file.107 鳴海屋の「あんこ玉」


いちにちいちあんこ

「あんこが好きなら、会津駄菓子も試してごらん」

お蕎麦屋さんで、嬉しそうに「おまんじゅうの天ぷら」にかぶりつく私を見て、N先生がそうおっしゃってにっこり。

私は、不勉強で存じ上げませんでしたが、会津では「会津駄菓子」と呼ばれるほど、昔ながらの駄菓子がジャンルとして成立してるんですね。「あんこ玉」「きなこねじり」「ゆべし」といった懐かしい伝統お菓子のことをいうみたいです。

先生の講演会が行われるのは喜多方市。

少し待ち時間ができたので、喜多方の町を散策していて見つけたのが、鳴海屋さんという駄菓子屋さんです。こちらの創業は寛永元年(江戸時代)だそう。最初は染物屋さんで、駄菓子を作り出したのは明治に入ってからとのことで、蔵の町ならではの、歴史を感じさせる雰囲気のいいお店です。

お店の方に試食を勧められていただいてみると、わああ、美味しい!!

早速、あんこ玉を三種類購入しました!

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左から、桜味、抹茶味、あずきあんこです。

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丸い形が可愛かったので、お皿も水玉のにしてみましたよ。ちなみにこのお皿は沖縄の壺屋焼きです。

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手前に白いのが載ってますが、これは、どの味の包みにも必ず2・3個入ってるんです。白あ
んのあんこ玉。なんともお洒落な取り合わせです!

20151029-4割ってみますとこんな感じ!
どのあんこも、とても美味しいです。

甘さ控えめで、非常に上品。それもそのはず、水あめで練り上げて造ってるんだそうで、糖衣コーティングの甘味とちょうど合うくらいの、さっぱりとした甘みに仕上げているんだそうです。

そして、フレイバーも、絶妙です。

抹茶はちゃんとほろ苦さがあり、香りがしっかりとしていますし、
桜味は、写真にも桜葉の塩漬けが小さくその姿を見せてますけど、ほどよい塩気と桜の風味がしっかりと効いています。……うううむ、これは美味しい!!!

もちろんスタンダードな小豆あんと白あんも、とても美味しいです。豆の味がしっかりとして、しかもあっさりとしてますので、何個でも食べられちゃいます。
あんこ苦手な人でもいけるんじゃないかな。ちなみに、甘いものは苦手+お酒派の、N編集長も「あ、これなら食べられる、美味しい」と試食されてました。

日持ちもしますので、お土産にももってこいですね!

ちなみに帰り道、郡山から新幹線に乗ったのですが、お土産コーナーでこちら見かけました。もし気になった方は、郡山にお立ち寄りの際にはチェックしてみてくださいね♪

鳴海屋
http://www.i-kitakata.jp/?p=11338

【2015会津旅】②徳一さんはなぜ奈良から会津にやってきたのか


恵日寺さんにまずはご挨拶
お寺の方が、たまたまひょいと登場されまして、思いがけず中に入ってお参りできることになりました!
ご本尊のある内陣の前で参拝すると、「もしご興味がありましたら」と横奥のほうにある発掘された遺物が保管されているお部屋をちょっとのぞかせていただいちゃいました。うふふ。

写真は撮ってはいけないということでしたので、残念ながらありませんが、江戸時代中期の建造物と言う本堂は、とても立派な、個性的なものでしたよ。

私が何より感心してしまいましたのは、木材の立派なこと。樹齢何年だろう、というぐらい太い木からでないと取れなさそうな美しく大きな板戸。そこに、これまた美しい画がふんだんに描かれています。贅沢!

