2019年、新年のご挨拶。

新年、あけましておめでとうございます!

この年末は、ここ数年の中でも特にバタバタしてしまい、各位に不義理を重ねてしまいました。もうちょっと余裕のある年末年始を過ごすことが、早くも来年への抱負となった新年です。皆様はいかがお過ごしでしょうか?

2018年は2017年に引き続き、微力かつ牛歩ではありますが、一つ歩を重ねられたかな?と思える一年でした。

まずは長年携わっている編集のお仕事。
ずっと担当させていただいております畠山健二先生の書下ろし時代小説シリーズ『本所おけら長屋』は累計73万部を突破、2019年はついに夢の大台100万部がみえてまいりました!そして、五木寛之先生も『人生百年時代のこころと体の整え方』を皮切りとして、『人生百年』シリーズとして、新シリーズをスタートさせることができました!!
いずれにしても、各先生、版元・PHP研究所の皆様のご尽力の賜物なのですが、外部編集者として担当させていただいております私としても、喜びと誇りを感じております。

さらに、執筆のお仕事では、共著で書き下ろした本『今を生きるための密教』(天夢人)を出版できました。編集者ではなく、執筆者として、私を「共著者に」と推してくださった本田さんには、足を向けて寝られません。さらに嬉しいことに、本書はシリーズになりまして、第二弾のテーマも『修験道』に決まりました。密教に続き修験道もこれから一生懸命勉強して、取材をして、面白い文章を書いていきたいと思っております。

さらに、新しいチャレンジとして、webでのお仕事をスタートしました。昨年12月から小学館さんの「BE-PAL.NET」で「文化系アウトドアのススメ」をスタートしました。

これまで、紙媒体しかやったことがなかったので、ドキドキだったのですが、担当してくださっているN副編集長は、私の癖もよくご存じ。きっとうまくハンドリングしてくださるだろうと、大船に乗った気持ちで、今は(いい意味で)開き直っております。理解してくださる方に並走していただけるのは、本当に嬉しいですね!今からどんなふうに書こうかな?とワクワクしています。

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今年で「平成」が終わります。

この時代が変わるタイミングと、変化によっておこる勢いに、私もどうにかのっていきたいと思います。

そんな意味でも、今年のテーマは「変化」。
そして心構えとしては「新しいことを恐れずやってみる」としていきたいと思っております。

どうか皆様。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます!

ありをる企画制作所 武藤郁子 拝

雑誌『BE-PAL』公式サイト「BE-PAL.NET」で、新連載「文化系アウトドアのススメ」をスタートしました!

私は、本サイト「ありをりある」で、密かに「文化系アウトドア」を標榜してきました。
それは、アウトドア系出版社に在籍していたということもありますが、実際に自分がやっていることに名前をつけたくなってひねり出した一つの概念だったんです。

しかし、特に大プッシュするでもなく、細々と書き連ねて早8年…。

……が、ようやく、皆さんに知ってもらえるチャンス到来!

雑誌『サライ』で大変お世話になっていた編集者Nさんが、アウトドア雑誌『BE-PAL』へ移籍され、このたびWEBの責任者になられて、「文化系アウトドアで書いてみない?」と、私にも声をかけてくださったのです。

Nさんは、ものすごい博識で、「文化」を絵にかいたようなお人なのですが、そんなNさんとお仕事するとしたら、やっぱそのテーマはこれしかないと、私も二つ返事でOK!

自分がやっていることを、そのまま発表してもいい場所を与えていただけて、本当に嬉しいです。張り切って楽しんで書いていきたいと思います。

ぜひ、お暇な時に覗いてみてくださいね~!

第一回「大和葛城山の山麓をゆく」

違うこと、尊重すること

「むとうさんは、あまり今の事に関わる仕事はしないほうがいい。疲れてしまうだろうから」

取材でお目にかかったとあるお坊さまが、私を一目見るなり、そんなことを言われました。まだ何もお話していないというのに、なんとまあ、ど真ん中なアドバイスをくださったな、この方は本物だな…

なんて、畏れ多くも思ったのですが、実はこのことは、私が生きていく上で最も重要な「生き抜くためのカギ」なのです。

ひとことで言うと、子どもの頃の私は「変な子」でした(今もか)。
子どもながらにもそう自覚していて、生きるためには「普通のこと」から距離を置かないとだめだ、と感じていました。いろんな過酷な体験があったこともありますが、先天的にそう感じていたような気がします。

