が開催されるということで、多くの仏像ファンが浮足立ち続けた一年、と言っていいんじゃないでしょうか。

それにしても奈良博さんの『快慶』展、よかったな~。
あの「金色の坩堝(るつぼ)」空間は、本当に素晴らしかった。

快慶という人がつくりあげようとしたものの一端に、ちょっとだけ身をひたせたような気がしました。「理解した」とかではなく「身をひたせた」という表現が自分的には正しいかんじ。あの深遠で濃厚な世界を私ごときが「理解した」なんておこがましい。でも、理屈じゃなく体感させてもらえた何かはある、そんな感じなのでした。

さて、一方の『運慶』展はどうかな~。

10月15日より前の平日が狙い目かも?!

今日は贅沢にも、神仏探偵ことH先輩と、担当編集のSさんもご一緒です。
いいですね!誰かと一緒にというのは!

平日木曜日のお昼頃でしたが、待ち時間は20分でした。とはいえ、実際にはそんなに待たなかったように思います。10月15日にNHKの『日曜美術館』で放映があるそうなので、その前までだったらだいたいこんな感じなんじゃないかな、と予想。
なので、皆さん、そこをひとつポイントとお考えいただくといいんじゃないかなと…。

様々な雑誌で特集を組まれていましたから、どんなラインナップかはご存じの方が多いと思います。私は、こういういい方はあれですが、あえてあまり雑誌を拝見しないようにしてました。
というのも、運慶や慶派のお像は、本当に有名なものばかり。拝観したことがあるものが多いんですね。なので、今回は「何が来て何が来ないか」を、知らないままには拝見したかったんです。

仏像好き人生のエポックメイカー・毘沙門天さん@願成就院!

実は、仏像好きの人生を歩むことになるきっかけをもらった仏像というのがありまして。それは、願成就院の仏像なのです。
あれは確か、小学2年生のころ。伯母の家が願成就院の近くにありまして、私がすでに仏像好きだと聞いた伯母が、願成就院に連れて行ってくれたのです。

それまでは、好きだけど、「唯一大好き!」というわけではなかったんです(エジプト考古学にも同じくらいはまっていたのでした)が、この出会いにより、圧倒的に仏像のほうへとひきつけられてしまったんです。

それも、願成就院の「毘沙門天」像でした。
看板の写真にも登場している、こちらのお方です!

30年ほど前のことですから、当時の願成就院は本当に小さくて、子どもが見てもかなり質素な現代風のお堂でした。その小さなお堂の中に、ものすごい存在感の阿弥陀仏、毘沙門天、不動三尊像が所狭しと並んでおられました。

その時の衝撃ときたら……!!

仏教のこともよくわかりませんし、何の知識もありませんけど、「うわあああ」と思いました。ここまで振り切ってると、これがものすごいんだということは、子どもにだってわかるんです。

でもよく考えたら、ここ数年お目にかかっていません。2013年に国宝に指定されたと聞いて、まるで身内の尊敬している長老が受勲したような、誇らしい気持ちになったりしてたんですが、最後に拝観したのはそれ以前ですから、もう7・8年は拝観できてませんね。

ポスターにも図録の表紙にも登場しているくらいですから、間違いなく来られているでしょう。願成就院は国宝5体こられてるのか。否か……。

(続く)

『運慶』展 @東京国立博物館
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861

 

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑮対馬で最も陽気を感じたお社・天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社〔式内社〕


対馬北部の山道を走っていると、にわかに立ち上がる「山梨」感

翌日、さらに北上し、ツシマヤマネコ保護で有名な佐護地区を目指します。その間の道程は、ほとんどが山道。道はよく整備されていますが、海はほとんど見えない島の真ん中をひたばしるので、いったいここはどこだっけ?という気持ちがふつふつと…

「なんかさ、山梨っぽくない?」

友人がポツリとつぶやきます。
わかる~~!そうなのよ、そう!
いきなり目を瞑ってここに連れてこられて、ここどこだって言われたら、山梨か、長野って答えるわ!…という、そんなかんじなのです。

