若き日の半藤先生、日本の黎明期の心を詠う「万葉集」を読み解く!『万葉集と日本の夜明け』/半藤一利著

半藤先生のご本をお手伝いさせていただいて、今回でなんと四冊目。

これまでは、太平洋戦争や昭和史といった半藤先生ならではのテーマが多かったのですが、今回はちょっとこれまでのご本とは雰囲気が違います。

なんと、今回は「万葉集」です!
ど真ん中、正統文学のかほり!

昭和史の大家としてあまりにも高名で、歴史家として硬派な印象の強い半藤先生ですが、実は学生時代は東京大学文学部国文学科所属。卒業論文は、なんと『堤中納言日記』という生粋の文学青年だったことはあまり知られていないかもしれません。

知られていない、…というよりも、先生もこれまであまり声を大にして言ってこなかった事実、というべきでしょうか。大学を卒業して、編集者として活躍しながらも、短歌を愛し、歌人として活動もされていた、ということも多くの読者はご存じないのではないかと思います。

本書は、そんな若き歌人としての半藤先生が、愛する『万葉集』を前に、ワクワクしながらづつった文章を中心にまとめたものです。万葉集がもつ日本の黎明期・青春期そのものの力強さと、先生ご自身の若々しい躍動感があいまって、素晴らしい一冊となりました。

20160902

ご存じのように、万葉集は日本最古の歌集です。特に日本史上、この歌集が際立っているのは、上流階級の歌だけでなく、庶民の歌も広く収録しているところででしょう。

先生も、やはりそのような歌の数々――東歌、防人の歌に特に愛情を向けられ、読み解いてくださいます。とはいえ、半藤先生ブシは、健在。
東歌や防人歌を通して、古代の日本、そして当時の東アジア情勢を見事に読み解いてくださいます。そこは、やはり「歴史探偵」の面目躍如です。

「『万葉集』は「日本人の心のふるさと」という。しかし『万葉集』は遠い風景をうっとり眺めるようにみるのはむしろ間違い。時代を越えてわたくしたちといまも一緒に生きられる、いや、現に生きているトナリの人々、それが万葉びとなのである。」(本文より引用)

歴史上の人だから、昔の人だからといって崇め奉るのではなく、同じように生を生きた人間として、万葉びとの言葉を味わう。その言葉から、心情を慮り、その時をどう生きようとしていたかを推理する。古代史を庶民の言葉を突破口に、読み解いていく手法は、歴史探偵ならでは。万葉集をお好きな方だけではなく、古代史好きな皆さんにも、ぜひともお勧めしたい内容になっています。

そして、後半部ではご自身が中国を旅した際の旅行記を採録しています。万葉の時代、中国は唐の時代です(正確に言いますと、則天武后の代なので、武周)。先生は、万葉の歌人として有名な山上憶良に仮託しつつ、唐の時代に思いをはせます。

唐の時代、万葉の時代。
ダイナミックで、国際色豊かな時代の風が、ふうっと香り立ちます。

この時代は、何とも言えず、良いですな~。
この頃の仏像も建造物も、精緻でありながら何とも言えず大らかですね。
時代の空気というのは、その時代すべてのものに自ずと現れると思いますが、万葉集や唐の詩人たちの詩にも共通する豊かな息遣いがありますね。
先生の旅行記を拝見すると、そんな息遣いを感じることができます。

半藤先生のファンの皆さんはもちろんですが、古代史好き、万葉集・短歌好きのみなさんにも、ぜひ、お手に取っていただけたらと思います!