この「普通のこと」というのは、私が苦手だと感じることでした。
例えば、「感情を表現すること」や、「誰かを好きになったり嫌いになったりすること」あるいは「誰かと競争すること」です。
この「普通のこと」を自分がうまくできないと痛感し、「普通に見えるように」できる限りコントロールしてやり過ごしていたんです。

この時の自分を、「傷ついた子供がやむにやまれず」と言えば、何だかきれいな話になりますけど、そんなにきれいな思いから選んだ方法でもなかったんですよね。かなり冷静に、「この方法が一番ましだ」と思って選びました。純粋というには遠過ぎる考え方です。

とにかく、私が思いのまま振る舞うと、必ず誰かがそれを気にして、意地悪をしたり、否定してきたりするので、めんどくさかったのです。それを回避しないと、私自身のパワーを維持できない、そう考えたのかなと思います。

そして私は、ある程度無難に生き抜くために、「擬態する」「気配を消す」「同調する」という技を手に入れました。

これって、つまり生き物の「生存戦略」ってやつですよね。

その後、そこそこうまく生き抜くことができ、まだ生きているので、その生存戦略は、まあまあ成功だったと思います。

そんな昔のことを思い出したのは、今話題の『新潮45』休刊に至る、諸々の動きに触発されたからです。

LGBTにまつわる様々なことに、私は何かを言えるような、そんな権利も準備もありません。冒頭のお坊さまのアドバイスを思えば、そして私の生存戦略を思えば、ここで何かを言うことは、あまり良くないことかもしれません。でも、ある意味禁を犯しても、やっぱり今回はひとこと言いたくなりました。

私も存在として、マイノリティであると思いながら生きてきたので、LGBTの皆さんはもちろん、私のようなものも、少しでも生きやすい世界になるといいのにな、と強く思っています。

ひとは、みんな違う。
一生懸命、それぞれが生きている。

そのことをもって、他の人の生も、自分の生も、同じように尊重すればいい。
そんなシンプルなことなのに、なぜ、否定するんだろう。
そして、なぜ否定されなくてはいけないのか。……そう思います。

そして、編集者、ライターのはしくれという立場からも、少しだけ。

「言論の自由は保障されるべきだ」という言説の是非は、正直言ってよくわかりません。だからと言ってすべてが是となるのは、私は到底「是」とは思えない。

少なくとも、私は、誰かが不幸せになる本は、つくりたくありません。

「この本と出会った人が、最後にちょっとだけ幸せになってくれますように」

そう願いながら、本をつくってきました。
拙いですから、うまくできたかどうか、それはわかりません。
でも、本を書いてくれた人も、取材させてくれた人も、読んでくれた人も。そして、デザインをしてくれた人、イラスト書いてくれた人、写真を撮ってくれた人、そして私自身も、幸せであるように。
そんな願いを込めて、本をつくっています。

しかし、もちろん自分が至らないところ、あるいは意図しないところで誰かを傷つけてしまうこともあるだろうと思います。そのことを思いながら、いつも不安に駆られます。
先日、私が自分のライティングにつまずいて弱音を吐いた時に、ある人がこういいました。

「確かにお前の文章は、みんなが喜ぶものじゃない。でも、学校でいったら、学年に一人か二人はかならずおるやろ。少ないかも知れへんけど、お前の言ってることをきいて救われたり、歓ぶやつは絶対おる。その人たちのために書けばいいやんか」

そうだった!

私個人ができることは、とても小さなこと。
世の中で見たらマイノリティ、少数派だろうけども、それでもどこかにいるそんな人たちのためにも、つまりそれは自分自身のためにも、全力で真心を込めること。

まず、このことが一番大切なんだと、改めて思いました。

もちろん、商業出版に携わる以上、ちゃんとした売り上げになるように全力を尽くすことも、重要な仕事です。しかしそれは、あくまでもその次に来ること。
このことを、もう一度、心に刻み、確認しました。

結局、私たちにとって大切なのは、「心」なのではないかと思います。
そして、自分に心があるように、相手や見えないどこかにいる誰かの「心」を想像すること。
そこにもう一度、立ちかえりたいと思います。

私の場合、そこを考え過ぎると、今度は動けなくなってしまうかもしれないので、ほどほどが大切。そこはこれまで培ってきた方法で、どうにかコントロールする必要はありますが……。

さて。

そんなわけで、今はこの目の前の仕事を、心を込めて精いっぱい頑張ります。

長々と、とりとめのない文章を読んでくださってありがとうございました。

(むとう)