ご本尊は、徳一さんが創建した時は、もちろん「薬師三尊」像だったようですが、現在は当時のお像はもうありません。でも、今の恵日寺さんでもかわいらしいご本尊が三尊大切に祀られていました。実は、お話に夢中で、ご本尊にお参りしたものの、しっかりとじっくりと拝見してないんですよね。たぶん千手観音菩薩像がご本尊だったような気がしてるんですが、でも脇侍が二尊、菩薩像だったような気がするので、私の勘違いかもしれません。

お寺の方のお話では、室町くらいまでさかのぼるかもしれないという研究者もいます、とおっしゃっておられました。なるほど、確かに…。
#個人的には、(近くで見たわけではないので、あてずっぽうですが)江戸時代初期、元禄くらいまでさかのぼるかもしれないなあ、と思いました。

そして、いろいろ見るべきものをお教えいただき、いざ出発!
『史跡 慧日寺』へと向かいますよ~!

復元・慧日寺はやっぱり派手だった
恵日寺さんから歩いて3分ほど。復元された中門と金堂へと…
20151028-1入口で入場料を払いますと、資料館も一緒で500円。リーズナブルです。
20151028-2こちらが中門の復元。そして…

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こちらが金堂!今風に言えば本堂ですね。
金堂の前に敷き詰められている敷石も、当時の遺構からの復元だそうですよ。

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金堂の内部です。

それにしても壁や柱が朱色ママですと、派手に見えますよね~。今となるとシブイ各地の名刹も、建立当時はこんな感じだったわけですね。これぞまさに異空間ってやつですよ。「この世のものではない空間」っていうか。

やっぱね、こういうの見ますと、当時の「仏教」の位置づけが何となく感じられてくるような気がします。

「最先端の舶来文化」。

そのセンターが仏教寺院だったんだなあ、と改めて思うのです。

徳一さんは、「超エリート+最先端知識人」
ところで、今回連呼し続けております、「徳一さん」についてなんですけどもね。
一言で言うと、「最高の教育を受けた超エリートで最先端知識人」なお方なのです。

現代では、「お坊さま」とききますと、あくまでも宗教人としてのイメージがわいてくると思うのですが、徳一さんが生きた時代では、ちょっと意味合いが違うんですね。いえ、違うというか、なんというか。

今風に言うと、超エリート国立大学みたいな、全国の頭のいい人たちが集まってくる場所、というのが当時の奈良のお寺さん。もちろん目的は信仰かもしれませんけども、とにかく当時の最先端の考え方であった仏教の経典を学び、研究し、修行・実践する場所がお寺さんだった、と言っていいと思います。

徳一さんは、その中心的寺院である興福寺の「修円(しゅえん)」という人について学び、東大寺に住していたと伝わります。
この修円さんというお方がまた、当時最高の知識人の一人として世間からも評価の高いお方だったのです。そのお弟子ですからね、ほんとど真ん中ですよね。

徳一さんは、藤原氏関係者?

……あれれ??

しかし、『国史大辞典』の「徳一」項目によると、「師は修円と伝えられるが疑問がある」とありますよ。

徳一さんは生没年がはっきりしていないのですが、国史大辞典などによりますと、760年頃から840年頃としてます。
たいして、修円さんは、771年に生まれて834年入滅、とあります。すると、師匠である修円さんのほうが11歳年下ということになっちゃいますよね。それはちょっと不自然だなあ。しかも、徳一さんは20歳ごろに「東国へ行った」と伝えるものが多いので、余計におかしなことになっちゃいますね。

ちなみに、空海さんは、774年生まれで修円さんより三つ若くて、最澄さんは767年生まれなので、修円さんより4つ年上。それにしても、この年代、アツいなあ。日本仏教の偉人が何人も、同時に生きてるんですね。

話がちょとずれました。
徳一さんに戻しますと、師匠はひょっとしたら違うかもしれませんが、奈良のお寺で最高峰の仏教を学んだのは間違いないと言えます。さらに、当時、ヤマト朝廷が東北の〔前哨地〕として、重要視していた筑波(茨城)と会津に、彼は布教をするために行くわけです。

