【山梨旅】「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦先生連載)の舞台へ①武田松姫ゆかりの向嶽寺


20140510-2松姫が一時隠れていた塩山の名刹・向嶽寺へ
大善寺さんを後にして、次は「向嶽寺」さんへ。車で15分ほど。この辺りではけっこう大きな駅・塩山駅のほど近くです。

塩山はえんざんと呼びますが、これは向嶽寺の山号でもありますし、その北側にある小さな山・塩の山からきたものでもあります。数年前に市町村合併で、それまで塩山市でしたが現在は「甲州市塩山」になっています。

この向嶽寺は、「疾風に折れぬ花あり」の中で、とても大切な場所です。物語の主人公・松姫さんが、古府中(甲府)を脱出した後、一時こちらに潜んでいたんですね。

「松姫が臨済宗の向嶽寺を立ち寄り先と決めたのは、この大寺院が南北朝の時代を生きた甲州武田家の8代目・武田信成によって建立された寺だからである」(『文蔵』2014.1月号より引用)

大善寺はもちろん、この界隈には武田家ゆかりのお寺がたくさんありますが、やはりこちらも武田家縁のお寺だったんですねえ。

現役の修行場、の風格
以前、中村先生とN編集長がこちらを訪れた時の感想として「とても広い境内で、今も修行僧がいる現役の修行場、という感じがしたよ」と伺っていましたが、なるほど、想像していたよりもさらに境内が広い!

火災で何度か燃えてしまっているとのことで、古い建物と新しい建物が混在している感じです。尋ねた時間帯があまり良くなかったのか、お坊さんの姿は拝見できませんでしたが、今も修行僧(雲水)の皆さんが修業してるのかな~。

こちらのお寺は非公開のお寺さんなので、境内からそっと拝観します。境内の写真撮るの忘れてしまいましたが、いかにも禅宗らしい佇まいのすがすがしいお寺です。上の写真は、仏殿。ここまでは誰でも入れるんですね。

やはり、資料や地図などではよく拝見していたつもりでしたが、 実際こうしたおとずれてくると、なるほどと腑に落ちるような感じがします。

もし、織田軍がやってきても勝沼から笹子峠のほうに抜けられますし、またこれだけ寺域が広ければ、お坊さんも多かったでしょうし、松姫さん一行を滞在させるだけの場所も十分にあったことでしょう。
そしてこのお寺に滞在したことが、その後の松姫さんの逃亡先を確定することになったのですから、まさに運命の場所と呼んでもいいかもしれません。

そして、ここから次に行く恵林寺さんは、2・4キロしか離れていません。恵林寺さんは武田家の菩提寺。武田勝頼が死んで武田氏滅亡となった後、織田軍によって容赦ない破壊をされたお寺です。

(続く)

法隆寺と東京藝術大学の「交流史」と「復興」/「法隆寺~祈りとかたち」展開催中


20140510現在開催中の『法隆寺~祈りとかたち』展。平日昼間に、ぽかりと時間ができたのでここぞとばかりに足をのばしました。

東京藝大美術館は、とても好きな美術館ですが、今回はどうだったかというと…

仏像好きの方はちょっと不完全燃焼かもしれません。ポスターになっている吉祥天如像と毘沙門天像をはじめ重要文化財のお像も結構来てましたけど、テーマが法隆寺の「仏像」である、と思ってきてしまうとかなり間違っちゃう感じ。

この展覧会で描かれる「ストーリー」の主題は、会場にはいればすぐにわかることなんですけど、「法隆寺と藝大の交流史~宝物修復、模写を中心に~」ってかんじなのです。

藝大の前身である東京美術学校の創設者である、岡倉天心が行った法隆寺の文化財調査のノートと、その該当品とわかるものを並べておく、とか。

法隆寺の宝物や仏像の複製を通じて、学び考えていた明治の芸術家たちの「学びの庭」たる「法隆寺」という視点。

そして、法隆寺の金堂の模写事業、そして金堂が燃えてしまった後の復元作業での交流、などなど、そのストーリーの中で法隆寺の宝物・仏像が置かれている、という風な感じですね。

