【仏勉】③シッダッタさんの言いたかったこと(?)


仏教はとっても複雑
さて、そんなシッダッタさんの教えとは一体どんなものだったんでしょう?
実は、仏教というのはとっても複雑。長い年月の中で、様々な経典が生まれ、考え方が生まれ、いろんな土地の神々が影響を与えたりして、ありとあらゆる変容を遂げていきます。

なので、お釈迦さんが言ってることだけが、仏教において大切だというわけでもないのです。お釈迦さん以外の仏さんやお坊さんがそれぞれに大切なことを説いたりしてて…。
まあ、でもキリスト教やいろいろな宗教でも同じことかもしれませんね。長い歴史を超えますと、大切なことや聖人が出てきますし、いろんな説が現れてくるのも当然のことかもしれません。
それだけ、「生きることとは一体なんなんだろう」と真剣に考えてきた人たちがいた、ということですよね。

菩提樹下の仏陀@ワット・ポー(バンコク)

菩提樹下の仏陀@ワット・ポー(バンコク)

人生は思い通りになりませぬ
そんなわけで、ものすごーく複雑なので、私ごときシロウトがどうこう言えるものではありません。正直言って、あんまり難しいので、仏教美術が好きだ!と長年言いながら、まったく詳しくないし、勉強もしてきませんでした(すみません)。
でも、このブログでは、(私が^^;)お勉強する、というのが裏テーマでもあるので、無理は承知でまとめてみたいと思います。

手元にある『日本仏像事典』(真鍋俊照編・吉川弘文館)の「仏教~原始仏教の思想」を読んでみましたところ…
ムムムむ…。

む、難しいので、まずその一。(分けて覚えていくつもり…^^;)

【人生は「苦」に満ちている。「苦」とは、「自分の思い通りにならないこと」をいう。なぜ思い通りにならないかというと、世界のいろんなことはあらゆることが関係しあって作られたものなので、常に変化しているから、自分の思い通りにならない。なので、どんなものも「自分のものである」とか「自分」ということを考えたらあきまへん。】

なるほどなるほど。
これはなんだかちょっとわかります。

確かに自分の思い通りになることって、そうそうはないですよね~~!
もちろん、こまごまとは、ありますよ。たとえば「今日作った豚のしょうが焼きは、狙い通りの味を出せた!」とか。行きたい大学に行けた、とか就職できた、とかそういうのは、ね。

でも、大きな意味で、おそらく決定的に、思い通りにならないことがあります。
それは自分が「死ぬ」ということ。

もちろん、「自殺」でしたら、自分がいつ死ぬかコントロールすることはできるかもしれません。
でも、どんなに死にたくなくても「死なないでいる」を選ぶことはできません。すべての人に平等に「死」という最後の幕が用意されているわけですよね。

「私」は「世界」でもある?
ちょっと飛躍しちゃいましたが、以下の部分は、すごい救いですよね!

これって、つまり。

「人生というのは思い通りにならない、なぜなら、いろんなことが関係しあってて、そして変化し続けるものだから」。

ふんふん…要するに…

『自分がすべてどうこうできることでもない。でも自分がしたことが無意味なことでも、小さなことでもない。すべてが関係しあって、響きあって、出来上がってるのがこの世界なんだから』。

と、読み下しましたよ!
前向き&楽天家な私としましては!

そういう世界観では、確かに「これは自分のものだ!」と主張しても、「私は私だ!」と言い張っても、あんまり意味ないですね。なぜなら、私は世界で、世界は私なのだし。

ふむふむ。なんか前向きな感じになってきました!
(続く)

 

【仏勉】②シッダッタさんの生きた時代


さてさて、そんなわけで、シッダッタさんは世界三大宗教のうちの一つとされる仏教を開いたわけですが、シッダッタさんの生きた時代はどんな時代だったんでしょうか。

彼が生きていた前6世紀ごろのインドは(このあたりがインドのすごいところですけど^^;)、すでに文明の爛熟期のひと山ふた山を越えたかんじで、爛熟を超えて退廃的な雰囲気が色濃い状況でした。
ガンジス川流域の中部とインド東部には、都市を中心とした小国家が林立し、多くは王制でしたが、そのいくつかの国では共和制を布くほど。
商工業が盛んになって、物質生活も豊かになってきていたので、王族や商業階層が台頭し、バラモンを頂点としたカースト制も、以前よりは絶対的なものではなくなっていました。

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム)

仏陀と仏弟子像(プラ・パトム・チェディ@ナコーンパトム:タイ)