一説に、徳一は恵美押勝(えみのおしかつ)こと藤原仲麻呂(聖武天皇のいとこ)の息子ともいわれ、恵美押勝の乱で失脚、斬死した父の余波で東国に流された、とするものもあるんですけど、それはどうなんだろう、とちょっと疑問を覚えます。
本当に息子であったかは、確かめようがありませんけど、やっぱりここでもいえることは、こういう伝説がある以上藤原家に縁の深い人だったんじゃないかと思うんですよね。

それに、勉強していた「興福寺」は、藤原氏の氏寺です。
さらに、徳一さんは、会津の前に筑波に入り、中禅寺というお寺を建立するんですが、このつくばのある地域(常陸国(ひたちのくに)・現在の茨城県)と言うのは、鹿島神宮や香取神宮もあって藤原氏にとって先祖代々関係の深い土地ですものね。また同時に、ヤマト朝廷が東国・東北経営のために重要視していたルート、そのものとも言えます。

徳一さんが開祖となったお寺は何と70箇所を越えるとされるんですが、そのように大きなお寺を次々と立てることができたのも、 大きな支援者がいたからなんじゃないか、と考えてしまうんです。こういった当時の状況をどうしてもつなげて考えちゃいますよね。

(続く)

【2015会津旅】①平安時代のカリスマ・徳一さんを訪ねる旅へ


「なぜそこにその仏像が?」を考える
仏像を拝観する時、ただ溜息をついて、うっとりする時間をたっぷりとった後、「なぜその仏像が、その場所にあるのか」ということをいつも考えます。

「仏像」とは、造像された時代の「文化力の精華」であり、一つの結果だと考えるからなんですが…。と申しますのも、仏像(と安置する寺院建造物)を造るというのは、今も昔もお金がかかることです。つまり、パトロンが必要です。発起者が、お金をそれぞれ出し合った民衆であることもあるかもしれませんが、多くは、その地域の権力者または、その土地に関わった権力者がパトロネージしたものなわけですね。

奈良や京都のような都があった場所や、鎌倉のように幕府があった場所は、ハイクオリティな仏像がある理由はすぐにわかります。当時の最高権力者がいる土地ですからね、パトロンはそういった権力者、もしくは周辺に集積した富ということになるでしょう。時代によってデザイン的アップダウンはあるにしろ、です。

でも、地方でぎょっとするようなハイクオリティな仏像と出会うということがあり、そうなると余計に「なぜここにこんなにすごい仏像が?」と考えてしまうんですね。

「この仏像がある、ということは、ここにはその時代、大きな経済圏があったんだな」
そう連想するわけですね。

「仏都・会津」の祖、徳一さん
ちなみに、会津もそんな場所です。東日本の中でも突出して古い仏像(平安時代初期)が多い地域で、そのハイクオリティっぷりには本当に驚かされます。
#ちなみに東北で初めて「国宝」(彫刻部門)に指定されたのは、勝常寺(会津湯川町)の薬師三尊像です。

そして、俄然クローズアップしてくるのが「徳一(とくいつ)」さんという、お坊さまです。
福島県を代表するお寺さんの多くはこの「徳一」さんが開祖と言ってもいいくらい、福島仏教界を代表する傑僧です。
平安時代初期を生きた人で、日本仏教界の巨人・空海さんや最澄さんと激しく論争したことでも当時から高名でした。日本仏教史上に燦然と輝く偉人の一人です。

かねてから、徳一さんに憧れを抱いてきた私としては、やはり、徳一さんが最初に開山したとされ、お墓もある「慧日寺」を一度ぜひ訪ねてみたい、と思っていたのでした。

しかし残念ながら、「慧日寺」は、もうありません。
でも今は、復元された「史跡 慧日寺跡」があります。まずはそこを観に行きますよ~!

20151026-1磐梯町駅を降りて、歩いて20分ほどすると、…みえてきました!
道の先に、赤い建物がありますよ。あれだ!