パンフレットやポスターでは、そこのところはあまり強調されていませんので、行ってみて「あ、そうなんすか?」とちょっと驚く、という…

そこで頭を切り替えてみると、大変面白い展覧会だな、と思います。

特に、金堂の壁画復元に関しては、とても興味深かったです。会場の前の建物では『別品の祈り』と題された展示も無料で公開されてますので、ぜひ合わせてごらんください。ここでは在りし日の壁画が原寸で再現されています。これが本当に燃えてなかったらなあ、と思わずため息ついちゃいました。本当に美しい最高の仏画なんです。

こちらでその復元された仏壁画を拝見していて、そこで、はたと気づきました。

実はこの展示の表題には「東日本大震災復興記念・新潟中越地震復興10年」と書かれており、展示会場の冒頭で、まず「その復興を祈念して」という思いが書かれていました。そういったことと、金堂の被災・修復はオーバーラップするところがありますよね。そういう意味もあったんじゃないのかな。今度被災した文化財の修復などでも大きな役割を果たす藝大の覚悟表明、みたいな…。そういうことなんじゃないのかな。

…いやはや。いろいろ考えさせられる展示でした。
ぜひ足を運んでみてください!
『法隆寺~祈りとかたち』@東京藝術大学大学美術館(6/22まで)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2014/horyuji/horyuji_ja.htm

『別品の祈り』@東京藝術大学大学美術館(6/22まで)
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2014/kondou/kondou_ja.htm

【山梨旅】武田氏ゆかりのお寺で仏像を観る②大善寺さんの「葡萄薬師」その弐


葡萄薬師はもともとは葡萄を持ってなかった??
「葡萄薬師」突然の秘仏化に動揺しながらも、ヨレヨレしつつ、鎌倉時代の日光月光さんと、十二神将さんを拝観します。

こちらの日光月光さんは鎌倉時代の、関東界隈の香りを強く感じるお顔立ちですね。鎌倉にあります覚園寺さんの薬師三尊さんの両脇侍を、ふと思い浮かべてしまう感じ。全体的にキリッとした強い表情。口元はキュッと引き絞って少々厳しい。切れ長の目には玉眼が入っています。時代も結構近いんじゃないかな…

さて、そんなあてずっぽうばかりではあれですし、もうちょっと詳しく知りたいと思い、朱印をしていただく間に、こんな本を購入してみました。

大善寺図録なぜ、表紙が十二神将のクビラ大将なのか、ちょっと謎ですが、立派な本ですよ。

さて、ちょっと本を読み込みますと、大変意外なことが書かれていました!

現在、葡萄薬師と呼ばれるご本尊さんは、お寺のパンフレットなど見ますと、左手に葡萄の房を乗せ、右手は降魔印(触地印)で、膝の前に手を伏せ人差し指を下に伸ばして地面に触れるような感じになっています。
#お寺のHPをご覧いただくと、ご本尊の写真をみることができます→HP

しかし、この形になったのは昭和5年の修理の時だったというのです。それまでは、右手は上向きで、左手も上向きであり現在は失われていますが薬壺(やっこ)を乗せていたと考えられる、と書かれています。

「鎌倉時代初頭頃仏教図像集である『覚禅抄(かくぜんしょう)』には、様々な薬師如来の姿を説くが、中に左手に宝印、右手に葡萄を持つ薬師のあることを記す。」(P34から引用)

宝印、というのは宝珠のことでしょうか。宝印というと仏を象徴する文字や真言のことを指すので、立体物ではないような…。

最も一般的な薬師さんの持ち物は、薬壺なので、宝珠というのでも珍しいですけど、葡萄と宝珠の組み合わせに何か意味があるのかな??

「葡萄は千手観音の持物(じぶつ)の一つとするように、古くから仏教とかかわりのある果実である。本像には、往古は葡萄を持っていたという伝承があるが、或は、造立当時の右手には葡萄を持っていたかもしれない」(P34から引用)

なるほど、つまり現在葡萄を持っているのは、割と最近から乗せるようになったということなのかな?文化財指定になっている写真を見ますと、確かに左手には葡萄のってないです。が、パンフレットやHP のお像は葡萄をのせてます。

つまりこんなかんじ?