もちろんこの地域に来たからには、
対馬野生生物保護センターで、ツシマヤマネコさんにお目にかかったり……

対州馬にも体験乗馬させてもらったり……

イキモン部活動も、存分に楽しんできましたが、そこはまたイキモンブ項目でご紹介できたらなということで、ここは先を急ぎます。

その五、天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社〔式内社〕と、神御魂(カミムスビ)神社〔式内社〕

佐護のあたりは、古くより対馬唯一と言っていいような穀倉地帯です。穀倉と言ってしまうと大きすぎますかね。いえ、でも水田が広がる唯一の場所とはいえるでしょう。

水田地帯を抜け、入り江に出るとそのほとりに、かわいらしいこんもりとした緑地帯が見えてきました。天神多久頭魂(アマノタクズタマ)神社です。

わああ…。
何とも言えず気持ちのいい場所です。
そして、すごく愛らしい場所……。

溜息をつきながら、たたずんでいると、何かの視線を感じました。
ふっとソテツの下に視線を向けると、

あ、なんかいる。…目があった!

茶色の毛がふっさふさの、やたらにかわいい生き物が私のほうを見つめていたのです。見つめ合ったのは一秒もなかったでしょうが、妙に長い時間がたったような気がします。

はっと気が付いたら、その生き物はいなくなっていました。おそらくイタチ、チョウセンイタチかなと思われますが、このお社に招き入れてくれたような気がして、ますます嬉しい気持ちになります。

タクズタマさんのお使いかな~、と口元をほころばせながら、さっそく…

こちらのお社のご神体は天道山で、社殿のない古い様式です。写真で二つ目の鳥居の奥に見える祭壇は、天道山を遥拝するために設けられたもので、「東面と北面に鳥居があり」と『日本の神々』にあるのですが…。

鳥居は三基建っていますが、上の写真の方角が東面しているのは確かにそうですが、下の写真が南面してるような…あれれ?

それはともかく。

遥拝所を中心に、両側に二基、積み石型の石塔があり、東面、南面を鳥居でもって結界してるこの様子は、まさに磐境(イワサカ)です。かっこいい!

この結界の中に入ると、なんとも爽やかで、軽やかな気が流れているように思います。今回の対馬で参拝したお社の中でも断トツに明るい!気持ちいい!

ただし、この祭壇がある場所の前までは、って感じですね。それより中は沖縄の御嶽(うたき)のような濃厚な気配がして、写真を撮ることも憚られる気がして、撮りませんでした(びびり)。

タクズタマと「天道信仰」

ところで、こちらの主祭神は「タクズタマ」という神さまなのですが、いったいどんな神さまなんでしょう。

実は、対馬には固有の神道「天道(てんどう)信仰」というのがありまして、タクズタマはこの天道信仰の象徴である「天道菩薩」と同体なのです。

この信仰は、神仏習合が盛んに行われた中世に生まれたものようですが、

「尊い生まれの女性が、太陽の光で受胎し、男の子・天道童子を出産。神童の誉れ高く、僧となり巫祝の術を覚え、上洛、帰郷する。33歳の時、体調不良をどうにかしたい天正天皇の要請を受け、再び上洛。見事平復させ、感謝した元正帝は、様々な恩賞と、宝野上人の称号を賜った…」

といったような、物語が語られるんですけども、極めて中世らしい物語かなと思います。

一方、タクズタマは、タカミムスビとカミムスビの子どもです。この二柱は先だっても少し書きましたが、日本神話では「ヒトリガミ」とされる尊い神々なんですけど、対馬では、夫婦神なんですね。

おそらくこちらが、古い神話として対馬に根付いていて、中世になってから、天道法師の物語と習合した、ということだと思います。

面白いのは、この夫婦神と子供神が一緒に祀られていないということ。

タクズタマを祀る特に重要な神社は、二つありまして、ひとつがこの「天神多久頭魂神社」で、もうひとつが、対馬の最南端の集落・豆酘(つつ)に鎮座する「多久頭魂神社」なんですが、前者の近くにはお母さんであるカミムスビのお社があり、後者の近くにはお父さんであるタカミムスビのお社があるんです。