…と。
その手前に「恵日寺」という矢印があります。
あれれ??
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「慧」日寺、ではないけど「恵」日寺。
よくわかりませんが、きっとこの恵日寺は現役のお寺さんです。まずこちらでお参りしてから史跡のほうに行こう、と決めました。

何事もご挨拶が大切ですからね!
20151026-3立派なご本堂ですね~!
その前に、看板があります。ナニナニ…

なるほど……。

ざっくりまとめますと、徳一さんが開創したお寺・慧日寺は、戦乱などにより何度も燃えたりしつつ、幕末までお寺があったのですが、神仏分離令による廃仏毀釈により、廃寺。
しかし、その後、塔頭の一つであった観音堂のご住職が旧寺名を復興、「磐梯山恵日寺」と名乗って、現在に至る…、ということだそうです。

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いやあ、それにしても、こちらの本堂変わった造りですね!
玄関の上にある部分、いわゆる〔唐破風〕かな?と思いますけど、こういう形のもの始めてみましたよ。新鮮!

手前でご挨拶だけして失礼しようと思ったら、お寺の方が現れて、中へどうぞと言ってくださいました。やあ、こういう運だけは持ってるのが、私ですよ~!

(続く)

file.106 桐屋権現亭の「饅頭の天ぷら」


いちにちいちあんこ

file.105に引き続きまして、今回も会津のあんこです。

会津と言えばお蕎麦、ですよね??

N先生とN編集長ご一行と、会津若松駅でお待ち合わせをして合流。すかさず先生御用達のお蕎麦屋さん・桐屋権現亭さんへと直行しました。

グルメな先生がお勧めされるお蕎麦屋さんですもの、美味しいに決まってます!

こちらは、そばやお野菜も手づから育てておられるそうで、まさにこだわりのお蕎麦やさん。
蕎麦も三種類もあります。私は、贅沢にも三種類のお蕎麦が載っている「三種盛り」を注文しました。

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写真手前から会津頑固そば、飯豊権現そば、会津のかおりそば。
頑固そばは、10割そばで最もそばのかおりがダイレクトにある感じですね。権現そばは、更科に近いかな。会津のかおりは、福島特産の新品種〔会津のかおり〕を使ったお蕎麦だそうですが、とても香りのいい爽やかなお蕎麦でした。

そして、こちら!

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天ぷら!

手前にあるのは、なんと朝鮮人参の天ぷらです。漢方薬としての朝鮮人参しか知らなかったので驚きましたが、なんと、てんぷらにすると、ほくほくしてまるでお芋のようなんです!甘くて、少し独特の苦み・風味があり、それがまたたまらず美味しい!

そして、そして、こちらです!

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会津では天ぷらの盛り合わせには、こちらがつきものだそうですよ。
何だと思いますか??

これは、なんと、「饅頭の天ぷら」なのですっ!

会津地方では、小さなお饅頭を天ぷらにしていただくんですよ~!
20151024-5ほら!ね?!アンコ入ってますよ!

桐屋さんでは、こしあんですが、昔食べたのには粒あんもあったなあ。

それにしましても、これは食後のデザートにぴったりです。
上質なこし餡と、すこし油を感じる衣が何ともベストマッチ。あまり大きくない、この大きさもいい。そして、思ったよりも軽いです。お饅頭をダイレクトに揚げるよりも、衣をつけてあげたほうが、油の乗りが濃すぎなくていいかもしれません。

お蕎麦でお腹はいっぱいでしたが、あんこは別腹、ということでしっかり完食いたしました♪

会津の皆さんは、これをちょっとお醤油をつけて食べたり、お蕎麦に載せてお総菜のようにして食べたりもするんですって。食って奥が深いですね~。

お店によってはテイクアウトできるところもあるみたいですよ!

桐屋権現亭
http://kiriyasoba.co.jp/index.php?m=top

file.105 ささ姫本舗桜島商店の「かりんとう饅頭」


いちにちいちあんこ

お仕事で、福島県は会津地方へ行ってまいりました。

せっかくなので、前後にちょっとお休みをくっつけて、会津地方の仏像巡りも一緒にしよう、ともくろんだのですが、その目論見は大当たり。素晴らしい出会いがたくさんありました!