造立当時→左手に宝印、右手に葡萄
昭和5年以前→左手に薬壺、右手は??
昭和5年以降→左手に葡萄、右手は下向きにして降魔印に変更

印相(仏さんの手の形。いろんな意味があります)って、けっこう変えちゃうもんなんですね。

紆余曲折てんこ盛りのお寺の歴史とお寺の縁起
変えちゃう、というかそれもごもっとも、と思いますのが、この本に記されているお寺さんの歴史の複雑さです。

創建された時期についても、説がいくつかあるようなんですが、ものすごく端折ってしまいますと、非常に大きなお寺さんですので、塔頭がたくさんあったわけですね。その中で中心になる塔頭も、歴史とともに変遷してきてるんですけど、そのためにいろんな歴史がごちゃまぜになってわかりにくくなってしまってる、って感じですね。

また、有名なこのお寺の縁起、行基(ぎょうき)さんがこの辺りで行をしていたところ、夢の中に葡萄を持った薬師如来が現れて…、というお話は、どうもあくまでも伝承といえそうです。鎌倉時代に民衆の間に、行基信仰が流行したのですが、おそらくその時に由緒として組み込まれたって感じですね。で、江戸時代に定着した、と。

これだけ長い歴史のあるお寺さんですから、そりゃもういろいろありますよね。そりゃそうだ。
大善寺

そんな長い歴史のなかでも、人々の必死の努力で守られてきた本堂や仏像が、いかに貴重か、ということですよね。

「行基さんが葡萄を持った薬師如来さんを夢で見て、その姿をお像に彫ってお寺を作り、薬園を作って民衆を救った。法薬である葡萄の栽培方法を村人に教えたのが、甲州葡萄の始まりと伝わる」

というこの縁起。何とも言えずいいお話ですよ。

土地の人に愛され大切に守られていく中で、このような縁起ができ伝えられてきたんだろうなあ。学術的にはそうじゃないかもしれなくても、やはりお寺の縁起はこのお話がふさわしいな、なんて思いました。

さて、大善寺はまた5年後にも来なくてならなくなってしまいましたが――何度でも足を運ぶ価値のあるお寺さんですからね。また来ますよ!――、今日は次のお寺へそろそろ向かわないと。あと3つのお寺さんを巡るつもりなので時間に余裕がありません。

そんなわけで。

大善寺の次には、塩山駅ちかくにある「向嶽寺」さんへと向かいます。

(続く)

大善寺
http://katsunuma.ne.jp/~daizenji/index.html

【山梨旅】武田氏ゆかりのお寺で仏像を観る①大善寺さんの「葡萄薬師」


「葡萄薬師」で有名な名刹・大善寺からスタート!
中村彰彦先生の連載を担当させていただくようになって、こうなったらどうあっても一度現地を訪れないと始まらない、…と思うようになり、先週末その願いをかなえることができました。

山梨を旅すると決めたとき、まず頭に浮かんだのが、「大善寺」さんでした。
というのも、以前私が編集させていただいた本『感じる・調べる・もっと近づく 仏像の本』(西山厚監修:仏像ガール著)の薬師如来をご紹介するページで、大善寺さんの有名なお像のお写真を貸していただいたんですね。その時に「かわいらしい薬師三尊さんだなあ」と感動した、という記憶があったからなのでした。

大善寺

また、中村先生の「疾風に折れぬ花あり」にも「大善寺」は登場します(2014年3月号)。
織田軍に追い立てられた武田勝頼が、愚かにも重臣小山田信茂の勧めを受け、本拠地の新府城を捨てて、信茂の本拠地・都留郡(つるごおり)を目指して脱出したのですが、その途上でこの大善寺に一泊しているのです。

この大善寺は、創建は9世紀ごろと伝わりますが、鎌倉時代のころから武田家と縁の深いお寺です。もともと、郡内(ぐんない)と呼ばれた都留郡と、国中(くになか)と呼ばれた甲州盆地とを結ぶ道の要衝にあり、軍事的にも重要な場所でした。