必ず、片親とセットって言うのが、なんか不思議ですが、興味深いですね。
天神多久頭魂神社から、車で5分ほどの場所に、お母さん、カミムスビのお社・神御魂神社があります。

こちらも杜の中、鬱蒼と茂る草を押しのけて進むと、現れます。

めちゃくちゃ、素朴!
鳥居には手書きで神社名が書かれてますし、お社も、普通のおうちのよう。
しかし、気配はとても濃厚なので、鳥居の中に入らずに遥拝して、失礼しました。この濃厚な気配、沖縄の御嶽にそっくりですよ!

(続く)

『運慶』@東京国立博物館、観に行ってきましたー!


トーハクさん開催中の『運慶』展にいってきました!

今日のお昼頃で20分待ちと出ていましたが、さほど待たずに入場できましたよ。

日曜美術館の放映がたしか10/15だったと思うんですが、その前までが狙い目かも。

詳しいレポートはまた改めて書いてみたいと思っておりますが。

とりあえず、仏像好きのみなさま!

言わずもがなですが、観に行かなくてはならない展覧会ですよー!!

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑭ワタツミ信仰の聖母子と、八幡信仰の聖母子の習合なのでは……?


その四、対馬国一宮・木坂海神(きさかかいじん)神社

仁位を出発してさらに北上すると、対馬西海岸の中心に三根湾があり、その北側に「木坂」という里があります。里の北側には「伊豆山」という神山があり、その山腹に「海神神社」が鎮座しています。

私たちがたどり着いたのは、夕方ごろ。かなり暗くなっています。
周辺には人家もほとんど見えず、静まり返っていてなんかコワイ。ひとりだったらたぶんここでお参りして境内には入らなかったかもしれません(ビビり)。

本殿は見えませんけど、そんな遠くないだろうと、鳥居をくぐってみましたら…

あれっ?また鳥居が…
なんか全然本殿が見えませんよ(嫌な予感)。

薄暗い急坂な参道を、ただひたすら上り続けます。
これってまさに、山の気配です。これまでのお社は、みんな海の気配濃厚でしたが、このお社は間違いなく山の神さまの懐に入っていく感じがします。
ほんっと、一人じゃなくてよかった。

薄暗い参道は、きれいに整備されていますが、かなりの湿気でキノコ類の天国と化していました。とりあえず気を紛らわせようとキノコの写真撮ってみたりして…

ふお~!ようやく明るいところに出ましたよ!
鳥居の向こうに、建物が見えて、本当にホッとしました。
そして、もはやお馴染みの、この角度。
正面は絶対ずらしてきますよ。それにして激しい角度です。

そして、終に本殿に到達!
めちゃくちゃ立派です~~!!さすが一宮ですね。

「母と子」が主祭神のお社なのではないか

今でこそ、名前が「海神」になってますが、明治以前は八幡本宮、あるいは上津八幡宮と号していたそうで、社の古い由緒によると「神功皇后が新羅親征の帰途、幡(はた)八流を祀ったことに始まり、八幡宮創始の地と伝える」んだそうです。

しかし、延喜式の対馬のリストには「八幡宮」という名前はないので、おそらく明神大社「和多都美御子神社」に比定されると考えられるとのこと。つまり、神宮皇后ゆかりの八幡信仰とワタヅミ信仰の習合と考えてもいいのかな、と思います。
(それにしても立派!)