(むとう)

終戦のあの時、いったい何が起こっていたのか。「今の日本」の始まりを知るための絶好の一冊、登場!『マッカーサーと日本占領』/半藤一利著

戦後71年目を数える今年。

昨年は70年ということで、新刊のラッシュに加え、『日本の一番長い日』が映画化され、年末には菊池寛賞の受賞と、大忙しだった半藤一利先生。
年が明けて、いよいよこちらの本書も刊行とあいなりました!
20160418

半藤一利先生のご本をお手伝いさせていただいて、なんと三冊目。単行本としては初めてになります。

これまでは、どちらかというとエッセイ的でしたが、今回はかなりずっしりとしたテーマです。
正直言って、「マッカーサー」「日本占領」なんてど真ん中のテーマを、私なんぞで大丈夫かと危ぶみました。しかし、そこは長年ご担当されてきたO編集長がいらっしゃるので、大船に乗った気持ちで、でもコマゴマビビりながらお手伝いさせていただきました。

そんなわけでしっかりずっしりながらも、そこはさすがの半藤先生。とにかく読みやすい&わかりやすい!
「あの時」の、マッカーサーと昭和天皇のやり取りなどから、マッカーサー、昭和天皇がどういう人であったのかを、知ることができますし、
改めてあの敗戦を見てみると、その凄まじさに改めて驚くとともに、その後に起こった様々なことが、本当にすれすれ、紙一重の決断や成り行きによって決まっていったのだ、ということがとてもよくわかり、改めて肝が冷えます。

そして、もう一つ、やはり本書のポイントは、カバーにも使われている「写真」かと思います。(巻頭には写真が24p載ってます!)

カバーのカラー写真、拝見してその状態の良さに驚きました。フィルムの退色がほとんどなく、とても70年前のものとは思えないほどクリアなんです。
だからこそ、この生々しい表現につながるんですね。

何の説明もなくこの写真を見たら、今現在、戦災などでダメージを受けたどちらかの国で撮影されたものと思ってしまうかもしれません。

先生と編集長が、この衝撃的な写真をカバー写真に決められたと教えていただいた時、私は思わずうなってしまいました。
元々は、マッカーサーの顔写真を…なんてお話もあったのですが、それがこちらで決定というのは、ものすごい方向転換とも言えます。

マッカーサーを軸にした本でありながら、この本の主役は被災した名もない日本国民なのではないか。先生はそれを示すためにこのお写真を選ばれたんじゃないか……と、そんな風に想像して、思わずうなったのです。

あの時、日本人はみんな、こうした状況だったんですよね。履くものもなく、着るものもなく、焼け跡になってしまった愛するこの地を呆然と眺める。そんな状況です。

そして、それは、一見遠い風景のようでありながら、決して遠いことではないのですね。
わたしたちが生きているこの社会は、「あの時」定められた方向性の上に成り立っているのです。

良い悪いではなく、まずそのことを知らなくてはならない、そう痛感します。

例えば、憲法についても、
「日本国憲法は、アメリカに押し付けられたものだから、我々の憲法ではない」
そういった言説をよく聞きます。

確かに、日本国憲法は、日本人だけで作ったわけじゃありません。アメリカの、というかマッカーサーの意図が大きく働いたことは間違いないでしょう。
しかし、第二次世界大戦という途方もない戦争を経て、もう今後戦争なんて言う馬鹿げたことをしてはいけない、マッカーサーを始め、そう痛感した人たちの思いが――当時の時代を代表する大きな痛感が、人種を越えてあの憲法に結晶化したってことじゃないのか……そう感じられるのです。

「歴史を勉強する意味なんてあるの?」
歴史が好きだというと、そんな風に聞かれることがありますが、私は意味があると思います。歴史を知るということは、「今」が、「なぜ」「どうして」こうなっているかを知ることです。

本書はもちろんオススメなのですが、一緒に半藤先生の『昭和史』も読んでみてほしいと思います。

こちらは、太平洋戦争以前から、戦後の復興までの流れを知ることができます。(戦後篇ではそのあとも知ることができます!)
『マッカーサーと日本占領』はどちらかというと「点」です。特に戦後の5年間、マッカーサーという人をたどることで、その時の日本が見えてきます。
一方、『昭和史』は「線」です。流れの中で、その時の日本を知ることができると思います。

今まさに、熊本・大分地震が発生し、多くの方が被災しています。
災害も多く、国内外に課題が山積している日本に生きている私たちです。あの未曾有の大惨事、何が起こり、大先輩たちがどう対し、乗り越えようとしたのかを学ぶことは、必ず意味があると私は思います。

是非、お手に取ってみてください!