なので、武田信玄の叔父・信友はこの大善寺の境内を削って館を構えたようですし、信玄自身も、台風で被害を受けた大善寺の修繕を外護し、寺領も安堵しました。

また、大善寺には「理慶尼(りけいに)」という尼さんがいました。この人は信友の孫で、信玄からみると、従弟の娘にあたる人です。一説には勝頼の乳母も務めていたことがあったそうで、勝頼が逃げてきたときに、本堂にかくまった、という伝承があります。この人が書いた『理慶尼記』は別名「武田滅亡記」と呼ばれるもので、東寺の様子を知らせてくれる貴重な資料として、大善寺に今も所蔵されています。

仏像だけじゃなく、建物もすごい!
…ということで、武田家ともとてもご縁の深いお寺さんですから、歴史好きの皆さんにもたまらないと思いますが、仏像好きにもたまらないお寺さんです。

こちらでは何と言っても有名なのは、ご本尊の薬師三尊像。ほぼ創設当時のお像で、平安時代初期までさかのぼる名像(国指定重要文化財)です。
また、このお像のとてもユニークな点は、お薬師さんが葡萄の房を持っているということ。だから「葡萄薬師」と呼ばれるんですね。葡萄栽培とワイン醸造で高名な、勝沼町にある名刹にふさわしいお姿ですね!
大善寺どっしりとした山門をくぐり階段を上ると、本堂(薬師堂)が見えてきます。この本堂は鎌倉時代の建築で国宝。のびやかで気品あふれる佇まいが素晴らしい!!

大善寺

お寺のかたから後でうかがったところによりますと、東日本大震災でも被害がなく、また今年の大雪の際にも、こちらの本堂だけはびくともしなかったそうです。鎌倉時代の宮大工さんの腕って、本当にすごいですよね。

悲報!!葡萄薬師さんがいつの間にか「秘仏」になってた!!
さて、早速本堂に入りますと…

あれ?
嫌な予感…

なんか、本堂の中のお厨子に写真が貼られちゃってるけど!??

「ああ、すみませんねえ、数年前から5年に一度ご開帳させていただくように変更したんですよ。以前は毎日拝観していただけたんですけどね」

……呆然とする私に、衝撃の一言!

「昨年ご開帳したので、次回は30年になります。お客さん若いからまだまだ大丈夫。また来てくださいよ」

の~~~!!!

思わず白目むいたかもしれません。

同行の友人Kは、「い、いく??大丈夫?」と心配してくれましたが、お厨子の外にある12神将と鎌倉時代の日光・月光菩薩さんは拝観できるので、どうにか持ちこたえました。

ああああ、でも観たかったなあ。

こちらの三尊像は、本当にかわゆらしくてねえ。

ご本尊のお薬師さんが優しいお顔で、手に葡萄の房を乗せてるさまもかわゆらしいですが、特に、両脇時の手のかたちが可愛いのです。ピングーの手みたいな、というかなんというか。先がピョンと反っているんです。ううむ、ちょっと下手な絵で描いてみますと…

大善寺

普通は手のひらを前側にひらいているかたち(印相)や、もう一方の手で持っている蓮華の茎の下部分を持っていたり、そんなのが多いかなと思うんですけど、ここまで反り返ってるのは見たことないですね。「おしゃまさん」みたいなポーズに見えます。お顔も少女のようにかわいいので、見ていると思わずにっこりしてしまうようなお像です。

…ってここまで語ってますけど、結局本物観られてないですけどね。写真で見てここまで語ってますけどね(涙)。

(続く)

file.67 道の駅大滝温泉の平(でえら)


いちにちいちあんこ

この週末は、埼玉から自家用車で山梨県へと旅してきました。片道3時間半の車旅。私にしては大冒険です。

実は、中村彰彦先生の連載「疾風に折れぬ花あり」をお手伝いさせていただいているのに、山梨県の肝心なエリアには子供のころ以来行ったことがなく、ぜひ一度ナマで味わってみたい、と思っていたのです。

とはいえ、運転がシロウトに等しい私の運転です。無理はいけませんから、埼玉県から高速に乗れずに行けるルートでまずは入ってみよう、ということになり埼玉県は秩父を目指しました。現在秩父市になっていますが、私が子供のころは「大滝村」と呼ばれていた秩父山地の一角にあるエリアを通って、雁坂トンネルを抜け、山梨に入るルートです。

