【ニュース】こども動物自然公園でミナミコアリクイの赤ちゃんが誕生!

大好きな動物園「こども動物自然公園」で、ミナミコアリクイの赤ちゃんが生まれてました。
最近ちょっと忙しくてサイトチェックしてなかったんですよね~~><。

これは早めに会いにいかないと!
ミナミコアリクイ、ほんっと~に可愛いですから!
お母さんの背中に乗って移動してますから!!

たまらん♪♪

春は赤ちゃんラッシュで嬉しいですね♪

埼玉県立こども動物自然公園
http://www.parks.or.jp/sczoo/news/index.html

file.4 石塔寺三重塔(滋賀県)

不思議な引力のある地・近江の国
「この石ものが好き」4番目にご紹介するのは、ひょっとしたら、私が好きな石もの3本の指に入るであろう、とっておき「石塔寺三重塔」です!

場所は滋賀県、近江の国。
関東在住の人間にとっては、滋賀県と言われてもピンと来ないかもしれませんが、この辺りは日本一大きな琵琶湖を擁する特別な場所、歴史好き、仏教美術好きにとっては避けて通れない、強力な引力のある場所です。

例えば、ナゾの多い古代の大王、継体天皇の出身地であり、天智天皇が都を遷した場所であり、比叡山が作られた場所であり、織田信長が安土城を築いた場所でもあります。

京都や奈良のように、塊で語られることが少ないので、どうも印象が弱いような気がしますけど、こうして並べてみると、「覇者」に縁の深い場所ですよね。でも、継体帝は近江から出ていった人なので、別として、ここに何かを築こうとした覇者二人は、一代で終わってしまってます。
織田信長も天智天皇も強烈なカリスマで、なんだか共通点みたいなものを感じます。この二人が近江の国に都や肝心な城を築いたというのは、やはり不思議ですね。

「この場所を制することは、覇者がやりたくなることなんだけど、結局この地の呪力みたいなものには太刀打ちできなかった」。そんな感じかもしれません。

日本じゃないみたい!
さて、そんなわけで、この辺りはとても古くから文化が根付いていました。渡来人も多く住んでいたので、優れた石造物もたくさん造られています。

その中でも、燦然と輝くのが今回ご紹介する「石塔寺三重塔」です。
石塔寺三重塔実はこの写真、8年前に携帯で撮影したもの^^;。ちょっと画面が荒れてる感じですけど、あしからず…。

いや、しかし!

写真の状態は最悪ですけど、久しぶりに見ていて、テンション上がってきちゃいました!かっこいい~~!上段に向かうにつれわずかに小さくなっていく軸部。屋根の部分も緩やかな軒ぞりでいい感じ。「作りすぎる」とは対極な、自然な感じがします。達人の上、ってかんじです。
それにしても、この写真だけ見ると、なんだか日本じゃないみたいですよね。

この石塔が作られたのは、奈良時代前期といいますから、710~750年くらいです。聖武天皇のころくらいかな。
この辺りは、天智天皇の時代に、朝鮮半島で百済が滅亡した際に亡命してきた人々が入植したと、記録に残っています。おそらく、そういった人々がこの美しい塔を作ったんだろう、ということなんですね。

というのも、まずこのデザインがまんま百済っぽいということもありますが、素材も花崗岩なので、ますます大陸の人たちが作ったんだろうと。
#古代の日本では、石造物といえば、柔らかい凝灰岩を使うのが一般的でした。
石塔寺三重塔また、この塔を取り巻くように無数の五輪塔があるのも、壮観です。
これらの五輪塔は、鎌倉期以降、この石塔に奉納されたものらしいんですね。この塔自体が信仰の対象だったわけです。

「阿育王(あしょかおう)塔」の伝説
鎌倉時代に書かれた『源平盛衰記』にも、この塔について書かれてそうなんですが、ちょっと不思議な伝説があります。

紀元前3世紀ごろ、インドに実在した人物でアショーカ王(漢字表記だと阿育王)という人がいました。アショーカ王は、仏教に深く帰依し、仏教を広めるために力を尽くした人物です。

とくに有名なエピソードは、ブッダガヤに詣でて、仏舎利(仏陀の骨)を掘り出し、8万4千の仏塔に分納したというもの。8万4千という数字は誇張でしょうけども、実際、王が起源になっている塔が、アジア中にたくさんありますから、本当の話かもしれません。

そしてこの日本にも。
このたくさんの塔のうちの二つが日本に飛んできた、というのです!そう!そのうちの一つがこの「石塔寺三重塔」だと!

