損得じゃない。思い思われる、それこそが幸せ…。大好評シリーズ第4弾登場!『本所おけら長屋(四)』/畠山健二著

2013年7月からスタートした大好評シリーズ『本所おけら長屋』。

大変お待たせいたしました!!第4弾の登場です!

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さてさて、畠山先生の筆は今回4冊目でもますます冴えわたり、さらにパワーアップしていますよ~~!
とにかく、泣いて笑って笑って泣いて…。

「人っていいなあ」

そんな風に思わせてくださる珠玉のお話の数々です。
今回は、お話しが5話。そのあらましをご紹介しますと……。

本所七不思議のひとつ、「おいてけ堀」で発見された若い男の遺体。本当に河童の仕業なのかと探索を始めるお騒がせ万松こと万造と松吉。じつはそこには悲しい片恋、男の純情が絡んでいて……第一話「おいてけ」。

おけら長屋の兄貴格・八五郎の娘、お糸ちゃん。心優しいお糸の恋の行方に、ついに決着が……第二話「あかいと」。

第一巻で浪人・島田鉄斎に諭され、スリの仕事から足を洗ったお駒。真面目に働くお駒だが、店の主人の優しげな表の顔とは違う裏の顔が見えてきてしまい……第3話「すりきず」。

酒癖のせいで浪人し、江戸に出てきた錦之介と、占いを信じて突っ走る豆屋の娘・お雅の捧腹絶倒、変化球的恋物語……第4話「よいよい」。

捨て猫ミーちゃんを可愛がる松吉。自由奔放なミーちゃんの行いのせいで、長屋で孤立してしまいますが、ある日ミーちゃんが行方知らずとなり……第5話「あやかり」。

あらましはこんな感じですが、全体的に通底して感じますのは「人を思うことの素晴らしさ」だと思います。

本所おけら長屋の住人は、たまたまそこですれ違っただけでも、心からその人の身を案じます。そして、少しでも自分たちにできることはないかと一生懸命考える。損得ではないんですよね。見返りなんて求めてません。
実は人の「幸せ」って、そういうことの積み重ねなんじゃないかな、なんて思うのです。損得じゃなく相手を思い、また思われる。これ以上のことはないんじゃないかな、と。

そして、先生のお作を拝読しておりますと、「人間賛歌」だなあ、といつも思います。
世の中にはいろんな人がいます。すごくいい人でも決定的に駄目な部分を持っていたりもします。でも、そのままでいいんだなあ、と。欠点があろうとなかろうと、愛すべき人間たちがいる、そんな感じです。

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

IMG_0138またシリーズ第4弾ということで、ぜひ一巻から、とお勧めしたいところですが、短編読みきりですので、どの巻から読んでいただいても楽しんでいただけると思います。まず最新刊から、というのでも十分楽しんでいただけると思いますよ~!

(むとう)

 

 

今年は戦後70年。歴史を学ぶこと、語り継ぐことの大切さを知る。『「昭和史」を歩きながら考える』/半藤一利著

私は戦後生まれのため、戦争体験はありませんが、生まれ育った街・埼玉県東松山市は、平和教育が盛んな土地でしたので、戦争について学ぶ機会は多かったように思います。「原爆の図」で高名な画家・丸木位里・俊夫妻の美術館が近隣にあるというのも無関係ではないでしょう。

年に一度は、遠足で丸木美術館に訪れました。私は、みんなで遠足に行けて楽しいなあ、と思う半面、「あの絵」を見るのはこわいなあ、と思っていました。でも、あの絵を、「怖い」といってはいけない気がしていました。あの絵はこわいけど、怖がって眼をそらすのは失礼だ、そんな気持ちがあったように思うのです。

子どもながら、それがあの悲惨な現実があったことへの誠意であり、せめてものことだと思っていました。だから、丸木夫妻が描き出す、阿鼻叫喚の地獄世界としか思えない「あの絵」をただじっと見つめる……。
思い返しますと、年に一度、そんなことをするのは、実はとても意味のあることだったように思います。この日と、その後の何日かは太平洋戦争について考えます。そして、戦争がどんなに悲惨なのかに思いを巡らし、理屈でなく、人を殺し殺される「戦争」なんて絶対したくない、子ども心に実感を持ってそう思うことができました。

そして、それからさらに20数年が経ちました。
今年は何と戦後70年を数える年……。

戦争をしないで太平の世を70年も築けてきた、とも言えます。しかし、それはあまりにもきれいな言い方で、日本は間接的に戦争に参加してきた、といえると思います。それぐらい、世界に戦争が絶えることはありません。

さて、毎度ながら前置きが長すぎました。
ここ数カ月、一生懸命取りくんでまいりました一冊、半藤一利先生のエッセイ集、『「昭和史」を歩きながら考える』が、明日発売となりますので、ご紹介させてください。

20150303半藤先生のご本は、昨年も『若い読者のための日本近代史』(PHP文庫)というご本をお手伝いさせていただきました

先生の文章を拝読するのは、まさに勉強の連続ですが、今回もほんとうに勉強させていただきました。

昭和史の生き証人であり、第一級の研究者であり、歌人であり、また文藝春秋社の名編集者として数多くの高名な作家との交流を重ねてこられた先生の文章には、知識からも、風格からもただごとでない気配がにおい立ちます。前回は、書評集といった感じでしたが、今回のご本は、「エッセイ」集ですので、だいぶ軽いタッチのものも多く収録されていますが、それでもそこここに漂う「文人」らしい空気はどこまでも健在です。

あの時、あの前後にどのようなことが起こっていたのか、また経済発展していくときの日本とはどんな風だったのか、というのは、戦後生まれの我々は、よくわかっていないかもしれません。しかし、本書で語られる半藤少年・半藤青年の目を通じて、または多くの歌人が詠んだ歌や俳句によってうかがい知ることができます。また、編集者としての心がけ、日本語とはいったい?といった、その後の昭和日本で、といった趣きの軽妙なエッセイもあり、気楽に読んでいただけると思います。

私が子供のころ、「原爆の図」を観ることによってある意味「体感」 したように、様々な形で、戦争や歴史を語り継いでいくことはできるんじゃないか、と思うのです。本書は、そんな体験を、読むことでさせていただける一冊、と思います。

そしてまた、直感的に戦争は嫌だ、戦争なんてしたくない、そう思うことは大事なことですが、では「どうしたら回避できるのか」、それは「歴史を学ぶ」ことによって、少し見えてくるのではないか、と思うのです。そういった意味でも、本書における先生の歴史を見つめる視線、読み解き方は、とても参考になるのではないかと思います。

ぜひ、お気軽にお手に取ってみてくださいね!

(むとう)