大滝村に入るまでに、埼玉県中央部にある我が家から一時間半。

ちょっと休憩をしようということで、「道の駅大滝温泉」に入りました。
道の駅大滝温泉みてください!この青空!!
本当にいいお天気で、こいのぼりも泳ぐのが楽しそうです。

さて、この道の駅は、かなり大きくて、日帰り温泉、レストラン、歴史資料館、そして物産直売センターがあります。

私たちは、先を急ぐ身ですので、物産センターにちょろっと立ち寄るだけにとどめましたが、温泉に入ってゆっくりするのも楽しそうです。

さて、物産センターに入ると、私が探すのはもちろんあんこもの!

さっと店内を見渡すと何やら見慣れぬもの発見!!

でぇら

なんでしょうか、これ!

「平(でえら)」と書いてあります。埼玉では「素まんじゅう」と言いう素朴なおまんじゅうがあって、大好物なのですが、生地はそれに似ていますね。でもなんか平たいですよ。でえら、というのはたいら、というのの方言ですね。

それにしても、初めて見ました!

これは食べてみなくちゃですよ!
三色入り、というのを購入。あんこと、しゃくし菜と、おなめ。
しゃくし菜は秩父特産のお漬物で、野沢菜みたいな感じです。おなめは田楽味噌みたいにちょっと甘いお味噌です。

でぇら(あんこ)

なんといってもいちにちいちあんこ、ですからね!

まずは、この小豆あんの入っている「でえら」から。

ところで、この「でえら」ですが、秩父市でもこの辺りの特産みたいですね。素まんじゅうを平たくした感じで、味は素まんじゅう。でも、ちょっと違うかな…。

でぇら(あずき)

なかはこんなかんじです。

小豆あんは塩味が利いてて美味しい!素朴な味ですね。

ほかのしゃくし菜とおなめも食べてみましたが、どれもおいしかったですが、ふと思いつきました。これ、おやきに似てます!

おやきと素まんじゅうの間くらいです。なので、たとえば、パンでたとえてみますと菓子パンというよりは食事パンに近い位置づけなんじゃないかな。だからかもしれませんが、しゃくし菜のでぇらが一番おいしく感じました。記事のほんのり甘い感じと、しゃくし菜のお漬物のしおっけがベストマッチなんですよね。…あんこ好きとしてはあるまじき発言かもしれませんが^^;。

それにしても、埼玉県に生まれて育ってはやうん十年ですが、まだまだ知らない食べ物がありますねえ。嬉しい出会いでした!

そして旅は続く…

道の駅 大滝温泉
http://www.ootakionsen.co.jp/index.html

 

「朋あり 遠方より来たる また楽しからずや」


一昨日の晩は20代の頃よく遊んでいた友人Mちゃんと12年ぶりの再会を果たし、お土産に食パンをいただきました。食に関するライティングも多くものしているMちゃんだけあって、この食パンが美味しいのなんのって!!

Centre the Bakeryという、銀座にある食パン専門店の食パン。調べてみるとなんとあのVironの姉妹店みたいなお店です。ううむ、さすがMちゃんだなあ。

美味しい食パンって、本当に幸せな気持ちにしてくれますね。たとえるなら、「自分が猫になって、なでるのが上手な人に背中を撫でてもらってご機嫌になってる」みたいなかんじですよ。

トーストにしても素晴らしいし、そのまま食べても素晴らしい。こんなに美味しい食パン、なかなか出会えないですよお。

そんな食パンを幸せだわあ、と思いつつ目をつぶっていただいてると、今度は宅急便が。友人Tさんからの宅急便。

メールで、「借りてた本を発見したから送るね。あと武藤さんが好きそうな本も一緒に入れといた」と連絡をもらっていたので、あ、あれかなといそいそ受け取ってあけてみると…

20140509-1

まずこの二冊は、私が貸してたもの。あ、Tさんが持ってたのか!!ないなあ、と思ってたんですよね。
実はこの二冊は私にとってとても大事な本(図録、雑誌)なんですよ。私の趣向のすべてがこの二冊で説明できるかもしれないってくらい。

そして、Tさんがおまけで入れてくれたのが、
20140509-2この三冊!!!