いや、それはも、ちょっと無理っていうか、なんですけどね^^;。

でもそんな伝説が残るほど、この塔は特別なものであり、その後も大切にされました。この周りにかしづく五輪塔群がそれを物語っているのです。

この不鮮明な写真を見ていて、またこの塔に会いに行きたくなりました。写真でもかっこいいですけど、生で見るともっとかっこいいんですよね!
ぜひ、皆さんも足を運んでください。
もしちょっときついなあ、と思われる方は、京都の法然院に模造がありますので、そちらを訪ねてみてください。ちょっと雰囲気違いますが、こちらの塔もまたすがすがしくて美しい塔です。

石塔寺
http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=536

「えらい人たち」、ことを成し遂げた年齢と寿命にビビる

 

そんなに早く亡くなってたの??!
偉人の年齢や寿命を改めてみていくと、かなりびっくりします。
例えば、織田信長は49歳のとき、本能寺の変で亡くなりました。当時の49歳はそんなに若くないかもしれませんけど、かたや徳川家康は75歳まで生きていますから、やっぱりちょっと若いような気がします。
49歳といえば、上杉謙信も49歳で亡くなりました。ライバルだった武田信玄は53歳。
戦国時代の武将の没年を見ると、50前後から60前後が多いので、当時の平均的な寿命からしてもそのくらいだったのかもしれませんが、自分の来し方に当てはめて考えると、昔の人ってめちゃくちゃ濃厚な一年だったような気がします。歴史に残るような偉人と自分を比べちゃいけないけど、やっぱりすごいなあ、というのが自分がその年齢になってみると実感を伴って分かるような気がしますね。

織田信長の人生で見てみると、
桶狭間の戦いのときなんと26歳!上洛したとき34歳!右大臣になったのが43歳!!!
かたやわたくし26歳の時、編集になって3年目で仕事でいっぱいでよく愚痴ってました。34歳の時、二社目の出版社で仕事でいっぱいいっぱいになって一人寂しく深夜残業してました…。わあ、小さ!!!

実際、同じ人間として彼の人生を見てみると、ほんとに半端ないですよね。ずーっと戦ってます。気の緩む隙など一部もありません。
そしてそんなに忙しいのに、ちゃんと子供も作ってます。正妻以外に10人もの女性を側室に迎えてます。なんてマメなんでしょう!

天下人で、女性にマメといえば、天智天皇(後宮の女性が多かったので勝手にそう連想してしまった)。大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、そういえばどんなかんじでしょう。
まず、蘇我家を滅亡させた乙巳の変の時、なんと19歳!
そのあとの大化の改新の時、20歳!
新羅と戦って大敗した白村江の戦い後、都を近江に移して即位したとき37歳。
そして亡くなったのは46歳だそうです。

え、えええ~~!
37歳って、とっくに通り過ぎた年齢ですやん!

…個人的に衝撃走りました。

世界の偉人も調べてみる
こうなってくると、世界のほうもちょっと気になります。

世界の偉人といえば、そうです!イエス=キリストさん!
磔になった時は34歳か37歳だったみたい。若い!!
しかも、それで類推すると、実際に宣教した期間は多くても3年ほどだったんですって。信じられません。そんなに短期間での教えが、2000年もの間人々に信仰されてきたんですから、まさに奇跡です。

この方向での偉人といえば、イスラム教の開祖ムハンマドは享年62。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタは80歳で亡くなっています。

ちなみに、ムハンマドが啓示をうけたの40歳頃。シッダールタが出家したのが29歳で、悟りを開いたのが35歳の時です。
わあ~~~!ほとんどすべて過ぎ去ってる~~~!

いや、こんなすごい人たちと比べたった意味ないことは重々わかってますよ。でもやっぱり比べちゃうわけですよ。

逆に長生きだった偉人たち
若くしてことをなしたことにビビってるばかりでは、あれですので、逆にめちゃくちゃな長生きで、大器晩成な偉人かいないかな、ということでちょっと見てみましょう。

まず一番最初に挙がるのは、北条早雲ですね。
北条早雲が、一般的に歴史の中に表れてきたとされている駿河の国下向が、44歳の時。
戦国時代の下剋上の先鞭、嚆矢と言われる伊豆討ち入りが、61歳。
相模の国を平定したのがなんと86歳。そして88歳で亡くなりました。
(とはいえ、最近では疑問を呈している研究者もいるとのことですが^^;)

それから、鎌倉時代の高僧、重源上人も長生き。
重源さんは、東大寺大仏殿再建の責任者になった時、すでに61歳。そしてやり遂げて85歳で亡くなってます。これもすごい話ですよね。

あと、何気にめちゃくちゃ長生きしてるのが、真田信之。有名な真田幸村のお兄さんですね。なんとなくなったの93歳ですって!
信之は大器晩成というよりも、若いころからできる人だったと思いますが、派手な父親と弟に少々隠れがちですよね。それにしても93歳とは驚きました。

それから、信之と比べてしまうとあれですけど、徳川家康も75歳と長命でした。
彼の場合を見ていると、あの過酷な環境と試練の連続の中、それでも生き延びて、生き抜いて、最後につかみ取った天下だったという感じがしますよね。対して秀吉は61歳で亡くなっていますが、もしあと10年秀吉が長生きしていたら、家康に天下はまわってこなかったでしょう。
長命も才能のうち。これも中国風に言えば天命なんでしょうね。

それにしましても。
この記事を書いていて、凡人なワタクシは、ため息のつきっぱなしでありました。どっちにしてもまじめにコツコツ生きていこーっと。というのが私のささやかな決意なのでした。