祭神についても、辞書など見ますと諸説ありますが、豊玉姫、ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズのワタツミ系三柱、そこに応神天皇・神功皇后を合祀して、五柱とするのが正しいのではないかと、と永留先生が書かれてますが、やっぱりそれが一番しっくりきますね。

いずれにせよ、ここの信仰の中心は、「母と子」なんじゃないかな、と思われてなりません。豊玉姫(母)とウガヤフキアエズ(子)、神功皇后(母)と応神天皇(子)といった風に、お父さんの気配は大変希薄です。今風に言えばキャリアウーマンシングルマザーと息子、という感じです。

永留先生が、「和多都美御子神社」に比定するのも、おそらくそんなことをお考えだったからかな、と思います。

それにしても、山の気配が濃いお社です。
海神神社なのに……

……やっぱり、ここは、そもそも伊豆山がご神体のお社なんじゃないかな~……

伊豆とは、「厳(いづ)」、「齊(いつ)く」の意味で、聖なる美を意味します。つまり、この山はとても古い時代から信仰の対象で、まずそれがあって、そこにワタツミ信仰が乗り、さらに八幡信仰が乗っていったんじゃないかな~という気がします。
重層的な聖地なんじゃないかと。

山の神は女性である、とすることはよくありますので、そういう神さまの原型があり、そこに、ワタツミ系の聖母子と、八幡系の聖母子が習合したんじゃないかな、……とそんな気がします。
(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑬「海幸彦・山幸彦」神話に登場する「海宮」の痕跡


その参、仁位浦の和多都美神社〔明神大社比定地〕

阿麻氐留(あまてる)神社から、浅茅湾周囲を廻りこんで北側に行くと、「いよっ!本打ち!」とあいの手を入れたくなるように美しい「和多都美(ワタヅミ)神社」が現れます。
こちらの写真は、境内側から外を見て撮った写真です。
本当でしたら正面からとりたいとなりますと、海のほうから撮影しないといけません。

上の写真のように、海の中にある一番左が一の鳥居、二の鳥居、そして地上にある三の鳥居と連なっています。いかにも海の神さまのお社らしい、「海の参道」です。

いやああ、それにしても美しい場所!!
まるで湖かと見まごうような、穏やかで優しい海です。

ちょっとわかりづらくなってしまいますが、上の写真は四の鳥居を過ぎ、海の方を振り向いて撮った写真です。

鳥居から見て、左側に池、相撲の土俵があります。

この池がまたすごくてですね…

池の真ん中に、こんな三角鳥居があります。三角鳥居と言えば秦氏…という連想は、ちょっと置いといて(というのも最近設置されたとのことなので)、注目すべきは、この石なのです。

こちらの石は、「磯良(イソラ)エベス」と呼ばれる霊石で、「原初はこの石こそ、ご神体だったろう」と『日本の神々』で、対馬史研究の泰斗・永留久恵先生が言っておられます。

岩肌には亀裂が縦横に生じていて、まるで鱗のように見え、まさに海の神のお社のご神体にふさわしい神秘的な石ですね。
そして「イソラ」と聞いて、すぐに連想されるのは、海人族「安曇」氏ですね。安曇氏のご先祖はこのイソラ神だとされてます。

あの「海幸彦・山幸彦」物語の舞台

記紀などに紹介される、「海幸彦・山幸彦」という物語、覚えている方も多いと思います。

「海幸彦と山幸彦という兄弟の神がいた。ある日、お互いの猟具・漁具を交換して、山幸彦は釣りに行くものの、借りた釣り針をなくしてしまう。困り果てていると、塩椎神(しおつちのかみ)が現れ、教えに従って小舟に乗って海の神・大綿津見神(オオワタツミノカミ)の宮に行くと、歓迎される。オオワタツミの娘・豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚し三年を過ごした後、なくした釣り針と、霊力のある玉を姫からもらい、地上へ帰る。その玉を用いて、兄・海幸彦を懲らしめ、忠誠を誓わせた」

ざっくりこんな内容でしたね。

この中に出てくる山幸彦は、「火遠理命(ホオリノミコト)」と言い、天照大神のお孫さんにあたります。
阿麻氐留神社の祭神「ホアカリ」さんは、天照大神の息子さんのひとりなので、ホオリさんからすると、伯父さんにあたる、という関係性です。