そのご報告はまた「ブツタビ」でさせていただくとしまして…。

この度は、また新しいあんこたちとの出会いもありましたよ~!

初日、まず私が訪れたのは、磐梯町にある恵日寺と慧日寺跡。磐梯町駅を降りて、慧日寺跡までは徒歩で約30分。その途中に「道の駅ばんだい」があります。

そちらで、ふと手に取ったのがこちら…

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(公園のベンチでおやつタイム♪)

こう見ると普通の茶まんじゅうって感じですけど、実際持つとちょっと驚きます。本当にかたいんです。かりんとうを持った感じ。

名前の通り、と言えばその通りなんですけど、以前何度かかりんとう饅頭をたべたことがありますが、茶まんじゅうを油で揚げたもの、って感じで、こんな感じじゃなかったんですよね。

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思ったより軽い。
なんだか、新鮮!

20151020-3手で真ん中から割ってみようとしたんですけど、割れない!
それぐらい固いんですよ~。なのでがぶっと齧りつきました。

すると現れたのは、サラッとしたこしあん。あまみはひかえめです。
あんこも美味しいですが、やっぱりこのかりんとうみたいな皮が絶妙!皮は、まさにかりんとう。この皮だけでもかりんとうとして成り立つコクと甘さがあるので、あんこはサラッとした食感をプラスしているという役割。

これは美味しい!

調べてみますと、道の駅を中心に販売しているみたいですね。実店舗はあるのかな?ネット上では発見できませんでした。
「かりんとう饅頭」という饅頭は、もともと福島発祥の和菓子ですが、ここまでかりんとう感のあるモノはほかにはないんじゃないでしょうか。

お土産に買ってくればよかったな~。
一見素朴ですが、和菓子好きにはたまらない、非常に良質な美味しいあんこものですよ♪

(こちらで買えるそうです~!↓)
会津菓楽堂
http://www.anco.co.jp/?pid=5552250/

【2015青森旅】④やっぱり、かっこいい。縄文デザイン!!


竪穴式住居。

いいですなあ。

思い起こせば、私は小学生時分、縄文人生活にあこがれる少女でございました。
昔住んでいた家が、縄文時代の住居跡の上だったので、ちょっと掘ると縄文時代の土器のかけらが結構出てくるので、その縄目文様や造形を見て、シンプルに「すごいかっこいいなあ」と思ったんですよね。

それで、社会科の図録なんかに出てくるドングリのコッペパンを再現してみようとしたり、地層から粒子の細かめの粘土をこねて乾かして、焚き火で焼いてみたりして。

そのほとんどが失敗に終わりました。でも楽しかったなあ。

縄文人、すごい!って憧れたなあ。

今回、三内丸山遺跡を訪ねてみて、その時のことを鮮明に思い出しました。

遺跡の復元をしている野外エリアから、手前の建物「縄文時遊館」に戻ります。様々な施設の集合体、と言った感じなんですがその中に「さんまるミュージアム」という博物館があります。
三内丸山遺跡の出土品を展示してあるみたいなんですね。

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こちらが入口!

ポイントポイントに、こんな感じのリアルな人形さんがお出迎え。リアルなんだけどちょっとデフォルメされていて、コワくないです。とても可愛い。
#そして、一緒に復元されている犬、いかにも縄文犬(天然記念物柴犬保存会系柴犬)ですね!

中に入りますと、また展示方法がおしゃれですよ~~。東京国立博物館の法隆寺館みたいなライティングで、展示物が暗闇に浮かび上がる、みたいな展示です。

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でた~!
十字型土偶@重要文化財!!
かっこい~~!

板状で十文字型のこういった土偶は、三内丸山遺跡から1600個ほど出土したんだそうで、顔、胸、へそが表現されています。そのほとんどが盛土遺構で、壊された形で出土しているため、何らかの祭祀で用いられたのではないか、と考えられているそうです。

そして、縄文時代界のアイドルともいうべき、こちら!

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縄文ポシェット@重要文化財~~~!!!