…この流れ、なんだか18世紀ごろのヨーロッパみたいですよね。工業化により、それまでの支配者階級(貴族=地主)を押しのけるように、ブルジョアジーが台頭して、市民革命を起こす…みたいなながれですよ。

ですので、インドでも、自由思想家がたくさん現れました。当時の伝統宗教・バラモン教を批判し、新しい思想や宗教を起こした人は、シッダッタ以外にもたくさん存在していました。

シッダッタさんが登場した時代は、それほど、古い時代の権威を否定するような、改革のムードに満ち溢れた時代だったのです。

そんな空気の中で、シッダッタさんは思い悩み、またその深い悩みから修行に入り、ついには悟りを得たわけですね。まさに時代の要請だったともいえるでしょう。
(続く)

【仏勉】①悩み深き人・シッダッタ


仏陀(ぶっだ)とは???
あけましておめでとうございます!
ありをりある・ブツタビでは、年初にふさわしく、仏教のおおもとである「仏陀」についてお勉強してみたいと思ってます。よろしくおねがいします!

さて。
私はお寺や仏像が好きなので、そのことを周りの人にお伝えすると「仏陀って何なの?」と聞かれることがよくあります。仏教やお寺は身近にありますけど、意外とそのあたりちゃんと教えてもらったりしないですよね。

私も実はたいして詳しくないので、そんな時には「仏陀は悟りを得た人、という意味で、仏教を開いたお釈迦さんのことですよ~」なんて言ってお茶を濁してました。

念のため『岩波仏教事典』や『日本仏像事典』を確認してみても、大まかには間違いありません。「ブッダ」=「お釈迦さん」なのです。

仏陀坐像@シュユダゴン・パヤー(ミャンマー)

仏陀坐像@シュユダゴン・パヤー(ミャンマー)

悩み多き人・シッダッタさんの波乱万丈な人生
さて、みなさん、この「お釈迦さん」ってまたどんな意味かご存知でしょうか。
お釈迦さんは、親しみを込めた呼び方で、正確には「釈迦牟尼(しゃかむに)」、「釈迦如来(しゃかにょらい)」、略して「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれます。

お釈迦さんの本名は「ゴータマ・シッダッタ(シッダールタ)」。紀元前5世紀ぐらいに実在した人物です。ちなみに姓がゴータマ、名がシッダッタ。ネパール系の民・釈迦族(サーキヤ族)の正統な王子として生まれました。長男だったので今で言うと皇太子ですね。次の釈迦族の王になるべく大切に育てられました。

シッダッタさんは、子どものころからめちゃくちゃセンシティブな人でした。普通の人なら看過してしまうようなことでも、立ち止まってしまうような人だったみたい。お父さんもとても心配して、とにかく恵まれた環境を与え、早く愛する妻や子を持ってもらって普通の大人の男性になってほしいと願っていたようです。
シッダッタさんも、そんなお父さんの愛情や期待、周囲の気遣いを感じつつ、人生の問題に思い悩みながらも、奥さんを何人か迎えました。子どもも誕生し、誰もがうらやむような恵まれた人生を送っていたのですが…。にもかかわらず、結局、悩みからは解放されず、王位も家族も投げうち、29歳で出家してしまいました。

出家と言うと言葉はキレイですけど、つまりは「家出」。
当時の年齢を今の年齢の感覚にしたら、30代後半くらいなんじゃないかな。
つまり39歳くらいの働き盛りのお父さんが、いきなり家出しちゃった、みたいな感じですよね。こりゃたいへんだ。
非常に繊細な優しい人だったでしょうから、自分がどんなに無責任なことをしているかとか、わかっていたと思いますけど、おそらくそんな無責任なことをしなくてはならないくらい心が追い詰められていたんでしょう。

悩み深き人が「悟りを得た人」に
シッダッタさん、二人の高名な聖者(修行者)について修行しましたが、結構すんなり体得できちゃって、満足できず。
さらに山に入って究極の苦行したりしましたが、…結局6年ほどたって、この苦行が無意味であることを知りました。そして苦行を中止。河で沐浴して、村娘スジャータが捧げてくれた乳粥を食べ体力を回復し、ブッダガヤーの菩提樹の木の下で沈思瞑想して、ついに悟りを得ました。このときわずかに35歳。
この時から亡くなる80歳までの間、インド各地で教化を行いました。そしてインドの伝統的な身分制度(カースト制)にとらわれない、平等主義の教団を造り上げます。
これが、「仏教」の始まりです。
(続く)