一般的に、この物語の舞台は、日向(宮崎)だとされていますが、ここ対馬にもその物語の痕跡がかなり濃厚に残されているのです。

五の鳥居をくぐると、本殿が見えてきます。
小ぶりながらも立派な作り。寛文年間に洪水で流されてしまったという伝承があるので、それ以降の造りなんでしょう。

神社というより、お寺さんのような雰囲気ですが、しかし、裏手にまわると…

このように、しっぱな高床式の本殿が現れます。
簡素で美しいですね。

和多都美神社の由緒によりますと、

「当社は海宮の古跡なり。上古、海神豊山彦命(トヨタマヒコノミコト)この地に宮殿を造りたまひ、お子に一男二女ありて、一男を穂高見命(ホタカミノミコト)と申し、二女を豊玉姫命(トヨタマヒメ)・玉依姫命(タマヨリビメ)と申す。
ある時、彦火火出見(ヒコホホデミ)命、うせし釣り針を得んと、上国より下りたまひ、この海宮に在すこと三年にして、終に豊玉姫を娶り配偶したまふ。良ありて釣り針を得、また上国に還りたもうがゆえに、宮蹟に配偶の二神を斎たてまつりて、和多都美神社と号す」

とあるので、こちらの主祭神は、ヒコホホデミとトヨタマヒメ夫婦ということでしょう。ちなみにこのヒコホホデミという名前は、「火遠理命(ホオリノミコト)」の別名です。そして、豊玉彦とはオオワタツミの別名となります。

つまり、この仁位浦に、オオワタツミこと、豊玉彦さんのお屋敷があったわけですね。そこに、天の国から王子様・ホオリさんが釣り針を探しにやってきて、そのままお屋敷の姫・豊玉姫さんと結婚し、三年も生活した、と。釣り針と海の宝物を持って天の国に帰ったので、そのお屋敷のあとを神社にして、夫婦を神さまとしてまつりました、……と、こういうことなわけですね。

そんなお話をこの現場で聞いていると、神さまの話をしているようで、神さまじゃないみたいな、実際に人間の物語としてあったんじゃないかな、というようなリアリティを感じてしまいます。

そのリアリティを裏付けるように、豊玉姫の陵とされる場所(磐座)が境内にあります。同様にオオワタツミ(豊玉彦)のお墓も境内にありますが、ホオリさんのお墓はありません。ホオリさんは、自分の国に帰ってしまったということを意味しているんでしょうか。

ちなみに、前述の「イソラ」神は、この二人の間の子どもであったとされていて、つまり「ウガヤフキアエズ」の別名かとも言われています。

余談ですが、こちらの宮司を代々努めてきた長岡家の世継ぎには、「背中に鱗があるという」(『日本の神々』より)そうで、イソラ、つまり海人族の本流の血脈、この地に脈々と伝えられたいたんじゃないか、という気がします。

(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑫対馬には、太陽神が二柱もいる!?


その二、阿麻氐留(あまてる)神社〔式内社比定〕

鶏知から国道を北上して間もなく、阿麻氐留神社に到着しました。車道の脇にちんまりと鎮座する可愛らしいお社ですが、なんと言っても名前がすごいです。「あまてる」ですからね。

「あまてる」と聞くと、ほとんどの人が「アマテラス」を連想するのではないでしょうか。皇祖神・天照大神(アマテラスオオミカミ)です。太陽の神さまですよね。

しかし、似てますが同じ神さまではない気がします。祖型のひとつかもしれませんが…

アマテル〔アマノヒノミタマ〕が、ホアカリだとすると…

こちらの神さまの名前は「天日神命(アマノヒノミタマノミコト)」と言います。
別名を「天照魂命(アマノテルミタマノミコト)」というそうですが、そこから手繰っていくと、どうもこの名前は、天孫族の一人、天火明命(アマノホアカリノミコト)の別名でもあるみたい。
この、ホアカリさんはややこしいこと言いますけど、天照大神の孫にあたります。そしてこの神さまが登場となると、ちょっと面白いことになっていくんです。