こちらがどうして貴重かと言いますと、「縄文時代の遺跡から出土した編組製品で立体的な形が分かる全国唯一のもの」(三内丸山遺跡HPより引用)だからです。

それにしても、確かにこういったものがよくぞ残った!って感じですよね。奇蹟ですよ~~!

ちなみにこちらの素材は、「ヒノキ科(ヒバ、スギ、ヒノキ、アスナロがある)に属する針葉樹の樹皮を素材としている」(HPより引用)そうです。4000年以上残ってきた、なんて、最強に「丈夫」ですよね。中からは半欠けのクルミのカラが出てきたんですって。
こういったポシェットを腰に括り付けて、採集した木の実なんかを入れていたんでしょうか。

こちらは、全然知らずにみていましたが、特別公開だったみたい。ラッキーですね!!

いや。

それにしましてもなんですけどね。今回改めて思いました。

小学生の私、間違ってない!

やっぱり、デザインかっこいいですもん。縄文デザイン!

やっぱ、長年憧れてきてよかった。
そしてそのトップランナーと言うべき三内丸山遺跡にこれて、本当によかったです!

file.104 なごみの米屋の「ピーナッツ最中」


いちにちいちあんこ

私にとって沖縄は、「第二の故郷」と勝手に思っておりますくらい、大事な場所ですが、沖縄に住む友人によく、「いくはくえーぶーだね」と笑われます。

この「くえーぶ―」という言葉、私はとても好き。
「食福」でくえーぶーと言うらしいんですけど、「食べものに困らない」「食に縁がある人」、そんな意味なんですって。

確かに、私はくえーぶーだな、と納得してしまうのは、一人旅なぞしてますと、必ずと言っていいほど食べものもらうんですよね。そんな大げさなものではありませんよ。バスで一緒になったおばあちゃんからおまんじゅうもらうとか、飴もらうとか、柿もらうとか、そういう感じ。

一個だけですみません、と言いながらお餅を買ったら、これも持っていきなさい、とその倍以上のカステラもらっちゃうみたいな。小さな定食屋さんに入って煮魚定食お願いしたら、おまけにお刺身も食べてみな、ってお刺身サービスされちゃうみたいな。そんな感じです。

旅先でなくても、目上の方や友人からよくお土産をいただきます。お土産いただくと、だいたいそれは甘いお菓子です。いやあ、ほんと、ラッキーです。幸せです!

そんなわけで、今日のいちにちいちあんこも、先輩Oさんよりおすそ分けでいただきました、こちら!

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ぴーなつ最中~!

千葉県を代表するお土産の一つですよね!
大好きです!

けっこういただいたり、自分でも買ったりするんですが、そういえばこの製造元の「米屋」さんってどういうお店なのか知りません。

HPを拝見してみたら、なんと!
成田山新勝寺の参道にあるお店だったんですね~!しかも、HPによりますとあの「栗羊羹」発祥の店だそうです。知らなかったなあ。今度、ぜひその栗羊羹も食べてみたいです。

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パッケージを開けてみますとこんな感じ!
めちゃくちゃかわいい!!

リアルな落花生の3倍くらいの大きさでしょうか。何とも言えない佇まいがたまらなく可愛いですよ。

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あんこは、白あんベースです。そこにふっくらと甘煮にされた落花生が入っています。ピーナッツと言うよりは、落花生、と言いたいお味です。
コクがあって間違いなくピーナツなんですけど、でも、渇いたものをいただくよりももっと大らかで優しい味です。あんこの甘味自体は結構強めですので、小さいように見えても、一個で十分の満足感がありますよ。

そうそう、パッケージの写真を撮るの忘れちゃったんですけど、この最中が入っている箱がまた可愛い。ピーナツ型してるんですよ。
千葉のお土産としてだけでなく、手土産としてもすごくいいお菓子だと思います!
なごみの米屋
http://www.nagomi-yoneya.co.jp/