(むとう)

今年は戦後70年。歴史を学ぶこと、語り継ぐことの大切さを知る。『「昭和史」を歩きながら考える』/半藤一利著

私は戦後生まれのため、戦争体験はありませんが、生まれ育った街・埼玉県東松山市は、平和教育が盛んな土地でしたので、戦争について学ぶ機会は多かったように思います。「原爆の図」で高名な画家・丸木位里・俊夫妻の美術館が近隣にあるというのも無関係ではないでしょう。

年に一度は、遠足で丸木美術館に訪れました。私は、みんなで遠足に行けて楽しいなあ、と思う半面、「あの絵」を見るのはこわいなあ、と思っていました。でも、あの絵を、「怖い」といってはいけない気がしていました。あの絵はこわいけど、怖がって眼をそらすのは失礼だ、そんな気持ちがあったように思うのです。

子どもながら、それがあの悲惨な現実があったことへの誠意であり、せめてものことだと思っていました。だから、丸木夫妻が描き出す、阿鼻叫喚の地獄世界としか思えない「あの絵」をただじっと見つめる……。
思い返しますと、年に一度、そんなことをするのは、実はとても意味のあることだったように思います。この日と、その後の何日かは太平洋戦争について考えます。そして、戦争がどんなに悲惨なのかに思いを巡らし、理屈でなく、人を殺し殺される「戦争」なんて絶対したくない、子ども心に実感を持ってそう思うことができました。

そして、それからさらに20数年が経ちました。
今年は何と戦後70年を数える年……。

戦争をしないで太平の世を70年も築けてきた、とも言えます。しかし、それはあまりにもきれいな言い方で、日本は間接的に戦争に参加してきた、といえると思います。それぐらい、世界に戦争が絶えることはありません。

さて、毎度ながら前置きが長すぎました。
ここ数カ月、一生懸命取りくんでまいりました一冊、半藤一利先生のエッセイ集、『「昭和史」を歩きながら考える』が、明日発売となりますので、ご紹介させてください。

20150303半藤先生のご本は、昨年も『若い読者のための日本近代史』(PHP文庫)というご本をお手伝いさせていただきました

先生の文章を拝読するのは、まさに勉強の連続ですが、今回もほんとうに勉強させていただきました。

昭和史の生き証人であり、第一級の研究者であり、歌人であり、また文藝春秋社の名編集者として数多くの高名な作家との交流を重ねてこられた先生の文章には、知識からも、風格からもただごとでない気配がにおい立ちます。前回は、書評集といった感じでしたが、今回のご本は、「エッセイ」集ですので、だいぶ軽いタッチのものも多く収録されていますが、それでもそこここに漂う「文人」らしい空気はどこまでも健在です。

あの時、あの前後にどのようなことが起こっていたのか、また経済発展していくときの日本とはどんな風だったのか、というのは、戦後生まれの我々は、よくわかっていないかもしれません。しかし、本書で語られる半藤少年・半藤青年の目を通じて、または多くの歌人が詠んだ歌や俳句によってうかがい知ることができます。また、編集者としての心がけ、日本語とはいったい?といった、その後の昭和日本で、といった趣きの軽妙なエッセイもあり、気楽に読んでいただけると思います。

私が子供のころ、「原爆の図」を観ることによってある意味「体感」 したように、様々な形で、戦争や歴史を語り継いでいくことはできるんじゃないか、と思うのです。本書は、そんな体験を、読むことでさせていただける一冊、と思います。

そしてまた、直感的に戦争は嫌だ、戦争なんてしたくない、そう思うことは大事なことですが、では「どうしたら回避できるのか」、それは「歴史を学ぶ」ことによって、少し見えてくるのではないか、と思うのです。そういった意味でも、本書における先生の歴史を見つめる視線、読み解き方は、とても参考になるのではないかと思います。

ぜひ、お気軽にお手に取ってみてくださいね!

(むとう)