Tさん、私の大好物分かりすぎ~!!

まず、一番右の船尾修さん著『カミサマホトケサマ』は一見わかりにくいかもしれませんが写真集。かつてこの中で見た光景を生で見たくて、大分まで足を運んだことがあります。懐かしいなあ。

大分県の国東半島は、非常に濃ゆい宗教的土壌があり、仏教的であり、土俗的なさまざまな事象が今も伝えられていて、本当に素晴らしい場所です。この『カミサマホトケサマ』はその風土をこれ以上なく正しく捉えていて、素晴らしい一冊だと思います。

そして、中央の『自然と文化そしてことば』は、初見。なんと特集が「祭文と呪文の力」ときたもんだ!不勉強でまったく存じ上げませんでしたが、アジア・アフリカ言語文化研究所の研究活動を発表する場として発刊されていたものだそうです。

そして一番左は『大津絵』。日本を代表する「民画」である大津絵を集成した一冊。Tさんはかねがね「民画」に強い興味を寄せていたけど、大津絵にも手を出してたのか…とその博覧強記ぶりに思わずうなってしまいました。
大津絵をこれだけまとめてみたことがなかったのですが、なるほど、これはいい!!
Tさんが「民画」を愛してやまないことの意味が、ちょっと理解できた気がします。大津絵研究と言えば柳宗悦ですけど、今度そちらも読んでみようかなあ。

それにしても。

友人が買ってくれた最高に美味しい食パンを食べながら、友人が送ってくれた大好物な本を眺め観る、この幸せさ、ときたら…。

私って、かなりの「幸せもの」じゃない?
と、ふとおもいました。仕事が大変でプレッシャーに負けそうになって、お腹が痛くなったりしても。いわれもない悪意を受けて、泣き寝入りしたりしても。

こうして、理解してくれる人がいる。いつも一緒にいるわけじゃないですけど、「今頃どうしてるかな?元気かな?」とお互いを思うことができる人がいる。

本当にありがたいなあ、と。

『朋あり 遠方より来たる また楽しからずや』
論語の一節がふと頭に浮かびます。孔子師匠の言う通りですよ!ほんと!

さあて、それでは、今日ももうちょっと頑張りますか!!

 

戦国時代のあの三人を上司にしたらどうなる?「あるじ」シリーズ第二弾登場!『あるじは秀吉』/岩井三四二著


3月から文庫化されて大好評の「あるじシリーズ」第二弾がいよいよ登場しました!第一弾は信長、…とくればもちろん第二弾は【秀吉】ですね!

20140505
秀吉、と言えば、日本史上最も出世した人物と言っていいでしょう。

後付けで自分の家柄をいろいろ飾り立てようとしてますけど、彼の生まれが庶民であったことは皆さん異論はないのではないでしょうか。

庶民、と言ってもかなり貧しい部類。裕福なところから出世したのではなく、本当にゼロベース、いえ、ひょっとしたらマイナスベースからスタートした人です。

本書の帯にもありますがまさに「出世しすぎ」たひと。今後もここまですごい人はなかなか出てこないんじゃないでしょうか。

さて、本書はちょっと凝った趣向になっておりまして、1617年、二代将軍・徳川秀忠にお伽衆・山名禅高(やまなぜんこう)が、秀吉について「七不思議」と自ら名付けて呼んでいる逸話を披露する、という体裁になっています。
どういう出自なのか、なぜあれだけ出世できたのか、家来をどうやって育てたか、中国大返し、唐入りについてなど、それぞれを、秀吉近くに仕えた人から聞いた話として、秀忠に語るという趣向です。
岩井先生らしい、おもわず「くすっ」と笑ってしまうようなそんなお話に仕上がっているんですが、よくよく考えてみたら、もし自分がその家臣の身になったら、こんな上司はたまらんわあ、と少しぞぞっとしてしまいました。

それにしても、出世しすぎる人に仕える、というのも部下にとっても相当に大変なことですよね。本書の帯「出世しすぎる上司、右往左往の部下」とありますが、まさにしかり。

ぜひお手に取ってみてくださいね!