【2015青森旅】③今も世界のどこかにある風景に見えてきた


1500年もの間、人々が住み続けた場所。
それが三内丸山遺跡なんですね。すごいなあ。

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さて、先ほどの6本柱建物の前には、大きくて長い建物が復元されています。

「(略)長さが10メートル以上のものを大型住居跡と呼びます。三内丸山遺跡では最大のもので長さ約32メートル、幅約10メートルのものが見つかっています。集落の中央付近から見つかることが多く、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。」
(特別史跡三内丸山遺跡HPより引用)

茅葺屋根が何とも美しいですが、縄文時代にもこんな美しい茅葺があったのでしょうか。

ミャンマーの山岳地帯に住む少数民族が暮らす「ロングハウス」みたいな、または環太平洋の海洋民族にみられる集会所みたいな雰囲気ですよね。

内部に入ってみますと…

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かっこいい~!!

広々としてますね。そして長い!
この復元された大型竪穴式住居が何メートルかは、ちょっとはっきりわからないんですが、30メートルくらいありそう。

この大きな竪穴式住居を中心に、周囲にはいくつもの竪穴式住居が復元されていました。
20151011-3何だかかわいらしい家ですね。
地面と地続きな家、と申しましょうか…
「大地に抱かれている家」というような。
20151011-5入口はこんな感じです。
腰をかがめて入っていきますと…
意外と広い!
4・5畳くらいはありますし、屋根の高さもそこそこあって、身を屈める必要はありません。
私は159センチなので、ちょうど縄文人男性の平均くらいですから、子の高さがあれば十分だったでしょう。
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屋根組はこんな感じです。
縄と組み方で持って組んでるんですね。釘みたいなものはなかったのかな?
ちょっと調べてみると、出土品の中に釘が出ることもあるみたいなので、部分的にはそういうものを使っていたのかもですね。

ちなみに、こういった復元・竪穴式住居は、ワークショップのような形で、一般の人が力を合わせて造ったみたいですね。写真を撮るのを忘れてしまったのですが、名前を刻んだ大きな木札みたいなものがたくさん置いてありました。羨ましい!

それにしても、なかなか居心地のいい空間でした。4人家族で住む、なんてことになるとちょっと狭いけど、一人か二人で住む分には結構いいかもですよ。半地下ですから、暑さも寒さもそこそこ和らぎそうですし…
あ、でも冬は厳しそうだなあ。

とはいえ、この小さな竪穴式住居で寝起きをして、イベントや会議、共同作業なんかは集会所でやればいいんですから、必要十分かもしれませんね。
それに、こういう風に暮らしている人々は今もたくさんいます。

この復元された竪穴式住居群は、何だか今も世界のどこかにある風景に見えてきました。

(続く)

file.103  吉野家の「草だんご」


いちにちいちあんこ

身近だからこそ、いったことのない観光地ってありますよね?
京都在住の人が意外と京都観光をしないように、東京・東京近郊に住んでうん十年、いったことのない名所がけっこうあります。

そんなわけで、先日、ふと時間ができたので、こちらにいってきました~!

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もうおわかりになりましたね!?

そうです、柴又です!
寅さんの聖地です!
今回、本当に初めてこの駅を降りました。
なんだか新鮮ですねえ。

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駅からすぐのところに、帝釈天さんの参道があります。

柴又帝釈天と言えば、有名なのは、そうです。
草だんごですよね!??
参道脇にはたくさんお店がありますから、ものすごい迷います。迷うと分かっていたので、前もって調べていきました。

そこで、心に決めていたのが、吉野家さん!
ネットを見ると「最も草餅の蓬色が濃い」「草だんごだけしか売っていない」と書かれています。いいじゃないですか~。そういうのが好きです~!
そして、まず立ち食いすべく、4個入りと、お土産用に11個入りを買いました。
#一個52円で好きな数買えるみたい

まずは、立ち食いです。

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おいしそ~!!
草餅がホカホカなんですよ。作り立てです。
私はもちろんあんこを載せてもらいましたが、きな粉を載せてもらうこともできるみたいですよ。

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ひゃ~美味しい!

