【2015青森旅】④やっぱり、かっこいい。縄文デザイン!!

竪穴式住居。

いいですなあ。

思い起こせば、私は小学生時分、縄文人生活にあこがれる少女でございました。
昔住んでいた家が、縄文時代の住居跡の上だったので、ちょっと掘ると縄文時代の土器のかけらが結構出てくるので、その縄目文様や造形を見て、シンプルに「すごいかっこいいなあ」と思ったんですよね。

それで、社会科の図録なんかに出てくるドングリのコッペパンを再現してみようとしたり、地層から粒子の細かめの粘土をこねて乾かして、焚き火で焼いてみたりして。

そのほとんどが失敗に終わりました。でも楽しかったなあ。

縄文人、すごい!って憧れたなあ。

今回、三内丸山遺跡を訪ねてみて、その時のことを鮮明に思い出しました。

遺跡の復元をしている野外エリアから、手前の建物「縄文時遊館」に戻ります。様々な施設の集合体、と言った感じなんですがその中に「さんまるミュージアム」という博物館があります。
三内丸山遺跡の出土品を展示してあるみたいなんですね。

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こちらが入口!

ポイントポイントに、こんな感じのリアルな人形さんがお出迎え。リアルなんだけどちょっとデフォルメされていて、コワくないです。とても可愛い。
#そして、一緒に復元されている犬、いかにも縄文犬(天然記念物柴犬保存会系柴犬)ですね!

中に入りますと、また展示方法がおしゃれですよ~~。東京国立博物館の法隆寺館みたいなライティングで、展示物が暗闇に浮かび上がる、みたいな展示です。

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でた~!
十字型土偶@重要文化財!!
かっこい~~!

板状で十文字型のこういった土偶は、三内丸山遺跡から1600個ほど出土したんだそうで、顔、胸、へそが表現されています。そのほとんどが盛土遺構で、壊された形で出土しているため、何らかの祭祀で用いられたのではないか、と考えられているそうです。

そして、縄文時代界のアイドルともいうべき、こちら!

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縄文ポシェット@重要文化財~~~!!!

こちらがどうして貴重かと言いますと、「縄文時代の遺跡から出土した編組製品で立体的な形が分かる全国唯一のもの」(三内丸山遺跡HPより引用)だからです。

それにしても、確かにこういったものがよくぞ残った!って感じですよね。奇蹟ですよ~~!

ちなみにこちらの素材は、「ヒノキ科(ヒバ、スギ、ヒノキ、アスナロがある)に属する針葉樹の樹皮を素材としている」(HPより引用)そうです。4000年以上残ってきた、なんて、最強に「丈夫」ですよね。中からは半欠けのクルミのカラが出てきたんですって。
こういったポシェットを腰に括り付けて、採集した木の実なんかを入れていたんでしょうか。

こちらは、全然知らずにみていましたが、特別公開だったみたい。ラッキーですね!!

いや。

それにしましてもなんですけどね。今回改めて思いました。

小学生の私、間違ってない!

やっぱり、デザインかっこいいですもん。縄文デザイン!

やっぱ、長年憧れてきてよかった。
そしてそのトップランナーと言うべき三内丸山遺跡にこれて、本当によかったです!

【2015青森旅】③今も世界のどこかにある風景に見えてきた

1500年もの間、人々が住み続けた場所。
それが三内丸山遺跡なんですね。すごいなあ。

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さて、先ほどの6本柱建物の前には、大きくて長い建物が復元されています。

「(略)長さが10メートル以上のものを大型住居跡と呼びます。三内丸山遺跡では最大のもので長さ約32メートル、幅約10メートルのものが見つかっています。集落の中央付近から見つかることが多く、集会所、共同作業所、共同住宅などの説があります。」
(特別史跡三内丸山遺跡HPより引用)

茅葺屋根が何とも美しいですが、縄文時代にもこんな美しい茅葺があったのでしょうか。

ミャンマーの山岳地帯に住む少数民族が暮らす「ロングハウス」みたいな、または環太平洋の海洋民族にみられる集会所みたいな雰囲気ですよね。

内部に入ってみますと…

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かっこいい~!!

広々としてますね。そして長い!
この復元された大型竪穴式住居が何メートルかは、ちょっとはっきりわからないんですが、30メートルくらいありそう。

この大きな竪穴式住居を中心に、周囲にはいくつもの竪穴式住居が復元されていました。
20151011-3何だかかわいらしい家ですね。
地面と地続きな家、と申しましょうか…
「大地に抱かれている家」というような。
20151011-5入口はこんな感じです。
腰をかがめて入っていきますと…
意外と広い!
4・5畳くらいはありますし、屋根の高さもそこそこあって、身を屈める必要はありません。
私は159センチなので、ちょうど縄文人男性の平均くらいですから、子の高さがあれば十分だったでしょう。
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屋根組はこんな感じです。
縄と組み方で持って組んでるんですね。釘みたいなものはなかったのかな?
ちょっと調べてみると、出土品の中に釘が出ることもあるみたいなので、部分的にはそういうものを使っていたのかもですね。

ちなみに、こういった復元・竪穴式住居は、ワークショップのような形で、一般の人が力を合わせて造ったみたいですね。写真を撮るのを忘れてしまったのですが、名前を刻んだ大きな木札みたいなものがたくさん置いてありました。羨ましい!