(むとう)

「疾風に折れぬ花あり」(中村彰彦著)、第8回「天の咎め(2)」掲載!


ご報告が遅くなってしまいましたが、4月半ば、中村彰彦先生の「疾風に折れぬ花あり」、第8回目掲載の『文蔵』2014年5月号が刊行されました。

5月号の文蔵の表紙イラストは、燕と菖蒲、いや、アヤメかな。この可憐さはアヤメな感じですね。
20140504燕、と言いますと、私は「ツバクラメ」という読み方が好きなんですけど、皆さんどうですか。ツバクラメ、ってなんかかわいいですよね。

さて、表紙は相変わらずほんわりかわいいですけど、我らが「疾風に折れぬ花あり」の松姫さんは、変わらずのっぴきならない状況です。

前号では、織田軍による武田の残党狩りが始まり、戦国時代の常識からしてもあまりにも過酷な方法で迫る残党狩りの手から逃れるため、松姫さんはいよいよ他国へ脱出するため出発しました。

今号では、塩山の向嶽寺に隠れていた松姫さん一行、とにかく織田家の手が届かないであろう、北条家が治める相模国、またその先の武蔵国を目指して、過酷な山道を進みます。

そのルートは、今も昔もあまり変わらないんです。
山梨から、東京(武蔵国八王子)に抜けるルート。甲州街道・最大の難所・笹子峠を越えて、大月、上野原、案下峠をこえ、陣馬街道を東進すると、八王子の恩方へと抜けます。

さすが甲斐の国・山梨、山国ですね。戦国時代、いえもっと昔から人が通る道はそうそう増えないということでしょう。

しかし、この道を、女性を中心に、4歳児3人もつれて徒歩で。しかも追っ手の目を気にして、甲州街道から一本入った山道を歩いたりしていくわけです。本当に過酷な道行きだったろうと思います。

さて、松姫さんたちは、無事安住の地へとたどり着けるのでしょうか!?

ぜひ、お手に取ってみてくださいね!

 

 

 

関東の皆さん、お待ちかね!「漫画家による仏の世界」展が増上寺で開催!


京都の東寺(教王護国寺)さんで開催されていた「漫画家による仏の世界」展が、東京では増上寺さんにて、5月1日より開催されています。

この、あまりにもユニークな展覧会はなにより、実行委員会が発表されている概要をご紹介するのが一番でしょう。以下にご紹介します。

「日本の「漫画」は、今やこの国を代表する文化として世界を席巻しています。この世界に誇れる漫画文化の継承として、現在活躍中の著名な漫画家先生に、それぞれのタッチで「仏」を描いていただき、有名寺院などで展示会を開催するプロジェクトがスタートいたしました。 第1回目は、漫画の祖といわれる「鳥獣人物戯画」が生み出された京都にこだわり、東寺(教王護国寺)で、平成26年3月20日からスタートしました。漫画家先生の中には、キャンパスに描く前に禊ぎをして、今回の作画に望んだ方もいらっしゃいます。今後は、全国の寺院で順次開催予定をしておりますので、漫画家が描いた様々な「仏」=「こころの世界」を、是非ご覧いただきたいと思います。 」(HPより引用)

スタートは、京都の東寺。「鳥獣戯画」にこだわるなら高山寺で開催したかったのではないかな~、なんて余計なことを考えてしまいますが、より一般の方がちょっと気になったので…と足をのばしていただくことを考えれば、東寺さんでの開催はベストチョイスかもしれませんね。

増上寺さんは、何しろ開明的なお寺さんで、イベントもよく開催されますので、なるほど、という感じです。増上寺さんのあとはどちらのお寺さんで開催されるんでしょう。それを考えるもの何やら楽しいですが…。

それにしても豪華な漫画家さん勢揃いです!!

絵師が寺院のために仏画やその周辺の絵を描くというのは、日本文化の大きな潮流といえますが、この事業もそこを意識されてのことではないか、と思います。

これはぜひとも観に行かないと!

会期が13日までと短いので、皆さんもぜひお見逃しなきよう…。

*詳しくはこちら!↓
HP;http://butsuga.jp/