ホアカリさんは、古代の大族である「尾張」氏の祖であり、大阪の住吉神社の歴代宮司であった「津守」氏の祖であり、元伊勢と呼ばれる籠(この)神社の社家である海部(あまべ)氏の祖でもあります。
これまた、「海人族系の氏族」揃い踏みです!
たしかに太陽神ですけど、子孫たちを見ていくと、ど真ん中海人族ではありませんか。


急な石段をカクカク登っていくと、またしても階段の真正面ははずした形で、本殿が現れました。
こうなってくるともう、これが普通なんじゃないか、という気がしてきますね。
拝殿は、とても素朴な作りです。
正面にはなんとサッシの硝子戸が取り付けられてますよ。普通のおうちみたい。

しかし、横へ廻ると、こんな感じでちゃんと本殿があり、その前に拝殿がある、という神社らしい構成です。

もうひとつの太陽神・オヒデリ様

さて、今回はたずねることはできませんでしたが、対馬にはもう一柱、太陽の神さまがいらっしゃるんだそうです。

その名も「御日照(オヒデリ)」。
この神さまは、「社がなく、神社の形式から外れているために祭りも絶え、名前も廃れてしまった」(『日本の神々』より)とのことで、現在は厳原町阿連(あれ)地区の里にのみ、その祭祀が伝えられているんだそうです。とても厳しい禁忌があるとのことで、私のような観光客にはうかがい知ることはむずかしいですが、何かそういうことも含めて、沖縄に残る太陽崇拝の祭祀を連想してしまいます。

ちなみに、どうも前者の「アマテル」は男神で、「オヒデリ」は女神のようなんですが、そのあたりも何かとても興味深い気がします。
(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑪住吉神社なのに、祭神はワタツミ系の不思議


その一、鶏知の住吉神社〔明神大社比定〕

対馬島のちょうど真ん中には、入り組んだ入り江と島からなる浅茅(あそう)湾があり、その南側の入り口といった位置に「鷄知(けち)」という集落があります。住吉神社はその集落に鎮座しています。

対馬の集落は、切り立った山の下に形成されているので、かなり密集した感じなのですが、このお社がある場所も、辿りつくまでの道が細くて、慣れない車で焦りまくりました。

とはいえ、どうにかたどり着くと大きく立派な鳥居があり、参道をぐいぐい歩いて行きます。屋根のある門をくぐりますと、お社が見えてきましたが……

……あ、やっぱり、参道の正面にお社がありませんよ。
しかもすごい角度。ううむ。これは、気のせいではありませんよね。万松院と全く同じ思想を感じます。やっぱり意図的にはずしてるんだよな……


いやもう、これはわかりやすい。
なんかよくわからないけど、くいっと真ん中から外す、それが対馬の寺社の作法なのか……。

住吉さんなのに、祭神は住吉三神ではないこの不思議

謎は深まるばかりですが、さらに謎が深まるのは、こちらは明神大社の住吉神社なのに、その主祭神が、住吉三神ではないということです。
住吉神社は、日本中にありますが、中でも有名なのは大阪の住吉大社と博多の住吉神社でしょうか(この二社はいずれも明神大です)。
「住吉社」と言えば、主祭神は住吉三神こと、底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) なのですが、鶏知の住吉神社は違います。
鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、玉依毘売命(タマヨリビメノミコト)の三神です。

何だかこう神さまの名前を羅列されると、わけわからなくなるかもしれませんが、ものすごくざっくりご説明しますと

ウガヤフキアエズ→神武天皇の父
トヨタマヒメ →海神オオワタツミの娘。ウガヤフキアエズの母で、神武天皇祖母
タマヨリビメ →海神オオワタツミの娘。ウガヤフキアエズの叔母で妻。神武天皇母

となります。「海幸彦と山幸彦」のお話はご存じの方が多いと思いますが、その山幸彦が海の底に行って結ばれたお姫さまというのが、このトヨタマヒメ。そして二人の間の子が、ウガヤフキアエズなのですね。

そして、住吉三神はというと、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)から戻って穢れを清めるために、海に入ったところ生まれた神々。有名なのは、神功皇后 の三韓遠征を促し、神功皇后(第14代仲哀天皇皇后)は住吉三神の加護のおかげで三韓を平定し、無事帰還したという物語です。そのため、神功皇后も一緒にお祀りされることも多いらしく、「住吉大神」というとこの四神のことを言うこともあるようです。

