講演「運慶のまなざし」山本勉先生を聴く③

興福寺北円堂の「無著・世親」像
さて、より人間に近いお像には、リアリティを加える「玉眼」を用い、超越した存在である如来像などにはあえて「彫眼」を用いる…。そんなルールでこの技術を使い分けているようだ、とされながら、…しかしルールだからと言って、ただ単純にそうしているわけではなさそう、と言い出された山本先生。

たとえば、興福寺(奈良)の北円堂。

20140327

こちらには、あまりにも素晴らしい「無著(むちゃく)・世親(せしん)像」(国宝)が安置されています。

この「無著・世親」、興福寺は法相宗という宗派なのですが、その宗派の祖となったと伝えられている偉大なお坊さまの兄弟なのです。

無著(兄)さんは、釈迦如来の次に仏になることが予言されている弥勒菩薩より教えを受け継いだ人で、唯識学派の大家になりました。世親さんはお兄さんの説得により、上座部仏教から大乗仏教へ転向し、兄とともに教えを広めました。

この北円堂には、そのおおもとになった弥勒如来像がご本尊として祀られ、その両脇には脇侍である菩薩二体、そして少し下がった後ろ側にこの兄弟の祖師像、そして四方には四天王が安置されています。

「玉眼」を用いることで、まるで時空を超えているような表現に
この中で、運慶の手によるものはご本尊の弥勒如来像と無著・世親像の三体なのですが、そのうち無著・世親像のみが「玉眼」なのです。

「玉眼というのは動きをもたらします。この二体だけまるで時が動いているように見える効果があるのです」

先生は、この二体にのみ「玉眼」という技法を用いたのは偶然ではなく、運慶の意図が明確にあったのではないかとおっしゃるのです。

確かに、以前拝観した時のことを思い出しますと…。前側から拝見すると、暗い中から、金色に輝く弥勒如来三尊像の少し後ろに、あまりにもリアルで、しかし超人的な風貌のお像がすっと立っているのが見えました。

その時に、光を吸って目が光るようにみえたことを思い出しました。

濃い陰翳と光。

北円堂はそれ自体が大変美しい八角形のお堂です。このお堂自体、建造が721年という興福寺の中でも最古層に属する建物で、国宝に指定されています。
私が観た日には、ものすごく美しい秋の日で(秘仏なのでご開帳の日は限られています)、開け放たれた戸の向こうに青い空が見えました。そっとお堂の中に足を進めると、その瞬間、深い陰翳の世界に入り込みます。そしてその陰翳の中に浮かび上がる金色の三尊像と、無著・世親像の深い悲しみと赦しをたたえたような優しい目がスーッと私のほうに……。

なるほど、金色の仏さまたちはあまりに完璧すぎてこの世のものとは思えませんが、その間に無著さんと世親さんがいて、その隔絶した距離を少しだけ埋めてくれてるような気がします。

「時空を超える表現、ですね」

なるほどなるほど!
確かに、無著・世親像はまるで生きている優しいお坊さまのように、その超絶世界と私たちをつなぐそんな役割をしてくれてるんじゃないか、そんな風にさえ思えます。

「運慶は、群像全体を見据え、相互関係を考えて、一つの像に最もふさわしい姿や表現を与えているのです」

…ふかい。深いですね~!

このお堂の中には法相宗の根本というべき世界観が表現されているんじゃないかと思いますが、そういった世界観を表現するうえで最善の手法を用いて、運慶は造像したんじゃないかということでしょうか。

それにしても、先生のお話を伺ってますと、視界が広がっていきます。

このように一つの観点をおしえていただくと、それを突破口にして、また新しい気付きをいただきますね。「運慶のまなざし」という講演タイトルがまたなるほど、と思われてきます。玉眼という技法をどう使いこなすか…という視点を通して、繊細で深い運慶の「まなざし」を感じることができるような気がしました。

運慶のお像を改めて拝観しに行きたい気持ちがむくむくと。知るって本当に楽しいです!

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この講演二時間を三回にわたってレポートさせていただきましたが、私の無知はいかんともしがたく、ごくごく一部をご紹介させていただきました。

山本先生、そして無料でこのような素晴らしい会を開催してくださった小学館さん、本当にありがとうございました!

(終わり)