それにしても、なかなか居心地のいい空間でした。4人家族で住む、なんてことになるとちょっと狭いけど、一人か二人で住む分には結構いいかもですよ。半地下ですから、暑さも寒さもそこそこ和らぎそうですし…
あ、でも冬は厳しそうだなあ。

とはいえ、この小さな竪穴式住居で寝起きをして、イベントや会議、共同作業なんかは集会所でやればいいんですから、必要十分かもしれませんね。
それに、こういう風に暮らしている人々は今もたくさんいます。

この復元された竪穴式住居群は、何だか今も世界のどこかにある風景に見えてきました。

(続く)

土偶を観に行く旅もいいな…『縄文遺跡ガイド~北海道北東北~』/インテリジェント・リンク編

縄文時代と一口にいうと、鎌倉時代、室町時代と並ぶような時代区分に聞こえてしまうかもしれませんが、それは大きな間違いです。

縄文時代は、紀元前〔BC〕1万2・3000年から、紀元前〔BC〕 300年までのことを指します(諸説あり、国史大辞典参考)。

さらりと言いましたよ。

しかしよく考えてみてください。

日本列島の歴史のなかで、約1万2000年間も、「縄文時代」ですからね?!

その後続く弥生時代は、紀元前3世紀ごろから紀元後〔AC〕 3世紀ごろまでですから、だいたい600年間です。

何でしょう、このバランスの悪さ。

その後の日本の歴史が1700年ですからね、弥生時代と足し算しても2300年間しかありません。

12000対2300です。約五倍です。

このボリューム感の違いは、皆さん意外と気が付いてないんじゃないかと思うんです。しかし、ちょっと冷静になってみてみますと、時代の長さだけで言えば、日本を代表する文化は縄文時代の文化と言うべきかもしれませんよ。岡本太郎さんの直観は大変正しい。

そんなこんなで前置き長いですが、仕事が煮詰まると、脳内旅行をし始めるのが私の習性。今日はふと、この本を手に取りました。

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先日見てきた「マスク展」@庭園美術館に触発されましたね。無意識でしたけど。

今回はフランスの博物館の収蔵品ですから、どうしても東アジアのラインナップが弱かったんですね。日本が世界に誇るプリミティブ・アートと言えば、そう「土偶」ですよね!!

こちらの図録は、トーハクさんで2009年に開催された「国宝 土偶展」のもので、当時、大英博物館で開催された展示の凱旋という意味合いもあったんですが、国宝指定されている三体、「縄文のヴィーナス」(茅野市棚畑遺跡出土)、「中空土偶」(函館市著保内野遺跡出土)、「合掌土偶」(八戸市風張1遺跡出土)を一度に観られるということで、ものすごく貴重な展覧会でした。

現在国宝に指定されてますのは、当時の三点に「縄文の女神」(山形市・西之前遺跡出土)、「仮面の女神」(茅野市中ツ原遺跡出土)が加わって、5体。

2009年当時も、この二体も、重要文化財としてラインナップされていて、もちろん見ることができました。

こうして、日本の素晴らしい原始美術を見てますと、やはりむくむくと、現地で観たいという気持ちが高まってきますよね。

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そこで、また手に取りましたのがこの本。

ずいぶん前に買って、行きたいところに付箋を立ててそのまま……(涙)。

北海道と北東北には、素晴らしい縄文文化の中心地ともいえる場所でしたので、三内丸山遺跡はじめ、見てみたい縄文遺跡はたくさんあります。

ただ、ちょっと気をつけなくてはいけないのは、意外と土偶現物はトーハクさんにあったりするんですよ。例えば有名な重文の遮光器土偶(つがる市木造亀ヶ岡出土。この本の表紙にレプリカが載ってますけど)は、トーハクさんにあり、たしか常設展でも観ることができます。

でも、やっぱり三内丸山遺跡かなあ。

恥ずかしながら、まだ行ったことないんです。昔、出版社の営業部にいたときに青森は担当地域だったので、何度も訪ねているんですが、空港から市内へ向かうバスでいつも標識だけ眺めて涙を呑む、ということをやっていました。

ああ、旅に出たい。夏の東北や北海道は、美しいですよね……。