しかし、こちらに祀られているのは、初代天皇である神武天皇のお父さんとお母さん、そして奥さん。神話上とはいえ13代の隔たりがあります。

また、ちょっと見方を変えますと、ウガヤフキアエズは天孫系ですが、女性二人は海人族の女性です。つまり、祭神の名前だけ見る限り、こちらは住吉神社というよりは、ワタツミ神社という内容ですよね。

ちなみに、住吉神社はもうひとつ鴨居瀬という集落にもあり、どうも最初の住吉神社はこちらのようで「元宮」と呼ばれるそうです。こちらには住吉三神が祀られているそうなので、なぜ新宮では祀られなくなってしまったんだろう、と素朴な疑問……。

(続く)

【2017宗像・対馬・壱岐旅】⑩対馬は神社だらけ!九州の三分の一の式内社が集中する場所


対馬島内には式内社が29社、そのうち明神大社がなんと6社もある!

私たちが知る『日本神話』とは、『古事記』や『日本書紀』の記載がベースになっているのですが、対馬に残る神社の神さまの名前や、言い伝えなどを読んでいると、ちょっとびっくりするくらい共通点があります。「共通点」というよりも、「祖型」といったほうがいいですね。よりプリミティブに感じる物語の断片が、たくさん残っているのです。

「延喜式(えんぎしき)」(平安時代に編纂された律令の施行細則、法令集みたいなもの。927年完成)には、「神名帳」が掲載されています。これは、当時の朝廷が重要視した全国の神社のリストで、このリストに名前があるものを「式内社」と呼び、社格のひとつになっています。(長い年月で消滅したものもあれば、確かなことが分からなくなったりもしているので、様々な状況証拠から「たぶんここがそう!」というとこを「比定地」としていることも多い)

つまり、「式内社」だということは、次のようなことを連想させるするわけです。
①927年の段階で、その神社があったことを史実として考えていい
②朝廷が無視できない力を持つ神社があり、氏族がそこにいたということ

そのなかに「明神大社」というのがあります。「明神大」と略されたりしますが、これは、式内社の中でも特に朝廷にとって重要だったお社ということなんですが、なんと対馬にはこの明神大のお社が、「6社」もあるのです。ちなみに式内社は29社で、九州全体(98社)の三分の一が集中しているというものすごさ。
しかも、『対馬神社ガイドブック』(対馬観光物産協会)によると、江戸時代初頭には島内に455社あったという記録があるそうです。現在はかなり減って130社だとのことですが、それにしたって多いです。

狙いは明神大社と、対馬独自の神・多久頭魂(タクズタマ)のお社

有名どころだけでもものすごい数になってしまうので、とりあえず今回は「明神大」のお社を重点的に参拝してみることにしました。対馬は、博多や釜山への航路の帰着港になっていて、ポイントになる港が南北に二つありますが、その厳原港と比田勝港の車による移動時間が、約二時間半かかります。

上の図では、オレンジの線を引いたところが「明神大」のお社。そして赤いチェックが今回参拝したい場所です。

対馬には、「タクズタマ」という神さまがいてとても重要。前述したように、対馬は『古事記』『日本書紀』に出てくる神々の祖型がみられると思われるのですが、この「タクズタマ」は記紀には出てきません。出てこないけども、タクズタマの両親とされる神さまたちは、めちゃくちゃ重要な神さまとして登場するのです。
しかも、タクズタマの両親とされる神々はタカミムスビ、カミムスビと言って日本神話だと性別がない「ヒトリガミ」とされている尊い神々なのですよ。なので、その二人の子だという説明を読んだ時、私は思わず目をむいてしまいました。
それは、ぜひとも拝観せねば、と気合を入れたのです。

そんなこんなで、厳原港でレンタカーを借りて、とにかく北へ。廻れるところからということで出発!

(続く)