草餅のよもぎが濃厚です。この色、見ていただくと分かると思うんですが、緑というかビリジアングリーン!これこそ、よもぎがたくさん入っているあかし!
とにかくよもぎの味が強いので、とてもさっぱりした味です。よもぎってほんと爽やかだなあ。

そこに載っているこしあんも美味しい!アズキの味がガツンとしますので、草餅に負けてない。でも甘すぎずで適度な甘さがちょうどいい。

これは美味しいわあ。

もっと家が近かったら、通っちゃうな。これはいい!!

そしてこれが、お持ち帰り~!

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このパッケージもいいわああ!
かっこいい、こういうデザイン。

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あけてみますとこんな感じです。
ちょっとライティング失敗してしまい、あまり美しく見えなくて恐縮なんですが、お餅とあんこを別に入れてくれてるんですよ!この気遣い、堪らないですね!

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そして、こんな感じに分けていただきました!
はああ、美味しかった~~♪

吉野家
http://tabelog.com/tokyo/A1324/A132403/13047535/

【2015青森旅】②憧れの三内丸山遺跡へ!!


カモメさんたちの鋭い視線に、ちょっとビビってペコペコしながら、駅前に戻ってバスに乗ります。

バスで30分ほど郊外へ行くと、ちょっと手前に有名な県立美術館、そしてその先に三内丸山遺跡はあります。

三内丸山遺跡には入口に「縄文時遊館」という博物館があります。全体の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、とても素敵な建物です。

エントランスを入りますと…

20151006-1大きな縄文土器のレプリカがどーん!

おおおおおお!
テンション上がります!

さらに、縄文時代の衣装を着てみてね、と置いてあります。無料!
それは着るでしょう!
私も早速着てみました。素晴らしいですよ、小道具にお魚のレプリカまであって、選べるし。ちょっとおしゃれに腰ひもは2本づかいにしてみましたよ♪

いやあ、嬉しい!

それにしても気持ちのいい施設です。デザインも素晴らしいですし、びっくりすることにほとんどお金使いません。
三内丸山遺跡は、なんと無料で見学することができるんです。

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建物を抜け歩いていくと芝生が見え、その先に茅葺の建物が姿を現します。

おお、あれは、三内丸山と言えば……、な、あれじゃないの?!

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見たことある~!
「大型掘立柱建物」(別名六本柱建物ともよぶのかな?)と言うんだそうですが、櫓のようにも見えます。

この復元には、直径1mに及ぶ6本の大きな柱穴が発見されたことから、学者さんが推定して作ったとのことですが、こういうかたちではなく、「板葺の屋根のある建物」だった、「柱だけが佇立しているもの」だったなど、諸説あるようです。
しかもこの「大型掘立柱建物」は、この集落の中心部に東西に分かれて何棟もたてられていたことがわかってるんだそうですよ。すごいなあ。

この三内丸山遺跡ですが、今から約5500年前~4000年前(縄文時代前期中頃~中期末葉)の大規模な集落跡です。
なんと「約1500年」もの間にわたって定住生活が営まれていた、というわけですよ。ひゃ~!

長いですよ~、この1500年て。
そこまで同じ土地に、大人数のひとが住み続けるというのは、並大抵なことではありません。

…たとえるならば。
京都で見てみましょうか。

京都という土地は古くからの都ですが、都になったのは794年の遷都としますと、2015年までを考えましても1221年です。いえ、これでも十分にすごいことなんですけどね。それより300年ほど長いんですから…
#もちろん人口の規模が違う!と言われたらそれまでなんですが、それはちょっと置いといて…

この土地は、今はやりの言葉で言えば「サステナブル」な集落だった、と言えるかもしれませんね。人口はそこそこ増えたり減ったりはあったでしょうが、この土地にそれほど長い間住み続けることができた。それは、それだけの資源を、継続して得ることが可能だったから、とも言えます。

(続く)